作品タイトル不明
白水宮
白水宮に着いて、まず感じたのは、雰囲気が静かなこと。
人が少ないせいだろうか。でも、立ち働く使用人の数は、私たちが逗留している離宮と同じくらいのように見える。
「静かね」
そうつぶやくと、ロイドが答えをくれた。
「多分、主がいないせいでしょう。他の屋敷で、同じようなことを感じたことがございます」
「ああ、そうなのね」
納得した。今は白水宮の整理の途中だと聞いている。
一か月後には、マーカス前王が亡くなって半年になる。そのタイミングでこの宮殿は明け渡されるそうだ。
人が住まなくなると、屋敷は途端によそよそしく荒れて見えるようになるが、これもそういった変化の一つなのだろうか。
新しい主を迎えるまで、屋敷も眠って過ごすのかもしれない。
出迎えに来た執事は、先頭を歩く兄の前を静かに先導している。
廊下のある場所に立ち止まり、「こちらがマーカス様でございます」と壁にかかった肖像画を示した。
ああ、やはり。
赤茶色の髪と茶色の目をした、あの男性が私を見下ろしている。
四十歳くらいの時に書かれたものらしく、息子の王とよく似ている。そして孫の王太子とも似ている。
若いころの様子を夢の中で見ているせいか、懐かしい気分が湧き上がり戸惑う。
心の中で、『お久しぶりですね』と声をかけ、それからあることを思いついた。
もしできたら、マーカス王の形見をもらえないだろうか。それを祖母に持って帰ってあげたい、そう思った。
通された場所は、大きな東屋で、どこか見慣れた雰囲気がある。
そこには初老の男性が待っていて、私たちを出迎えてくれた。
「初めまして、私はニコラス・グレインと申します。マーカス様の秘書官として仕え、ご引退後は従者として、共にこちらで過ごしてまいりました」
そう自己紹介をする。
この男が、キャロルの上司なのだろう。六十歳前後の落ち着いた感じの男性だ。グレイの髪と濃いグレイの瞳に知性が滲む。
どことなくマーカス前王と似通ったものを感じさせるのは、長年一緒に働いてきたせいだろうか。
王の書記官なら貴族で、宮廷内の地位も高かったはず。そして今はどういう立場なのだろう。
リース国のように、王が崩御されて王位が移るのではなく、生前譲位なので、ニコラスの地位が私には測り難い。
でも、彼の態度からすると、私たちより下の立場で接しようとしているようだ。
にこやかに挨拶をかわした際、一瞬ぴたりと視線が合ったが、彼の方からすっとそれを外した。
密偵だとあたりを付けているせいか、そこに鋭い観察眼を感じてしまう。
テーブルの上座に私と兄が座り、お茶の支度が整うと、ニコラスは給仕に当たっていた使用人たち全員を下がらせた。
それからすぐに本題を切り出す。
「今日はお越しいただきありがとうございます。キャロルを通して連絡させていただいたように、マーカス様からの手紙を預かっております。まずはこれをお読みいただきたい」
そう言って、ニコラスは一通の手紙とぺーパーナイフを私に差し出した。
私はその封を切り、手紙を取り出した。一枚きりの簡単な手紙は、すぐに読み終えることができたが、その内容は簡単には飲み込めなかった。
「兄にも見せていいでしょうか」
そう聞くとニコラスが許可したので、手紙を兄に回した。
兄はそれを読んで、「ふむ」と言ったきりで手紙を私に戻して来た。
「そこに書かれているように、マーカス様は、マリア・クルス嬢に私有財産の一部遺贈を指示されております。その手続きは、ほぼ終わっています。こちらの宮殿を引き渡した後、クルス家を訪問する予定でおりました。今回、クルス家の方々が招待されることになり、予定を早めることになりました」
私は何と答えたらいいのかわからなかった。
遺贈される私有地の資産価値が、どのくらいの物かも知らない。それに領地の経営など、考えたこともなかった。
それ以上に、なぜ私宛なのか。
だから、その戸惑いをそのまま口にした。
「クルス家に贈るのではなく、私にというのはなぜでしょう」
「マーカス様は、クルス伯爵家のことを調べました。そしてマリア嬢にエリス様の面影を感じとられたようです。多分、王太后様も同じように考え、マリア嬢に攻撃を仕掛けるだろうと、懸念されたようです」
そこで間をおいて、少しためらうように続けた。
「こちらにいらっしゃってからの様子からしますと、杞憂だったのかもしれません。ただ、調査から上がってきた内容を見るに、マリア嬢を取り巻く環境は、あまり安心できるものではありませんでした」
兄が身じろぎしたので、私は兄の方を向いた。
「そうですね。当時妹は、家の中で気配を消すように過ごしていました。そして婚約者は暗殺を企てていた。全くとんでもない環境です。その元凶は私だったのです」
兄が自嘲気味に言う。
もういいのに、とこの時、思った。
だから……
「私は劣悪な環境のまま一度目の人生を過ごし、今から1か月ほど後に死んだのです。それからまたマーカス王が亡くなった時期に戻り、今の人生をやり直しています。結果はごらんの通りで、ずっと幸せになっています」
一息にそう言って笑って見せた。
ニコラスは、非常に驚いた表情になったが、それから何か考え込んだ。
「もう一通の手紙も読んでいただいてから、話し合った方がよさそうです」
ニコラスは、もう一通手紙を差し出す。
私がそれを読んでいる間に、兄がニコラスに了解を取り、一通目の手紙をロイドたちに回した。
思いもかけない話が並んでいたが、一番引っかかったのは、「死んだ人間を生き返らせることはできない」の部分だった。
「私は死んでから、戻ってきたのですけど、どういうことでしょう」
ニコラスは、少し首を傾げた。
「死んだ人間を生き返らせることはできないはずです。どのような状況だったのでしょう」
「毒殺です。苦しまずに死ねる薬を飲まされました。手にしていた扇子が手からこぼれ落ちるさまを見ましたから、その瞬間に死んだのではないかしら」
「えっ、自分の姿を見たのですか? どうやって」
ああ、そうか。普通はありえないことだろう。
「多分石の力だと思いますが、結婚式を放り出して以降、一度目の自分や、今生のいくつかの場面を夢で見たのです。その夢の一つで、私が死ぬ場面を見ました。ちょうど劇を見るような具合です。自分を含めて登場する人々を離れて見ているのです」
「……お前、死んでいなかったのでは?」
兄が考えながら言う。
「えっ」と兄の方に振り向き、口元を抑えた。
そういえば、自分では自分の最後はわからないかもしれない、と考えたことがある。
「でも、夢では扇子が手からこぼれ落ちて......その前にお医者様が、『最後の言葉を』と言っていたわ。だから……」
「それは石に願い事をした後ですか?」
ニコラスに聞かれて、その時のことを詳しく思い出していく。
「ええ、そう。石に触れて強く願ったのです。戻れるものならば、と。もしかして間に合ったのかしら? 死ぬ直前に私は時を戻れたの?」
ベルが私にぶつかるように駆け寄り、手を握った。
「お嬢様、良かった。死んでいなくてよかった」
そう言って泣いている。それを見たら私も泣き出してしまった。強い安堵感が、心の内に広がる。
やはり一度死んだという事実は、ストレスだったのだ。そしてそれを聞いた者たちも、同じようにストレスを抱えたはず。申し訳なくなってしまう。
ロイドがベルの肩を叩き、ハンカチを渡した。
「真に、ようございました」と言い、私に微笑みかける。
兄は無言だけど、目頭が赤い。
「では、その際に石の継承が行われたと考えていいでしょう。やはりあなたはその時から石の主です」
ベルから渡されたハンカチで涙を拭きながら、私はその言葉がずっしりと肩の上に乗るのを感じていた。