軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

118 心配虫

デルフィーヌ様とコンラッド陛下に労わりのお言葉をいただいてから家に帰った。ジェフには「私のことはいいから早く傷を縫ってもらって」と繰り返したが、頑固なことに私を見送ってから城内に戻った。

「お帰りなさい、お母さん」

「ただいま、ノンナ」

ノンナが私に抱きつこうとして動きを止め、怪訝そうな表情でドレスを見る。

「そのドレス、どうしたの? そんなドレスを持ってた?」

「汚してしまったから借りたの」

「誰に? 王妃様が着るにしては普通っぽいよ?」

鋭い。

「これはお城にお勤めの方にお借りしたのよ。ノンナ、大公夫人はお帰りになることが決まったから、今日で通訳のお仕事は終わったの。ひと仕事終わったお祝いに甘いものが食べたいわ。一緒に食べましょうか」

「うん!」

ノンナの後ろで控えていたバーサが姿を消した。料理人にお菓子を注文しに行ったのだろう。

「ノンナ、今日はエリザベスの家に行かなかったのね?」

「うん。エリザベスは最近忙しいの。婚約をする前にひと通りの淑女教育を終わらせなきゃならないんだって」

「えっ。婚約が決まりそうなの?」

「うん。エリザベスはもうすぐ十四だからね。でも、相手を自分で選んだって言ってるよ? そんなことできるんだね。普通は親が決めるんでしょう?」

「彼女の家は裕福だから選べるのかもしれないわね。ノンナももうすぐね。婚約を結ぶ十六歳なんて、あっという間だと思うわよ」

「そうだね」

ノンナがソワソワしていて話が上の空だ。

「何があったの? 私に聞かせてくれる? 隠し事はなしでお願いよ」

「あっ。お母さんはきっとわかっちゃうと思ってた。ええとね、告げ口するみたいで迷っていたんだけど、イルのことなの」

「イルのことを大切に思うなら、詳しく話を聞かせてほしいわね」

「うん、そう言うと思ってた。イルがあんまり柄が良くない人たちと一緒に行動しているのを、たまたま見ちゃって」

「そう。それで?」

たまたまかどうかは怪しいところだが、ノンナは何度も唇を噛み、視線をさまよわせ、それから私を見た。

「十日ぐらい前のことなんだけど、街でイルを見かけたから気配を消して尾行したの。イルが入っていった場所で、親玉みたいな人が集まった男の人たちに『次の集合は一週間後の二十三時』って言っているのを聞いたから……ごめんなさい。家を抜け出して夜遅くに集合場所まで行きました。本当にごめんなさい」

「私が通訳の仕事で忙しかったから、話すタイミングもなかったものね」

「怒らないの? もしかして、呆れた?」

そこに集まった男たちが私を襲ったことは言うまい。それを聞いてノンナが苦しむのは無駄だ。

それにしても「たまたま」と言ったそばから「尾行した」って。ふふ。身体能力が高いけれど、ノンナは全方向に疑いを持つことがない。すぐに人を信用する。特に私のことは全面的に信用している。私はノンナの年齢の頃は、ランコム以外誰も信じていなかった。同期の仲間にも、用心を忘れなかった。

私が考え込んでいると、ノンナの表情に怯えが滲む。この子は何年たっても捨てられた過去を忘れない。私の愛を信じることと、過去の傷を忘れることは別問題のようだ。

「呆れていないわ。私に相談しようと思ったきっかけがあったんじゃないのかなと思っているところよ」

「お母さんすごい。その通りなの。あのね、その男たちの中に、お城で反乱があったときに一緒に動いた人が混じってた。第三騎士団の人。それって第三騎士団の中に裏切者がいるってことだから、お母さんに知らせなきゃと思ったの」

やっぱりそうか。ノンナは第三騎士団員が裏切ったと思っているようだが、逆だ。エドワード様は、あの集団に部下を潜入させていたのだろう。百人を超える人間が雇われていて、エドワード様に情報が入らないわけがないと思っていた。

エドワード様は大公夫人が襲われる計画を詳細に知っていながら軍部に情報を流さなかったのだ。「可能性がある」としか伝えなかった。ジェフが軍を仕切っているというのに!

「奥様、お茶のご用意ができました」

「ありがとう、バーサ」

料理長が焼いたバターたっぷりの焼き菓子を食べながらお茶を飲んだ。ノンナとおしゃべりもした。だが心の中には風が吹き荒れている。

あんなに弟を愛している人が、なぜジェフが危険になるようなことをするのだろう。

事前にその集団を捕まえることだってできたのではないか?

なのになぜ襲撃が実行されるまで敵を泳がせたのだろう。計画した者を捕まえたいにしたって、情報を出し惜しみしすぎだ。

私はエドワード様を全面的に信じているわけではない。ジェフがいるからこそ私は生かされていると思っている。ジェフと私を天秤にかけることがあれば、エドワード様は迷わずジェフを取る人だ。

だからあえてエドワード様とは距離を取り、踏み込んだことを聞かずにここまできたのだが。

脳裏にランコムの笑顔が浮かんだ。

「クロエ、お前を妹のように思っている」と何度も言っていたランコムだって、私と関わった十九年の月日よりも国を選んで私を裏切った。エドワード様だって愛している弟より国を選ぶ日が来ないとは言えない。

そこまで考えてハッとした。ノンナが(また捨てられるかも)という恐れを忘れられないのはこういう気持ちなのだろう。

エドワード様は国とジェフを秤にかけなければならないとき、どちらを選ぶのだろう。その見極めを誤ると、ジェフを守れないだけでなく私とノンナも非常に危うくなる。

「お母さん?」

「大丈夫。怒ってないわ。私は何があってもあなたの母親よ。ジェフだってそう。私は自分の命を懸けてあなたを守るから安心して」

「え? なんの話? 今、イルの話をしていたんだよ?」

「わかってるわ。ちょっとここにいらっしゃい」

膝をポンポンと叩いて招いたら、嫌がりもせずにすんなり膝に乗った。そして私の首に抱きついてくる。

「あらあら。甘えん坊さんは相変わらずね」

「このまま大人にならなければいいのに。結婚よりもお母さんの娘でいたいなあ」

「クラーク様が可哀想だわ。ノンナのことをあんなに大切にしてくれているし、ノンナだってクラーク様を大好きでしょう?」

「うん……クラーク様を傷つけたくないからすごく悩む。男の子に夢中な人は、親と離れることが寂しくないのかな。お茶会で周りのご令嬢の話を聞いていると、いつも不思議に思うよ」

親の愛に満たされた子、逆に親を見限った子は、次の世界へと歩み出すものだ。善き親も悪しき親も、それなりに子供の自立を促す力になる。

ノンナはノンナを思う余裕のない母親に育てられ、その先は私に愛された。そんな過去がノンナの自立を邪魔しているのかもしれない。世の中には親の愛に満たされないまま育ち、中年になっても老年になってもまだ親のことを引きずっている人間は、案外多い。理屈じゃないから満たされて育った人間には理解されにくい話だ。

愛されなかった元子供の『飢え』が心に影響を与える力は、大きい。

「ノンナ、あなたが何歳になっても私はあなたの母親です。クラーク様と結婚してもね。だから何も心配はいらないの。少しでも心配になったら、それを思い出してね」

「うん。それはわかってる。わかってるのに心配になるの。結婚してこの家を出たら、またひとりぼっちでおなかを空かせた暮らしがくるんじゃないかって、理由もなく思うんだよね。おかしいでしょ」

「おかしくなんかないわ。人間の心は、なかなか思い通りにはならないのよ。私の中にもノンナと同じような心配虫がいるわ」

「心配虫?」

「ええ。つらい思いをしたときに住み着いた虫はなかなかいなくならない。おかげで人間は、つらかったことを忘れられないものなの」

「ふうん」

「でも忘れないで。ノンナの人生は心配虫のものじゃない。ノンナのものだからね」

「うん」

ノンナの表情が落ち着いたところで、質問することにした。

「イルが集まった場所はどこだったの?」

「南区の西の端にある酒場。『青い狼』っていう名前だった」

「そう。そこに第三騎士団の人がいたのね?」

「うん」

「その人は仕事をしていたんだと思う。第三騎士団の人たちは、敵の中に潜入するのも仕事だから。あなたはそれを絶対に誰かに言ってはダメよ。クラーク様にもエリザベスにも、ヨラナ様にも。誰かに話せば、あなたもその話を聞いた人も危険になるわ」

「絶対に言わないよ。お母さんにだけ」

「うん。いい子ね」

ノンナの身体から力が抜けている。落ち着いたようだ。ジェフはおそらく帰りが遅くなるだろう。お城に泊まるかもしれない。襲撃の事後処理もあるだろう。

エドワード様と話し合う前に、私は自分の考えをまとめておかなくては。

エドワード様を信用できないと判断した時、私はどう動くべきだろうか。