作品タイトル不明
124 焼け跡にて
ランコムが指定してきた地区には人家がほとんどない。
月が雲に隠れている今夜、周囲も道もかなり暗い。
この地区には常夜灯もない。人が住んでいないため、ランプに火を入れたり油の補給をする人がいないのだ。
私とジェフはランプも持たず、暗い道を歩いている。もしランコムの言う「相談」が嘘だった場合、夜道で灯りを持って歩くのは「狙ってください」と言っているようなものだ。
ノンナと途中で合流したイルは、建物の屋根伝い塀伝いに移動している。
ときおりトッ! というわずかな音を立てるのはご愛敬で、二人はほぼ無音で高い場所を移動し続けている。
「ノンナの身体能力には毎度感心するわ」
「まだ体が軽いからってのもあるが、華奢な体格の割に瞬発力と持久力がある。ノンナには君の鍛錬についてこられるだけの資質があったな」
「私とノンナは運命の出会いよね」
「運命の出会いだな」
二人で「ふふっ」と笑い、しばらく歩いてから「俺と君もな」とジェフが言う。
「そうかもしれないわね」
「そうさ。俺と君が広い王都で出会ったのも運命だ」
「引ったくりに感謝しないと」
「そこは縁を結んでくれたノンナに感謝、だろ?」
「そうね」
また少し歩いてからジェフが話しかけてきた。
「二人で出向くのは、メアリーの件以来だな」
「ええ」
「緊張しているか?」
「いいえ」
「俺もだ」
そう言ってジェフが手を伸ばしてきた。一度だけ強く私の手を握り、スッと離す。
「これにケリがついたら旅行に行こう」
「ええ」
「海辺でのんびりしよう」
「魚を料理するわ」
「楽しみだ。君の魚料理はどれも旨い」
指定された場所は焼け跡だった。大きな建物だったらしい。広い空き地には、火事で燃え残った残骸が散らばっている。
私とジェフが到着してすぐに、暗闇から人影が現れた。顔が見えなくても見覚えのある輪郭だけでわかる。ランコムだ。
「やあ、クロエ。よく来てくれた」
「その名前は捨てたわ。組織は私に名前を捨てさせたけれど、今度は私がお仕着せの名前を捨てたの」
「そうか。ではアンナ。あまり時間がないんだ。我々の組織に参加してほしい。君の力が必要なんだ」
「ランコム、あなたどうかしちゃった? 私に参加する理由があるとでも? やっと人間らしい生活を手に入れたのに、なぜまた組織の歯車に戻らなきゃならないのかしら」
本当にどうかしている。
「理由はある。養成所の教官になってほしいんだ。君の才能を埋もれさせたくない」
「イヤよ。私の目の前でハンスは死んだわ。たった十五歳で。私はあれからずっと苦しんでいる。ハンスの最期を忘れたことがない。教官になって、もっと多くの悲劇を味わえと言うの? たくさんの若者の死に苦しみながら生きろと?」
「君が教官になれば、あんな無駄死にを防げる」
ジェフが一歩前にでて、スッと剣を抜いた。
「そこまでだ。アンナはお前のところには戻らない。俺たちは家に帰る。二度と我々に 構(かま) うな。接触してきた者は問答無用で斬り捨てる。これが最後の警告だ」
ランコムはジェフを見ていたが、彼の言葉が聞こえなかったように私に話しかけてきた。
「考え直せ、クロエ。我々の組織に入ることは、君の最後の命綱だ。ハグルの暗殺部隊出動を止めているのは私なんだよ。陛下と取り引きした。君を私の部下にする予定だから殺さないでくれ、とね」
「イヤよ。絶対に戻らないわ」
「陛下の性格は君も知っているだろう? お年を召されて、ますます頑固になられた。君が私の配下にならないなら、暗殺者が繰り返し送り込まれるぞ? 君の大切な夫も、娘も、いずれは殺される。それは避けたいだろう? 大切な家族を、自分のせいでもう一度失うつもりか?」
私が嫌がる急所を突いてくる。ランコムはいつだって相手を動揺させ、従わせるのが上手かった。
ふいに周囲からの視線を複数感じた。
「ランコム、あなた人が変わったのね。相談と言いながら部下を用意しておくなんて」
「いや……私は一人で来た」
ランコムも視線に気づいたらしい。声に動揺が滲んでいる。この期に及んで嘘をつく理由はないから、本当に驚いているらしい。
隣の建物の陰から、二つの人影が姿を現した。暗くて顔は見えないが、周囲に潜む視線とは別の人間だ。
「ボス」
「ヤコブか? なぜここに」
「ダンもいますよ」
「何の用だ。言え!」
ランコムの声にはわずかな緊張が滲んでいる。
「ボス、あー、すみませんね。これも仕事なんで」
「仕事……お前たち、陛下の側に寝返ったのか」
「寝返ったというか、俺らはずっと陛下の飼い犬です。俺らが国を裏切ってあなたの側につくなんて、本気で信じたんですか? 以前のあなたなら、まずは俺らを疑ったでしょうに。クロエを取り戻したい一心で、目が曇っていたんですね」
ランコムが素早くナイフを取り出した。
ヤコブはランコムがナイフを構えても気にしないらしい。落ち着いた声で私に話しかけてきた。
「やあ、クロエ。久しぶりだな。ヤコブだよ。十二年も仲間をやってたんだ。忘れたなんて言わないでくれよ? 軍務副大臣の妻とは、すごい出世じゃないか。さすがは特務隊でエースを張った女だ」
ヤコブがしゃべっている間にも、私に向けられる視線は離れない。べったりと貼りつくような視線には馴染みがある。獲物を狙う、狩る側の視線だ。
複数の視線が送られてくるのは左手側。右手側の屋根の上にはノンナとイルが潜んでいる。ノンナたちが敵と鉢合わせしなくてよかった。
「おおい、お前たち、出てきていいぞ」
ヤコブが場違いに穏やかな声で呼びかけた。
すると平民を装った、まちまちな服装の男たちが姿を現した。雰囲気でわかる。ハグルの暗殺部隊だ。
一人で兵士の何倍もの戦力と言われる彼らが、ざっと見て二十人。
彼らが私とジェフを取り囲むように移動する。円の中には私とジェフ、そしてランコム。
ヤコブが再び話し始めた。
「ランコムさん。おっしゃる通り、陛下はますます頑固になられた。国から独立しようとしたあなたのことを、絶対に許さないとおっしゃっています。クロエと共々あなたを始末して、首を持ってこいとの仰せです」
「そうか……」
ランコムの声は平静だ。
「ランコムさんの計画は無理がありますって。どこの国にも属さない特殊任務部隊なんて、夢物語ですよ。下っ端はみんな、国の下で安心して働きたいんです。さ、おしゃべりはここまでです。長い間、お世話にな……」
突然、ピイイイイイッ! とノンナがいる方向から指笛が響き、ヤコブの言葉を遮った。
(えっ)と驚いたのは私だけではない。ジェフも(なんだ?)という表情をしている。
ヤコブ、ダン、暗殺部隊には緊張が走り、全員が周囲に意識を向けた。
今だ。
手近な男に向かって私とジェフが同時に飛びかかった。
私はダガーで、ジェフは剣で、片っ端から倒していく。私たちの背後でも戦闘が始まった。戦っているのはノンナとイルだ。ランコムもまた、暗殺部隊と戦っている。
一人、また一人と敵が倒れていく。五人対二十数名の戦いは、人数の割に静かだ。切られて倒れる男たちは、声を出さない。暗殺部隊はそう訓練されている。
地面を踏み込む音、剣が空気を切る音、荒い呼吸音。焼け跡で聞こえるのはそれだけだ。
長引かせたら負ける。それはジェフもランコムもわかっているはず。
ジェフは猛烈な勢いで剣を振り、斬った相手の腹を蹴る。
私は相手の喉を中心に切り裂いた。ノンナとイルは二人で連携して一人ずつ倒している。
早く、早く。早くケリを付けなければ、勝率は下がる。
戦い続けて二分か三分。ハアッハアッと荒い息をしている私の耳に、地響きのような大勢の足音が聞こえてた。
(誰?)と思いながらまた一人を斬り伏せる。ジェフがすぐ近くで剣を振り下ろし、振り上げる動作で一度に二人を斬った。
月を覆っていた雲が切れた。穏やかな月の光が射して、焼け跡へなだれ込んできた男たちを照らしている。なだれ込んできたのは、軍服を着た王国軍の兵士たちだった。
「行け! 制圧しろっ!」
王国軍の兵士たちが「うおおおっ!」と野太い声を発しながら、暗殺部隊に向かって突撃した。