作品タイトル不明
449.溺れる者は、何かを掴む
「おいおいっ! またメニューが増えてるじゃねーかよ?!」
「クックック……、いやはや、ラルフ・ドーソン卿の頭の中は、一体どうなっておるのだ? たまりませんなー」
粗野な気配を隠そうともしない荒くれ者の冒険者と、いつの間にかその男と対等に酌み交わす飲み友と化してしまった聖教国の高位司祭。本来ならば交わるはずのない二人が、テーブル席で頭を突き合わせ、刷新されたメニュー表に新しく書き加えられた文字に目を剥いていた。
今夜もまた、異色の酒場『居酒屋領主館』の賑やかな夜が幕を開ける。
熱気と、美味なる香りと、弾けるような笑い声。そんな光景は、すでに店内のそこかしこで見慣れた日常となっていた。
「この『タコライス』ってやつ、ジンジャービールのピリッとした辛みにめちゃくちゃ合うぞ!」
「いやいや、侮るなかれ。この『ガパオライス』とやらも食べてみるがいい。レモンサワーに凄まじく合うのだ。ひと口運べば、口内がまるで朝露に濡れた薬草園にいるかのような爽快感に満たされる! これならいくらでも食える!! ムシャムシャ……」
今宵の主役は、滋味深い雑穀米をふんだんに使った異国情緒あふれる料理たちだった。
そんな大盛況の店内の一角、一段と熱い火花を散らす場所がある。
「ぐぬぬぬっ……! なんでコレに『カレー』の名を冠することが許されないのよ?! 定義がわからないのよ、定義がっ!!」
ギリギリギリ、と奥歯を噛み締め、悔しさに身を震わせているのは、自他共に認めるスパイス・クイーンことエリカだ。
彼女は自らが生み出し、自信満々でラルフに却下された『タコライス』と、ラルフがこともなげに作り上げた特製の『ガパオライス』を交互に睨みつけ、食べ比べを続けている。
ラルフの頭の中にある、不可思議でありながらも妙に確信めいたこだわり。それによって「これはカレーではない」と一蹴された不条理への憤りと、何より、彼が厨房でパパッと手際よく仕上げてみせた、バジル香るガパオライスの圧倒的な完成度――その両方が、彼女のプライドを激しく掻き乱していた。
しかし、その周囲から彼女を宥めるように熱い声が飛ぶ。
「ムシャムシャ……でも、エリカさま! ムシャムシャ……これらのお料理にも、確かに私たちの愛するスパイスが惜しみなく使われているんですよ! ならば、これこそ私たちの本領発揮に違いありませんわ! ムシャムシャ」
「そうですわよ! ムシャムシャ……名前なんて、ムシャムシャ……所詮は些末な問題ですわ!」
『スパイス・ガールズ』を自称する目の眩むようなご令嬢集団が、円卓を囲んで雑穀米メニューを猛然とがっついている。
その豪快な食べっぷりは、名前の定義などという哲学的な苦悩を綺麗に吹き飛ばすほどに健康的だった。
――喧騒の波が心地よく打ち寄せる、カウンター席。
そこには、ラルフの元同級生である二人の姿が並んでいた。
「ラルフ! この『ミニ雑穀米おにぎり三点セット』を所望する!」
きっぱりと言い放ったのは、短い銀髪が魔導ランタンの光を反射して凛々しく輝く、テイマーのヴィヴィアン・カスターだ。
「はいよー。――雑穀米に、鮮やかな枝豆を交ぜ込んだのが一つ。オーク肉の自家製生ハムで贅沢に包んだのが一つ。そして、コカトリスの肉とケチャップの旨味を凝縮した、赤いヤツが一つだ」
差し出された三つの愛らしい塊を前に、ヴィヴィアンの指先が興奮でワナワナと震える。
視線は釘付け、溢れそうになるよだれを必死に堪える彼女の表情は、猛獣を従える猛者とは思えないほど無防備だった。
そして、赤いヤツを、パクリと一口。
「むほーっ。ムシャムシャ……。ゴクン! あ、あれ? 赤いヤツは、いつもの、三倍の速さで……消えた……?」
「そういうのはいいんだよっ!!」
思わず、突っ込まずにはいられない……。
すると、彼女の隣でグラスを傾けていた男が、静かに納得の感情で鼻を鳴らした。
「ふむ……。雑穀とは言うが、これはかなり栄養価が高いな。微量元素のバランスも極めて優れているようだ」
顕微鏡でも覗き込むかのような真剣な眼差しで、まだ火を通していない生の雑穀を片手に載せ、観察しているのは、錬金薬学の権威――アルフレッドである。
「まあ、そんな気はしていたがな。聞いた話じゃ、南方諸島ではまさかの『鶏の餌』扱いらしいぞ」
ラルフは苦笑しながら、アルフレッドの空いたグラスを回収し、代わりに黄金色に輝くシトラス・エールのタンブラーを滑らせた。
「なるほどな……。しかし、俺の知識にない穀物が、確かにいくつか交じっているな……」
アルフレッドはエールには目もくれず、カウンターの白木の上に、ピンセットで扱うかのように神経質な手つきで、一粒一粒の穀物を丁寧に並べ、選別を始めていく。その姿は完全に研究者のそれだった。
「まあ、向こうには、この大陸には存在しない特有の固有種がいくらでもあるんだろ」
ラルフは愛用の包丁の刃を、頭上の魔導灯の光に透かした。欠けや刃こぼれがないか、指の腹で丹念にチェックしながら、どこか他人事のように応じる。
「……フィールド・ワークに、行ってみたいなぁ」
ポツリと、灯火に溶けるような声でアルフレッドが呟いた。
その瞬間、ラルフの眉がピクリと不自然にひそめられる。
(また始まったか……)
錬金薬学を専攻し、植物学に関しても、命を平気で賭けるような危うさを持つ趣味人――この同級生の悪癖を、ラルフはよく知っていた。
錬金薬師の大家に生まれ、若くして自分の店を持つ天才でありながら、ふっと思いついたように過酷なフィールド・ワークへ旅立ってしまう。残された家族や兄弟たちが、呆れ果てながらも、すでに彼を「そういう生き物」として諦めている様子が、ラルフの脳裏をよぎった。
「よしとけ。遠すぎるしな……。あちらさんは、西大陸語も通じなきゃ、文明レベルもここより遥かに低いらしいぞ」
ラルフは、冷徹な現実という名のブレーキをかけようとした。しかし、一度火がついた学術的好奇心は、そう簡単には消えない。
「ふむ。確かにそうか……。だが、南方諸島のとある島には、想像を絶する巨大な河があると聞いたことがある。植物の生態系だけでなく、その大河に棲息する魚たちも、独自の進化を遂げたユニークな種ばかりで、しかも驚くほど巨大なのだとか……」
アルフレッドがそこまで言いかけた、その時だった。
彼の隣で、耳をダンボにしていた男が、猛烈な勢いで割り込んできた。
「なにそれどういうこともっと詳しくっ!!」
席を蹴らんばかりの勢いで捲し立てたのは、何を隠そう、この国の最高権力者、ウラデュウス国王その人であった。
「ええっ?! いや、その、あ、あのぅ……」
流石のアルフレッドも、至近距離から放たれた国王の圧倒的な覇気、(と純粋すぎる少年のごとき眼差し)に気圧され、たじろぐしかない。
カウンターの中から、重いため息がひとつ漏れた。
ラルフは手元の包丁をそっと置き、呆れた視線をその男へ向ける。
「あのねぇ、ヴラドおじ? そこで『デカい魚を釣りあげたい』って思ったんでしょう? 王国の最高権力者が、そんな未開の地にふらっと行けるわけないですからね?」
ピシャリと、残酷な現実の壁を突きつける。
「う……うむ。まあ、そう、だな……。それは、わかっている……」
ウラデュウスは歯切れ悪く唸り、バツが悪そうに手元のぐい呑みを傾け、冷酒を喉に流し込んだ。
「それに、ほら、少しは周りを見てみなさいって」
ラルフが呆れ顔のまま、顎で店内を指し示す。
その視線の先――少し離れたテーブル席では、国の政務を司る宰相をはじめとした国王の臣下たちが、一糸乱れぬ動きでこちらを凝視していた。
ジーーーーーっ。
それはまさに、檻から脱走しようとする猛獣を監視する猛獣使いの目。あるいは、問題児を睨みつける教官の目だった。
「ん? う、うーむ……」
背中に突き刺さる無言の圧力に耐えかねたように、国王は居心地悪そうに身を縮め、あからさまに襟元を正した。
その、あからさまにシュンとした王の姿を見て、ラルフの心に邪悪な遊び心が芽生えてしまった。
「ん、んふっ! ケーケッケッケッ! 臣下に全く信用されてない国王さまは、実に可哀想ですね〜。あー、可哀想だ! まったくもって可哀想だ! 権力っていうのは、不自由と抱き合わせなんですねぇ〜!
あー。か、わ、い、そ、う、だ〜。ケーッケッケッ!」
ラルフは悪ふざけの極みと言わんばかりの、とんでもなくウザったいニヤニヤ笑いを至近距離で浮かべ、これでもかと挑発を重ねた。
実は、ラルフもまた、居酒屋を切り盛りしながら、景気付けにとビールをすでに何杯か空けていた。
要するに、完全に酒の勢いで調子に乗っていたのである。
国王の額に、ピキッ……と青筋が浮かび上がった。
(この不敬なガキめ……!)とばかりに言い返そうとして、ウラデュウスは勢いよく腰を浮かせ――しかし、不自然なほど静かに、再びドサリと座り直した。
「へっへぇーんだ! 言い返せないのかなぁ? いつもの威勢の良さは、一体どこへ行っちゃったんですかねぇ〜?!」
さらにおどけてみせるラルフ。
だが、国王はそれ以上口を開くことはなかった。
ただ、ぐっと何かを噛み殺すように顎を引き、冷酒をただひたすらに傾け続けた。
その瞳の奥で、静かに、怪しい炎が揺らめいていることにも、ラルフは気づかずに……。
――それから、僅か三日後のことである。
静まり返ったラルフの執務室に、一通の重々しい書簡が届けられた。
送り届けてきたのは、いつもの快活な運び屋のマーサだったが、その表情は心なしか引きつっていた。
書簡の表面には、こう記されていた。
『 南方学術啓明勅監(なんぽうがくじゅつけいめいちょっかん) 』
それは、南方諸島へ、国王自らが「学術的調査」のために公式に赴くことを宣言し、あろうことか、その随行員として「ラルフ・ドーソン」および「アルフレッド」の二名を指名する、という内容だった。
美しく整えられた文字の羅列は、言い訳を一切許さない、絶対的な強制力を持った【王命】そのものであった。
「うっ……嘘、だろ……」
ラルフは頭を抱え、机に突っ伏した。
背中を嫌な冷汗が伝い落ちる。
脳裏をよぎるのは、三日前の夜、あのカウンターでの自分のウザすぎる笑顔と、静かに酒を飲んでいた国王の、"何か"を宿した顔。
親しき仲にも礼儀あり。
そして何より――、
喧嘩を売る相手は、絶対に間違えてはならない。
最高権力者の、あまりにも大人げなく、そしてあまりにも合法的な『手痛いしっぺ返し』を食らったラルフは、ただただ激しい後悔の海に溺れるのだった。