作品タイトル不明
130 やりたいこと
「クラークが兄上の部下になったって……」
「そういうことでしょうね」
「あの任務がどれほど精神的な重圧を受けるか知っていながら、クラークを引き込むとは」
知っていてもなお、クラーク様を引き込む必要があったということか。理由はなんだろう。
「ジェフ、お義母様のお見舞いを兼ねてエドワード様のお屋敷に行ってみない? ただ……クラーク様がどういう経緯で諸制度維持管理部に異動になったにしろ、私たちに口を出す権利はないわ」
「そうだな。クラークももう十八歳だ。それに異動が決まった後ではどうしようもない。だが、見舞いには行こうか」
「ええ。ノンナも連れて行きましょう」
◇
今日はお城の文官さんたちは休みの日だ。
文官さんたちが皆お休みで書類仕事が進められないという理由で、ジェフも休んでいる。だが、エドワード様は留守だった。
「せっかく来てくれたのにごめんなさい。エドワードはなんだか最近……」
そこまで言ってからブライズ様は動きを止め、二度三度とまばたきをした。
そしてさりげなく「そうそう、バラの花のジャムを手に入れたのよ。お茶に入れて飲んでみて」と話題を変えた。
私とジェフはチラッと視線を交わして、エドワード様の話は諦めた。ブライズ様は何かを言わないように釘を刺されている。
お義母さまはお元気だった。お部屋を訪れると、杖を突きながら自らドアを開けてくれた。
「いらっしゃい。あらまあ、ノンナ。また来てくれたの? ありがとう」
「コートニー様、今日は私が焼いたクッキーを持ってきました。バーサに手伝ってもらって焼いたんです。見た目のいいのを選んできました」
「ありがとう。ちょっとこっちにいらっしゃい」
「はあい」
ノンナは私がお城で影武者として働いている間にここに預けられ、すっかりコートニー様のお気に入りになった。
「若い子は若枝と同じね。気がつくとすくすく伸びているわ。小さな女の子でいる時間は飛び去るように過ぎてしまう」
「そうですか? 確かに身長はどんどん伸びていますけど。少しは淑女になってるでしょう?」
「あなたは初めて会った時から淑女だったわ。淑女はね、マナーを習得しているかどうかじゃないの。優しい女性はみんな淑女なのよ」
「コートニー様はいつも私を褒めてくれますね。大好き!」
コートニー様の椅子の隣に立っていたノンナが、コートニー様を包むように腕を回して頬と頬をくっつけた。
(あっ、そんな)と思ったけれど、ジェフが「いいさ」と笑顔で言う。
そのあとはノンナお手製のクッキーを食べながらお茶の時間になった。ブライズ様は席を外している。ひと通り談笑してそろそろ帰ろうと言う頃になって、コートニー様がこんなことを言い出した。
「エドワードの体調が悪くてね。頭痛が頻繁に起きるらしいわ。目も痛いとかで、働きすぎじゃないかしらね。あの仕事の虫が早く帰宅するようになったし、家に着くまで部下が付き添ってきて、朝も迎えに来るみたい。よほど具合が悪いのかしら。ねえジェフリー、あなたからも無理をしないようにエドワードに注意してあげて」
「承知しました。母上もお体に気をつけて」
馬車に乗り、三人になったところでジェフが口を開いた。
「兄上はやはり病気なんだな。俺にまで秘密にするなんて、弱味を見せようとしない兄上らしい」
「だからクラーク様を、ということなのね」
「クラーク様は納得して諸制度維持管理部に異動したみたいだよ?」
私とジェフが思わずノンナを見つめてしまった。
「あなた、知ってたの? いえ、何をどこまで知っているの?」
「何をどこまで? 私が知っているのはクラーク様が諸制度維持管理部に異動になったことに納得している、ってことだけだよ。すごく張り切っている感じの手紙だった。当分忙しくて会えないんだって。エドワード様が第三騎士団に関わっていることは、前から気づいてた」
「ノンナはクラーク様と喧嘩していたわよね? いつの間に仲直りしていたの?」
ノンナが困ったような顔で私たちを見る。
「なあに? なんでそんな顔をしているの?」
「クラーク様って、よくわからないんだよね。シェンに行く前に『結婚しよう』なんて言ってたのも、今思えば無理があったでしょう? 伯爵家の一人息子が、当時は平民で両親がどんな人かもわからない私と結婚だなんてさ」
「身分に関係なく、ノンナ自身を大好きだったんでしょうね」
ノンナがわずかに苦笑している。いつの間にそんな表情ができるようになったのか。
気づいたらいつも、ノンナは私が知っているノンナより成長している。
「クラーク様は私がどんなに腹を立てても、喧嘩別れみたいになっても、なあんにもなかったみたいな優しい手紙を書いて送ってくるの。この前はごめんねでもないし、悪かったでもないんだよね。ずうっと変わらないの」
「はははっ」
ジェフリーがいきなり笑った。私とノンナが「なにごと?」と顔を見ていると、笑いながら説明してくれた。
「笑ったりして悪かった。いかにもフィッチャー家の流れを汲む男だなと思ったんだ。バーナード伯父上の亡くなった奥さんはローズという人なんだが、ローズ伯母上が、似たようなことを言っていたよ。『バーナードがあまりに研究ばかりで、何度も大切な記念日を忘れた。そのたびに腹を立てたけれど、バーナードは喧嘩なんてしたか? という感じだった。まるでいつまでも腹を立てている私が悪いみたいで、ばかばかしくなる』って、俺、何度も聞かされたな」
「それ!」
ノンナが声を大きくしてから「あっ。ごめんなさい」と言いつつ説明してくれた。
「それなの。腹を立てている私の心が狭いの? って思えてくるの。そのうち、まあいいかって思っちゃって」
「ふふふ。クラーク様は優しい夫になりそうね」
「ノンナを上手にあやしてくれそうだ」
「あやすって! お父さん、私、クラーク様に子ども扱いされるつもりはないよ」
「うんうん、そうだろうなあ。ふふふ」
「もー、なんで笑うの?」
クラーク様は第三騎士団に組み込まれた。それは間違いない。きっかけはエドワード様の体調不良だろう。
あの慎重な人がまだ十八歳のクラーク様を引き入れたのなら、あまり猶予がない気がする。
シェン国で読んだ医学書には、頭痛と目の痛みが出る病がいくつかあった。
脳の中に腫瘍ができる病。
目の病。
どちらにしろ薬では痛みを抑えるだけで根本的な治療はなかったような。開頭手術は現状、弊害の方が大きいと書いてあった。エドワード様の病は、どちらなのだろうか。
ジェフも考え込んでいて、その話題は二人きりになってから再び持ち出された。とても意外な形で。
「俺、軍の仕事を続けようと思う。少なくともあと数年は君が安心なら、その間は後進を育てるべきだと思うんだ」
「ええ、それがいいと思うわ。軍師のダニエルさんが言っていたでしょ? 『慕われる人には責務がある』って。その通りだと思ったわ」
「俺もあの言葉を忘れられないんだ」
ジェフは戦争が起きて部下が死ねば、きっと深く傷つき、苦しむ。
それでもジェフが軍の頂点に立つ覚悟なら、私は一緒に傷ついて苦しみたい。二人で涙して、散った命に謝罪し続けよう。
「ハグルの養成所の最年長クラスになったとき、最初の授業は年配の元工作員が担当したの。その教官が授業の冒頭で言った言葉は『死ぬな。君たちは仕事で死んではいけない』だったの」
「ほう……」
「翌年は実務に出るという段階だったから、私を含めて全員が張り切っていた。だから、意外だったわ。国のために死ぬ気で働けとか、任務に命をかけろとか言われるのだと思っていたの。当時は教官の真意を測りかねた。でも、この年齢になると教官の気持ちがわかる気がする」
クラーク様の異動の話を聞いてから、ずっとハンスを思い出していた。
十五歳の初仕事で死んだハンスが、私の記憶から消えることはない。
「ねえ、ジェフ、あなたが軍務副大臣を続けてクラーク様が第三騎士団に関わるのなら、私もやりたいことがあるの。ただ、そこに踏み込めば平穏な人生は遠くなる。だから聞いてくれる? そしてあなたの正直な意見を聞かせてほしい」
「やりたいこととは、なんだい?」
「第三騎士団の養成所で、子供たちに生き延びて働くための 術(すべ) を伝えたい」