作品タイトル不明
240.王都にて、魔の取引
夜、王都を照らす月は、極限まで細く研ぎ澄まされ、さながら鋭利なナイフのように冷たい光を放っていた。その月の下、人通りが途絶えた暗い倉庫街の一角で、良からぬ企みを密やかに語らう集団がいた。
「こっちです。この中へ……」
とある商会の下働きと見られる男が、黒ずくめの三人の人物を、埃と湿気の臭いがこもる倉庫へと招じ入れる。
倉庫の奥、薄暗がりに鉄格子が並んでいた。その檻の中には、薄汚れたボロ布を身に纏った子供たちが身を寄せ合っている。それは、王国の認可を得ていない、非合法な奴隷取引の、まさにその現場だった。
黒いローブで目元を隠した三人のうちの一人が、無表情ながらも不満を滲ませ、小さく「ふむ」と頷いて檻の中を覗き込んだ。
「少々、汚れてるみたいてすねぇ……」
「そう仰られましても、貴方様がお望みの期限に間に合わせたのです。共和国南部の、廃教会に身を寄せていた孤児たち……。ここまで憲兵の目を盗み、命懸けで連れてくるのに、どれほど苦労したか……」
下男は疲労と苛立ちを隠さずに反論する。
「まあ、仕方ありませんね……。あの国も近頃になって急に、難民救済や孤児の保護などという殊勝なことを言い始めましたからね……。おかげで、我々にはやり辛くてなりません……」
「とにかく、汚いだのなんだのと、文句を言われても困る。しっかりと約束の金貨を払って貰わねば、こっちだって危ない橋を渡ってんだ……」
男は焦りを滲ませ、さらに声を荒らげる。
「いいでしょう……。これで……」
黒ずくめの男は懐から五枚の金貨を取り出し、手渡した。
「ああ、わかってくれりゃあ、それでいいんだ」
下男の目には、ただその黄金の輝きしか映っていなかった。その刹那、信じられない、冷ややかな声が耳に届いた。
「……また、よろしくお願いしますよ……」
「はぁ?! こんなヤバいこと、もうこれっきりにして欲しいぜ……。さすがに、これ以上は……」
「その、はした金で、抜き取った店の金を補填できるとお思いで?」
「なっ?! なんで、それを知ってやがる?!!」
「そりゃあ、ね……。何でも知っていますよ。例えば、貴方がお住まいの場所、東南通り二十三番地。そして、娘さんの名前は、シェリル、今年五歳になられる……」
下男は目を見開いた。血の気が引く。
「な、なんでっ?! どうしてだ! そ、そんな……」
「頼みますよぉ。毒を食らわば皿まで……。いや、せっかくのご縁です。共に参りましょうよ、地獄まで……」
下男は、その男の仄暗い目を見据えた。全身の震えが止まらない。背中には冷たい汗が噴き出していた。
自分が一体、何に手を染めてしまったのか?
そして、この取引相手は、……人間ではない……。
その時だった。場にそぐわない、妙に気の抜けた声が響いた。
「そうかい……。なら、テメェらだけで、地獄へお帰り頂きやがれ!」
声と同時に、轟音と眩い閃光が炸裂した。
「ぐああああっ!」
後ろに控えていた黒ずくめの男の一人が、何かに強く弾かれたように前へよろめく。
「ひっ!!!」
下男は情けない悲鳴を上げた。今まさに目の前につんのめって来た男の顔は、まるでかち割ったザクロのように、頭蓋の内部を覗かせ、それでも何故か息絶えずに、その目はキョロキョロと周囲を窺い見ていた。
ガチャリ!
と、重々しい鉄の音がした。
暗闇から歩み出てきたのは、場違いなほど体格のよい、白髪交じりの、貴族然とした美丈夫だった。
そして、その男は静かに呟いた。
「やはり。吸血鬼が絡んでたか……」
その男こそ、ファウスティン・ド・ノアレイン公爵。"黒の公爵"という二つ名を持つ、この王国最強の退魔師である。
「ふむ……。忌々しい。教会の回し者かな?」
吸血鬼の代表は冷静に問いかける。
「いや……。どっちかってーと、ロートシュタインの回し者、かな?」
「ロートシュタイン?」
吸血鬼は訝しげな表情を見せた。
「まあ、どうでもいいや。とりあえず死んどけや……」
ファウスティンは、手に持った魔導銃、"スクリーミング・ディーモン"を向ける。
しかし、
「ふふふっ」
不敵な笑みと共に、吸血鬼はブワッと、蝙蝠のような漆黒の羽を広げ、軽やかに飛び上がった。
倉庫の天窓まで飛び上がり、不敵に笑いながら、騒動を見下ろす。
いつの間にか、倉庫の中には、衛兵や、聖教国の神官と思しき人々が流れ込んできていた。同胞の二人組は取り押さえられ、銀の杭を打たれたり、首を飛ばされたりしている。
せっかく手に入れた食糧、人間の子供たちも、無事に保護されたようだ。
(いやはや、まったく。面倒くさくなりましたねぇ)
吸血鬼の親玉は、世知辛い人の世を憂う。人間の生き血を飲み、生きるしかない彼らにとって、近年の人間社会はやり辛くて仕方がないのだ。
しかし、ここはスマートに、撤退するに限る。
どうせ人間族など、何千年と生きた吸血鬼の敵ではない。放っておけば、あの退魔師も、数十年で死ぬ。
それが、人間の寿命というものだ。
そして、月明かりに向かい、翼を広げ羽ばたこうとしたその時、月が見えた。
鋭い刃のような月が、二つ。
おかしい。今宵は、"暗黒神の夜"。月は一つのはず……。なのに、
それは、まるでつむじ風のように、電光石火で襲いかかってきた。
なんの反応もできぬまま、首に冷たい感触が通り過ぎる。
振り向くつもりはなかった。ただ、青い血をまき散らす、自分の胴体が見えた。首がない……。
何故なら、首は、自分なのだ。
人に、首を斬り落とされるなど、何千年ぶりか?!
その目に映ったのは、喪服のような黒い服。セーラー服。そして湾曲した刀身。――刀を振り抜いた、黒髪の少女の、小さな背中だった。
ぼとり!
と、地面に頭部が落ちる。それを、唐突に誰かの手が掴んだ。
思わず、
「ムギュ!」
とおかしな声を上げてしまった。
頭部のみとなった吸血鬼を持ち上げていたのは、とてつもない魔力の気配を漂わせた、薄い笑みを湛えた若い男だった。
大魔導士、ラルフ・ドーソンである。
「へぇ、すごいなぁ。吸血鬼って、頭だけになっても、生きられるんだぁ」
ラルフは興味深げに、吸血鬼の生首を検分する。
すると、
「結界を張りましたので、もう"魔のモノ"は逃げられませんわ!」
凄まじすぎる聖魔法の加護に満ち溢れた、元聖女、トーヴァ・レイヨンが駆け寄ってきた。
「旦那様。奴隷の孤児たちも、保護しました」
いつの間にかそこにいた、メイドのアンナ。
自分の髪を掴み上げる、不敵な笑みを浮かべ、冷たい眼光を放つ若き魔道士を見上げる形になった吸血鬼は、悟った。
(な、なんなんだ、コイツらは……。コイツらこそ、ホンモノの、バケモンでは……)
そう思ったが、唐突にラルフは、
「はいよー!」
と、吸血鬼の生首を天に放り投げた。
すると、ファウスティンが「ふむ」と頷き、その手にした魔導銃を、持ち上げた。
その吸血鬼が、今までの長い生涯の最後に見たものは、まばゆい光だった。
聖教会や近衛騎士団が駆けつけ、悪しき取引の現場は制圧された。
座り込むロートシュタインの関係者たちを尻目に、ラルフは黒髪のセーラー服の少女、ダンジョン・マスターのスズに、満足げに呟いた。
「黒セーラー服に、日本刀持って、ヴァンパイア退治って、……いいよな」
それは、ラルフの前世の記憶に裏打ちされた、ロマンそのものだった。
「いつか、やってみたかった……」
スズもまた、満ち足りた表情を浮かべている。
「さて、どうする? これから?」
と、ファウスティンが尋ねる。
ここは王都。夜も深く、それぞれの住処である領へは帰れない。
すると、ラルフは答えた。
「デューゼンバーグ伯爵が、邸宅を貸してくれることになってる。まあ、夜明けまで飲まされるかもだけどな!」
それは、居酒屋領主館の看板娘、エリカの実家である。
「でも! なんか王都にも、色々屋台ありましたよね?! 私、食べてみたいです!」
元聖女のトーヴァが、目を輝かせる。
「あー。確かに、王都にも、かなり屋台文化が普及したよなぁ……。この際だから、色々、食べて飲んでみるか?」
その言葉をきっかけに、ロートシュタインから出張にきた面々は、夜の王都に繰り出していった。