軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

359.名も無き神霊の涙

新生カドス軍の要、魔導機械化兵装『カスカラッド』は、今や物言わぬ鉄の骸と化して沈黙していた。

中の兵士たちは引きずり出され、屈辱に塗れた捕虜となる。

さらに、コール・ディッキンソンの切り札――強固な装甲を纏った巨躯のワイバーン『ゲータースキン』までもが、敵の威圧に屈し、地面に這いつくばって服従の意思を示していた。

目の前には、この武装勢力を圧倒的な武力で制圧せしめた、王国の精鋭たち。

さらには、戦場を蹂躙したジョン・ポール商会の新型戦車。

そして何より、伝説の体現者たる『剣聖』ヴォルフガング・ドーソンと、深淵の叡智を抱く『魔女』ジャニス・ドーソンの参戦。

「……く、そ……っ」

絶望的な戦力差を突きつけられ、コール・ディッキンソンは、奥歯が砕けんばかりに歯を食いしばる。その口内に広がるのは、己の無力さを象徴するような苦い鉄の味だった。

「……コール陛下。もはや、これまでです。せめて最後は……王として、然るべき潔さをお示しください」

王の傍らで、血と泥にまみれた隊長が、力なく膝を突いた。

その震える声には、もはや忠誠よりも深い、底知れぬ諦念が混じっている。それが、コールの逆鱗に触れた。

「何を抜かすか! カドスの悲願、共和国に踏みにじられ、泥水を啜りながらも紡いできた我が新生カドスの歩み……! これが、世界を飲み込む激流となるための 濫觴(らんしょう) であるということが、貴様には見えぬのかッ! それを……今さら、我を裏切るというのかッ!」

激昂したコールの顔が醜く歪み、血管が浮き出た震える手で腰の剣を掴む。その殺意は、敵ではなく、共に戦ってきたはずの配下に向けられていた。

「陛下……ッ! 陛下の目には、一体何が見えているのですか!? ご覧ください! すでに剣を捨て、投降する兵もいます! 皆、腹を空かせ、泥にまみれ、心はとうに折れているのです!」

「知るかッ! 我が覇道に付いて来られぬような、腑抜けな兵など要らぬ! 貴様もだぁぁぁぁぁぁぁぁッ!」

剣を振り下ろす。まさにその時だった。

「――《やめなさい。貴方のワガママで、殺めていい命など、どこにもありませんよ?》」

凛とした、しかし峻烈な魔力が込められた声。

それは鼓膜を震わせる音ではなく、脳の奥底、生物としての根源的な意識に直接命ずるかのような、抗いがたき響き。

「ぐ……ぐうぅぅぅ……ッ!?」

コールの動きが、凍りついたように固まった。

いくら足掻こうとも、指一本、己の意志で動かすことができない。全身の筋肉が、何者かの「意図」によって完全に掌握されていた。

静寂の中を、王国の魔女ジャニスが歩み寄ってくる。

「カドスの悲劇……私も知っています。我が王国が、貴方たちを見捨てたこと。それについては、釈明の余地もありません。王国貴族として、非常に心を痛めております……。しかし、それでも。貴方の行いを、これ以上見過ごすことはできません」

無垢な少女のような透明感と、この世のすべてを知り尽くした賢者の深淵。その二つの矛盾した瞳を持った魔女は、静かに、しかし断固として告げた。

「く、クソぉ……ッ! クソがぁ!! ドーソンの血族め、どれほど、どれほど俺を邪魔すれば気が済むというのだぁぁぁぁぁ!」

コールは、動かぬ身体でなおも呪詛を吐き、つばを飛ばす。

すると、その傍らで大剣を地面から引き抜く音がした。剣聖ヴォルフガングが、楽しげに目を光らせて笑う。

「王子様は、まだ暴れ足りないのか? ふむ、確かお前さん、魔法剣の使い手だったな。なら、俺が相手をしてやろうか?」

肩に大剣を担ぎ、いつでもその首を刎ねられると言わんばかりの威圧感を放つ剣聖。

コールは、その絶望を前にして、自分でも驚くほど心が凪いでいくのを感じた。

新生カドス国の樹立。その悲願は、今、この瞬間、完全に潰えたのだ。

逆転の神算、巻き返しの妙手。

考えを巡らせても、もう手駒は一つも残っていない。

それを認めたくない傲慢さと、理解してしまう知性が、彼の中で激しく火花を散らす。

しかし、心の奥底。

すべてを失った荒野の真ん中で、一つだけ、やり残した仄暗い感情が、純粋なまでに燃え上がるのを彼は感じた。

「……わかった。投降したい者はしろ……」

跪く隊長に、吐き捨てるように告げる。

「はっ……! 感謝いたします、陛下……!」

男は弾かれたように起き上がり、崩れかけの門の中へ駆け去っていった。

一人残されたのは、すべてを失った、偽りの王。コール・ディッキンソン、ただ一人。

彼は、ただ一つ、研ぎ澄まされた殺意を抱いた瞳で、かつての同級生を射抜いた。

左目を斬り裂かれ、魔力も枯渇し、草原に胡座をかいていたラルフ・ドーソンを。

「……ラルフ・ドーソン。これが最後だ。貴様に……一対一の、決闘を申し込む」

「あー……。いいぜ、コール。懐かしいなぁ。学生時代、何度も何度も、お前の挑戦を受けたっけ? クックック……。毎回、お前の負けだったけどな!」

薄笑いを浮かべ、しかし足取りはフラフラと覚束ないまま立ち上がるラルフ。

それを見て、仲間たちが一斉に制止の声を上げた。

「あんな奴の挑発に乗ることないわよ!」

エリカが、金髪のツインテールを激しく振り回して叫ぶ。

「そうだ! もはや、義も矜持もありはしない戦いに、何の意味があるというのだ!」

女騎士ミラが、騎士道精神を汚すような提案に憤慨する。

「ダメだ! ラルフ、そんな身体で……。もう、もう! お前が傷つくのを、私はもう見ていられないのだ!」

ヴィヴィアンが、普段の彼女からは想像もつかないような激情を露わにする。

「大丈夫。みんな、ありがとうな。……でも、これは、僕が背負う業の一つなんだ。だから、僕がやらなくちゃいけないんだよ」

残された右目だけで、ラルフは真っ直ぐにコールを見据えた。

だが、その覚悟を秘めたラルフの前に、母、ジャニスが穏やかな笑顔で立ち塞がった。

「ラルフ……。ちょっと待って。その前に、貴方に"返すモノ"があるの」

「……え? はっ? 返す? 何を?」

戸惑うラルフの前で、ジャニスは懐から、首にかけたペンダントを取り出した。

指先ほどの小さな球体が、不気味なほど鮮烈に、赤く脈動している。

「これは、『名も無き神霊の涙』……」

「名も無き、神霊……?」

ラルフは右目を見開く。そんな見覚えのないものが、自分と何の関係があるというのか。

「……そう。"あなた"が産声を上げたあの時、賢者達は、その命は長くは持たないと断言したわ……」

ジャニスの手に握られた『神霊の涙』が、彼女の魔力と共鳴し、不吉なほど鮮やかな赤を放つ。

「あなたは生まれながらに、ヒトの器を逸脱した魔力を宿していた。……通常、魔力とは血液のように巡り、代謝されるべきもの。けれど、幼いあなたの肉体には、あまりに巨大な『魔力溜まり』が癒着していたの。まるで、小さな 肺腑(はいふ) に暴風を詰め込んだまま、無理やり呼吸を強いるようなもの……。その過剰な魔力圧が、内側からあなたの幼い命を摩耗させ、焼き尽くすはずだった……」

母の言葉を聞きながら、ラルフは混乱の極みにいた。

しかし、母は続ける。

「でも……。私にも、どうしてそうなったのかは分からない。あなたには、生きる力があった。……けれど。仕方なく、私は貴方の中にあった『コレ』を封じることにしたの。……少しでも長く、あなたに生きて欲しかったから。……でも、もう、大丈夫みたいねっ!」

母は一転して、弾けるような笑顔をラルフに向けた。

「過去を振り返る強さを、そして、仲間を思いやる強さを……その心を手に入れた、今の貴方になら、絶対に使いこなせる……! さあ、いきなさい。"友達"を、助けてあげたいんでしょ?」

ジャニスの手にした光が、ラルフの潰れた左目に添えられる。

刹那、爆発的な光が溢れ出した。

王国最高の魔導士、『魔女』の称号を戴くジャニス。

そして、その息子、王国最強の大魔導士、ラルフ。

二人の邂逅が生み出したのは、草原のすべてを赤く塗り潰すほどの奇跡の光だった。

「う……?! あっ、がぁぁぁぁぁぁああぁぁぁぁ!!!」

ラルフは左目を手で覆い、咆哮した。

封印されていた奔流が、堰を切ったように全身の魔導回路を駆け巡る。

脳が焼き切れんばかりの膨大な情報量と魔力圧。

「ラルフっ!」

誰かの叫びが聞こえる。

意識が、一瞬だけ現実から切り離された。

気がつけば、ラルフは真っ白な精神空間に立っていた。

かつて、どこかで見たことのあるような、懐かしくも遠い場所。

そして、背後から――。

「"やあ。……久しぶりだね"」

聞き覚えのある、しかし正体の分からない声がした気がした。

「はっ……!」

現実に引き戻された。

「おい! ラルフ?! ラルフ! 大丈夫なのか!?」

至近距離から覗き込むヴィヴィアン。その瞳には涙が溜まっている。

周囲の人々の視線が、驚愕と共に自分に注がれているのが分かった。

「ラルフっ! あ、あんた、その目……治ってる?!」

エリカの叫びに、ラルフは自らの顔を触る。

「えっ? あ、ああ。……う、うん。ああ、見えるわ。普通に……」

キョロキョロと辺りを見渡すラルフ。視界は以前よりも遥かに明瞭で、空気中の 魔力素(マナ) の揺らぎすら視認できるほどだ。

「……『見えるわ』、じゃないわよ! このバカっ! ……でも、凄いわね、さすがはラルフのお母様っ!」

感動のあまり、エリカがラルフの頬を両手でギュッと挟み込み、隅々まで観察する。

頬を圧迫されたラルフは、ひょっとこのような変な顔になったが、コールに深く刻まれたはずの傷跡は、跡形もなく消え去っていた。

「フッフッフ。……さあ! いってらっしゃい! "お友達"が待っているわよ!」

ジャニスが茶目っ気たっぷりに送り出す。

父、ヴォルフガングも、満足げに鼻を鳴らした。

「フッ、まあ、こっからは、お前が"主役"のようだな? せいぜい、盛り上げろよ!」

剣聖は背中に大剣を収めると、近くに転がっていたカスカラッドの残骸に、ドカリと腰を下ろした。

雲が流れ、春の気配を孕んだ柔らかな陽光が降り注ぐ。

ラルフは、ただ一人で待つ、 敵(とも) の元へと歩みを進める。

「回復したか。……だが、俺はお前を殺す。そのために、どれほどこの腕を磨き、泥を舐めてきたか……」

コールの剣に、バチバチと苛烈な電磁魔導が帯電し、大気を焦がす。

しかし、ラルフは――。

彼をよく知る者たちが、背筋に冷たい戦慄が走るのを感じるほどに、完全に『復活』していた。

己が背負う罪も、業も、すべてを笑い飛ばすかのような、不敵で傲慢な、しかしどこか晴れやかな笑み。

その瞳が、宿敵、コールを見定める。

――そして、その左目。

"名も無き神霊の涙"を受け入れた左目だけが、怪しく、真紅の魔光を放ち始めた。

「コール……。自慢の魔法剣。随分、腕を上げたようだけど……。残念だね……。今のこの僕には、まあ、勝てないかなぁ〜」

左目に真っ赤な魔力光を纏わせたラルフが、静かに勝利を宣告する。

それを見ていた、スズ。

彼女は、全身をワナワナと小刻みに震わせていた。毛穴という毛穴から、形容しがたい興奮の汗が噴き出す。

そして、ゴクリ! と喉を鳴らした。

彼女の中に巣食う、重篤な不治の病。

その「厨二病」の琴線を激しく掻き鳴らす、あまりにも完璧な、あまりにも芳ばしいその姿。

「何それ……?! カッコよすぎでしょぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉッ!!!」

彼女の魂の叫びが、草原に熱烈に響き渡った。