作品タイトル不明
446.青春の光と影
学校という不可思議な空間において、もっとも輝かしく、もっとも情熱的で、もっとも全人類が平等の権利を主張して良いハイライトな時間――それはいつか?
断言しよう。それは『 昼飯(ランチタイム) 』である。これに異論を挟む者は、いかなる聖人君子であれラルフが容赦なく論破する構えであった。
だからこそ、ラルフは新設された美術学科の学食クオリティに対して、領主の権限をフルに活用して大いに口出しをした。
「はぁ? 教育ぅ? 崇高な理念? 子供たちにとっては、そんなの関係ねぇ! 昼メシと、時折あるかもしれねぇ、甘酸っぺ〜青春の一ページよ?」というラルフの熱弁に対し、当初、現場からは「では、学校専属の調理専門の従業員を大量に雇用するのですか? 予算が逼迫します」という真っ当な難題が突きつけられた。しかし、ラルフはその問題を、実にあっさりと、かつ合理的に解決せしめてみせたのだ。
「なるほど……。領内の『屋台街』や既存の『飲食店』を日替わり、あるいは週替わりで参入させる『 輪番制(ローテーション) 』ですか……」
新校舎の一角に完成した広々とした食堂。
その喧騒の中で、アンナは手元の帳簿を確認しながら、珍しく心底から感心したように、その鉄壁の無表情の下で小さな感嘆を漏らしていた。
「そ! なにせ、あいつら飲食店オーナーにとって、今のロートシュタインの屋台街は食うか食われるかの超激戦区だからねぇ。腕前は確かなのに顧客の奪い合いに疲弊している連中にとって、こうして毎日、確実に一定数の『飢えた生徒』という安定した需要が見込める仕事は、喉から手が出るほど欲しいものさ!」
ラルフはふんぞり返り、得意げに腕を組んで鼻高々である。
今、アート・オークション会場に併設された一角には、美術学科の生徒たちが一堂に会する、活気溢れる学食の光景が広がっていた。大ぶりな木製のテーブルが並び、大きな窓からは心地よい初夏の光が差し込んでいる。
「はいよー! ギョーザ定食、ご飯特盛り一丁! 次ぃ、ラーメンお待ち……ってお前、ラーメンだけだと栄養が偏るぞ? ほら、うちの畑で今朝採れたばかりの新鮮な完熟トマトも付けてやる。これは俺からのサービスだ、残さず食えよ!」
厨房と食堂を遮るカウンター越しに、威勢の良い声を張り上げながら生徒役の子供たちへ次々と出来立てのランチを提供している男がいた。
彼は、いつぞやの同業者多発の煽りを受けて商売が立ち行かなくなそうになり、ラルフの元へ涙目で泣きついてきた、あの救われた屋台の男性店主だ。
今やロートシュタインの好景気の波に乗り、学食のローテーションの一翼を担うほどに完全復活を果たしていた。
「おじさん、ありがとうございまーす!」
「えっ! なにこのトマト!? デカくない?! でも美味しそう! いただきます!」
子供たちは、湯気を立てるトレイを慎重に抱えながら、満面の笑みでそれぞれのテーブルへと運んでいく。
そんな微笑ましい喧騒の中、ラルフの鋭い視線が、どこに腰掛けようかとトレイを抱えたままオロオロと彷徨っている一人の少女を捉えた。
服装の仕立てからして、おそらく聖教国の大規模農園からやってきた、遠い異郷の留学希望者の女の子だろう。周囲の賑やかな輪に馴染めず、完全に気後れしてしまっている。
ラルフはふっと口元を緩めると、気さくな足取りでズカズカとその少女の背後へと近づき、驚かせない程度の絶妙な力加減で、ぽんと両手を彼女の華奢な肩へと置いた。
「えっ? あ、あの……っ!?」
「いいからいいから! 迷う必要なんてないさ、君の特等席はこっち!」
突然の領主の登場にパニックを起こしかける少女を、ラルフは「ほら、進め進め」と楽しげに前へと押し進めていく。彼が少女を導いた先は――。
「おーい、お前ら! 聖教国から遥々やってきた新しい仲間だ。しっかりおもてなししてくれよな!」
ラルフが声をかけたのは、ロートシュタイン孤児院出身の、元気いっぱいで人懐っこい少年少女たちのグループだった。
「お安い御用だよ、ラルフ様ー!」
「いらっしゃい! その席、空いてるからどうぞどうぞ!」
「ねぇねぇ、聖教国から来たんだよね!? あっちって、やっぱり毎日お祈りとかするの?」
「絵を描くのが好きなの? それとも彫刻?」
最初は借りてきた猫のように縮こまっていた聖教国の少女だったが、孤児院の子供たちの濁りのない無邪気な大歓迎を受け、「えっ、え、えええぇぇ……っ!?」と赤面して戸惑いながらも、あれよあれよという間に笑顔を咲かせ、会話の輪へと溶け込んでいく。
(まあ、子供の偏見のない無邪気さと、新しい環境への凄まじい適応能力には、大人の僕でも舌を巻くしかないね……)
ラルフはそんな光景を、父親のような温かい眼差しで見守り、満足げに目を細めていた。
――しかし。
そんな平和な食堂の一角から、突如として、ピリピリとした不穏な空気が漂いはじめた。
「あら? 貴方、せっかくの素晴らしい学食のお時間ですのに、わざわざお家からお弁当を持ってこられたの? ……そんな、安っぽい木箱に詰め込んで?」
ふんぞり返って周囲を見下ろしているのは、王都の裕福な貴族の家系からやってきたとおぼしき、いかにもプライドの高そうな幼い令嬢だった。彼女は、隣の席に座るロートシュタイン領在住の少年の手元を指差し、子供特有の、悪意のない残酷で無邪気な嫌味を言い放ってしまったのだ。
言われた少年は、居心地悪そうに身を縮こまらせる。
「う、うん……。僕のお父さん、冒険者だからさ。今はちょっと色々と物入りで、節約のためにって、今日はお弁当にしてもらったんだ……」
少年は恥ずかしそうに視線を落とし、耳まで真っ赤にしながら俯いてしまう。
「あらあら、お可哀想に! ランチの銅貨数枚すら出せないなんて……平民のお家って、本当にお金がありませんのね! オーホッホッホッホ!!」
扇子を取り出し、絵に描いたような高笑いを炸裂させる令嬢。
遠巻きにそれを見ていたラルフは、さすがにあれは目に余る、領主として教育的指導をぶちかましてやるべきか? と不機嫌にそちらを睨みつけ、一歩を踏み出そうとした。――まさに、その時だった。
「う、うん……。でも、お父さん、不器用だけど料理だけは凄く上手だから……僕はこれで全然いいんだ」
少年は少しだけ寂しそうに微笑みながら、パカッと、その木箱の弁当の蓋を取り払った。
「料理って言ったって、そんな箱に冷えたものを――」
令嬢が、マウンティングを完成させるためにチラリと少年の弁当箱の中身を覗き込んだ、
その瞬間。
彼女の全人格を真っ向から力任せに叩きつけるかのような暴力的な『光景』と『香気』が、容赦なく炸裂した。
それは――。
弁当箱を埋め尽くす、見るからに外側がカリッと揚がった、濃い茶色の大きなゴロゴロとした肉の塊がいくつも詰め込まれていた。その上には、粗挽きのおろしにんにくをたっぷりとブレンドした、背徳感の塊のような特製マヨネーズソース――通称『ガリマヨ』が、美しく、そして凶悪に回しかけられている。
さらに、蓋を開けた瞬間に食堂全体へテロのように拡散した、数種類の秘伝スパイスと肉汁の焦げたガツンッ!! とくる魅惑の香り。
そして二段目には、一粒一粒が美しく自立した真っ白いご飯の平原が広がり、香ばしい黒胡麻が均等に振りかけられ、その中央には、艶やかに輝く深紅の梅干しが鎮座していた。
「……うっ、うううう、う。は、鼻が……あ、頭が……っ?!」
衝撃的なビジュアルと、脳髄を直接揺さぶるガリマヨの香気。
令嬢は、マウンティングどころか、人生初のジャンクな食の暴力の前に、軽くパニックを起こしていた。激烈に分泌される唾液。
(た、食べてみたい……っ! 貴族のプライドをドブに捨ててでも、あの茶色い塊を口いっぱいに頬張って、そのガリマヨとやらを味わってみたい……っ!)
しかし、王都の貴族としての教育が、そんな卑しい願いを口にすることを全力で拒絶する。脳内での凄絶な葛藤。
そんな令嬢の壮絶な内的宇宙など露知らず、少年はどこか諦めたような、恐縮したような顔で言った。
「これね、お父さんが言うには、ダンジョンの深層にしか生息していない『コカトリス』っていう最高級の魔獣の唐揚げなんだって。『この肉はな、王都の高級料亭じゃ一皿で金貨四枚もするんだぞ! 感謝しろ!』って朝から自慢げに持たされたんだけど……やっぱり、貴族さまのに比べたら、こういう茶色いお弁当って、恥ずかしいよね……?」
少年の純朴極まりない爆弾発言。
金貨四枚。
王都の貴族であっても、そうそう日常的に口にできるものではない伝説の珍味、幻の魔獣肉。
それが、平然とガリマヨをぶっかけられて弁当箱に敷き詰められている。
令嬢の理性の防壁が、音を立てて崩壊した。
「そ、そ、そ、そ、その唐揚げを一つ、この私に献上なさいな……っ!!」
我慢できなくなった令嬢は、もはや手段を選ばず、とんでもない要求を平然と突きつけた。
「え、えー?! い、いやだよー! 酷いなぁ、だって僕、今日のお昼ご飯これしかないんだよ?」
「ぐぬぬぬぬっ……! ならば、物々交換ですわ! ギョーザを一皿、貴方に丸ごとご馳走して差し上げます! だから、その唐揚げを一つ、いえ、二つ私によこしなさいな!!」
「……え? ギョーザ一皿と交換? ……まあ、それなら、お腹いっぱいになるし、いいけど……」
「決まりですわ! 爺や! 爺ぃ! 早く、この誇り高きロートシュタインの民に、ギョーザをもう一皿追加で持ってきなさい!!」
「は、はい、ただいま!!」
陰に控えていた老年の召使いが、主人のあまりの剣幕に泡を食って厨房へと走る。
(……やれやれ。お高くとまったお嬢様も、コカトリスのガリマヨ唐揚げの前には形無し、か。まあ、なんやかんやで身分の垣根なんていうくだらない壁を飛び越えて、子供たちは上手くやってるみたいだ……)
ラルフは呆れ半分、安堵半分で肩を落とし、その微笑ましくも現金な一幕から視線を外し、その場を離れた。
すると、常に主人の一挙手一投足を監視している有能なメイドが、歩きながら静かに懸念を口にした。
「……しかし、旦那様。この『輪番制』による豪華な学食の座組、経営および商売としての『採算』は、客観的に見て合っているのですか?」
アンナは薄い眉をひそめ、ラルフの顔を覗き込む。
「ん? いや、そんなの計算するまでもなく完全に無理だよ。大赤字さ」
ラルフは悪びれる様子もなく、あっけらかんと言い放った。
「では、やはり……。今回の美術学科の維持費と同様に、ロジオン様をはじめとした富裕なパトロンからの寄付金や、我が領主館のポケットマネーを持ち出して、ボランティアで維持していくおつもりなのですか?」
アンナの問いに、ラルフは歩みを止め、窓の外に広がる広大な領地を見つめながら、どこか遠い目をしてみせた。
「当面の間は、僕らの持ち出しになるだろうね。……しかしな、アンナ。教育機関っていうのは、もの凄く息の長い、そして確実な『投資』なんだよ」
「投資、と申しますと?」
「つまりさ。今、ここで腹一杯に美味い飯を食って、なんの憂いもなく育った子供たちは、未来のロートシュタインを背負って莫大な金を稼ぐ一廉の大人になる。しかも、各国からの留学生も受け入れてる。……大人になった彼らは、自らの物欲のままに欲しい物を買い、またこの領地で美味い飯を食うだろう。さらには、成長した彼らが領地へ莫大な『税』を納めることになる。……つまり、マクロな経済の視点で見た時、そのリターンは数十年後のロートシュタイン領にとっても、王国にとっても、計り知れない利益として還ってくるのさ」
「――なるほど。まさか……そのような遥か先の世界まで見据えておられたとは」
アンナの胸の奥に、言葉にならないほどの巨大な感動が込み上げていた。しかし、彼女はそれを鉄壁の無表情で完璧に隠蔽する。
(まさか、我が旦那様がそれほどまでに、ご自身が直接関わらないであろう、遥か未来の異郷の人々の幸せまでを心から願う、高潔で崇高な精神の持ち主であったとは……。私は、このお方の底知れぬ慈悲深さを、未だに侮っていたのかもしれません……)
アンナの胸の奥が、熱い情熱と尊敬の念でじんと熱くなっていた。
一方、そんな健気なメイドの誤解を一身に受けているラルフの脳内はといえば――。
(ヒャッハー! 学校経営なんてものは、見た目は完璧に赤字の『非営利法人』でいいのよ! むしろ赤字であればあるほど、王国や教会から無駄な税金を毟り取られずに済むし、世間は勝手に『身を削って未来の若者を育てる高潔な聖人君子』だと崇拝してくれるからね!
で、真の狙いは何かと言えば、国からの莫大な教育補助金や貴族どもが体裁を保つために放り込んでくる潤沢な 寄付金(キャッシュ) を、うちのロートシュタイン領の御用達業者へ『食材納入費』や『施設維持管理費』として合法的に全額外注・還流させるパーフェクトなマネーロンダリング的資金還流システム……! ケーケッケッケッ!! 動かせるキャッシュが増えれば増えるほど、領内の経済は爆発的に回るのさ!!)
脳内で完成された、一切の無駄がない完璧なキャッシュ・フロー計算書と資金還流スキームを思い描き、その男はどこまでも悪辣に、心の中だけで禍々しい高笑いを決めていた。
未来への投資という美名と感動の裏で、すでに完璧なまでの合法的な資金還流のパイプラインという名の"抜け道"は完成していたのである。
これこそが、天才領主、稀代の革命児、殲滅の魔導士、あるいは悪徳領主、稀代の詐欺師と、大陸中で賛否両論の極端な評価と二つ名を持つ男、ラルフ・ドーソンの真骨頂であった。
「……旦那様。今、また何か、もの凄く薄汚くて邪悪なことを企んでおられませんか?」
アンナの冷徹な視線が、ラルフの引きつった笑顔を射抜く。
「ない! ないない! 滅相もないっす! 企みなんてないない! 全然ないよ〜、ハハハ……」
ラルフは全力で目を泳がせ、口笛を吹いてとぼけてみせた。
そんな主従のやり取りの視界の端、食堂の席では、先ほどの令嬢と少年のドラマがさらなる発展を遂げていた。
「決まりましたわ、爺や! この者の父親という冒険者を、我が家で専属の料理人として高給で雇い入れますわ! だから貴方も、今日から私のお付きの 専属従者(おともだち) になりなさいな!」
「はぁっ!? いやだよ、なんで僕がそんな偉そうなお前なんかに、"お付きに"ならなきゃいけないんだよ?!」
「なっ……なっ、なっ?! 私、拒絶されるなんて、初めてですわ……! ――うぅぅ、そんな、そんなこと、そんな酷いこと言うなんて、……私、泣いちゃいますわよ!?」
「はぁっ!? なんでそうなるんだよ!?」
令嬢は大きな瞳にみるみるうちに涙を溜めて、今にもブワッと泣き出しそうな表情で少年を睨みつける。
「……だって、仕方がありませんわ! その、信じられないほどにサクサクなコカトリスのカラアゲと、悪魔的なガリマヨのせいで……私はもう、これがないと生きていけない身体にされてしまいましたのよ!? 貴方はきっちりと、責任を取るべきなのですわ……うぅぅ」
なんだか、とんでもなく面倒くさくて理不尽な事態に巻き込まれてしまった少年。
しかし、涙を浮かべて必死に自分に縋り付いてくるこの傲慢な貴族の少女の姿を、
ほんの少しだけ、
本当にほんの少しだけ、
「可愛い」と思ってしまった……。
少年は戸惑い、躊躇いながらも、そっと小さな手で、令嬢の美しい髪の頭をポンポンと撫でて宥め始める。
しかし、その甘酸っぱい光景を横目で完全に目撃していたラルフは――。
「けっ……! ほーら、はじまってんぞー、青春とやらが?! そうなるのは想定してたけどさ! ――お前ら、カラアゲごときで盛大に青春してんじゃねえぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!」
と、なんだか、凄く、猛烈に、羨ましくなってしまい、自分の前世と現世の不条理な青春の格差に対して、心の中で血を吐きながら絶叫するのだった。