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作品タイトル不明

第3話 徳川将軍、大奥で事故る

前話で一次史料のお話をしました。

歴史学科でまず学ぶ、大事な言葉。

一次史料。

その時代、その出来事に近い場所で書かれたり、作られたりした史料のことです。

本人の手紙。

当時の日記。

役所の記録。

寺社の記録。

その時代に交わされた書状や命令書。

そういうものを見ながら、歴史学では、

「この話はどこまで言えるのか」

「どこからが後世の解釈なのか」

「誰の視点で書かれているのか」

を考えていきます。

さて。

そんな史料の世界ですが、時代によって残り方がだいぶ違います。

ワンコさんが専門にしていたのは、江戸時代初期の法制史でした。

武家諸法度とは本気で仲良し。

卒論では「武家諸法度の変遷と政治的安定」について書きました。

……などと言うと、なんだか真面目な学生だったように見えますね。

見えますね?

ところが、在学中に書いたコアな論文の中に、なかなか忘れられないものがあります。

そのテーマがこちらです。

『歴代の徳川将軍が、大奥のどこでお手付き……もとい、正式に側室として遇される前の女性と事故を起こしたか』

※正式な論文名は伏せさせていただきます。

ええ。

歴史学科です。

真面目です。

本当に真面目にやりました。

ちなみに、この話に出てくる先輩については、身バレしない程度なら書いてよいとご本人に確認済みです。

ただし、現在の所属・専門分野・大学名などは伏せます。

ご迷惑をかけるわけにはいきませんので。

当時、ワンコさんは女子学生でした。

そして、論文指導をしてくださった先輩は男性でした。

女子学生が、徳川将軍の大奥での事故現場を史料から追い、男性の先輩が死んだ目で論文指導をする。

歴史学科、業が深い。

なお、この先輩。

当時からめちゃくちゃ優秀な方でした。

ワンコさんの「徳川将軍、大奥お風呂事故調査」に死んだ目で付き合ってくださった先輩ですが、現在は立派に研究者として歩まれております。

というか、今は教授をされています。

ええ。

そんな方に、ワンコさんは大奥の事故現場検証を手伝わせておりました。

今思うと、本当に申し訳ない。

先輩はぼやいておりました。

「俺は何が悲しくて、将軍の子作り事故を数えなきゃならないんだ」

本当にそれはそう。

ごめんなさい、先輩。

でも、ワンコさんは真面目でした。

大真面目でした。

まず前提として、大奥という場所は、ただの華やかな女性空間ではありません。

将軍家の血筋を残すための場所でもあります。

御台所、つまり正室がいて。

側室がいて。

御年寄がいて。

女中たちがいて。

そこには、身分や役職や格式があります。

つまり、大奥はひとつの巨大な組織です。

そして、将軍の子を産む可能性がある女性は、政治的にも、家制度的にも非常に重要な存在になります。

だからこそ、

「誰が将軍の子を産んだのか」

「その女性はどういう立場だったのか」

「その子はどう扱われたのか」

ということが、記録に残る場合があります。

江戸時代、とくに幕府中枢に近い話になると、そういう情報がかなり残るのです。

ここが、戦国時代との大きな違いです。

戦国時代では、名のある武将の家族関係ですら、はっきりしないことがあります。

実子なのか。

養子なのか。

そもそも本当に存在したのか。

後世の系図に名前があるだけなのか。

同時代史料で確認できるのか。

そういうところで、頭を抱えることがよくあります。

一方、江戸時代。

史料が多い。

とにかく多い。

幕府の記録。

藩の記録。

日記。

書状。

家譜。

系図。

奥向きの記録。

本当に多い。

もちろん、何でもかんでも分かるわけではありません。

史料が多いからといって、すべてが透明になるわけではありません。

ただ、それでも江戸時代は、戦国時代に比べるとかなり追えることが多いのです。

どれくらい追えるかと言いますと。

徳川将軍が、大奥のどこで事故を起こしたかを追えるくらいには。

事故。

ええ、事故です。

ここで言う事故とは、制度上はまだそういう立場ではなかった女性と、あらまあ、ということになった件です。

言葉を選んでおります。

ワンコさん、今、とても言葉を選んでおります。

もちろん、正室や側室との間に子が生まれるのは、将軍家にとって大事なことです。

それは制度の内側の話です。

しかし、問題は、正式に側室として遇される前の女性です。

つまり、制度上はまだそういう立場ではなかった女性に、将軍の手がついた場合。

その女性はどう扱われるのか。

子ができた場合はどうなるのか。

その出来事はどこで起きたのか。

なぜそんなことが分かるのか。

ワンコさんは、そこを史料で追いました。

何度も言います。

真面目です。

歴史学科です。

大奥事故現場検証班ではありません。

たぶん。

いや、やっていることはほぼ現場検証でした。

そして調べていく中で、ひとつ強烈な感想を抱きます。

江戸時代、史料が多すぎる。

いや、本当に多いのです。

誰が、いつ、どのような立場で大奥にいたのか。

その後、どのように扱われたのか。

子が生まれたのか。

その子がどうなったのか。

そういったことが、場合によっては追えてしまう。

追えてしまうのです。

歴史学、怖い。

そして、この調査で避けて通れない方がいます。

徳川家斉公。

第十一代将軍、徳川家斉公です。

この方は、側室もお子も多いことで知られております。

数え方には諸説ありますが、子どもは五十人以上とされることが多い方です。

側室の数も、かなり多い。

さて、そんな家斉公。

事故も多い。

あまりにも多い。

調べながら、ワンコさんは思いました。

そりゃ側室もお子も多いわけだ。

いや、分かる。

分かりたくなかったけれど、分かる。

記録を追えば追うほど、

「これは本当に事故なのか?」

という気持ちになりました。

事故とは。

大奥とは。

歴史学とは。

ワンコさんの中で、いろいろなものが揺らぎました。

そして、この調査の結論。

歴代の徳川将軍が、大奥のどこでお手付き……もとい、正式に側室として遇される前の女性と事故を起こしたか。

その場所として印象に残ったのは、

おふろ。

以上です。

ワンコさんは、それなりに史料を追い、真面目に調べ、そして自信満々に先輩へ報告しました。

「先輩! お風呂でした!」

すると、死んだ目をした先輩は言いました。

「だろうな!」

即答でした。

あまりにも即答でした。

先輩、悟りの境地。

大奥。

将軍。

お風呂。

事故。

そりゃ、だろうな、となる。

歴史学科、何をしているのでしょうか。

でも、ワンコさんは大真面目でした。

ここで、論文指導をしてくださった男性の先輩の死んだ目を思い出してください。

女子学生の後輩が、史料を追いながら、

「先輩! お風呂でした!」

と言うわけです。

そして先輩が、

「だろうな!」

と返すわけです。

本当にごめんなさい、先輩。

でも、これはただの下世話な話ではありません。

もちろん、話題だけ聞けばかなり下世話です。

徳川将軍が大奥でどこで事故ったか。

これだけ聞けば、

「何を調べているんだ」

と思われるかもしれません。

実際、ワンコさんも思います。

何を調べていたんでしょうね。

しかし、歴史学的には、ここから見えるものがあります。

大奥の空間構造。

女性たちの役割。

将軍との距離。

正室・側室・女中の立場。

子が生まれた場合の処遇。

記録が残る仕組み。

幕府中枢の家制度。

そして、表向きの制度と、実際の人間の行動のズレ。

こうしたものが見えてくるのです。

歴史とは、きれいな制度だけでできているわけではありません。

人間がいます。

欲があります。

情があります。

都合があります。

建前があります。

建前からこぼれる出来事があります。

大奥の事故という、一見とてもくだらなく見える話でも、史料を追うと、制度の隙間から人間の生々しさが見えてきます。

だから歴史学は怖いのです。

そして面白いのです。

ワンコさんが江戸時代を学んでいて感じたのは、史料の多さによって見えてしまうものの多さでした。

紙がある。

記録を残す組織がある。

保存する仕組みがある。

後世に伝わる家の記録がある。

そうなると、人間のかなり細かい行動まで残ることがあります。

将軍がお風呂で事故を起こしたことまで、後世の学生に追われる。

将軍もまさか、未来の女子学生に事故現場を史料で追われるとは思っていなかったでしょう。

お気の毒に。

いや、自業自得かもしれませんが。

一方で、戦国時代はそうはいきません。

紙は高価です。

記録を残せる人は限られています。

戦乱で失われます。

敗者側の史料は残りにくいです。

危険だから焼かれることもあります。

洪水で流れることもあります。

後世に価値がないと思われれば捨てられることもあります。

だから、戦国時代の人物について、

「史料にない」

という一言で片づけるのは、簡単なようで難しい。

史料にない。

だから存在しない。

そう言い切れる場合もあります。

でも、そう簡単には言えない場合もあります。

残らなかっただけかもしれない。

残せなかっただけかもしれない。

誰かが消したのかもしれない。

失われたのかもしれない。

江戸時代のように、将軍の事故現場まで追える時代がある一方で、戦国時代では名のある武将の内面や家族関係すら、はっきり分からないことがあります。

この差は、本当に大きいです。

だからこそ、ワンコさんは思います。

史料があるということは、すごい。

史料が残るということは、奇跡に近い。

そして、史料が多すぎると、将軍のお風呂事情まで後世に暴かれる。

歴史学、容赦がありません。

今回の話でワンコさんが言いたかったことは、ただひとつです。

江戸時代は史料が多い。

本当に多い。

どれくらい多いかというと、徳川将軍が大奥のどこで事故を起こしたかを追えるくらいに多い。

そして、史料が多いと、人間のきれいな部分だけではなく、かなり生々しい部分まで残ってしまう。

歴史とは、人間の記録です。

だから綺麗ごとだけではありません。

制度もあります。

政治もあります。

権力もあります。

そして、お風呂で事故る将軍もいます。

ワンコさんは、歴史学科でそれを学びました。

次回、気が向いたら、その「史料がある・ない」の差が、人物像にどれほど影響するのか。

そして、後世に伝わるイメージがどのようにできていくのか。

そのあたりの話をしていこうと思います。

たぶん、柴田勝家公の話になります。

無骨な猛将。

鬼柴田。

そう語られることの多い方ですが、本当にそれだけだったのでしょうか。

ワンコさんは、あの方の残した文字を見た時、少し考え込んでしまいました。

本日はここまで。

また気が向いたら続きを書きます。