軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

442.話を聞かない者たち

夜が更けるにつれて、居酒屋領主館の賑やかな喧騒は、潮が引くように穏やかなものへと移り変わっていく。一般の客たちが満足げな顔で次々と帰路についた後の店内は、にわかにある特殊な人種の密度が跳ね上がっていた。

――すなわち、タチの悪い『酔っ払い』という人種である。

夜半過ぎ、すっかり酒が進んだ店内の片隅で、ラルフ・ドーソンは一つの円卓に身を沈めていた。

同じテーブルを囲んでいるのは、常識的に考えれば、この王国の命運を左右する最高権力者たち――いわゆる重鎮と呼ばれる面々だ。しかし今の彼らからは、国の威信などという高尚なものは微塵も感じられない。

「まったく! めんどくせーなぁ、もう!」

ラルフは盛大な愚痴をこぼしながら、限界を迎えた胃をなだめるようにレモンサワーをグビグビと呷った。

ドンッ! と、いささか乱暴にガラスのタンブラーを置いたその真横には、鈍器になりそうなほど分厚い書類の束が鎮座している。それは、新設予定の学校に関する果てしない計画書だった。

「うぃ〜……。まあ、お前のことだ。どうせ、また蓋を開けてみれば、どうにかしてしまうんだろ?」

そう言って、赤ら顔の国王ウラデュウスが冷酒をチビリと舐める。普段の厳格さはどこへやら、今夜の最高権力者は一際酔いが深いようで、完全に出来上がっていた。

「ぷはぁ~っ! うむ! このシトラス・ビールというやつは、まるで水のように喉を通りおるな!」

豪快に空のジョッキをテーブルに叩きつけたのは、マティヤス・カーライル騎士爵だ。すでに何杯目かもわからない黄金の液体を胃袋に収め、上機嫌に喉を鳴らしている。

「ちょっと、騎士爵。僕の話、聞いてました?」

ラルフは半目――いわゆるジト目を向けながら、冷え切った声を送る。

「ん? ああ、すまんすまん。で、なんだ? 騎士学科の教員の話だな! よかろう、このマティヤス、その大役を喜んで引き受けようではないか!」

ドンっ! と、分厚い胸を張る騎士爵だったが、ラルフの表情はさらに死んだ魚のようになっていく。

「全然、まったく、違います……。もっと、その手前も手前の、さらにそっから一万光年くらいさかのぼった、 小宇宙(コスモ) のレベルの話をしてるんですよ……」

深いため息とともにラルフが呆れ果てると、騎士爵は豪快に笑い飛ばした。

「ん? ハッハッハ! そうか、惜しかったな!」

「全然惜しくない! っていうか、真面目に話を聞いて! ねぇ?! お願いしますからー!」

もはや一国の公爵としてのプライドなど投げ捨て、ラルフは両手を合わせて懇願するしかなかった。

「しかし、まあ……。とにかく土地さえ確保してしまえば、そこからは"なし崩し的に"計画は進みそうだがな」

ここで、ようやく割と真っ当な、現実的な意見を述べたのは、グレン・アストン子爵だ。

だが、彼とて決してシラフではない。

手元にある白ワインのボトルは、いつの間にか二本目に突入しており、その視線はどこか微睡んでいる。

「まあ、それはそうなんですけどね……。しかし、いったい生徒は何人規模を想定するのか。それに、問題は『学科』ですよ……」

ラルフは書類の束から一枚の紙を持ち上げ、そこに並ぶ文字の列を睨みつけながら重いため息をついた。

学科の選定に関して、ありとあらゆる方面から希望――という名の、個人の欲望と妄想が詰まった要望書がラルフの元に寄せられていたのだ。

騎士育成学科。

冒険者養成学科。

水産資源学科。

魔導機械工学。

経営学科。

航海士学科。

魔獣生態学に、錬金薬学、精霊魔法学、農業工学……。

その混沌としたリストの中には、信じられないことに『応用スパイス・マトリクス工学科』なる、とんでもなくニッチかつ意味不明な学科まで交ざっている(当然、ラルフのペンによって即座に却下のバツ印がつけられた。ちなみに、この電波な提案の主はエリカである……)。

悶絶するラルフを余所に、白髭の周囲をビールの泡で白く汚したヴェルグ=ラモンが、いかにも飲んだくれといった 体(てい) でありながらも、鋭い正論を放った。

「王立魔導学園との、棲み分けも考えてもらわんと困るぞ? 軒並み、このロートシュタインに将来有望な魔導士の卵を掻っ攫われたりしたらな……。歴史ある我が学舎の権威として、というか、シンプルに商売あがったりじゃ!」

「そう! まさにそういう、歴史という名を借りた、クソみたいななんの意味も持たない、吐き気がするほどに強欲にまみれた、一部の偉そうな奴らがふんぞり返るためだけの、利権構造の根深さもあるんですよ!」

ラルフはかつての師であり、魔導学園の重鎮でもある老人に向かい、ここぞとばかりにビシッと人差し指を突きつける。

「人に対して指を差すなと、あれほど教えんかったか! ……というか、貴様、儂に喧嘩売ってるのか?! 言ってることがひど過ぎるからなっ!!」

ヴェルグはたちまち激昂し、若い弟子を睨みつける。

「それならば、だ。生徒の対象年齢を、比較的下に設定すればいいのではないか? いわゆる、高等教育の手前まで、とかな」

いつの間にか、給仕のハルから新しい徳利を受け取っていた国王が、ぐい呑みを傾けながらぽつりと言った。

「……うーん。確かに、それは割といい線を突いている、か……?」

ラルフはズキズキと痛み始めたこめかみを指先で押さえ、思考を巡らせる。

その時だった。

「ミンネちゃん。ちくわの揚げたやつ、追加でもらえるかの〜?」

グレン子爵が、忙しなく働く幼い給仕の少女を呼び止めていた。

「ちょっと! そこ! ちゃんと話を聞く!!」

すかさずラルフの鋭い指先が、グレン子爵へとビシッと向けられる。

すると、

「ハーハッハッハッハッハ! なんだ、ラルフ。今のは? まるで、どこぞの厳格な教師のようではないか? 儂の頭の硬い恩師を思い出してしまったぞ!」

その様子を見ていたカーライル騎士爵が、お腹を抱えて大笑いした。

「う、うん……まあ、魔導学園で学士になってからは、実際に教官もやってましたからね。先生の真似事なら、ちょっとばかり、やったことがありますよ……」

かつての記憶が蘇ったのか、ラルフは少しだけ顔を赤らめながら、己の経歴をぼそりと口にした。

「ああ……。そういえば、そうだったな……」

国王は、徳利からぐい呑みへとトトト……と酒を移しながら、しみじみと納得の声を漏らした。

あれは、――共和国との開戦直後のことだった。

国王ウラデュウスが、『ラルフ・ドーソン』という名の、若き天才魔導士の存在を初めてその目に焼き付けた頃。

王国全体が、戦争という名の底知れぬ狂気と、異様な熱気に向かって突き進んでいた、あの重苦しい王都の景色が、一瞬だけ国王の脳裏を過る。当時のラルフは、まだ若く、誰よりも、爛漫な眼光を放っていた――。

「ちょっと! ヴラドおじ! また話聞いてないでしょ!」

ラルフが苛立ちを隠せない様子でテーブルをバンバンと叩いたことで、国王は仄暗い思い出の深淵から、強制的に引き戻された。

「……ふぅ。……いや何、お前なら、きっと良き魔導教師になれるだろうと思ってな。やはり、この学校の長としても適任ではないか!!」

ウラデュウスは瞬時にいつものおちゃらけた酔っ払いの表情へと切り替え、調子のいいことを言い放つ。

「だーかーらー! ただでさえ領主をやりながら、公爵としてのめんどくせー国家的雑務を大量に押し付けられているのに、その上、副業で教師までやれと?! 無理無理無理ぃぃぃぃぃぃ!!」

ラルフは限界を迎えたキャパシティに錯乱したように、頭を抱えて激しく身悶えた。

しかし、この哀れな青年の絶叫は、アルコールに溺れた重鎮たちの耳には一滴も届かない。

そして。

「あ。なんだ、アレは? 見たこともない寿司があるな。おい! オルティ殿、あれはなんだ? ……え? マスの押し寿司というのか? よし、儂もそれを貰おう!」

国王が目を輝かせて注文を飛ばす。

「冷奴に、肉味噌とか載せられるか? あ、できるのか? では、それを一つ頼む」

グレン子爵は、通りかかったアンナに新たなオーダーを滑らかに伝えている。

「シトラス・ビール! 今度は大ジョッキで、おかわりだ!!」

カーライル騎士爵の野太い声が、店内に響き渡る。

「すまんが、フレデリック殿下。高菜明太チャーハンを……そうさな、半分……いや、四分の一くらいの量で作ってもらえんかのぅ?」

ヴェルグまでもが、ちゃっかりと締めの一品を要求していた。

――この、あまりにも、国家的な協力関係を放棄した、自由奔放すぎる面々に対して。

ラルフの額に、ピキッ! と、明確な音を立てて青筋が浮かび上がった。

確かに、このような重大な教育改革の会議を、夜中の居酒屋でやろうとした自分も悪かったのかもしれない。それはわかる。痛いほどよくわかる。わかるが――しかし!

もう、限界だった。堪忍袋の緒が、音を立ててブチ切れた。

「お……、お前らなぁ……。僕の話を、聞けぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇえ!!!!」

居酒屋領主館の建物全体が、ビリビリと激しく震えるほどの圧倒的な声量で、魂のツッコミが炸裂した。