作品タイトル不明
131 腹を割って
ジェフは私の言葉を聞くと、笑みを浮かべていた顔を強張らせた。
「ランコムに養成所の教官をやらないかと言われた時、君は断ったじゃないか。教え子の死に苦しみながら生きることになるんだぞ?」
「そうね……。だけど軍師ダニエルさんの演説を聞いてから、ずっと考えていたの。組織にいた頃の私は、漠然と教官になるものだと思っていた。でも、普通の幸せを知ってからは、若くして死んでいく後輩を見るのは耐えがたいと思うようになった」
ノンナが真剣な顔で私の話を聞いている。以前なら、この手の話はノンナには聞かせなかった。だがノンナはもう大丈夫。
「クラーク様が第三騎士団に入り、あなたは軍務副大臣の仕事を続ける。クラーク様もあなたも、それがどれほどの重荷を背負うことになるか、承知の上でのこと。そして、私が苦しみから逃げても第三騎士団は存続し続ける。だったら、少しでも彼らの命が無駄に失われないよう、力になりたいの」
「ランコムとの繋がりを兄上に疑われたことは許せるのか?」
「あの夜、期せずしてランコムが私の無実を証明してくれたわ」
ジェフが天井を見上げながら私に質問した。
「君は多才だけれど、何で協力するつもりだい?」
「変装と潜入、書類の偽造で。それが私の専門分野だから」
なぜかジェフとノンナが「はい?」という顔で私を見ている。
「変装と潜入と書類の偽造?」
「そうだけど? なぜそんなに驚いた顔をするの?」
「だってお母さんはすごく強いのに? 変装や書類が専門なの? 戦闘とか暗号じゃなくて?」
「戦闘技術と暗号の知識は自主的に腕を磨いただけよ。趣味みたいなものね。特務隊ではあそこまで指導されていないわ」
ジェフが「趣味なんだ」とつぶやき、同時にノンナも「趣味? あれが?」とつぶやいた。
「ジェフの考えを聞かせてくれる?」
「兄上と相談させてくれ。断られるかもしれないからね」
「もちろん。それと、デルフィーヌ様の語学教師とバーナード様の助手は今まで通り続けるつもり。デルフィーヌ様からは、あなたが軍部を退いても交流を絶ちたくないという手紙を二度もいただいているの。不敬を承知で言えば、私はデルフィーヌ様との会話は楽しくて好きだわ」
「羊を飼って毛糸を紡いで編み物をする未来は諦めるのかい?」
「その未来は捨てていないけれど、それはもっと年を取ってからでもできるから」
そこでノンナが笑い出した。
「お母さんは私以上にじっとしていられない人だよね」
「そう? 私は養成所時代も工作員時代も、物静かって言われていたのに」
「きっと本当の君は活発で行動的なんだよ。わかった。変装と潜入と書類の偽造だね。君がやりたいのなら、俺は止めないさ」
家に帰り、ジェフは書類仕事をすると言って書斎に入った。
ノンナと二人になって、「あなたに言っておきたいことがあるの」と切り出した。するとノンナが優しい表情になって意外なことを言う。
「私に第三騎士団と関わるなっていう話だったら大丈夫。私は第三騎士団に入るつもりはないから安心して」
「そうなの? クラーク様のことがあるから、私はてっきり……」
「私が武術を必死に身につけたのは、お母さんのため。あと、純粋に学ぶのが楽しかったからだよ。それとね、考えが変わったの。ふふっ」
「なあに? 最後まで言いなさいよ。気になるじゃないの」
「お母さんを狙う人は当分来ないんでしょう? だったら私、今度はクラーク様を守ればいいかなって」
「あ、うん。そう言われたらそうね。クラーク様は役目を知られたら、狙われるわね」
ノンナは私の隣に座って私の腿に頭を載せた。私のおなかに顔をくっつけながら、ギュッと抱きついてきた。
「あら、甘えん坊」
「うん。甘えたいの。クラーク様が手紙でね、私が十六歳になったら婚約して、十七歳になったら結婚しようって。そのつもりで生きていますって」
「婚約まであと二年半、結婚までも三年半しかないわね」
「うん」
そうか。私のノンナは、三年半後にはクラーク様のノンナになるのか。
涙が出そうになって、ノンナをギュッと抱きしめた。
「ねえ、今夜からノンナの部屋で一緒に寝る? 二人でおしゃべりしながら寝るのも楽しいわね」
「やめとく。お父さんに泣かれそうだもの」
ジェフの情けない顔を思い浮かべて、思わず笑ってしまった。
「そうね。毎晩はやめておくわ。一緒に一つのベッドで寝るのは、たまににしましょうか」
「うん。たまに。ランダルに逃げていたころ、よくお母さんと二人でひとつのベッドで寝たよね」
「そうだったわね」
「あっ、エリザベスが来た」
窓の外を見ると、エリザベス嬢の家の馬車が入ってくるところだった。
「エリザベスはもう婚約したんだよ」
「どんな人かしら」
「貴族で、『まあまあ合格点な人』って言ってた」
「あら、厳しい」
「でもね、婚約者に貰ったブレスレットを、肌身離さず身につけているの。すごく大切にしてる。だから本当は相手を大好きなんだと思う」
「ふふ。微笑ましいわね」
「エリザベスはツンツンしているようで、優しい人だからね」
私は入ってきたエリザベス嬢に「ゆっくりしていってくださいね」と声をかけてから、ジェフの部屋に入った。
「ああ、アンナ、ちょうどよかった。兄上はお城だろうから、話をしてくるよ」
「じゃあ、私も一緒に行くわ」
「そうだな。二人で行こう」
お城に着き、北棟の階段を上って三階の『諸制度維持管理部』の前に立った。ドアをノックすると、開けたのはクラーク様だった。
「ジェフおじさん。先生も。どうしたんですか?」
「兄上に話があるんだが。いるんだろう?」
「ええと……」
クラーク様が背後をチラッと見て「今はちょっと」と口ごもった。
部屋の奥から「部長! やはり医者を呼びましょう」という声が聞こえた。
「悪いが入らせてもらう」
「あっ! 待ってください」
立ち塞がるクラーク様を軽々と押しのけて、ジェフが部屋の奥へと進む。続いて私も。
大部屋の奥のドアから声がする。ジェフがガッとドアを開けると、エドワード様が簡易ベッドで横になっていた。
目の上には濡らしたタオル。マイクさんが簡易ベッドの脇でいつでも動ける体勢でこちらを見たが、強引に入ったのが私たちだと気づいて力を抜いた。
「部長、ジェフリー様とアンナさんです」
「来たのか。相変わらず思い立ったら素早く動くんだな」
エドワード様は目の上に乗せていた布を取り外し、マイクさんの手を借りてゆっくり起き上がった。目は閉じたままで、顔色がよくない。
「では話し合おうか。あまり時間はないような気がするんだ。座りなさい」
私たちが座ると、エドワード様は目を閉じたまま話を始めた。
「ご覧の通り、もう、目を開けているのがつらくてね。家でこの状態だと、ブライズに心配をかける」
「シェン国の薬でも無理ですか」
「無理だなあ。この痛みさえ取れればまだしも少しは働けるんだが。少々参っているよ。で、用件はなんだい?」
ジェフが私をチラリと見たから、うなずいて私が話し始めた。
「クラーク様を引き入れたのですね」
「そうだ」
「でしたら私も参加させてください」
エドワード様は沈黙。
「他国の工作員だった私を引き入れるのは不安ですか?」
「そうじゃない。君がハグル王国やランコムとつながっていないとわかった今、参加してもらえたら心強いよ。ただ……心変わりの理由を知りたい」
「若い工作員の死を防ぎたいからです」
そこからエドワード様は目を閉じたまま無言。
私とジェフリーは、エドワード様が口を開くのを待った。しばらくして、「はああ……」と震えるため息をついたエドワード様が話を始めた。
「なるほど。私は文官畑の出身だからかな。アンナのことをわかったつもりでわかっていなかったようだ。ハグルの特務隊は冷酷なことで知られているのに、そこの元エースは実に人間くさい人物だ。そう思わないか? マイク」
「思います。ですが私も部下を何人も失っていますので、夫人のお気持ちはわかるつもりです。後輩の死は……堪えますからね」
「敵に見破られない変装、文書の偽造なら教えられます」
そこでまた沈黙。マイクさんがやはり「は?」みたいな顔をした。
「私の専門は、変装と潜入、文書の偽造ですので」
家で言ったセリフをここでも繰り返し、そこから私たち四人は今後のことをとことん話し合った。今度こそ、腹を割って。
エドワード様の目は、どんどん見えなくなっているらしい。そして頭痛と眼の痛みも酷くなるばかりだそうだ。
「あまり時間がないんだ。当分の間はマイクが第三騎士団を束ねるが、クラークの才能によってはクラークに指揮を委ねたい。とは言え、数年間は試用期間だ。向いていないと判断すれば、クラークは元の文官に戻って宰相を目指すことになるだろう。残念ながら部下の中に、部長の椅子に座りたがる者がいなくてね」
するとマイクさんが苦笑した。
「それはそうですよ。部長と比べられたら誰だって『今度の部長はボンクラだ』という烙印を押されるのは目に見えていますからね」