作品タイトル不明
110 文官クラーク・アンダーソン
茶会の前に馬車襲撃の話を伝えたかったが、デルフィーヌ様は公務中で会えなかった。
私はそのまま大公夫人を歓迎する茶会に同席し、高位貴族の夫人たちの会話を同時通訳した。お茶会の話題は周辺諸国のドレスの流行、人気のアクセサリーや髪形の話、慈善事業という当たり障りのない話題が続いている。
大公夫人は笑顔で聞いていたが、とある夫人の発言を聞いて急に身を乗り出した。
「うちは息子がおりませんので、親戚の男児を養子に迎えて……」
「失礼、あなたは男系相続制度について、どうお考えなのかしら?」
場が静まり返った。王妃の前でうかつなことを言えば、大ごとになる。男系相続を法で定めている国の王妃の前だ。批判的な発言をしたら夫と家にそれなりの影響が出る。茶会にはエリオット様が参加していないから大公夫人を止める者がいない。
どうするのかな、と思いながら私は黙って見ていた。ここは子爵夫人の出る幕ではない。するとデルフィーヌ様がにこやかに、かつ柔らかな声で場をつないだ。
「大公夫人、お茶会の席で彼女たちが男系相続制度について意見を述べても、問題の種が残るだけですわ」
その場にいた全員があからさまにホッとしている。デルフィーヌ様の上手い対応に感心した。
母親世代の大公夫人にやんわり『そんな話題をお茶会の場で持ち出すのは不適切ですよ』と伝えつつ、言葉は柔らかいものの自国の夫人たちには『うかつなことを言うとあなたの夫に迷惑がかかりますよ』と伝えている。自分の意見を伝えるが、敵を作るような言い方はしないところが頭がいいと思う。勉強になる。
その後はデルフィーヌ様が話題を主導しつつ穏やかな雰囲気で終わった。大公夫人は賓客用の部屋に戻り、夫人たちも帰った。部屋には私とデルフィーヌ様だけが残った。
「アッシャー夫人、疲れたでしょう?」
「さほど疲れてはおりません。デルフィーヌ様こそお疲れのところ申し訳ございませんが、取り急ぎのお知らせがございます」
デルフィーヌ様が片手を上げると、控えていた使用人たちが小声で話せば聞こえない程度に距離を取った。
「何かしら」
「大公夫人の馬車が道中で賊に襲われたそうです。私が馬車の傷を確認しました。エリオット様に確認したところ、認めていらっしゃいます。ランダル国内での出来事、というお話でした」
「私は何も聞いていないわ。陛下はご存じなのかしら。確認しなくては」
デルフィーヌ様の指示を受けた侍従が部屋から出て行き、すぐに私とデルフィーヌ様が陛下に呼ばれた。既に宰相様、軍務大臣、エドワード様が集まっている。陛下はいつになく厳しい表情だ。エドワード様が進行役らしく、デルフィーヌ様と私が到着するとすぐに話を始めた。
「部下に調べさせたところ、馬車の傷はもうランダルの者たちの手により大まかに修復済みでした。アンナ、あなたが見た傷について説明してほしい」
「あの傷のつき方は、長くて重い剣を振り回してついた傷ではありません。もっと軽くて小さいナイフのような刃物がぶつかった傷です」
それを聞いた陛下が険しい表情でエドワード様に質問した。
「エドワード、襲った側について何か情報は入っているか?」
「いいえ。ランダルにおける大公夫人の情報は『女性の地位向上を目指す活動に熱心』という以外は特に目を引く情報は入っていません」
そこでエドワード様が私を見た。
「アンナは大公夫人をどう見た?」
「ご自身の信念に関して、やや強引に感じました。女性の地位向上という目標を、なるべく早く成し遂げたいとお考えのようです。夫人を煙たく思っている者がランダル王国内にいても不思議ではないかと」
「私もアッシャー子爵夫人と同意見です。少々結果を急ぎすぎのように感じました」
デルフィーヌ様の意見を聞いて、陛下がうなずいた。
「我が国の滞在中に襲撃されたりしないよう、今後は警備の人数を増やしたほうがよさそうだ」
話し合いは短時間で解散となり、私は家に帰った。
「お母さん、お帰りなさい! お父さんはまだ帰ってないよ。今日はクラーク様が遊びに来てくださっているの」
「お邪魔しています、先生」
「お久しぶりです、クラーク様。もしご迷惑でなければ、夕食を一緒にいかがですか?」
「いいんですか? 嬉しいなあ。遠慮なくごちそうになります」
クラーク様が居間にいて私を迎えてくれるのが、なんだか不思議だ。若夫婦に出迎えられたようで、むず痒い気持ちになる。ジェフは今日も遅いのだろうと、先に三人で夕食を食べている際に思いついた。
「クラーク様はランダルの情報にお詳しいのでしょうか」
「ランダルはアシュベリーと強いつながりがあるので、特に法律に関しては最新の情報を手に入れるようにしています。ランダルの若手文官と文通をしているかのような状況です」
ローストチキンをひと口サイズに切り分けながら、苦笑しつつ答えるクラーク様。これは……思っていた以上に頼りになるのでは?
「ではランダルの大公閣下が進めようとしている女性の社会的地位の向上についてはご存じですか?」
「ああ、その件は若手の文官の間でずいぶん話題になっているようです。あまりいい意味ではなく」
そこでジェフが帰宅した。私が目で(今、大切なことを話しています)と伝えた。それはちゃんと伝わったらしい。ジェフが着替えもせずに席に着き、「何の話題だい? 俺も仲間に入れてくれ」と聞き役になった。
そこからはクラーク様が一人で詳しく説明してくれた。
「ランダルでもアシュベリーでも、議会での演説の内容は、たいてい演説する側が根回し済みです。文官が下書きをして、上司が承認して演説をする人に渡されます。僕が親しくやり取りしているランダルの若手文官は有能な人で、たくさんの演説原稿の下書きをしています。その彼が言うには、ここ二年ほどの間に、大公閣下が何度も女性の地位向上に前向きな演説をしているそうです。大公閣下の演説の草稿は大公夫人が書いているそうで、やや強引な内容だとか」
「強引、とはどのような?」
ゆっくりとローストチキンを咀嚼していたクラーク様が考えてから答えてくれる。
「不敬になるので、ここだけの話にしてください。友人曰く、大公閣下の演説は、聞かされた側が『そんなことをいきなり言われても』と困るような内容が多く、結局議会を通ることがないそうです。大公閣下ならそんなやり方は無駄とわかっているだろうに、と友人は言っています」
「クラークの口から根回しなんて言葉が出るとはなあ。クラークが半ズボンを履いていたのはごく最近だったのに。お前も大人になった」
「半ズボン……。僕はもうすぐ十八ですよ、ジェフおじさん。文官の後輩だっているんですから」
「そうだったな、悪かった」
ジェフが笑って、食卓が柔らかい雰囲気になる。こんな楽しく平和な空間にいる自分が不思議でならない。嬉しくて楽しくて平和で、夢ではないかと思う。
「気がついたら可愛い少年だったクラーク様が有能な文官になり、バブバブしていたノンナがもう十三歳ですものねぇ」
「お母さんたら。私はお母さんに出会ったときでさえ、バブバブはしてなかったよ」
ノンナが「心外だ」と言うように口を尖らせ、ジェフがノンナの表情を見て笑い出した。
「確かにバブバブはしていなかったな」
「あらごめんなさい、ノンナ。私の記憶でもちゃんと喋ってはいたわね。でも、ふっくらしたほっぺや、愛らしい声、柔らかい腕とか、幼児って感じだったのよ。なんて可愛い子だろうと毎日思っていたものだわ」
「先生、わかります。六歳のころのノンナは天使そのものでした」
「ですよねえ、クラーク様」
「クラーク様までそんなこと言って! 私、天使でもバブバブでもなかったのに」
「気に障ったのならごめんよ、ノンナ。機嫌を直してね」
ノンナに謝るクラーク様の声と表情が、見ていて大変に甘酸っぱくむず痒い。
「クラーク、食後にもう少し詳しくその話を聞かせてくれるか?」
「はい。僕が知っていることならいくらでも」
察しのいいジェフは、私がその話をもっと聞きたがっていることに気づいている。
クラーク様は仕事のことでジェフの役に立てるのが嬉しいのだろう。そのお顔が晴れがましそうだ。そしてクラーク様を見ているノンナの表情もまた嬉しそう。ああ、甘酸っぱい!
私がハグルの特務隊から脱走して、もう七年になる。
クラーク様とノンナの成長を目の当たりにして、脱走してからの時間の流れを感じる。いつも自信がなさそうだったクラーク少年は今、野心に燃える若き文官だ。