作品タイトル不明
119 疑われた私
ジェフが帰ってこなかったのをいいことに、深夜まで起きて考えている。
私は工作員の仕事が好きだけれど、それ以上に家族が大切だ。
これはきっと家族を必要とする時期に家族を手放さなければならなかった過去の影響だろう。
人は普段、理屈で生きている。しかし咄嗟のときや最後の最後に人をつき動かすのは理屈ではない。心の奥に刻み込まれ、消えることのない記憶だ。私の消えない記憶は家族への飢え。乗り越えるとか乗り越えないとかの理屈ではないのだとハグルの心理学者が指摘していた。
「君が現場で命を落とすことがあるとしたら『家族』が理由だろう。君は家族、または家族に近い守るべき存在のことになると異常に戦闘的になる。クロエ、生き残りたかったらそれを自覚しなさい」
頭ではわかっている。ノンナは今後アンダーソン家の庇護下に入るから、私に何かあったとしても心配はない。ジェフは軍部の副大臣でありいずれは軍務大臣になるから最上級の安全を保障される。
「一番不安定で危険なのは……もちろん私ね」
ドアに鍵をかけ、ゆっくり時間をかけて身体をほぐした。ほぐしながら考える。今のままではだめだ。いいようにエドワード様に使われる。家族のためなら何を犠牲にしても戦うけれど、エドワード様のために生きるつもりはない。
「私は、使い捨ての駒になるのをやめたのよ」
自分の人生を生きるためにハグルの特務隊を抜けたのだ。アシュベリーの第三騎士団に取り込まれるためではない。
十分に身体をほぐし、筋肉を温める。身体が目覚めると心も目覚める。だらけた肉体は心もだらける。その夜は十分に身体を動かしてから眠った。
翌日、お城に向かった。目的地は北棟。どこかにエドワード様がいることを願って一人で向かう。幸い三階の部屋にエドワード様がいた。私が一人で部屋に入ると、一瞬室内が静まり返った。
「ここに来たってことは私に用事なんだろうね?」
「ええ、エドワード様。折り入ってお話がございます」
「こちらへ」
奥の部屋に通された。長方形のテーブルと椅子が四脚。それだけの部屋は尋問室のように見える。エドワード様は無駄な言葉を一切しゃべらず、いきなり核心に斬り込んできた。
「今回の私の対応に不満があるのかね?」
「ございます。襲撃をご存じの上で、私に知らせることなく敵を泳がせましたね?」
「いつもそうしている。下っ端を捕まえてもらちが明かないからね」
「私は第三騎士団員ではありません。エドワード様の部下ではないのです。私はデルフィーヌ様のご指示で動きました。私には情報を伝えるべきでした」
「私と王室は一体だ。私の指示はデルフィーヌ様の指示だと思ってもらいたい」
ここまでは想定内。私は内心を読み取られないよう、薄い微笑みを浮かべた。
「そうでしょうか。それはエドワード様と国王陛下の間でだけのルールなのでは? デルフィーヌ様には私から報告いたします。何の情報も与えられないまま、私は襲撃の現場に向かわされました、とね」
「だが君は傷ひとつつかなかった」
「私がかすり傷さえ負わなかったのはエドワード様の判断の結果ではなく、私の鍛錬の成果です」
「違うな」
違う?
エドワード様の考えを理解できると思ったことはなかったけれど、今は本当にわからない。私とジェフはクラーク様経由でイルから情報を得ていたが、それがなければ何も知らずに襲撃に遭遇したのに。
「何が違うのです?」
「君はあの襲撃で、絶対に死ぬことはなかった。私の部下が襲撃の集団に潜入していたからでもない。君のことは殺すなと指示が出ていたからだ。大公夫人の服装をしているのがその女性だと事前に主要な襲撃者に周知されていた」
「誰の指示です?」
「もちろん『ランダルからの客』の指示だ」
『ランダルからの客』が、私を知っている?
「今回の真の敵は、ハグル王国だ。ハグル王国はランダル王国とアシュベリー王国の間でもめ事を起こし、少しずつこの国の民にランダル王国への嫌悪感を植え付けようとしている。最終的には戦争になることを願っているようだ。今回の大公夫人の件はその第一歩だよ」
「それと私に何の関係が?」
エドワード様が、私をジッと見るので私も見返した。
「今、我が国に滞在して大金をばら撒き、騒動を起こしている『ランダルからの客』は、かつての君が兄のように慕っていた男、ランコムだ」
(第三騎士団は、私とランコムの関係まで知っていたのか)
ランコムが管理職ではなく現場で働いていることは知っている。現国王陛下の戴冠式の時期、ハグルの人間との遭遇を避けるためにランダル王国に出かけ、ランコムと顔を合わせた。室長だった人が現場にいたので驚いたっけ。
自ら現場の仕事に下りたのか組織内の勢力争いで負けたのかは知らない。そのランコムが今回の黒幕だったとして、なぜ私を殺すなと指示したのだろう。
「ハグルの特務隊には情報提供者がいる。かなり前からだ。情報提供者が死ねば、我々は別の人間を抱え込む。クロエという名の凄腕が自殺したらしいという情報も入った。まさか、弟の愛した人がその自殺したはずの女性とは思わなかったがね」
エドワード様の表情は世間話をしているかのように穏やかだ。
「過去の話は後回しにしてください。今は襲撃の話をしているのです。戦闘に絶対はありません。事前にどこで襲撃が行われるか、私とジェフには伝えるべきだったと思います」
「あの場にいた誰よりもジェフリーは剣の腕が立つ。今回の襲撃では、ジェフは死なないと判断した。だからジェフが大公夫人に同行することに口を挟まなかった。それよりもアンナ、君は今もランコムと通じているのかい?」
「いいえ」
エドワード様は私の言葉が本当か嘘かを見抜くつもりらしく、無言で私を見ている。
「私が組織を抜けたのは、ランコムを信用できなくなったからです。今もランコムと通じているなんて、あり得ない話です」
「ランコムは君の自殺を信じなかった。かなり長い期間、君を探していたそうだ」
「それはランコムの側の話であって、私には関係ありません」
「私もそう思っていた。だが……」
エドワード様は私から目を逸らしてお茶を飲んだ。
「現陛下の戴冠式の時期に君はランダル王国でランコムと接触している」
「あれは偶然です」
「しかも今回は君を殺すなという指示をランコムが出していたんだよ。私は君の真実について判断を下しかねている。ジェフリーのために、君が無実であってほしいと願っているよ」
今の時点で私の無実を証明する材料がない。関係があることを証明するのは簡単だが、関係がないことを証明することは極めて困難だ。
「私が疑われていることは理解しました。どうぞお好きなだけ私を監視してください。それと、イルカーク君がその集団に紛れ込んでいることはご存じですか」
「知っている。彼は襲撃には参加していない。組織の動かし方を知りたかっただけのようだ」
「イルカーク君はお世話になった家のだいじな息子さんです。どうか彼が道を踏み外さないよう、配慮してあげてください」
「心がけよう」
北塔部屋を出た。馬車に乗り、リードに声をかける。
「リード、ヨラナ様のお屋敷までお願いね」
「かしこまりました」
一人でいると事態を悪い方にしか考えられない。ヨラナ様に会えたらと前触れ無しで訪問してみた。ヨラナ様は在宅で、「珍しいこと」と笑顔で招き入れてくれた。
「どうしたの? 何かあったのかしら」
「ありました」
侍女のスーザンさんが素早くお茶と焼き菓子を運んできた。スーザンさんが申し訳なさそうな顔で私に声をかけてきた。
「ノンナ様はお元気ですか? お忙しいのでしょうか」
「ビクトリア、スーザンはノンナに会いたくて仕方ないのよ。たまに遊びに来るように伝えてくれる?」
「必ず伝えますね。ノンナは今もスーザンさんに教えてもらったボビンレースを続けていますよ」
「まあ! 嬉しいです」
スーザンさんはニコニコしながら部屋を出ていった。
「それで? 言えることだけでいいから吐き出してごらんなさい。最近は王妃様の語学教師として活躍しているのでしょう? 悩み事は王妃様のことなのかしら」
「いえ。王妃様ではなく……。以前働いていた職場の上司のことです。とある理由があってその仕事を辞めたのですが、私が今もその上司と連絡を取り合っているのではないかと疑われました」
「上司の方とはどんな関係だったの? 恋愛関係?」
「いいえ。ただの上司と部下でした。親しかったものの、兄と妹みたいな関係でした、それが今、問題になっているのです」
ヨラナ様はナッツ入りのクッキーを上品に口に入れ、味わっていたが「なるほど」とうなずく。
「ヨラナ様、本当です」
「あなたを疑ってはいないわ。ただね、男性の中には失った人に執着する人が少なくない。それが女性側の決断だった場合、取り返したいと思う傾向にあるような」
ランコムは私に対して道具以上の感情なんてあっただろうか。
現役時代は私もそんな心のつながりがあったと錯覚していたけれど、今はとてもそうは思えない。ランコムが私に執着したとしたら、役に立つ道具を取り戻したいだけだと思う。
私の知っているランコムは感情に左右される人ではなかった。彼は少しエドワード様に性格が似ている。実利的で冷静で全てのことに計算が行き届いている人。それが私の知っているランコムだ。
「詳しいことは言えないだろうし私も聞かないけれど、私はあなたと王妃様の間にヒビが入らないかが心配だわ。王妃様にそれとなく事情を説明した方がいいわよ。あなたに火の粉が降りかかっても信じてもらえるように、準備はしておくべきだと思う。人間関係は築き上げるのは大変だけれど、壊れるのは一瞬ですからね。用心するに越したことはないわ」
「そうですね」
そのあとはノンナの婚約はどうなったとか、軟膏工房の軟膏がとてもよく効くとか、今度ポーカーを付き合いなさいとか、無難な話題が続いた。
「相談に乗ってくださってありがとうございました。とても心が落ち着きました」
「いつでもいらっしゃい。あなたが相談してくれて嬉しいわ。ずっと言えずにいたけれど、あなたがノンナを連れて姿を消したとき、あなたを助けてあげられなかったことをとても申し訳なく思ったの。荷物が極端に少ないあなたは、いつでも逃げられる用意をして暮らしていたでしょうに、それに気づかなかった自分を恥じました」
「ヨラナ様……」
知り合いが一人もいないこの国で私を信じて家を貸してくれた人。
身内のように可愛がってくれた人。
そのヨラナ様が、黙って出ていった私を責めるどころか申し訳ないと思っていたなんて。気持ちを引き締めていないと泣いてしまいそうだ。
「こんなことを言ったら重荷に思うかもしれないけれど、私はあなたのことを娘のように思っているの」
「ヨラナ様……」
我慢していた涙がこぼれてしまった。
「あらあら。泣くことはないでしょう。さ、お化粧を直して、できるだけ早く王妃様のところに行きなさい。今回のことが人づてに王妃様のお耳に入る前に伝えるのよ。私はこれこれこういうことで疑われていますが、そんなことはありません、無実ですと訴えるの。ビクトリア、したたかに立ち回りなさい。自分のためだけでなく、ジェフリーとノンナのために動くの」