軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

443.アート・スクール

かくして、ロートシュタイン領における教育機関――平たく言えば学校の設立計画は、領主であるラルフの予想を遥かに超える、およそ行政手続きとは思えぬほどの爆速で動き出してしまった。

とはいえ、予算の策定から人員の確保、果てはカリキュラムの調整にいたるまで、一朝一夕にはいかない山積みの諸問題が存在するのも事実。それらをいちいち真面目に相手にしていれば、いくら命があっても足りない。そう判断したラルフは、持ち前の果断さ(という名の現実逃避)を発揮し、面倒な実務のすべてを「よろしく!」と現場の優秀な部下たちへ丸投げすることに成功した。

「まずは何をおいても、生徒を受け入れる『箱』――つまり学舎が必要だからね。うん、これは現場をこの目で確かめないといけないな」

もっともらしい大義名分を掲げ、いくつかの建設予定地を回る視察旅行へ出かける準備を進めていたラルフだったが、そこに領内の親しい貴族たちから、いかにも政治家らしい進言が次々と舞い込んできた。

曰く、今回の学校は多種多様な学科の設立が予定されている。

ならば、ひとつの巨大なキャンパスを作るのではなく、学科ごとにロートシュタイン領内の各地へ分散して配置すべきではないか、と。地域の活性化や利権の分散を狙った、いかにも貴族らしい打算的な提案であった。

――しかし。

そんな喧々諤々の議論を嘲笑うかのように、ある一つの学科だけが、信じられないほどの超音速で計画の進捗を叩き出していた。

なぜなら、そこにはあまりにも強力で、あまりにも「光の属性」が強すぎる規格外のパトロンが降臨してしまったからである。

「フッフッフ! いやあ、ラルフ公爵閣下! 今日も今日とて、実に、実〜に! 素晴らしい買い物ができましたよ!」

豪奢な調度品が並ぶ執務室。

ソファに深く腰掛け、満面の笑みを浮かべてラルフと謁見しているのは、聖教国で広大な農園を営む大富豪、ロジオン・ヴァールその人であった。

世間を色々な意味で騒がせている「聖女三姉妹」の実父でもある彼は、本日もロートシュタイン領が誇るアート・オークション会場に堂々と殴り込みをかけ、競り落としたばかりの戦利品の数々を両手に抱えてホクホク顔を隠そうともしない。

ロジオンが自慢げに机に並べたのは、ラルフがかつて趣味と実益と適当なノリを兼ねて捏ね上げた、歪み具合がいい味を出しているぐい呑みと片口の酒器セット。

さらには、ロートシュタインの個人の一人であるベルが極めて繊細に描写した、謎の『聖女蒸留音頭』の狂気的な光景の絵画が(なお、オークションでの上品な仮タイトルは『謎の踊り子』とされていた)。

さらには、どこぞの無骨な冒険者がダンジョンから持ち帰り、そのまま削り出したという奇妙な多角形の魔石。

極めつけは、ミュリエルが夜な夜な怪しい笑みを浮かべながら造り上げたに違いない、直視すると精神が削られそうな不気味な仮面。

それらの「 前衛的(アヴァンギャルド) 」が過ぎるアイテムを、ロジオンはまるで国宝でも語るかのような熱弁で自慢し続ける。ラルフは完全に辟易し、引きつった笑みを浮かべることしかできなかったのだが、富豪の暴走はそこでは止まらなかった。

「ときに閣下! 風の噂で耳にしましたぞ! 新しく学校を創設されるとか! しかも、その中には『美術学科』もあると聞く! ならば是非とも、このロジオン・ヴァール、個人としても大々的に出資させていただきたいと思いましてね!」

身を乗り出して繰り出されたのは、ラルフにとってはありがた迷惑以外の何物でもない、あまりにも巨額な投資の提案だった。

思えばこの男、かつては酒を飲むことだけが唯一の趣味という、言ってしまえばただの成金守銭奴であったはずだ。それが、先の聖教国革命のドタバタ以来、美味い酒をいかに高貴に、そして美しく嗜むかという「様式美」に目覚めてしまった。それをきっかけに、帝国の洗練された骨董品や、ラルフ作の味わい深い 趣(おもむき) のある酒器を収集し始め、今やその底なしの物欲と探求心は「アート」という広大な領域にまで拡張され、気がつけば美術への造詣がやたらと深い 一廉(ひとかど) の文化人へとジョブチェンジを果たしていたのである。

「あ、あのねえ……ロジオンさん。お気持ちは大変ありがたいんですが、学校法人っていうのは、そこまで利回りがいいビジネスじゃないですよ? そりゃあ、大金を投資してくれるのは助かりますけど、直接的、かつ短期的なリターンは一切見込めないわけでして……」

ビジネスライクな正論を突きつけ、なんとかこの熱狂的なパトロンを宥めようとするラルフ。しかし、ロジオンは首を横に振ると、その双眸に真摯な光を宿して語りかけてきた。

「そんなことは、百も承知、千も合点でございますよ。金儲けなら、私はすでに我が農園で一生かかっても使い切れないほど十分に稼いでおります。……これからの人生、私はね、未来ある若い芽を育てるお手伝いがしたい。ただそれだけ、ただそれだけのために、この金を使いたいのです……!」

一点の曇りもない、真にキラキラとした純粋無垢な瞳。社会貢献への純粋な情熱に燃えるその視線を正面から浴びせられ――。

「あ、あ〜〜〜ッ! 痛い! 痛いよロジオンさん!! 胸が、胸のあたりが猛烈に締め付けられる……っ! 僕の、僕の中に渦巻くドス黒い資本主義的な欲望が、その眩しさで強制的に浄化されていく……っ!?」

あまりの眩しさに耐えかね、胸を押さえてソファの上で大袈裟に身悶えを始めるラルフ。

そんな主人の醜態を、傍らに控える無表情なメイド、アンナは冷徹な眼差しで見下ろしていた。

「ど、どうされました閣下?! もしや、何か重大なご病気でも……っ!?」

突然の苦悶の叫びに、ロジオンは泡を食って慌てふためく。

そんな大富豪に対し、アンナは衣服の皺一つ乱さぬ完璧な所作で一歩前に出ると、一切の感情を排した平坦な声で説明を付け加えた。

「ご心配なさらずに、ロジオン様。純粋無垢で誠実な貴方様の御心の眩しさに、我が旦那様の……繁華街の片隅のドブのような、邪な心が耐えきれず、拒絶反応を起こしているだけでございますので……」

「……はぁ?」

アンナの高度すぎる、(そして辛辣すぎる)解説を額面通りに受け止めることもできず、ロジオンはただただ呆気にとられるしかない。

「解説せんでいいわっ!!」

間髪入れずにラルフが吠える。

しかし、その強烈なツッコミが炸裂する瞬間を見越していたアンナは、すでに凄まじい未来予測能力を発揮して、両手でしっかりと自身の耳を塞いでいた。相変わらず、主人の扱いに容赦のないメイドである。

「はぁ……。まあ、じゃあ、そういうことなら、出資の件はありがたく受け入れますけど……」

ラルフは諦めたようにため息を吐き、ロジオンの申し出を正式に受理することにした。

「おお! 受け入れていただけますか! いや素晴らしい! 実は、我が農園で働く従業員の子供たちの中にも、絵を描くのが大好きな子がおりましてね。いつか、このロートシュタインの美術学科に留学させてやりたいと、考えているのですよ!」

いつの間にか、私利私欲を貪るかつての守銭奴から、労働環境の改善と未来の芸術家育成に私財を投げ打つ「心優しき理想の経営者」へと精神の完全な鞍替えを果たしたロジオン。

彼は未来の景色に思いを馳せ、その瞳をさらに少年のようにキラキラと輝かせている。

その希望に満ちた表情には、かつて金を数えることと、秘蔵のボトルを楽しむことしか、脳になかった強欲な男の面影など、文字通り木っ端微塵に消え去っていた。

「あ、……そ、そうすか……。それは素晴らしいですね……」

相手が聖人君子になればなるほど、己の薄汚さが際立つような気がして、ラルフはただただ乾いた相槌を打つことしかできない。

しかし、ロジオンの芸術への熱狂は、なおも加速していく。

「う〜む! しかし見れば見るほど、やはりこれは良い絵だ! コレを、邸宅の最も目立つ玄関に飾ってな、出入りする従業員たちやお客様にも観て貰いたいのだよ!」

ロジオンがうっとりと見つめるその絵画には、彼の娘たち聖女三姉妹が、狂ったように、しかし、色彩豊かでダイナミックに舞い踊る様子が描かれていた。

なるほど、描いたベルの才能自体は本物であり、圧倒的な写実性と画力であることは認めざるを得ない。

認めざるを得ないのだが――あまりにも写実的すぎるがゆえに、絵から、あの間抜けな歌声と、独特すぎる調子の狂った『聖女蒸留音頭』のメロディが、今にも耳元で大音量で響いてくるかのような最悪の錯覚に陥ってしまう。

ラルフの脳内にはすでに偏頭痛の兆候が現れ始めていた。

「う、うーん……すごーい。トーヴァとマルシャが、そこに本当にいるみたーい……」

すでに心ここにあらずとなったラルフから出力されたのは、砂漠のように乾ききった、完全なる感情ゼロの棒読みの称賛だった。

だが、ロジオンの攻撃という名の、自慢の手は緩まない。

「さらに閣下、この魔石も実に面白い造形だと思われませんか? このように、微かに、しかし神秘的に光り輝くのだ。我が邸宅の応接室、その片隅に置くのに、ちょうど良い形だとは思わないかね?」

再び差し出された、あの奇妙な多角形の魔石。

ラルフはそれを受け取り、じっと見つめる。

見つめれば見つめるほど、

前世の記憶に存在する、ある極めて卑近な 既視感(デジャヴ) が脳裏をよぎって離れなくなる。

(これ……トイレに、置いてあったな……。サ○デー……そっくりなんだけど……?)

今にも爽やかなラベンダーの香りでも漂ってきそうなビジュアルであったが、この異世界においてその完璧な例え話が伝わるわけもない。

ラルフはただ静かに、その言葉を胸の奥底へと葬り去った。

「閣下、更に更に! 私は聞きましたぞ! 今回の計画では、あのアート・オークション会場自体を大幅に拡張し、そのまま美術学科の校舎として利用される予定なのだとか! 既存の施設と商業の流れをそのまま教育に組み込むとは……いやはや、本当に、閣下は恐るべき天才だ!!」

ガハハと豪快に大笑いし、ラルフの先見の明をこれでもかと褒めちぎるロジオン。

その言葉を聞いた瞬間、ラルフの思考は完全にフリーズした。

しかし、謎のプライドが首をもたげる。

「ふむ……! ま、まあな! そ、そうだろう! そうだろう! 当然さ、すべては僕の計算通りだよ!! あっはっはっはっは! ……おい、アンナ、ちょっと耳を貸しなさい」

ラルフは引きつった完璧な貴族の笑みを顔面に貼り付けたまま、隣のメイドを手招きした。

「はい」

と、アンナが音もなく身を屈め、その涼しげな耳元をラルフの口元へと近づける。

「――ちょっと待って! はじめて知ったぞ何それどういうこと!? なんで僕の手を完全に離れたところで計画がバンバン進んでるの!? それならそれで、僕の知らないところで勝手にやってくれて構わないんだけどさぁ! ねぇアンナ、どうにか僕が一切介在しない形で、このプロジェクトの全権をどこか外部に丸ごと委託できないんかい!?」

早口の小声で、必死の形相で捲し立てるラルフ。

そのただならぬ主従の密談の雰囲気に、ロジオンは「おや?」と首を傾げた。

「ど、どうされましたか、閣下? その、私の話の中に、何か不都合な問題でもございましたでしょうか?」

オロオロと狼狽え始める大富豪。しかし、主人の窮地、(という名の自業自得のパニック)を救うべく、有能なるメイド・アンナは、再び凛とした声を響かせた。

「ご心配には及びません、ロジオン様。どうやら我が旦那様は、この世界の芸術の未来を想う貴方様の熱い御心に深く感銘を受け、直接お礼をお伝えするのが照れくさかったようでございます。『ロジオン様の並々ならぬ御心遣いに、公爵として最大限の敬意と感謝を。……そして、美術学科の設立に関しては、万事万端、お任せ下さい。共に素晴らしい学校を作りましょう!』……と、旦那様が仰っております」

「おーーーい!! アンナくーーーん!? 君は、言語学の初等科から、いや、人間の会話の基礎の基礎から勉強しなおす必要があるようだなーーー!?」

どうしてそう意訳されたっ!?

と、ラルフは全力のツッコミを心の中で、そして半分は声に漏らしながら叫ぶが、時すでに遅し。

「ハッハッハッハッ! いやあ、これほど偉大な功績を挙げながら、これほど可愛いところがあろうとは! 流石はラルフ公爵さまだ!!」

ロジオンはそのすべてを好意的に解釈し、我が意を得たりとばかりに嬉しそうに大笑いしている。パトロンのモチベーションは今や最高潮に達し、もはや誰にも止められない。

ラルフの意志やあずかり知らぬところで、制御不能な狂乱と、新たなる時代の革命は、彼をガッツリと中心に巻き込んだまま。

ロートシュタイン領に、さらなる予測不能な大嵐を吹き荒れさせようとしていた。