軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

心に刻んで

本当に大切な人を選ぶ……か。

ジゼルはソファーに腰掛けエミリーの話を思い出していた。

毎晩手を繋いでくれても、ロラン様の心を繋ぐ相手は別にいる。

私は静かにここを去るだけ、その日はもう近い。

ジゼルは掴まれることのない手を握りしめた。

手の傷は意外に早く治り訓練は再開されている。

こんな肉刺だらけで傷だらけの手はロラン様に似合わない。でも傷が治っても毎日繋いでくれるのは何故だろう?

本当は心の奥底で小さな小さな期待の種子がある。

その種子から芽が出ることはない。だが、ロランの優しさを信じたくなる気持ちもジゼルの中で否定できなくなっている。その小さな種子はロランが微笑んでくれたとき、毎晩手を繋いでくれた時に光を浴び芽吹きそうになるが、何ひとつ変わらぬ現実を思い出し光の当たらない心の片隅に押し込んでいる。

「ハァ」

行き場のない思いを吐き出すようにため息を吐いた。

ジゼルはここ、カパネル王国を出たらレオミュール王国に行こうと考えていた。

レオミュール王国は北にある。北の山にはドラゴンが住んでいる。

あの日、ロランと初めて結ばれた夜に召喚されたダークネスドラゴンが忘れられなかった。

ここカパネル王国からレオミュール王国は遠い。魔法の使えないジゼルがカパネル王国を出たらもう二度とロランと会うことは無いだろう。

ジゼルはガランとした部屋を見まわした。ジゼルが毎日読んでいた本はもうテーブルの上に無い。お気に入りのカップも、ハンカチも全てメイドの皆に分け与えた。

日々私の使っていた物が無くなる中でロラン様はどう思っているのだろう?嫌いな相手の物がなくなることに安堵しているのか、全く気がついていないのか、それとも興味がないか。

全く普段と変わらないロランの徹底した態度にジゼルは寂しさを感じていた。少しでもいいから寂しい素振りを見せてくれたら……。この先、一人で生きて行くことに大きな不安ともう二度とロランに会えない現実に言い表せないほどの孤独を感じていた。

残り少ないロラン様との日々を大切に過ごしたい。この刹那が永遠に変わる日はもう目の前。きっと私はこの先どこに行ってもロラン様を忘れることはできない。きっとなんでもないこの日々がどれほど有難かったかこの先私は思い知るのだと覚悟している。

ここにいられるのも後十五日。

ロラン様は変わらず眠る時は手を繋いでくれている。

ある朝目が覚めたジゼルは起きようと繋がれている手をそっと引いた。ロランはその瞬間その手を強く握りジゼルを見て微笑み、起き上がれないように自分の方に引っ張った。

その微笑み、その行動に胸が高まる。なんでもない朝が特別に変わる瞬間だ。

ジゼルはもう一度ベットに横になり握られている手の先で微笑むロランを見つめた。

声も出ないほどの幸せ、泣きたくなるほど優しい微笑み、人々から嫌われ、悪女と言われている私をここに置いてくださって、手を握って下さるロラン様を私はどれだけ傷つけて苦しめたのだろう?それでも同じベットに寝てこうして見つめて下さるロラン様を心の底から愛しています。

ジゼルはロランに微笑んだ。

「今日は休みだ、お前もゆっくりしろ」

ロランはそう言ってジゼルを見つめ何か言いたそうな表情を浮かべる。だが何も言わない。

そんなロランを見つめジゼルは切なくなった。何か言ってくれたらと願うけれど何も言わないロラン様。もどかしくて切なくて、でも、青く輝く瞳を真っ直ぐに向けられ、その瞳には一切の翳りがないとわかった。心からの微笑みだと信じられる。

ああ、嬉しい……。

「ありがとうございます」

ジゼルは感極まって少し震えた声でロランに言った。ロランは目を細め少し寂しげに微笑み、何かを言おうと口を開いたが、言葉を呑み込み悲しそうに微笑んだ。

そんなロランを見たことがなく、ジゼルは鼓動が速くなるのを感じた。

私のことが嫌いでも、それでも今、ロラン様は少し寂しそうに微笑んでくれた。ほんの少しだけ私がいなくなることを寂しく思って下さったのかしら?言葉はなくともその瞳で、体で優しさを向けてくれる。

嘘であってもこんな奇跡のような朝、一生忘れない。

ロランは目を瞑った。ジゼルはその美しいロランの顔を見つめた。

金色の髪、長いまつ毛、彫刻のように整った顔。唯一無二の魔力、何でも手に入る高い地位。

それでも愛するシャルロット様と結婚できなかったロラン様。

もうすぐ、あなたを自由にできます。

人生の大切な五ヶ月を奪ってしまって……ごめんなさい。

ジゼルはそんな気持ちでロランを見つめていた。

「気にするな」

突然ロランは言った。一瞬心を読まれたかと思ったが、魔法は効かない。

ああ、きっと朝の準備のことを言っているんだ。

「ありがとうございます」

ジゼルはロランに返事をした。

残り十日の朝、

「今晩出かける、外出する用意をしておけ」

ロランは出かける前にジゼルに言った。

「外出、いつもの格好に外套を着た方がいいでしょうか?」

「ああ、それで良い」

ロランはそう言って出かけて行った。

「もう、ロラン様はジゼル様をどこかのレストランにでも連れて行ってくれるかと思いきやいつもの格好って!」

「ふふふ、エミリー、それはありえないわ。あと十日で離婚する妻と今更レストランに行かないわ。それにここ以外は出られないもの」

「国中の人間はジゼル様が悪女だと思っていますが、私達は違います!!」

「ありがとう、でももうそれもあと数日で変わるから」

ジゼルは悪女という言葉にベルトランを思い出した。あれから手紙のやり取りは続いていたが、今は遠くに旅に出て手紙が書けない。別れの挨拶もできず去ってゆくことが心残りだが、遠くに行っても手紙は出そう。

初めて私を悪女じゃないと認めてくれた大切な人。

ジゼルはこの五ヶ月間外に出たのは二回だけ。公爵家のお茶会と、ロランと海に行った二回だけ。

ロランと結婚が決まった時から外に出られなくなった。

心無い言葉を浴びせられた日々は辛く悲しかった。ジゼル自身もこんな形の結婚は望んでいなかった。

ロランに無視されている期間は申し訳なさで毎日自分を責めていた。

少しだけロランが話してくれるようになった今……

もっと自分を責めている。

こんな優しい人の人生の時間を奪ってしまった。

その罪意識。

だけどあと十日でロランを解放できる。

最後の契りはまだ交わしていない。

きっと最終日になると思う。

好きでもない相手を抱いた苦痛の翌日は愛する人が待っている。