作品タイトル不明
52 線路
52 線路
アレクサンダーは、書類を机に放り出すと、深く椅子にもたれた。
窓の外では、夕暮れの王都が赤く染まり始めている。
「結婚したな」
ぽつりと呟く。ルークとマーガレット。あの二人が正式に夫婦になった。
不思議なものだと思う。
ルークの奴、かつてわたしが婚約したことを鼻で笑ったくせに。
それが今では、堂々とマーガレットを連れ去った。しかも、こちらが文句を言いづらい形で。
「ルーク以上の伴侶はいない」
それは認める。あれほど頭が回り、行動力があり、なおかつマーガレットをあそこまで大切にする男など、そうはいない。
信頼もしている。命も預けられる。だが――。
「だからといって、許すかどうかは別問題だ」
低く呟くと、向かいで書類を整理していたミネルバが、くすりと笑った。
「お義姉様もお義兄様も、ちょっとだけ恨んでいらっしゃるわよ。きっかけを作ったあなたを」
「え? 俺をか?」
「ふっふっふ」
「八つ当たりだろ、それは!」
「大事に育てた娘が、あんな遠い場所へ行ってしまったんですもの」
「……」
「最高の相手だとわかってらっしゃるわ。マーガレットが幸せなこともね」
「なんとか、しないとな」
「そのうち帰ってくるわよ」
ミネルバが妙に心得顔で言う。「分かっている」とわたしは短く返した。
分かっているが、それとこれとは別問題なのだ。
そんなある日だった。
「汽車……?」
報告書を読んだ瞬間、わたしは顔を上げた。
「本当に走ったのか?」
技術者は緊張した様子でうなずく。
「はい。すでに試験走行も成功しております」
蒸気機関。鉄の路。大量輸送。そして、圧倒的な移動速度。
読み進めるほど、頭の中で損得の計算が走る。
その横で、ルークからの手紙を読んだ。なるほど。
「飛びついたな、あいつ」
思わず笑みが漏れる。書いてあることは立派だ。
二国間の交流促進、物流革命、文化交流、経済発展。雇用創出、新時代の幕開け。
実に素晴らしい。だが、本音は透けて見える。
「マーガレットが実家に帰りやすくしたいだけだろう」
わたしが断じると、ミネルバが吹き出した。
「否定できないわね」
「むしろ、それが八割だ。あとの二割が国益……いや、逆かもしれんがな」
わたしはゆっくりと立ち上がり、窓際へ歩み寄った。庭のバラが見事だ。
「これは、いい機会だ」
頭の中で、王都の地図が組み上がる。
駅ができれば、人が集まる。
人が集まれば、店が軒を連ね、宿や倉庫が建ち並ぶ。
物流のあり方が変わり、土地の価値が跳ね上がる。
「駅は王都の中心に近すぎない方がいいな」
「どうして? 近い方が便利ではないかしら」
「外れであれば、ゼロから開発の余地があるからだ。広く、自由に、計画的に。別荘地との道も整備した方がいい。馬車だけの時代とは、流れの速さが変わる」
帝国から人が来る。物が来る。情報が来る。文化が流れ込む。
「帝国の菓子も、酒も、楽器も、流行も、すべてが加速するぞ」
わたしが言うと、ミネルバが少し楽しそうに目を細めた。
「また忙しくなるわね」
「ああ」
忙しくなる。それが面白い。
そうだ、あの三人に声をかけるか。留学組の若者たち。
帝国側ともこちら側とも繋がりがある。新時代を回すには、ああいう連中が必要だ。
「二国間に人脈がある若手は貴重だ」
「いい子たちよね。この間、結婚式にも呼んでくれたし」
「育てる価値があった。ルークも、間違いなく本気だろう。あいつは、一度面白いと思ったら止まらない」
わたしはぼそりと呟いた。
「わたしとあいつが組むと、大抵うまくいく」
ミネルバが小さく笑う。
「自信満々ね」
「実績だ」
実際、ここまでいろいろやってきた。
音楽事業、観光、留学制度。
人を流し、金を流し、文化を流す。そのたびに、周囲の景色が変わっていった。
そして今度は、鉄道だ。
わたしは窓の外を見ながら、口元を上げた。
「楽しみだな」
王都が変わる。国が変わる。人の動線が変わる。
そして何より、今まで遠かった帝国が、ぐっと近くなる。
まあ。
それを一番喜ぶのは、間違いなくルーク本人だろうが。