作品タイトル不明
第1話 我が家、朝敵でした。
ワンコさんは幼い頃より、ひい爺さんからよく聞かされておりました。
「我が家は鎌倉武士の流れを汲む家でな……」
から始まる、うんたらかんたらを。
正確に言えば、ワンコさん自身の実家というより、祖父方の本家の話です。
ただ、幼い頃からひい爺さんに聞かされていた家の話だったため、当時のワンコさんの中では、なんとなく「うちの家の歴史」くらいの認識でした。
詳しいことは、正直あまり覚えておりません。
ただ、ひい爺さん曰く、うちは忠義に熱い家なのだそうです。
忠義。
いい言葉ですね。
幼いワンコさんは、たぶん「へえ」とか「ふうん」とか、そんな感じで聞き流していたと思います。
歴史は好きでした。
日本史も好きでした。
とくに、戦国時代が大好きでした。
けれど、祖父方の本家の歴史など、まったく興味がありませんでした。
そんな当時のワンコさんが何に夢中だったかと申しますと、某戦国ゲームです。
部活のない日は、ひたすら戦国ゲームで天下取りを目指しておりました。
なお、部活もかなりガチ目でした。
……ええ。
思い出すと遠い目になります。
高校時代のワンコさんは、部活と勉強とゲームでできておりました。
たぶん、だいたいそんな感じです。
そんな軍隊のような部活生活の途中で、進路をどうするかという話になりました。
大学には行きたい。
歴史は好き。
戦国時代も好き。
そうだ、京都に行こう。
今思えば、なかなかの暴論です。
しかし、当時のワンコさんは真剣でした。
高校の恩師が歴史学科卒でして、その先生から、
「戦国時代を勉強したいなら、京都の方が史料が多い」
と聞いたのです。
なら京都だ。
京都に行けば、戦国時代が学べる。
そんな単純明快な理由で、ワンコさんは京都の大学へ進学することにしました。
そして、そこで事件は起こります。
鎌倉時代を専攻されていた教授が、ワンコさんの苗字を見ておっしゃいました。
「あなたの家、『吾妻鏡』に載っているよ」
へえ、そうなんですか。
正直、その時点ではそのくらいの感想でした。
ひい爺さんが言っていた、鎌倉武士の流れを汲む家だの、忠義の家だの、そういう話の延長かなと思ったのです。
ところが、教授が教えてくださった内容は、そんなふんわりした誇らしいものではありませんでした。
『極悪人之家也』
……と、ワンコさんの記憶には残っております。
ただし、これが原文そのままだったのか、教授の説明がワンコさんの脳内でそう変換されたのかは、正直うろ覚えです。
何しろ当時のワンコさんは、大学に入って早々、祖父方の本家が『吾妻鏡』でだいぶ悪く書かれていると知り、頭の中が「ぱーどぅん?」でいっぱいでした。
忠義の家と聞いて育ったはずなのに。
鎌倉幕府側の記録では、どうやら全然そんな扱いではなかったらしい。
ええ。
我が家、正確には祖父方の本家、朝敵でした。
忠義の家では??
思わず、心の中にチベットスナギツネさんを召喚した顔で、教授に「ぱーどぅん?」と返したくなったワンコさん。
いえ、だって。
ひい爺さんは言っていたのです。
我が家は鎌倉武士の流れを汲む、忠義に熱い家である、と。
それが、大学に入って早々、教授から告げられた内容がこれです。
極悪人。
極悪人の家。
忠義の家とは?
え、待ってください。
ぱーどぅん?
そんなワンコさんに、教授はそのまま色々と教えてくださいました。
祖父方の本家が朝敵として討伐されたのは、平安時代末期のこと。
そして『吾妻鏡』が編纂されたのは、その後の鎌倉時代です。
つまり、事件が起きたその場で書かれた記録ではありません。
後の時代に、鎌倉幕府側の視点でまとめられた記録です。
もちろん、『吾妻鏡』はとても重要な史料です。
鎌倉時代を知る上では欠かせないものです。
けれど同時に、そこに書かれている言葉が「誰の視点から見たものなのか」は、考えなければなりません。
教授は、そんな話をしてくださいました。
さらに、ワンコさんの記憶では、祖父方の本家が仕えていた方の乱心についても、
『御乱心、此家之所為也』
というような趣旨のことが書かれていたはずです。
つまり。
おい、天国のひい爺ちゃん。
忠義を守った相手の奇行を、祖父方の本家が乱心させたことになっておりますが?
忠義の家とは?
朝敵。
悪者扱い。
さらに、主君の乱心の原因扱い。
情報量が多い。
大学に入って早々、ワンコさんは遠い目になりました。
ええ。
歴史学、初手から容赦がありません。
ただ、教授のお話では、ひい爺さんから聞いていた口伝も、完全に間違いというわけではなかったようです。
ワンコさんが聞かされていたのは、
「鎌倉武士の流れを汲む家」
という話でした。
けれど、正しくはどうやら、
「平安時代末期の某武士に仕え、その家中で執権的な立場にあった家」
という方が近かったようです。
だいたい合っているようで、だいぶ違う。
教授は笑っておっしゃいました。
「口伝がどれだけズレるか、いい例だね」
ええ。
本当にその通りです。
口伝、怖い。
人から人へ伝わるうちに、時代も、立場も、言葉も、少しずつズレていく。
けれど、その中にまったく何も残っていないわけではありません。
核のようなものは、意外と残っている。
歴史学科に入って、いきなり祖父方の本家でそれを学ぶとは思いませんでした。
さらに教授のお話では、もう一つ、史料が残りにくい理由がありました。
朝敵となった家と付き合いがある。
そのこと自体が、周囲にとって危険になる場合があったそうです。
たとえば、手紙が残っていれば、
「あの家と付き合いがあったのか」
「もしかして同類なのではないか」
「関係者なのではないか」
と疑われるかもしれない。
そうなれば、自分たちの家まで危うくなる。
だから、朝敵となった家からの手紙や、関係を示すようなものは、周囲の家が焼いてしまうこともあったのだそうです。
つまり、祖父方の本家の史料は、ただ古いから残らなかっただけではない。
その前の段階で、焚書に近い形で消えていった可能性もある。
教授は、そういう話をしてくださいました。
史料が残っていない。
その一言の裏には、ただ「昔のことだから残らなかった」だけでは済まない事情があるのだと、ワンコさんはそこで知りました。
負けた側の記録は、残されにくい。
残した側も巻き込まれるかもしれないから、消される。
あるいは、自分たちを守るために消す。
歴史の空白は、自然にできるだけではないのです。
ちなみに教授としては、祖父方の本家の蔵を見てみたかったそうです。
家に何か残っていれば、面白い史料が出てくるかもしれない。
そう思われたのだと思います。
しかし、残念ながら。
ワンコさんが生まれる前に、祖父方の本家のあたりでは大洪水がありました。
その時、蔵にあったものはほとんど流されてしまったそうです。
そのため、祖父方の本家に残っている史料は、ほとんどありませんでした。
唯一あったのは、錆びた刀。
まあ、これが後々、ちょっとすごいことになるのですが。
そこは今回は割愛します。
とにかく、家に伝わる口伝はズレる。
史料は焼かれることがある。
史料は流されることもある。
残ったものは少ない。
そして、勝った側の記録では悪く書かれる。
歴史学、初手から情報量が多すぎました。
けれど、ここでワンコさんは、ひとつ大事なことを学びました。
歴史とは、残された史料を読むものである。
そして、その史料は必ずしも公平ではない。
誰が書いたのか。
いつ書かれたのか。
何のために書かれたのか。
どの立場の人間が、その出来事を記録したのか。
そこには、書いた側の事情があります。
勝った側の事情があります。
残せた側の事情があります。
負けた側の言い分が、きれいに残っているとは限りません。
むしろ、負けた側の歴史は、残されにくい。
残ったとしても、勝った側に都合よく書かれていることがある。
勝てば官軍。
負ければ極悪人之家也。
……と、言いたくなるくらいには、ワンコさんの祖父方の本家の話は分かりやすい例でした。
もちろん、だからといって「史料なんて全部嘘だ!」と言いたいわけではありません。
史料は大事です。
とても大事です。
歴史を学ぶ上で、史料を読むことは絶対に必要です。
ただし、史料に書かれていることが、そのまま世界のすべてではない。
書かれなかったこと。
残らなかった声。
敗者側から見た景色。
そういうものが、歴史の中には確かにあるのだと、ワンコさんは大学で学びました。
なお、この話には続きがありまして、ワンコさんが学んだ頃には、我がご先祖様の見方が変わっておりました。
六十年ほど前に、祖父方の本家に関わる見方をひっくり返すような日記が見つかっていたことも知りました。
しかも、その日記が書かれたのは、まさに祖父方の本家が朝敵になってしまう事件が起きた二日後。
その日記によって、長らく悪く語られていた祖父方の本家は、どうやら忠義を果たすために朝敵になってしまった家だったのではないか、という認識に変わったそうです。
天国のひい爺ちゃん。
あながち間違ってはいなかったようです。
ただし、ワンコさん的には少し思います。
義理人情より、家を守れよご先祖様。
まあ、そういう家だからこそ、ひい爺さんが「忠義に熱い家」と語っていたのかもしれません。
歴史は、残された言葉ひとつで悪人にもなります。
後から出てきた史料ひとつで、見方が変わることもあります。
そして、そもそも史料が残らなければ、その人たちの声は聞こえません。
歴史学科卒のワンコさんがショックを受けた日本史。
その第一歩は、祖父方の本家が朝敵だったことでした。
勝てば官軍。
負ければ極悪人之家也。
歴史学、初手から強すぎました。