作品タイトル不明
第43話 新しい国の形
私たちは、互いのことを話し合っていた。
好きな本のこと。
旅のこと。
子どもの頃のこと。
苦手な食べ物のこと。
レオンハルト様は、思っていたより自分のことを話すのが下手だった。
国の話なら、いくらでも言葉が出てくる人なのに、自分のことになると少しだけ言葉が詰まる。
それが、少し可笑しかった。
テラスで午後のお茶を飲みながら、私たちはセレナ川の流れを眺めていた。
レオンハルト様も、同じように川を見ている。
穏やかな時間だった。
せっかく作ってくれた時間なのに、私はどうしても確認せずにはいられないことがあった。
私は、レオンハルト様からもらった手紙と資料で、今の状況をある程度は理解していた。
けれど、紙で読むのと、本人の口から聞くのとでは違う。
この穏やかな時間に甘えていたい気持ちはあった。
けれど、私は王妃になった。
昨日の演説は、ただの婚礼の言葉ではなかった。
この国を根底から変える始まりだった。
「陛下」
「何かな」
「王政も変えるというお考えは、本当ですか」
レオンハルト様の表情が、少しだけ驚いたものに変わった。
私のために、穏やかな時間を作ってくれた。
それは分かっている。
でも、私は聞かずにはいられなかった。
レオンハルト様は、少し悩んだ後に答えた。
「本当だ」
やはり。
私は手を止めた。
「ただし、それはまだ先の話だ」
レオンハルト様は静かに続けた。
「今は、貴族達の力が大きい。兵も領地も王の私が持つ何倍もある」
「まずは、私が全ての力を持つ必要がある」
「だが、その絶対的な力は長く置いておくべきものではない」
「なぜですか」
「崩れやすいからだ」
レオンハルト様はセレナ川を見つめていた。
この国の行く末と、あの川の流れを重ねているのだろうか。
「絶対権力が一人に集まれば、善政を行う王の時代はよい」
「だが、悪政を行う王が立てば、国は一気に傾く」
私は黙って聞いた。
「この国も、もともとは戦乱の中から生まれた国だ」
レオンハルト様は茶器を置き、私の方を見た。
「この大陸では、何度も国が作られ、何度も壊れた」
「今のルーベル王国になってから、まだ百年も経っていない」
「国が乱れた時、私の祖先が貴族の仲間を集め、前の王国を倒し、ルーベル王国が誕生した」
「そのときに、功績があった者に、称号と領地を与えた。それが今の貴族だ」
「今も、王と貴族で常に綱引きをしている。自分達の力を守るために」
「どこの国も、同じことを繰り返している」
何度も国が作られ、何度も壊れる。
王が立ち、王が倒れ、貴族が争い、民が巻き込まれる。
それが、この大陸の歴史なのだろう。
「陛下は、良い王になると思います」
私はそう言った。
「それでも、王の力を無くすのですか」
レオンハルト様は、少しだけ私を見た。
その目は、優しかった。
けれど、答えは甘くなかった。
「人の心は、すぐに動く」
「……」
「私は今、国を思って動いている。だが、大切なものを失った途端、悪政を行う王になるかもしれない」
「そんなことは」
「例えば、私が君を失えば、私は容易く暴君になる」
「そんなことを、自信ありげに言わないでください」
思わず言ってしまった。
レオンハルト様は、私の反応を見て、少し楽しそうに笑った。
「例えだ」
「例えでも嫌です」
「それほど、一人の心とは弱いのだ」
その言葉は、妙に重かった。
レオンハルト様は、自分を信じていないわけではない。
けれど、自分だけに国の未来を預ける危うさを、誰よりも分かっている。
「では、どのように変えるのですか」
私が尋ねると、レオンハルト様は少し考えた。
それから、ゆっくり話し始める。
「王は、国の大きな道を宣言する者となる」
「宣言する者、ですか」
「名誉を与え、名誉を剥奪し、国の行く先を示す。時には、痛みを伴う改革も宣言する」
王冠は王に。
国は民に。
昨日の言葉が、また胸の中で響いた。
「王は民から見れば国の中心と見える」
レオンハルト様は続けた。
「国心院という新たな機関を作る」
国心院。
その名は、資料で見ていた。
古い貴族社会を揺らす話だ。
血筋と家名で守られてきた者たちを、敵に回す話だ。
そして、その隣に立つ私も、同じ危険を背負うという話だった。
「国の政策は、そこで合議して決める」
「多くの人で決めるのですか」
「多すぎれば、迅速な判断はできなくなる。だから、中心となる者は七人だ」
「七人」
「七人の国心卿たちの合意で、国の大きな政策を決める。国心院には、その七人を補佐する者たちも多く置く」
私は頭の中で整理した。
国心院が政策を決める。
王はその政策を、国に、民に、宣言する役目を担う。
七人の国心卿が、その中心となる。
王の力を変え、貴族たちの力を削り、国そのものを作り替えるための仕組みだ。
「けれど、その国心院に欲深い者が集まれば、また乱れるのではありませんか」
「その通りだ」
レオンハルト様はうなずいた。
「だから、国心院だけを作っても意味がない」
「では、どうするのですか」
「ルーベル王国・国心学院を作る」
「学院」
「国に尽くす心と、国を動かす知識を学ぶための学院だ。合格した者は、身分に関わらず無料で学べるようにする」
私は息をのんだ。
身分に関わらず。
無料で学べる。
それは、貴族社会から見れば、かなり危険な考えだ。
「平民もですか」
「もちろんだ」
レオンハルト様は当然のように言った。
「商人の子も、職人の子も、農民の子も、女でも男でも、試験に通れば学べる」
「貴族たちは反発しますね」
「するだろうな」
「それでも、やるのですね」
「やらなければ、この国は変わらない」
その言葉に、私は胸の奥が熱くなった。
貴族社会では、生まれがすべてだった。
家名。
血筋。
婚姻。
体面。
それらに女の人生も、男の人生も、当然のように縛られていた。
けれど、レオンハルト様が作ろうとしている学院では、身分ではなく、学ぶ力と国を思う心で選ばれる。
女でも男でも。
貴族でも平民でも。
それがどれほど大きなことか、私には分かった。
「大枠は、そのような仕組みだ。国の在り方を根底から変える話だから、すべてを語れば一日では終わらない」
「また、資料で確認します」
私はうなずいた。
「でも、陛下の言葉として聞きたかったのです」
レオンハルト様は、少しだけ嬉しそうにした。
「本当に王妃には驚かされる」
「そうでしょうか」
「飾りの王妃では、満足しないのだな」
「はい」
私は、まっすぐに答えた。
「私は、陛下と共に戦うためにここにいます」
レオンハルト様は、私を見つめた。
「王妃は、いつも私の考えの先を行く」
私たちは、しばらく見つめ合った。
そして、少しだけ笑った。
すると、レオンハルト様は資料に書かれていないことも話してくれた。
「どこかの国には、国の代表を多くの人々の手で選ぶ制度があるという」
「多くの人々の手で」
「一見すれば、平等だ」
レオンハルト様は、そう言ってから少し目を伏せた。
「だが、私はそれを良い制度だとは思っていない」
「なぜですか」
「人は、自分の利害から自由にはなれない」
レオンハルト様の声は静かだった。
「誰もが痛みを避ける。誰もが自分の損を嫌う。誰もが、明日のためより今日の不満を選ぶ」
私は何も言えなかった。
それは、民を愚かだと言っているのではない。
人というものの弱さを言っているのだと分かった。
「その制度では、痛みを伴う改革が難しい」
「痛みを伴う改革」
「人の体が腐れば、腐った部分を取り除くしかない」
私は眉を寄せた。
「少し怖い例えです」
「国も同じだ」
レオンハルト様は続けた。
「だが、その制度では、腐った部分にまで許しを請わなければならない」
言葉は厳しい。
けれど、目は冷たくなかった。
「暴君が国を壊すことは、防げるかもしれない。しかし、それだけだ」
「それだけ、ですか」
「国を救うために必要な痛みを選ぶ力は、その制度では弱い」
レオンハルト様は私を見た。
「だから、国心卿は人気で選ばない。民の歓声でも選ばない。血筋でも選ばない」
「何で選ぶのですか」
「その者が、本当に国を思えるか」
私は息を止めた。
「痛みを恐れず、恨まれる覚悟を持てるか」
レオンハルト様の声が、少し低くなる。
「そのような人材を育成するために、国心学院を作る」
私は、目の前にいる人を見た。
昨日、民の前で王冠を戴いていた人。
私を愛していると大勢の前で誓った人。
そして今、セレナ川を背にして、国が長く続く仕組みを語っている人。
「この仕組みが作れれば、ルーベル王国はどこの国よりも長い繁栄を築けると、私は考えている」
レオンハルト様は雄弁に語った。
自分が権力者になるために国を変えるのではない。
本当に、ルーベル王国を愛しているのだ。
そして、どんな愚かな王が生まれても、ルーベル王国を失わない方法を模索している。
私に、できるのだろうか。
そう思った。
王妃として、レオンハルト様の隣に立つ。
その意味を、私はまだ甘く見ていたのかもしれない。
これは、愛されるだけの場所ではない。
飾られるだけの場所でもない。
危険を知り、敵を知り、それでも前に立つ場所だ。
けれど私は、民の前で宣言した。
陛下の力が民を傷つけるものではなく、民の明日を守るものとなるよう、隣に立つと。
ルーベル王国を、力だけではなく、愛によって豊かな国にすると。
誰かに言わされたわけではない。
私の意志で、そう言ったのだ。
神の前でも。
国の前でも。
民の前でも。
ならば、もう逃げられない。
怖くても。
不安でも。
覚悟を決めて、やるしかないのだ。
私は、まだ陛下の口から聞きたいことがあった。
この時間は嫌ではなかった。
むしろ、もっと聞きたかった。
「第一王子と第二王子は、それぞれの所領に移されているのですか」
レオンハルト様は、少しだけ表情を変えた。
けれど、すぐに答えてくれた。
「宮殿に置いていれば、何かと火種になる。今は王都から離れた領地で暮らしている」
「それぞれの後ろ盾の貴族たちは納得したのですか」
「今は、納得しているふりをしている」
やはり。
「自分たちの権利が脅かされなければ、当面は平穏だ」
「では、完全に安心できるわけではないのですね」
「当然だ」
レオンハルト様は、当たり前のように言った。
「ただ、私の父である先王がまだ生きている。だから貴族たちも抑えられている」
「ご病気は」
「医者からは長くないと言われた。だが、今のところは意識もしっかりしている」
レオンハルト様の声が、少しだけ低くなった。
「ただ、体は痩せ、見る影もない」
私は何と返せばよいのか迷った。
「私の父は、プライドが高い。自分の弱った姿を、人に見られることを嫌う」
「私も、ご挨拶した方がよろしいのでは」
「会わせたかった。だが、不要だと言われた」
「不要……ですか」
レオンハルト様は小さく笑った。
けれど、その笑みは少し寂しそうだった。
「王はお前だ。お前の改革は時間との勝負だ。私に会いに来る暇があれば、己の職務を全うしろ」
私は黙った。
厳しい言葉だ。
けれど、王として息子を見ている言葉でもあった。
「本当に頑固だ。困っている」
レオンハルト様はそう言いながらも、少しだけ穏やかな顔をした。
「まあ、私の母が面倒を見ている。何かあれば伝えてくれる」
「陛下のお母様が」
「ああ」
レオンハルト様はうなずいた。
「父は、私の母を愛していた」
私は少しだけ驚いた。
側室であった女性。
レオンハルト様の母。
「だが、側室である母は、寵愛を受けすぎると私に危険が及ぶと考え、父を遠ざけていた」
「陛下を守るために、ですか」
「そうだ」
レオンハルト様の声が柔らかくなった。
「今は、遠慮なく父の世話ができると喜んでいる」
胸の奥が少し温かくなる。
権力と婚姻と側室。
その言葉だけを聞けば冷たい。
けれど、その中にも、人の情はあるのだ。
「王妃も、どこかで二人に会える機会は作るつもりだ」
「はい」
私はうなずいた。
「お会いしたいです」
「母は喜ぶだろう」
レオンハルト様はそう言った。
そのあと、私はもう一つ気になっていたことを聞いた。
「先王の正妃様は?」
レオンハルト様の表情が、少しだけ冷えた。
「父が存命なので、宮殿にはいる。だが、父の世話はしない」
「そうなのですか」
「別の意味でプライドの高い人だ。今は離れで不自由なく暮らしている」
不自由なく。
けれど、自由ではない。
きっとそういう意味なのだろう。
「何か事を起こすとすれば、あの人だ」
レオンハルト様は静かに言った。
「王宮にいる方が、監視の目は届きやすい」
「陛下が王になったことを、恨んでいるのですね」
「一番恨んでいる人だろうな」
「それでも、自由にさせているのですか」
レオンハルト様は、少しだけ口元を緩めた。
「問題を起こしてくれた方が、私には都合がよい」
まただ。
この人は、危険すら計画に入れている。
「本当に、厄介な人です」
思わず言うと、レオンハルト様が楽しそうに笑った。
「褒め言葉として受け取ろう」
「褒めていません」
「君に言われると、褒められている気がする」
私はため息をついた。
本当に、厄介な人だ。
けれど、その厄介さが頼もしく思える。
それが、嬉しい。
話しているうちに、窓の外の光が少し傾いていた。
思ったより長く話していたらしい。
「この話は、今日はやめよう。言葉だけでは分かりにくいだろう」
「はい?」
「王妃が私と共に戦うのであれば、明日、連れて行きたい場所がある」
レオンハルト様は、セレナ川から私へ視線を戻した。
「この国を変えるために、人を集めている場所だ」
胸が高鳴った。
人を集めている場所。
レオンハルト様が、この国を変えるために作っている場所。
「見てもよろしいのですか」
「君には見てほしい」
その言葉に、胸の奥が熱くなる。
「分かりました。見せてください」
そう答えると、レオンハルト様はいつものように笑った。
まるで、最初からそう答えると分かっていたように。
今日、私はレオンハルト様の考えている国の形を聞いた。
王政を強めること。
そして、いつか王一人に国を任せない仕組みに変えること。
国心院。
国心学院。
王宮に残る火種。
どれも大きくて、危うくて、簡単に受け止められるものではなかった。
けれど、不思議と怖いだけではなかった。
レオンハルト様が隣にいたからだ。
今日は一日、レオンハルト様と話した。
私たちのこと。
国のこと。
これからのこと。
王でもなく。
陛下でもなく。
今日だけは、レオンハルト様をひとり占めにできた。
私の夫として、そばにいてくれた。
そう思うだけで、胸の奥が温かくなる。
明日は、レオンハルト様の見ている国を作る場所へ行く。
けれど今だけは、この穏やかな時間に甘えていたかった。
私の心は、幸せで満ちていた。