軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

444.暗黒オーディション

「――と、いうことでございまして。工事を開始いたしました」

アンナは、いつものように美しく整えられた無表情のまま、何の前触れもなく、淡々と、しかし恐るべき事実を言い放った。

「……昨日の今日だぞっ!?」

ラルフは思わず、すっ頓狂な声を上げて天を仰いだ。

彼の視線の先――昨日まで見慣れた光景だったはずの、ロートシュタイン領アート・オークション会場の建屋があった。

しかし今、そこは見る影もなく足場が組まれ、すでに大々的な改修・拡張工事の真っ只中にある。

頑強な肉体を誇るドワーフの職人頭が野太い声で指示を飛ばし、大陸各地から集まった出稼ぎ労働者、さらには日銭稼ぎのために駆り出されたギルドの冒険者たちが、蟻のようにせわしなく立ち働いている。

カンカン、トントンと、初夏の突き抜けた青空に小気味よく響き渡る工具の音は、信じられないほどの活気と、それ以上の異常なスピード感を物語っていた。

「新たに増築いたしますのは、座学用の教室が二つ、実技および制作のための作業場が一つ、そして、生徒や講師が利用する食堂ですね」

アンナはどこからともなく、細部まで実に見事に描き込まれた建築図面を取り出し、流れるような動作で広げて説明を続ける。

「なんだそれ? ……いつのまにそんなものが……」

背中に冷たい汗が伝うのを感じながら、ラルフは呆然と振り返った。

「すべてはロジオン・ヴァール様が、文字通り寝る間も惜しんで手配されたものでございます。聖教国の荘園におきましては、住民たちが自らの手で家屋を建築するのが古くからの慣習だったようでして。ロジオン様曰く『これしきの規模の増改築など、我が農園のノウハウをもってすればお手の物だ!』とのことでした」

「そ、そうか……。あのオッサンも、行動力がありすぎるだろ……」

ラルフは引きつった笑みを浮かべる。

だが、ハードウェアとしての箱が爆速で完成するのはいいとしても、中身――つまりソフトウェアの最大の問題が残っている。

「しかし、一番肝心な『教員』はどうするんだ? いくらロートシュタイン領の文化レベルが上がっているとはいえ、美術となると、それ相応の高度な技術と専門知識を持った人間を招聘する必要があると思うんだが……。果たして、そんな一線級のアーティストが、設立されたばかりのどこの馬の骨ともわからない学校に、わざわざ赴任してくれるものかね?」

真っ当な領主としての懸念を口にするラルフ。

しかし、アンナの鉄壁の無表情が崩れることはなかった。

「その点につきましても、すでに手配済みでございます。今夜、王都よりはるばるお越しになられる赴任希望者の方々の面談を、領主館にて予定しております」

「うわあ……仕事が早すぎて恐怖すら覚えるよ。……って、待って。今夜? 領主館で? え、それってつまり……」

嫌な予感が頭をよぎり、ラルフの顔が引きつる。

「はい。お察しの通りかと。――つまり、いつものように、一階の、居酒屋営業の真っ最中に、でございます」

アンナは残酷なまでに淡々と、冷徹な事実を告げた。

「あっら〜。ま、まあ……いいさ。いつものことだ。もう驚きもしないよ……」

ラルフは深く、深いため息をつき、半ば魂が抜けかけた状態で肩を落とした。

またしても、あの酒と油の匂いが染み付いた居酒屋の喧騒の中で、誰も制御できないよくわからない 混沌(イベント) が幕を開けるのだ。

確信に満ちた諦念を胸に抱きつつ、ラルフはアンナと共に、愛車である銀色のオープンカー・ロードスターに乗り込み、エンジンを爆音で唸らせて領主館への帰路についた。

そして、その夜――。

領主館の一階、熱気と活気に満ちた『居酒屋領主館』のフロアは、異様な興奮に包まれていた。

「ハーイ!! 皆様お騒がせしております! ということで今夜は! 我が領に新たに創設される学校の、美術学科・初代教員オーディションを開催しちゃうわよーー!!」

エプロン姿のエリカが、何故かステージ代わりのカウンター席の前で声を張り上げ、完璧な司会進行の仕切りを見せていた。

(お、オーディション……? はっ? 面接じゃなくて?)

客席の特等席に陣取らされたラルフは、開いた口が塞がらない。

ただの顔合わせか、あるいは書面を交わす程度の厳かな面接が行われるものとばかり思っていたのに、蓋を開けてみればこれだ。

そもそも「オーディション」とは、ラルフの前世の記憶が正しければ、限られたわずかな席を巡って、複数の志望者が血で血を洗うような競争を繰り広げるレースのはずである。

ということは、わざわざ王都から、それほどまでに大量の、頭の痛くなるような希望者が押し寄せているというのだろうか? と、困惑と不穏な予感しか湧いてこない。

「さあさあ! 栄えあるエントリーナンバー、一番! なんと最初からプロ中のプロ、現役バリバリの王宮お抱え、宮廷画家のペパロニ先生よっ!」

盛大な拍手の中に現れたのは、いかにも「私は高尚な芸術家である」と言わんばかりの人物だった。原色を多用した色彩豊かな仕立ての良い衣服を身に纏い、立派に蓄えられたカイゼル髭をこれでもかと指先で弄ぶ初老の男だ。

「ふふふっ、まあ、わたくしもそこまで暇を持て余しているわけではないのだけれどね。でも、まあ、ちょっとした小遣い稼ぎ、あるいは地方の未開な民へのボランティアとしてはちょうど良いと思ってね! わたくしのような至高の芸術家を雇える栄誉、心から感謝して欲しいものだわ!」

おしろいの匂いを漂わせながら、なんだか非常に不遜で、独特なオネエ言葉を操る男だった。

「では先生! さっそく自慢の作品をお見せいただきましょう!」

何故かアシスタントのようにテキパキと立ち回るハルが、進行を手伝いながら場を盛り上げる。

「よッ! さすが宮廷画家! 色男!」

「王都の最先端アート、見せてみろやあ!」

毎夜の宴会に飢えている居酒屋の客たちも、ジョッキを片手にエールを送り、何故かお祭り騒ぎでこの光景を見物している。

どんなに厳かな政治や教育の現場であっても、一瞬で 大衆娯楽(エンターテインメント) へと昇華してしまう。実にお気楽で、実にロートシュタインらしい光景と言えた。

「ご覧なさい。これが先日、わたくしが魂を削って仕上げた最新作よ。タイトルは――『静物――収穫』。おだまりになって凝視しなさい!」

アンナとエリカの二人によって厳かに運ばれてきた、重厚な額縁に収められた一枚の絵画。それが出露した瞬間――。

「「「「おおおおおおおぉぉぉ……っ!?」」」」

客席から、地鳴りのような驚愕と感嘆のどよめきが沸き起こった。

それは、古びた木製の窓辺に佇む、数個の林檎と、瑞々しい葡萄の房を描いたものだった。

光を優しく透過する葡萄の皮の質感、淡く繊細な色彩のグラデーション。確かにそこに「在る」という圧倒的な静物としての存在感を、絵画というフィルターを通して純粋な「 芸術(アート) 」へと昇華させた、まさに神業とも言える、非の打ち所がない見事な一枚だった。

――しかし。

そんな絶賛の嵐の中、ラルフだけは一人、違った反応を見せていた。

「う〜ん? んんんんん……!?」

ラルフは深く腕を組み、眉間にこれでもかと深い皺を寄せ、不自然なほどに首を傾げ続けている。

「どうしたの? お兄ちゃん?」

隣に座るミンネが、心配そうにその顔を覗き込んできた。

「いや、なぁ、ミンネ……。気のせいかもしれないんだけどさ……。これより……ウチのベルの方が、圧倒的に絵が上手くないか?」

ラルフは、とんでもない爆弾発言を口にした。

王都で名を馳せる高名な宮廷画家よりも、ここロートシュタインで拾われた、十歳を超えたばかりの元孤児の少女の方が、技術的に遥か上にいると言うのだ。

その呟きは、敏感に耳をそばだてていたペパロニの鼓膜に届いた。

「あらあら? そちらの若き公爵サマ……ドーソン卿は、王都の洗練された高尚な芸術がお分かりにならない、救いようのない節穴の目をお持ちかしら?」

ペパロニはカイゼル髭を軽く震わせ、不快感を隠そうともせず、侮蔑を込めてほくそ笑んだ。

だが、ラルフは動じない。

「おい、アンナ。ちょっと例の、うちの店で配ってる『お弁当のチラシ』を持ってきてくれ」

「はい……」

アンナは影のように下がり、数秒後、四つ折りにされた安っぽい藁半紙のチラシをラルフに手渡した。ラルフはそれを、ペパロニの目の前へと突き出す。

「な、何よ? これ? こんな汚らしい紙切れ……」

と言いながらも、ペパロニはそのチラシを開いた。

そこには――。

ドーーーーーーン!!!

と、脳内で凶悪な効果音が鳴り響くほどの、圧倒的な熱量を持ったイラストが描かれていた。

それは、今まさに炊き立ての飯の上へ鎮座した、黄金色に輝く脂を滴らせ、焼き立ての湯気を立ち昇らせている特売品の『シャケ弁当』の絵だった。

一粒一粒が自立して輝く白米、絶妙な焦げ目のついた鮭の皮の質感。観る者の鼻腔へ、香ばしい塩気と醤油の香りを強制的に錯覚させるほどの、狂気的なまでの 超写実主義(ハイパーリアリズム) 。ベルが「美味しそうに描く」ということだけに全霊を注いだ結果、次元の壁を突破してしまった悪魔の一枚である。

刹那、ペパロニの顔から血の気が引いた。全身を激しい戦慄が襲い、その場に崩れ落ちる。

「……わ、わたくしめは……教員ではなく、生徒としての入学を希望いたします……っ! お願いです、是非とも、ベル先生の直弟子にしていただけないでしょうか……っ!!」

宮廷画家のプライドなど木っ端微塵に吹き飛んだ初老の男は、床に両手を突き、涙を流して懇願し始めた。当のベルは、店の隅で果実水のコップを握ったまま、「ええ……?」と困惑の表情を浮かべて固まっている。

「おーい! ミイラ取りがミイラになってんじゃねえかぁぁぁ?!!」

ラルフの渾身のツッコミが響き渡る。

まあ、結果としてラルフの審美眼が正しかったことは証明されたわけだが、幸先が悪すぎる。

「では気を取り直して! エントリーナンバー、二番!!」

ハルの声に導かれて現れた次の志望者は、枯れ木のように痩せ細った、古びた法衣を纏った老年の僧侶のような男だった。男は震える手で、一枚のキャンバスを抱えている。

「儂は、まだまだ未熟者でな……。どうしても、猫という生き物が上手く描けんのだ。……明日になれば、今日よりも少しは上手く描けるのではないかと、それだけを支えに、ただ毎日毎日、愚直に筆を取っておるだけの日々でな……」

そう言って彼が掲げたのは、木漏れ日の差し込む庭で、影と光を置き去りにするような躍動感でじゃれ合う、二匹の黒猫の絵だった。

一本一本の毛並みが、まるで生きているかのように微風に揺れ、猫の持つ特有のしなやかさと、底知れない野生の眼光が、冷徹なまでの筆致で描き出されている。

その実力は、先ほどの宮廷画家とは明らかに「格」が違った。世界の真理の断片を掴みかけている者の、圧倒的な重み。

しかし――。

(求道者としてのキャラが濃すぎるわっ!!!)

ラルフは内心で激しくツッコミを入れたが、実力は文句なしの本物だ。この老人に関しては、ここにいる誰もが「確実に見事な一発採用だろう」と確信し、深く頷き合っていた。

「さあさあ、カオスになってまいりました! 続きまして、エントリーナンバー、三番!」

次にステージへ上がったのは、仕立ての良い、しかしどこか理屈っぽそうな眼鏡をかけた若い女性だった。

彼女がこれ見よがしに壇上へ鎮座させたのは――。

タコなのか、深海の魔獣なのか、あるいは遥か彼方の星々から飛来した宇宙生物なのか、およそ人間の正気では理解不能な、毒々しい原色が複雑にのたうつ、曲彩色の「物体」だった。

客席が「なんだこれ……?」と静まり返る中、彼女は眼鏡のブリッジを指先で押し上げ、何らかの強固な理論に裏打ちされた芸術論を、極めて流動的に、淀みなく語り始めた。

「ご覧なさい。この表象が我々に突きつけているのは、単なる頭足類的な 形態学(モルフォロジー) への回帰でも、悪魔学的な 寓意(アレゴリー) への回収でも、あるいは超自然的な想像生命体の素朴な視覚化でもありません。ここにあるのは、意味論的記号が過剰に流動した結果としての、完全なる『 無定形(アモルファス) 』の現出です。

この 曲彩色(ポリクロミー) のうねりは、網膜上の色彩調和を目的としておらず、むしろ観る者の認識論的トポロジーを暴力的に切断するために機能している。タコ、魔獣、宇宙生物という我々の言語的ラベルは、この物体が放つ圧倒的なマテリアリティの前に、表象可能性の限界を迎えて滑落していくのです。

つまり、この理解不可能性こそが、コンテクストの脱構築を完了させたモダンアートの本質。私たちは今、記号化を拒絶することで逆説的に成立する、ポストモダンな『崇高』の臨界点に立ち会っていると言えます」

ラルフは、もう、完全に魂が肉体から肉離れを起こしたような虚無の表情をして、椅子に深く腰掛け、片脚を組んでその長広舌を聞いていた。いや、「聞いている」と表現するのも怪しい。

理解不能どころか、前世の大学の難解な講義、あるいは別次元の宇宙言語を聞かされているかのように、彼女の朗々とした解説はラルフの鼓膜を滑るように通り抜けていった。

しかし、この異世界には、その狂気を真っ向から受け止める男がいた。

「――素晴らしい!! 採用だ! そして、その作品は、今この場で私が言い値で買った!!」

突如として立ち上がり、感極まった表情で叫んだのは、美術学科の総パトロンとして君臨するロジオン・ヴァールだった。

ラルフは、目玉が飛び出さんばかりの勢いでそちらを向いた。

(嘘だろ!? まさか、こんなわけのわからない、精神を病みそうなモダンアートが、深く刺さるところには刺さっちゃうのかよ……!?)

「さあ……次はエントリーナンバー、四番よ……。もうわけがわからなすぎて、あたし、ちょっと飽きてきちゃったわ」

司会のエリカは、最初のハイテンションはどこへやら、至極正直な本音の呟きを隠そうともせず、気怠げに次の志望者を促した。

そして、ステージ中央に、恭しく運び込まれたのは――。

ただの、真っ白な陶器製の、

男性用小便器。

「わかっちゃったわい!! マルセル・デュシャンの『泉』のパロディだろそれっ?!! おい! もうそんな実用性ゼロの便器はなー、爽やかなサ○デーとセットにして、ロジオンさんに売りつけとけっっ!!!」

ラルフの渾身の、喉がちぎれんばかりのツッコミが居酒屋の店内に炸裂した。何故か、前世のダダイズムや前衛芸術の歴史にまで無駄に詳しいラルフであった。

しかし、そんなラルフの高度な皮肉など、光属性に転じた男には通用しない。どこ吹く風のロジオンは、輝くような笑顔で再び力強く挙手した。

「買った!!」

「買うんかいっ?!!」

ラルフのツッコミも虚しく、便器の売買が成立してしまった。世界は確実に狂いつつある。

「あ、ごめん! 次の人、あたし、ちょっと手伝わなきゃいけないから、あとはお願いね……」

エリカはそう言い残すと、何やら不穏な笑みを浮かべて舞台裏へと消えていった。

「え、あ、はい。それでは……エントリーナンバー、五番!」

進行表を覗き込みながら、ハルが戸惑いがちに進行を引き継ぐ。

すると、次の瞬間。

領主館の居酒屋フロアは、さらなる深淵なるカオスへと叩き落とされることとなった。

突如として、エリカの打ち鳴らす、激しい打楽器のリズムが響き渡った。

ドンドカドンドンドカドン、タンタン!

ドンドカドン、ドンドカドン、タタタン♪

やけに呪術的で、怪しく、異国情緒あふれる民族音楽っぽい不穏な音色。

そのリズムに合わせて、ぬうっと姿を現したのは、全身をくねらせて奇っ怪な舞を披露する、半裸の男だった。

さらにその男の姿が異様なのは、髪を一切剃り落としたスキンヘッドの頭頂部から、顔面、四肢の先、爪の先にいたるまで、全身が容赦なく真っ白な塗料で塗りつぶされていることだった。

まるで動く大理石の彫刻、あるいは地獄から這い出てきた不気味な亡霊のようだ。

男は、人間の四肢の関節が持つ可動域の限界に挑戦するかのように、ギチギチと、しかし極限まで緩やかに、スローモーションで踊り狂っている。前世の記憶にある「暗黒舞踏」そのものの狂気が、そこにあった。

ドンドカドン、ドンドカドン……♪

怪しい太鼓の音と、白塗りの男の、音のない絶叫のようなポーズ。

もう、精神の限界だった。耐えられなくなったラルフは、そっと視線を現実から逸らした。

「おーい……、アンナ……。僕にも、酒をくれ。……なるべく、そうだな、意識が速やかに遠のくような、強いヤツを頼む……」

ラルフは、このあまりにも高尚過ぎる、そして前衛的過ぎるアートのオーディションという名の地獄から、一人静かに戦線離脱することを心に決めたのだった。