軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

448.カレイドスコープ

「それじゃあ――。記念すべき第一回・試作品、作ってみるわよ」

「……なんで僕まで、引っ張り出されにゃならんのだ……」

昼下がりの居酒屋領主館の厨房は、仕出しや持ち帰りの弁当を調理する従業員たちの熱気と、包丁がまな板を叩く小気味よい音で満ちていた。

その喧騒の片隅、一段と強い意思を宿した瞳でエリカが腕組みをし、その正面でラルフが心底眠たそうにため息をついている。

ことの始まりは数時間前。

学食向けに特化した「まったく新しいカレー」を開発したと息巻くエリカが、執務室で書類の山と格闘していたラルフを半ば強引に連れ出したのだ。

「いい? 現行のメニューを学食で出すとなると最大の問題点は、コストよ。つまり、材料費。そして、調理にかかる人手と手間……」

「で? お前はその問題をまるっと鮮やかに打開できるような、夢の新メニューを開発したと。そう言いたいわけだ」

ラルフは片眉を上げ、めんどくささを隠そうともせずに聞き返した。

学食という性質上、学生向けに提供する食事の単価を大幅に上げるわけにはいかない。

もちろん、寄付金や助成金といった運営費から補填することは可能だが、財政を預かる身としては、削れる経費は鉄貨一枚でも節約するに越したことはないのだ。

「ふふん、このあたしに秘策あり、よ! これを見なさい……!」

エリカが自信たっぷりに足元から持ち上げたのは、ずっしりとした麻の大袋だった。

紐が解かれ、促されるままにラルフが中を覗き込む。

手を差し入れ、その中身を一握りすくい上げてみれば、手のひらの上でさらさらと固い粒が音を立てた。

「なるほど……。これは、雑穀か?」

「雑穀? っていうの? これはね、海賊公社が南方諸島で見つけてきた、数種類の穀物よ!」

「これがどうして秘策になるんだ? いくら穀物とはいえ、海を渡ってきた輸入品だろう。それなら雑穀だってそれなりの値段がするはずだ」

不審の目を向けるラルフに、エリカは人差し指をチッチッチ、と小刻みに振ってみせた。

「それがね。南方諸島じゃあ、これ、家畜の鶏の餌にしか使われていないらしいのよ」

「……え? 家畜の、餌?」

ラルフは思わず目を丸くした。

「そ! だから、あたしが買い叩いた……じゃなくて、誠心誠意の交渉の末、破格の安価で専売契約を取り付けてきたわ!」

「おい、いま完全に『買い叩いた』って言ったな!? お前、海を隔てた見知らぬ異国の商人に対して、些かの罪悪感も覚えないのか!?」

ラルフの非難の声を、エリカはどこ吹く風と受け流す。

まさかロートシュタイン領から一歩も出ることなく、海賊公社という強力な仲卸業者を盤上で動かし、未開の文化圏の食糧資源を安値で囲い込むとは。悪役令嬢どころか、闇の奥底で不敵に高笑いをあげる「経済フィクサー」の片鱗を見せつけられ、ラルフは彼女の将来が色々な意味で不安になってきた。

「人聞きが悪いわね、盗んできたわけじゃないわよ! ちゃんと、先方も大満足の上の取引になっている……らしいわ。メリッサ船長が言うには、だけど」

「……というか、通商通貨は何を使ったんだ? 王国の金貨か? それとも、魔力密度の高い魔石とか?」

流通の基本に立ち返ったラルフの疑問に、エリカはこれ以上ないほど不敵な笑みを深めた。

「いいえ。こちらが対価として支払ったのはね――なんと、『アート』よ!」

「……は? アート?」

「ほら、あの酔っ払いエルフが作った仮面。あれ一つで、向こう一年分のこの穀物を差し出してきたらしいわ」

「嘘だろっ?! 泥をこねて焼いただけの怪しい仮面一つで!? そんなにかよっ!?」

ラルフは思わず頭を抱えた。脳裏をよぎるのは、エルフのミュリエルが、酒瓶を片手に泥をこねて生み出す、あのなんとも言えない不気味な造形の仮面である。

「価値の低い場所で仕入れて、価値の高く付く場所で売る。これが商売の鉄則でしょ?」

勝利の笑みを浮かべるエリカを前に、ラルフは深い吐息を漏らした。

「まあ……理屈としては、一分の隙もない。ないんだけどさぁ……」

これ以上この件を突き詰めても精神的に消耗するだけだと悟り、ラルフは諦めて袖をまくった。

エリカの調理の手伝いに回るべく、まな板の前に立つ。

「……ところで、これのどこがカレーなんだ? スパイスの香りがしてこないけれど」

厨房を見渡しながら首を傾げるラルフに、エリカはミンサーのハンドルを握りながら得意満面に胸を張った。

「いつも通りのカレーライスだと、煮込む時間も、大鍋を監視する手間もかかるわ。だから、あたしの新しい構想が、そのすべてを解決するのよ」

彼女はそう言うと、ホーンブルの塊肉をミンサーの投入口へ放り込み、力強くハンドルを回し始めた。どうやら、今回は挽き肉が主役になるらしい。

ラルフは彼女の指示に従い、瑞々しいレタスを細長く刻み、真っ赤に熟したトマトを賽の目に切り分けていった。

しばらくして、厨房の片隅に据えられた鍋から、シュルシュルと白い蒸気が勢いよく吹き出す。

「さっ! 炊き上がったわよ」

蒸らしの時間を終え、エリカが厳かに鍋の蓋を持ち上げた。

途端、ブワリと広がった熱気とともに、ラルフの鼻腔を未知の香りがくすぐる。

「ふむ……。悪くないな。加水時間を長めにとったのが功を奏したか。それにしても、なんだか不思議な香りだ」

鍋の中を覗き込むと、そこには鮮やかな光景が広がっていた。

湯気を立てる米の中に、赤、茶、黒、そして純白の粒が万華鏡のように混ざり合っている。

炊きたての雑穀米だ。

それはラルフの前世の記憶にあるものとも酷似していたが、やはりこの世界特有の品種なのだろう、一粒一粒がどこか力強い生命力を宿しているように見えた。

「さて。問題は、これが本当に美味しいかどうかよね」

エリカは真剣な眼差しを鍋に向け、人差し指を顎に当てて考え込む。

「試しに、塩だけでミニおにぎりでも作ってみるか? その方が、この穀物自体のポテンシャルがよく分かる」

「そうね。味見は何より大事だわ」

二人は熱々の米を手に取り、ギュッ、ギュッ、と小振りの形に結び始めた。

通常の米に比べて粘り気が少ないため、少し強めに力を込めなければ崩れてしまう。

悪戦苦闘の末、どうにか二人の手のひらの上に、小さな彩りの塊が完成した。

「よし。それじゃあ、試食といこう」

「いただきます……」

互いに顔を見合わせ、小さなおにぎりを口へと運ぶ。

前歯がその粒を捉え、噛み締めた――その瞬間、二人の目が見開かれた。

「っ……!」

鼻腔を突き抜けたのは、野性味溢れる、まるで焦がした藁のような香ばしさ。そして噛むほどに染み出す、黒糖にも似た濃厚な甘み。

何より特筆すべきは、口の中で弾ける食感の楽しさだった。

プツリと小気味よく歯で割れる固めの粒、かと思えばモッチリと濃厚な粘り気を帯びた餅米のような粒。

そして、全体の四割を占めるロートシュタイン産の白米の甘みが、それら個性豊かな脇役たちによって、これ以上ないほど鮮明に引き立てられている。

「え!? うまっ!!! なにこれ……え、雑穀って、こんなに美味いものなのか!?」

ラルフは驚愕のあまり声を裏返らせた。

前世の記憶を辿っても、わざわざ雑穀米を選ぶのは健康志向の人間か、あるいは物好きな富裕層の嗜好品というイメージしかなく、自ら進んで口にしたことはなかった。だが、これは違う。この世界特有の固有種が持つ、圧倒的な美味がそこにはあった。

「これは……とんでもない掘り出し物だったわね。南方諸島の人たちは、こんなに美味しいものを食べずに家畜に与えていたなんて……。可哀想すぎるわ」

エリカもまた、噛み締めるごとに表情を輝かせ、感嘆の息を漏らしている。

思わず顔を見合わせた二人の間で、確かな手応えが火花を散らした。

新たな食文化が、このロートシュタインの地に深く根を下ろした瞬間だった。

――ちなみに。

このあと、エリカが意気揚々と盛り付け、完成させた「新しいカレーライス」の全貌を見て、ラルフは激しい既視感に襲われることになる。

お皿に盛られた雑穀米、その上に敷き詰められたシャキシャキのレタスとトマト、そしてスパイシーに炒められたホーンブルの挽き肉。仕上げに散らされたチーズ。

(これ……どう見ても、僕の前世にあった『タコライス』じゃないか……?)

それを指摘すべきか、それとも彼女のオリジナリティとして称賛すべきか、ラルフは大いに頭を抱え、悩むことになるのだが――それはまた、別のお話。

一方、その頃。王国の遙か南方に位置する、常夏の島々。

エメラルドグリーンの海に囲まれた、とある部族の集落では、異様な熱気が渦巻いていた。

「さあ! 今日も、この偉大なる『豊穣の仮面』に、至高の祈りを捧げるのだ!」

部族の長が、色鮮やかな羽飾りを揺らしながら、その仮面を顔に装着した。

その仮面は、どこか不気味で、おどろおどろしい造形をしていたが、彼らにとっては神の遣わした聖遺物に他ならない。

長が奇妙なステップを踏み、大地を蹴って踊り始める。

それを取り囲む部族の人々は、一斉に手にした打楽器を激しく打ち鳴らした。ドンドコドンドコと地を震わせるリズムに合わせ、朗々と、魂を揺さぶるような願いの歌を歌い上げる。

すると、どうだろう。

ゴロゴロ……と、それまで快晴だった青空の向こうから、重々しい地鳴りのような雷鳴が響き渡った。またたく間に、上空へ肉厚の雨雲が広がっていく。

「アレを見ろ!!」

一人の若者が、驚きと歓喜に震える指で空を指差した。

ポツリ、ポツリ。

そして、葉が敷かれた家々の屋根をざぁぁぁぁぁぁっ! と打ち付ける。

乾いた大地を潤すように、大粒の恵みの雨が降り注ぎ始めた。

雨季以外の時期には、常に肌を焼くような強烈な陽射しが降り注ぎ、慢性的な水不足に悩まされるこの地において、それは奇跡そのものだった。

王国からやってきた白い大船の主たちが授けてくれた、この不気味な仮面こそが、彼らにとって、これからの繁栄と、飢えることのない明日への希望の象徴だったのだ。

「やっぱりだっ! また、本当に雨が降ってきた! 凄い、信じられない!」

「ハーハッハッハー! あの王国の連中とやら、鶏の餌なんかと引き換えに、こんなに凄い神の道具を寄越してくれるなんて、おめでたい奴らだっ! もっともっと鶏の餌を育てて、もっと凄い宝物をふんだくってやろうぜ!」

恵みの雨を全身に浴びながら、部族の全員が狂喜乱舞し、歓声の渦の中で踊り狂う。

やがて、確かな未来への希望を語り合い、笑い疲れた頃。

雨が止み、雲の切れ間から再び陽光が差し込んだ。

あの白亜の巨大な船――アビエラ・グレイス号がやってきた、王国――誰も見たことのない未知の楽園が存在するという、遥かなる北東の海上には。

虹が架かっていた。