作品タイトル不明
第44話 秘密基地
翌朝。
私は、緑色のコートハーディに着替えていた。
昨日、バルコニーに来ていたつがいの緑の小鳥を思い出して、この色を選んだ。
今朝、あの小鳥たちは来ていなかった。
少し寂しい。
でも、鳥だ。
どこかへ飛んで行ったのだろう。
ひょっとして、まだ愛の巣にいるのかもしれない。
そう思うと、少しだけ笑ってしまった。
レオンハルト様は、朝食が終わると先に行ってしまった。
私は湯浴みをして、髪を整え、服を着るだけでも時間がかかる。
町娘の姿で行けるのなら早い。
けれど、今の私は王妃だ。
威厳を保たなければ、すぐに隙をつかれる。
コートハーディは、簡単に着られる。
そのうえ、王妃としての形も保てる。
コルセットもない。
楽だ。
普通の王妃は、あまり着ないのかもしれない。
けれど私は、少しでも早く秘密基地に行きたいのだ。
レオンハルト様が、この国を変えるために人を集めている場所。
私は、勝手に秘密基地と名付けた。
なんだか、わくわくする。
支度が終わると、私は侍女に告げた。
「陛下のところへ行きます」
侍女はすぐに案内してくれた。
陛下の執務室は、同じ三階にある。
けれど、今日向かう場所はそこではない。
秘密基地は地下にあると聞いていた。
王妃となる前は、宮殿の中を自由に歩くことはできなかった。
だから、目に映るものすべてが新鮮だった。
もっと見たい。
柱の彫刻も。
壁に飾られた古い絵も。
窓から見える庭も。
けれど私は、堂々と歩いた。
王妃様だ。
結婚式の後で、群衆の前で大声で叫んだらしい。
王都はその話題で持ちきりだ。
宮殿の中でも、噂は飛び交っているようだ。
けれど、私は何事にも動じない顔をして歩いた。
王妃という地位があるのなら、些細なことをいちいち気にする必要はない。
……たぶん。
私は案内に従って、階段を下りていった。
華やかな廊下から、少しずつ人の気配が減っていく。
壁の装飾も少なくなり、石の冷たさが強くなる。
やがて、地下の重い扉の前に着いた。
そこには衛兵が立っていた。
その中に、一人だけ、熊のように大きな男が混じっている。
思わず、ガイを思い出した。
けれど、暗くて顔がよく見えない。
その人は、特に私を見る素振りもなかった。
私は扇を口元に置き、指揮官らしい男に声をかけた。
「陛下に、私が参りましたと伝えてください」
「はっ」
指揮官は深く頭を下げると、鍵を開け、扉の中へ入っていった。
とても厳重だ。
本当に秘密基地だ。
ここで何をしているのだろう。
少しだけ不安になった。
しばらくすると、指揮官が戻ってきた。
「お入りください」
扉が開く。
私は中へ足を踏み入れた。
そこは、広いホールほどの大きさがあった。
思わず声がでそうになった。
地下にこんな広い場所があるとは想像していなかった。
地上から光が入る造りになっているらしく、地下なのに暗くはない。
むしろ、思っていたより明るかった。
そして、熱気があった。
広い空間には、不思議なものが雑然と並んでいる。
大きな地図。
木で作られた模型。
見たことのない道具。
積み上げられた帳簿。
紙束。
歯車。
車輪。
石材の見本。
ガラス片。
陶器。
農具。
百人ほどの人たちが、それぞれの場所で何かを書いたり、作ったり、話し合ったりしていた。
女性の姿もある。
ここは、ただの地下室ではない。
国を作り替えるための作業場だ。
レオンハルト様が、私を見ていた。
私は、その方へ歩いていく。
「早かったな」
「はい。急いできました」
ここでは、過度な儀礼は不要だと言われていた。
それでも、私は王妃としての姿勢だけは崩さないようにした。
この場所にいる者たちは、レオンハルト様が選んだ人たちだ。
けれど、私を初めて見る者も多い。
王妃が頼りないと思われるわけにはいかない。
レオンハルト様は、そんな私を見て、少しだけ笑った。
「では、王妃には何を手伝ってもらうか」
「はい」
私は背筋を伸ばした。
「新しいルーベル王国の憲法と、国心院の仕組みを考えてくれ」
「はあ」
思わず、間の抜けた声が出た。
「それは、一番大事なところではありませんか」
「そうだ」
レオンハルト様は、当然のようにうなずいた。
「だから君に頼んでいる」
「私に、ですか」
「土台を考えている者はいる。だが、制度を作る者は、どうしても制度の中からものを見る」
レオンハルト様は、まっすぐ私を見た。
「君には、その外から見てほしい」
「外から」
「ああ。何を残し、何を除き、何が正しく、何が危ういか。君の目で見てくれ」
私は言葉を失った。
制度の設計。
国の根本。
七人の国心卿が結託できない仕組み。
王が強く見えるような仕組み。
民を守る仕組み。
それは、陛下にとっても一番頭の痛いところだろう。
「王冠は王に、国は民に。あれは、本当に見事だった」
レオンハルト様は静かに言った。
「あの文を見た時、私は思った。王妃は、私の考えの先を行く人だと」
ずるい。
ずるすぎる。
そんなふうに言われたら、断れるはずがない。
「王妃は、常に私の上を行く」
レオンハルト様の声が、少し柔らかくなる。
「引き受けてくれないか」
私は小さく息を吐いた。
「分かりました。頑張ってみます」
「そう言ってくれると、本当に助かる」
期待されている。
その重さに、少しだけ足元が揺れるような気がした。
けれど、嫌ではなかった。
むしろ、この場所を見ていると、胸が高鳴ってくる。
ここには、私の知らないものがたくさんある。
知らない考え。
知らない技術。
知らない人。
私は、それを見たい。
知りたい。
考えたい。
そう思って周囲を見回した時、私を見て笑っているしわくちゃの顔があった。
「ロウェルさん」
思わず言ってしまった。
「そうじゃ。お嬢ちゃん、久しぶりじゃの」
ロウェルさんは、相変わらず楽しそうに笑っていた。
そして、すぐにわざとらしく胸に手を当てる。
「おっと、今は王妃様じゃったな」
「どうして、ここにいるのですか」
「話せば長くなるが、陛下に頼まれたからかのう」
「陛下に?」
「まあ、こちらの方が遺跡より面白くなっただけじゃ」
ロウェルさんは、そう言って紙束を軽く叩いた。
「わしも老い先は短い。もとはこの国の貴族じゃったしのう」
ロウェルさんは、楽しそうに笑った。
「陛下の考えは面白すぎる。王になるというのに、民に国を渡そうとしておる」
「そんな世が本当にできるなら見てみたい。力になりたいと思ったのじゃ」
その言葉に、胸が少し弾んだ。
ロウェルさんらしい。
「では、外にいたのはガイですか」
「そうじゃ。ガイだ」
私が混乱しているのを察したように、レオンハルト様が答えた。
「王妃に、旅で出会った者の中に、信頼でき、知識や技術のありそうな人材がいれば教えてほしいと頼んだことを覚えているかな」
「あ、はい。覚えています」
「私は、各地に人を放っている。情報を得るためと、人材を見つけるためだ。その者たちを使い、何人かを探し出し、私を手伝ってもらっている」
レオンハルト様は少しだけ目を伏せた。
「君には、まだ伝えていなかった」
「いえ。それは構いません。驚いただけです」
驚いた。
本当に驚いた。
けれど、嫌ではない。
ロウェルさんとガイが、ここにいる。
それだけで、この場所が少しだけ近く感じられた。
「ロウェルさんは、何を任されているのですか」
私が尋ねると、レオンハルト様が答えた。
「ロウェルは、とても独特な考えを持っている。私の相談役の一人になってくれている」
「相談役」
「ロウェルの考え方には、いつも驚かされる」
ロウェルさんは、ひげをなでながら笑った。
「陛下は、人をおだてるのが上手いからのう。わしなど、何の役にも立たんわ」
「それを本気で言っているなら、ここには呼んでいない」
レオンハルト様は、さらりと言った。
ロウェルさんは、嬉しそうだった。
そういえば、まだ殿下だった頃、レオンハルト様は言っていた。
人を動かすには、信頼し、任せ、褒めることが大事だと。
人は相手の悪いところを見つけると、怒りに任せて直そうとする。
けれど、それでは人は育たない。
褒めることと、甘やかすことは違う。
できなかったことができるようになれば褒める。
できなかったことを、できないままにしておくのが甘やかす。
レオンハルト様は、人を使うのが上手いと思った。
ただ命じるのではない。
人が、自分の力を使いたくなる場所を作るのだ。
「ガイとは、話せますか」
私は思わず尋ねた。
レオンハルト様は少しだけ考えた。
その沈黙で、私も気づく。
そうか。
私と知り合いだと知られると、ガイの立場では目立ちすぎる。
彼は王妃の旅の知り合いだ。
それだけで、余計な目を向けられるかもしれない。
「そうだな」
レオンハルト様は少し考えてから言った。
「今日の夕食に、こっそりロウェルとガイを呼ぼう」
「良いのですか」
「君が喜ぶなら、私は何でも与えよう」
ずるい。
ずるすぎる。
そんなことを言われると、また顔が熱くなる。
ロウェルさんが横でにやにやしている。
私は見なかったことにした。
その後、レオンハルト様は、この場所で何をしているのかを案内してくれた。
そこでは、グランヴェル国で見た人輪車や自鳴箱、本の印刷について調べている者たちがいた。
ただ真似をするだけではない。
どこに問題があるのか。
ルーベル王国で使うなら、何を変えるべきなのか。
それを話し合い、よりよいものに改良しようとしている。
別の区画では、鍛冶職人たちがいた。
安定して鋼を作るための配合や、熱の入れ方を試しているらしい。
壁際には、ガラスや陶器の見本が並んでいた。
少し離れた場所では、農機具の改良について話している者たちがいる。
品種改良。
水路。
倉庫。
街道。
港。
そして、国の仕組みを変えるための公文書の草案。
ここでは、国を豊かにするための知恵が、分野ごとに集められていた。
最も驚いたのは、ここで働いている人たちの多くが貴族ではなかったことだ。
それどころか、ルーベル王国の人ではない者もかなりいるらしい。
「他国の人もいるのですか」
「ああ」
レオンハルト様はうなずいた。
「この国に足りないものを、この国の中だけで補おうとすれば時間がかかる」
「だから、外からも」
「使える知恵は使う。出自にこだわって国を痩せさせるつもりはない」
厄介で、怖い人だ。
けれど、こういうところが、頼もしい。
レオンハルト様が各地に人を放っていたのは、情報を取るためだけではない。
人材を見つけるためでもあったのだ。
この人は、ずっと前から準備していた。
第三王子として厄介者のように振る舞いながら。
すでに、この国を変えるための種をまいていた。
いろいろと見ていると、奥の扉が開いた。
箱に入れた食べ物を運んできている。
「外から運んでいるのですか」
私が尋ねると、レオンハルト様がうなずいた。
「ここにいる者たちは、王宮で暮らしているわけではない。王宮と町をつなぐ地下通路を作り、近くの集合住宅で暮らしている」
「地下通路まで」
「表から出入りさせれば目立つ。ならば、目立たない道を作ればいい」
「本当に秘密基地ですね」
「秘密基地か、王妃はおもしろい。危険な事を、楽しめる軽い言葉に変えてしまう」
「これからは、秘密基地と呼ぼう」
レオンハルト様は少し笑った。
「もう昼のようだ。ここで食事しよう。大したものはないがな」
「はい、大丈夫です。町娘ですから」
「そうだったな」
また、二人で見つめ合って笑った。
この場所から、国が変わる。
本当に、秘密基地だった。