軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第102話:疑惑の眼差しと、家族のメニュー

「それはあなたのほうが、ご存知なのでは?」

紺色の制服を着た保安部門の職員が私を見る眼差しには、疑いが強く感じられた。

……なるほど。

ダンジョンが変容している現在、変容前と同じ水準で魔石を納品できている探索者の数は多くない。

納品率で言えばそこまでではないが、変容前同様、A品を安定して納品し続けているのは私だけだ。

彼が疑いの目を向けるのも、無理はないかもしれない。

だが、

「……私は、事前の持ち込み検査を正規の手順で通過していますし、成分データの提出も怠っていません」

私は彼の視線を真っ向から受け止め、告げた。

「不正行為を行ったという事実はありません」

「そうでしょうか。急激に環境が変わる中、あなただけが以前と同じ水準で結果を出している。何もないと考える方がむしろ不自然だ。書類の偽装、あるいは隠し持っていたという可能性もあるのではないですか?」

大きくなる彼の声は周囲へのアピールか、あるいは自らの正義感に酔いしれているのか。

私は息を吐き出した。

業務を終え、ただでさえ疲れている体に、嫌な疲労が纏わりつくような気がした。

かつての『私』もさんざん感じてきたものだ。

「……あなたがどう考えるかは、あなたの自由です」

それを止めることは私にはできないし、するつもりもない。

「しかし、私の荷物を確認し、ゲートを通したのは?」

「そ、それは……」

「……そんな事実は一切ありませんが、それでも、もし、私に不正があると言うのなら、それは私の問題ではなく、むしろあなた方の検査体制に不備、あるいは問題があったということになるのではないですか?」

保安職員の顔が歪んだ。

「わ、我々の体制は完璧だ!」

彼は今、疑惑の眼差しではなく、はっきりとした敵意を私に向けてくる。

「あなたのことは徹底的に調べさせてもらいます!」

彼はそう宣言した。

「……そうですか」

現在も変容を続けるダンジョンで生き残る。

それは体力だけでなく、精神までも極限まで摩耗させる。

そこに来て、このような無意味な対人折衝で神経をすり減らすのは、明日もダンジョンで生き残ることを考えれば、無駄でしかない。

何より、彼がどう思うと彼の勝手であるように、私がどうするかは私の勝手であり、彼に付き合う必要はなく、当然、そこには彼に対する説得も含まれる。

「正規の手続きを経てダンジョンへと向かい、そして結果を出した。それがすべてであり、事実です」

何よりと、私は続けた。

「あなたが納得するかどうかは、私には関係のないことです」

それでは、と彼に告げて、私は出口へ向かう。

「ま、待て……! お前が不正したという証拠を、絶対に見つけ出してやるからな!」

背後から投げつけられた怒声に、私は足を止めなかった。

外へ出れば、夜の湿った空気が顔を撫でた。

夏の匂いがする。

彼のことは、もう意識になかった。

歩きながら考えるのは、今日、現場で起きたことだった。

昨日まで何の問題もなく使用できていたワイヤーが、未知の要因によって黒く変色し、溶解した。

しかし、違うメーカーのワイヤーを用いることで、その場を切り抜けることができた。

変容の速度を、部分的にだが追い越すことができたのだ。

胸の奥に、確かな手応えが残っている。

だが同時に、懸念もあった。

「新しいワイヤーも、いつまで通用するか」

ダンジョンは、化学物質に、免疫反応のようなものを示した。

それが他のもののにも起こらないという保証はない。

特定のアプローチ、あるいは素材に対しても、同じように適応していくことも、充分予想できる。

同じ手順を繰り返し用いることで、ダンジョンがそれを学習し、対策を講じてくる可能性があるはずだ。

だとすれば、だ。

今回、一つの手順を確立することができた。

しかし、それに固執するのは危険なのではないか。

せっかく確立した手順を手放すのは、惜しくないと言ったら嘘になる。

だが、それに拘り、変化を拒むことで、足元をすくわれるようでは、意味がない。

私が求めているのは、手順を確立し、それを誇ることではない。

ダンジョンで生き残ることなのだから。

他のエリアでの業務も視野に入れ、複数のアプローチを並行して回していく方向で考えるべきだろう。

まずは明日だ。

同じ手順を繰り返した際、ダンジョンが何らかの学習傾向を示すかどうかを検証する。

私は当初の予定通り、スーパーに向かい、特売の鶏肉を買って、茹で鶏にするつもりだった。

しかし、先ほどの保安職員とのやり取りが、想像以上に精神を摩耗させたらしい。

かつての『私』が散々経験したこととはいえ、慣れるものではない。

「……今日は、自炊はやめておきましょう」

惣菜も考えたが、結局、私はスーパーに向かわなかった。

大通りを外れ、飲食店の並ぶ路地も通り過ぎる。

何度か訪れたことのある大衆食堂ではなく、馴染みのない、初見の店にしたかった。

今日はそういう気分だったのだ。

どこがいいだろうか。

そんなことを考えながら店を探すが、どこもピンとこなかった。

そうこうするうちに、住宅街に入ってきてしまった。

さすがにこの先には店はないだろう。

戻って探すしかない、と思った時だった。

普通の民家のようにも見える、小さな定食屋が目に留まった。

『ごはん処 ふたば』

今から戻って探す体力も気力もない。

「……ここにしましょうか」

いわば消極的な選択だが、私はドアを開け、中へ入った。

10人も入らない、小さな店だった。

「いらっしゃいませ」

厨房とフロア、それぞれから声がかかる。

営んでいるのは、二十代とおぼしき二人の若い女性だった。

顔立ちが似ている。

姉妹だろうか。

案内されたカウンター席に腰を下ろす。

香ばしいお茶とともに差し出されたメニュー表を見て、私は少しだけ目を細めた。

手織りの布で装丁された、B5サイズの小さなバインダー。

そこに並んでいたのは、丸みのある丁寧な手書きの文字と、色鉛筆で描かれた素朴な料理のイラストだった。

左側のページには、定食が三つ。

『お父さんのレシピのデミハンバーグ定食』

『お母さんの甘い卵焼きと、具だくさん豚汁定食』

『鶏と彩り野菜のまろやか黒酢あん定食』

そして右側のページには、白い短冊がクリップで留められていた。

『【週替わり】小さなお庭のきまぐれ魚定食』

短冊には、今日の魚は鯖の梅生姜煮だと書かれている。

さらにその下には、食後の甘味と飲み物が並んでいた。

『妹の焼いたシフォンケーキ』

『自家製梅シロップのソーダ割り』

見開き二ページにまとめられた、ごくシンプルな構成だ。

私は厨房の中で立ち働く彼女たちの姿と、店内の造りを観察した。

住宅街の中にあること、そして家庭的な雰囲気が残っている感じからして、一般の住宅——もしかしたら、彼女たちの実家をリノベーションしたのかもしれない。

家族のレシピに、自家製梅シロップ。

小さなお庭というのは、窓の向こうに見える庭にちなんでいるらしい。

魚の味付けに使う梅干しや山椒、大葉などは、その庭で今も育っている木や家庭菜園から毎朝二人で収穫したものなのだとか。

そして、メニュー表の下部に書き添えられた一文だ。

『探索者の方、お申し出ください。探索者向け特別メニューへの変更および割引があります』

彼女たちの家族——父親か母親、あるいはその両方が探索者であるのかもしれない。

もちろん、それはただの推測でしかないが、メニューの端々から感じられる人のぬくもりみたいなものが、今の私には心地よかった。

この時点で、この店にしてよかったと感じていたが、食べてみないことには最終的な判断は下せない。

味の傾向は、間違いなく家庭的なものだろう。

では、量はどうだろうか。

周りの客の食べている料理を盗み見し、厨房から聞こえる音と匂いに意識を向けたところで、私は口元を微かに緩ませた。

初めての店で、限られた情報から確実な選択を導き出そうとするこの作業。

変容したダンジョンで、未知の要素を一つずつ慎重に確かめながら進む過程に似ている気がしたのだ。

「すみません」

私が声をかければ、フロアの女性がやってきた。

「はい、何にしますか?」

「『お父さんのレシピのデミハンバーグ定食』を」

「ご注文は以上ですか?」

「……そうですね」

私はメニューに視線を落とし、しばし考えた。

「シフォンケーキをいただけますか」

「今日のはとっても自信作なんです!」

なるほど、彼女が妹さんらしい。

そんなことを思っていると厨房から、

「『今日のは』じゃないでしょ! そんなふうに言ったら、いつもはおいしくないみたいじゃない!」

「あ、違くて! いつもおいしいんだけど、今日のは特別によくできた感じがしたから……!」

そんな二人のやり取りに、他の客が笑い声を上げる。

常連客なのだろう。

「いつもおいしいよ」

の声に、妹さんが、

「ナイスフォロー、佐伯さん!」

とサムズアップをして、さらに客の笑いを誘っていた。

「じゃあ、デミハンバーグと、シフォンケーキですね!」

彼女の言葉に頷き、

「ああ、それと、探索者の割引をお願いできますか」

ライセンスカードを提示すれば、彼女は笑顔になって、

「もちろんです! ご飯、多めにしておきますから!」

「……ありがとうございます」

大盛りを頼んだわけではないが、その気遣いが清々しかった。

ほうじ茶の入った湯呑みを手に取り、一口飲む。

明日のダンジョン。

同じ手順を繰り返すことで、ダンジョンがどう反応を返してくるのか。

一つずつ確かめ、新しいやり方を構築していく。

厨房から漂ってくるハンバーグが焼ける香ばしい匂いに、私は明日の検証への意識を研ぎ澄ませた。

しばらくして、湯気を立てる皿が私の前に置かれた。

ご飯は妹さんが言っていたとおりに多めで、つまり大盛りだった。

肉の焼けた香ばしい匂いと、デミグラスソースの香りが鼻をくすぐる。

ナイフとフォークではなく、添えられた箸を取り、ハンバーグを割った。

肉汁が溢れ出す。

期待に胸を膨らませながら、口へと運んだ。

「……美味い」

私のその一言に、厨房のお姉さんも、フロアの妹さんも、常連の客たちも、満面の笑みを浮かべた。

今日の仮説と検証は、どうやら正解——いや、大正解だったようだ。