軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第15話:不適合品の廃棄処理

ダンジョン前は、朝の通勤ラッシュ時の駅のホームのような、独特の熱気と殺伐とした空気に包まれていた。

私はいつものベンチで、靴紐の締め具合を最終確認していた。

「おい見ろよ、今日もあの格好だぜ」

「掃除屋がよ、いっちょ前に装備の点検か?」

背後から降ってくる嘲笑。

声の主は、中堅パーティー『赤き戦斧』のメンバーたちだ。

彼らの声は、私にとっては単なる環境音——オフィスの空調ノイズと同じであり、意識を向ける対象ではない。

私が目を向けたのは、彼らが誇らしげに腰に下げている長剣——通称『魔剣』だった。

正式名称、M-Composite Blade、あるいは魔導素材複合加工ブレード。

ダンジョン産の特殊素材を、現代の冶金技術で加工した工業製品だ。

彼らが持っているのは、おそらく「紅蓮モデル」と呼ばれる量産型の上位機種だろう。

価格にして高級車一台分。

多くの探索者が長期の探索者ローンを組んで購入する、いわばステータスの象徴だ。

だが、私の目には、それはただの不良債権にしか見えなかった。

「……刃こぼれを放置している」

あれでは耐久係数はカタログスペックより三割は落ちるだろう。

柄を巻く革紐もそうだ。

脂分が抜け、乾燥して白っぽくなっている。

あれでは可動域に制限がかかるし、衝撃を受けた際に千切れるリスクが高い。

魔剣はデリケートな、専用の研磨剤とオイルによる日々のメンテナンスが欠かせないハイエンド機材なのだが、彼らはそれを伝説の武器か何かと勘違いしているらしい。

私にとって彼らは、維持費を無視して過剰スペックの機材を導入し、運用フェーズで破綻することが確定している、哀れなプロジェクトチームに見えた。

「今日は彼らと同じルートは避けよう」

巻き込まれ事故によるスケジュールの遅延は回避したい。

私はそう決めてダンジョンへ向かった。

ダンジョンの中層エリア。

本日の業務は順調に推移していた。

予定していた魔石の回収率は90%を超えている。

そろそろ撤収の準備に入ろうかと考えた、その時だった。

空調の効かないオフィスで、腐った弁当箱を開けた時のような不快な臭いが漂ってきた。

鉄錆のような血臭と、何かが焦げたような刺激臭。

「……近い」

私は警戒レベルを引き上げ、慎重に足を進める。

角を曲がった先に、その現場はあった。

散乱する破片。

壁に残る、炎属性の魔石を内蔵した使い捨ての手榴弾である爆炎グレネードを使用したような焦げ跡。

そして、点々と奥へ続く、おびただしい量の血痕。

見覚えのあるエンブレムが落ちていた。

『赤き戦斧』のものだ。

「モンスターを倒しきれず、装備を破損させ、負傷して撤退した……というところか」

よくあるインシデントだ。

しかし、私の視線は地面に落ちている、あるものに釘付けになった。

それは砕け散った魔剣の破片。

その断面から、紫色の火花が散っている。

耳鳴りのような、高周波のノイズが聞こえる。

「……まずい」

破損した魔剣から、制御を失った魔力が漏れ出している。

魔剣の芯材には魔石の粉末が練り込まれている。

破損すれば、それは内部エネルギーを垂れ流すただの廃棄物となる。

これは、スパイダースカベンジャーと呼ばれる掃除屋モンスターを呼び寄せる、高出力のビーコンみたいなものだ。

このまま放置すれば、この信号に引き寄せられたスパイダースカベンジャーの群れが、血痕を辿って負傷した彼らを追撃し、食い殺すだろう。

それだけなら、彼らの自己責任で済む話だ。

だが、問題はこのルートが、私の帰還ルートとも重複していることだ。

こうならないようにルート選定したのだが、それも無駄になってしまった。

「とにかく、放置すれば、私の退路も塞がれる」

遠くから、複数の物音が近づいてくるのが聞こえた。

逃げる? 間に合わない。走れば足音で気づかれる。

戦う? 論外だ。この数相手に、勝算はない。

「業務内容の変更だ」

現場の緊急清掃を行うしかない。

私はバックパックを地面に置き、素早く中身を取り出した。

素材採取用に持参していた厚手の絶縁シート。

そして、業務用の強力消臭スプレー。

やることは至ってシンプルである。

ビーコンの無効化と、追跡フラグの切断。

私は砕けた魔剣の破片を絶縁シートの上に集めた。

「……熱い」

漏れ出す魔力で、手袋越しでも熱を感じる。

これが彼らの信奉していた力の成れの果てだ。

私は破片をシートで厳重に包み込むと、その口を粘着テープで密閉した。

途端に、耳鳴りのようなノイズが消える。

物理的な遮断による、魔力漏洩の封じ込め。

次に、地面の血痕に向けて、消臭スプレーを噴射する。

鼻が曲がりそうな刺激臭が、ミントのような人工的な香りに塗り替えられていく。

手際よく。

迅速に。

モンスター到達まであと十秒——。

最後に、回収した魔石のクズを、彼らが逃げただろう方向とは逆の、深い亀裂の中へと投げ込んだ。

デコイである。

それからまもなく、角の向こうから、スパイダースカベンジャーの群れが殺到した。

私はその直前に岩の隙間に身を隠し、息を殺していた。

ビーコンは消え、血の匂いも途絶えている。

代わりに漂うのは、亀裂の奥からする魔石の匂いだけ。

群れ全体が、そちらへと雪崩れ込んでいく。

「……ふぅ」

私は肺の中に溜まっていた熱い空気を、ゆっくりと吐き出した。

これで安全に帰れる。

そう思って立ち上がろうとした時、彼らが逃げ込んだだろう方向から、微かな気配を感じた。

もしかして、

「……そこにいるのか」

だとしたら、出血がひどく、動けなくなっているのだろう。

助ける義理はない。

しかし。

「ここで死なれると、困る」

彼らがここで死ねば、死臭がエリアを汚染する。

そうなれば、より危険なモンスターがこのルートに居着くことになる。

それは、明日以降の私の業務に深刻なリスクをもたらす。

私は、手持ちの予備ポーチを開いた。

中から取り出したのは応急処置キット。

これの使用期限が近かったというのは、自分自身に対する言い訳みたいなものだった。

止血剤と、清潔な包帯。

直接渡せば、パニックになった彼らに攻撃されるリスクがある。

あるいは、介抱を強要され、足止めを食う可能性も否定できない。

だから、私は彼らの視界の端、目立つ岩の上に、そのキットを置いた。

「……在庫処分だ」

私は彼らの姿を確認することなく、その場を立ち去った。

地上に戻ると、夕暮れの空気が肌にまとわりついた。

「……よし。今日もいつもどおり」

定時に業務を終えることができた。

私は息を吐き出し、探索者協会のロビーへと向かった。

足を踏み入れれば、喧騒に包まれる。

それだけではない。

消毒液の匂いがある。

ロビーのソファに、包帯を巻いた数名の探索者がぐったりと座り込んでいた。

朝、私を嘲笑していた中堅パーティー『赤き戦斧』のメンバーたちだ。

表情から覇気は完全に失われていたが、それでも、

「生き残った、か」

私は彼らに視線を送るのをやめ、カウンターへと向かう。

彼らの安否確認は私の業務ではない。

私がやるべきは、本日の成果物の換金と、拾得物の処理だ。

カウンターには、権藤さんが立っていた。

ちょうどよかった。

彼なら話が早い。

私はバックパックを下ろし、まずは通常の魔石をトレーに出す。

続いて、分厚い絶縁シートで厳重に梱包したそれを取り出した。

「魔石の換金と、遺失物の届け出です」

「……これは?」

権藤さんが、絶縁シートの梱包に眉をひそめる。

「F区画の通路に散乱していました。破損した魔剣の破片です。魔力が漏出してビーコン化していましたので、絶縁処理を施して回収しました」

事務的に報告する私の背後で、息を呑む音がした。

振り返る必要はない。

ソファに座っていた彼らだ。

「……あと、これも」

私は続けて、血に汚れたボロボロの革鎧の一部をカウンターに置いた。

彼らが逃走経路に捨てていったものだ。

「メンテナンス不足により、関節部の可動域が著しく低下しています。廃棄処分にするか、持ち主に返却するかは、協会の規定にお任せします」

権藤さんは、カウンターの上のゴミと、私の顔を交互に見た。

そして、その視線を私の背後——『赤き戦斧』のメンバーへと向けた。

「……おい、君たち」

権藤さんの低い声が響く。

彼らがビクリと肩を震わせた。

「これは君たちの装備だな? F区画でモンスターを引き寄せた原因は、この整備不良の魔剣だったということか」

「あ、あ……」

彼らの顔色が、土気色に変わっていく。

自分たちが捨てて逃げたものが、どれほどの危険物であったか。

そして、それを誰が処理し、誰が持ち帰ったのか。

彼らの視線が、私の背中に突き刺さる。

だが、そこにあるのは朝のような嘲笑ではない。

理解できないものを見る畏怖と、圧倒的な恥辱だ。

「……あ、あんた、まさか、あの応急キットも……」

リーダー格の男が、震える声で呟く。

ダンジョン内で彼らが発見し、使用したキットのことだろう。

私は彼の方を見なかった。

ただ、権藤さんに向かって淡々と告げた。

「拾得物の権利は放棄します。手続きは以上です」

「……ああ、わかった。確かに受理した」

権藤さんが、何かを言いたげな目を向けたが、私は小さく会釈をして背を向けた。

背後で、彼らが深々と頭を下げる気配がした。

あるいは、何か礼を言おうとしていたのかもしれないが。

私は足を止めなかった。

「疲れた……」

今日も生き残り、私の業務が終了した。

スーパーに寄ろう。

今日は豚肉が特売の日だったはずだ。

「生姜焼き……いや、 魯肉飯(ルーローハン) でも作るか」

私は自動ドアを抜け、人の活気が溢れた街へと歩き出した。