作品タイトル不明
第45話:企業からの厄介な発注
その日、『霧骨の沼地』での業務を終えた私が魔石を換金し、協会を出ようとした時、声をかけてくる人物がいた。
紺色の装備に、胸元に輝くエンブレム。
『アルゴス』のデータアナリストである涼下氏と、リーダーの瀬能氏だ。
涼下氏が会釈して、口を開く。
「静河さん、お時間をいただけますか」
「……何でしょう」
彼らが私に接触してくる意味を考えながら、私が告げれば、涼下氏はやや視線を落として言った。
「一週間ほど前から、当社が稼働している『金剛石の回廊』周辺で、システムが処理対象から弾いた規格外のモンスターが蓄積するエラーが発生しました。その間引きのため、協会から大口取引先へ提供されている探索者の実績データベースを解析し、過去の納品履歴から適性があると選別した中堅パーティーに依頼を出しました。……結果として、自分の選別は失敗でした」
「それは排除できなかった、ということでしょうか」
「……いえ、違います。排除自体は完了しました。ですが、彼らの用いた排除の過程に問題がありました。彼らは爆炎グレネードなどの魔道具による広範囲攻撃を選択したのです」
魔石を回収することを考えず、制圧効率だけを念頭に置くならば、それは充分妥当な戦術だ。
「その爆発の衝撃と過剰な熱風が、当社の観測機材を誤作動させました。それらを異常であると検知し、安全装置が働いて、システムが強制停止したのです」
涼下氏は眼鏡のブリッジを中指で押し上げる。
「それだけではなく、彼らの攻撃の余波はエリア深部へ伝播し、潜伏していた別のイレギュラー個体まで活性化させる二次災害を招きました。……結果として、対象の排除そのものよりも、彼らの派手な戦闘が引き起こしたシステムダウンと環境悪化のほうが、遥かに甚大なコストと損害を生み出したのです」
涼下氏が私を見る。
「そこで、改めて全探索記録を洗い直すことにしました。『対象を確実に倒せるか』というフィルターではなく、『当社の作業現場を止めずに、周囲への影響を極小に抑えて対象を排除できるか』。その条件で抽出した結果、一人だけが残りました。……それがあなたです。静河さん」
私は何も言わず、視線だけで彼にその話の続きを促した。
「あなたはマッド・ゴーレムの変異種を倒しましたよね」
彼は手元の端末を操作し、私に数値を提示した。
「あの日、あなたが納品したのはA品の魔石だ。自分たちはそれを見ている。つまり、あなたは変異種を魔道具などを使用せずに倒したことになる。……あの日、あなたが探索していたエリアの環境モニターを調べたら、局地的な崩落と、それに伴う急激な水圧の変化を観測していました」
涼下氏の眼鏡の奥の瞳が、私を静かに射抜く。
「そこから導き出される答えは一つです。あなたはあの時、魔道具による広範囲攻撃ではなく、何らかの方法で岩壁を破壊して崩落と地下水脈の鉄砲水を誘発し、環境を兵器として利用して対象を倒した」
客観的なデータをつなぎ合わせ、現場の実態を正確にプロファイリングする。
さすがはデータアナリストということか。
だが、私は何も答えず、彼の次の言葉を待った。
「……何より、自分たちが『金剛石の回廊』に参入するきっかけがあなただ。それを失念していたのは、致命的なミスとしか言いようがありません」
私は一つの疑問を口にした。
「……破格の評価であることは理解しました。ですが、なぜ直接? 協会を経由して依頼を出すのが正規の手順のはずでは」
「……そのとおりです。自分たちの間にはわだかまりも存在していますし」
そこで涼下氏は一瞬だけ瀬能氏を一瞥した。
「協会を介す方が合理的です。しかし、だからこそ、自分は直接あなたにお願いしたかった」
涼下氏は、私に向かって深く頭を下げた。
「あなたの力が必要です。どうか……どうか、この依頼を引き受けていただきたい……!」
大企業に属するデータアナリストが、一介の個人事業主に対して明確な敬意を見せた。
頭を下げ続ける涼下氏の隣に、瀬能氏が立つ。
「当社のシステムにエラーが発生しています。規格外の個体の蓄積です」
彼女はかつて私に向けた退場の勧告について触れない。
部下が未だに頭を下げ続ける隣で、ただ事実だけを述べる。
「自社のシステムを改修し、規格外の個体すべてに対応させるには、莫大な開発費用と時間がかかります。それらシステム改修のコストと、あなたへ間引き業務を外部委託する費用を天秤にかけた結果、当社の機材を止めることなく現場を掃除できるあなたに依頼する方が、圧倒的に安価で済むと判断しました」
大企業が個人に対し、自らの利益と効率のみに基づいた要求を突きつける。
彼女にとって私は、企業を回すための安上がりな外注先に過ぎないということなのだろう。
その時、カウンターの向こうにいた権藤さんが口を開いた。
「……以前、退場を準備するよう勧めた方が、今度は助けを求めにくる」
独り言のような、しかしロビーに確かに届く声だった。
「ダンジョンとは、面白いところですね」
瀬能氏の頬が赤くなった。
だが、彼女は何も言わなかった。
権藤さんに視線を向けるが、彼はもう普段の業務に戻っていた。
私は彼らを見る。
怒りはない。
このようなことは、かつての『私』が幾度も経験したことだ。
涼下氏が頭を上げ、具体的な条件を提示してくる。
「当社の稼働状況に応じた、現場の環境維持のための不定期な間引きをお願いしたい。あなたの予定を拘束するつもりはありません。作業中の報告義務も、指示の介入も行いません。報酬は、協会標準レートの三倍を保証します」
破格の報酬であることは理解できる。
他の探索者なら、間違いなく、二つ返事で承諾していたに違いない。
だが、私は即答しなかった。
対象となる『金剛石の回廊』は、私が撤退した場所で、現在の主戦場ではない。
ここ数ヶ月の間で、どのような変化があったか。
もし、対応するならば、それを調査する必要がある。
一次データが存在しなければ、私の生存を担保するための安全マージンが設計できないからだ。
そして、安全マージンが設定できなければ、割に合うかどうかの判断すら不可能である。
私は涼下氏を見て告げた。
「ご提案の内容は把握しました。ですが、データがない今、即答することはできません。データを取得してから、回答は後日、正式にお伝えします」
だが、涼下氏は引き下がらなかった。
「当社のエラーは現在も進行中で、損害が発生し続けています。一刻も早い解決を望んでいるのが実情です。いつまでに回答をいただけますか」
無期限の猶予は与えられない。
コストとスケジュールを厳格に管理する、大企業としての当然の要求だ。
私は脳内で明日のタスクを組み替える。
「……明日の業務で該当エリアの境界付近まで足を運び、データを収集します。その結果をもって安全マージンを計算し、明後日のこの時間に回答するというのではいかがでしょう」
私が最短のスケジュールを提示すると、涼下氏は頷いた。
「承知しました。……無理を言っていることは理解しているつもりです。ですが、やはり、不完全な情報で結論を出さず、必要な工程は最短でこなす。そんなあなただからこそ、自分はあなたにこの依頼を引き受けていただきたいと強く思います。明後日、お待ちしています」
涼下氏は深く一礼し、瀬能氏はそのまま私に背を向け、去っていった。
私は彼らの背中を最後まで見届けることなく、協会の出口へと向かった。
自動ドアを抜ければ、冷え切った夜の空気があった。
まずは明日、一次データを収集してみないことには、何とも言えない。
私は息を吐き出し、意識を切り替える。
「……今日はだいぶ冷え込みますね」
夕食のメニューを湯豆腐に決め、スーパーマーケットへと確かな足取りで向かっていく。