作品タイトル不明
第38話 いつか仕返してやる
私は、一人でベランダに立っていた。
私は一週間後に、正式にレオンハルト陛下と結婚式を挙げる。
胸が高まる。
そして、不安な気持ちもある。
私がレオンハルト陛下と結婚するなど、まだ現実とは思えなかった。
夜風が気持ちよい。
昼間の熱が、少しずつ体から抜けていくようだった。
ここは、レオンハルト陛下が用意してくれた部屋だった。
陛下がこの部屋に来ることはない。
まだ私は未婚だ。
王宮で変な噂が立たないように、そこまで考えてくれている。
王都の庶民の町が見渡せる部屋。
貴族街でも、王宮の庭でもなく、町の灯りが見える場所。
眼下では、まだお祭り騒ぎが続いているようだった。
小さな灯りがいくつも揺れている。
酒場の明かり。
広場に集まる人々の明かり。
屋台らしき灯り。
馬車の行き交う灯り。
笑い声までは届かない。
けれど、町全体がまだ眠っていないことは分かった。
今日、私は民の前に立った。
まだ結婚もしていない。
まだ正式な王妃でもない。
それなのに、私はすでに王宮にいる。
本来なら、こんなことはありえない。
普通なら、まず王命が実家に下る。
ラングフォード家に正式な使者が来て、父がそれを受ける。
そのあと、王宮の中で婚礼の日取りを決める部署が動く。
星の巡り。
暦。
先王たちの慣例。
教会の都合。
他国の使節の予定。
そういうものを全部並べて、婚礼の日取りを決める。
他国の要人も招く。
大貴族も招く。
大聖堂を飾り立てる。
王都には特別な警備が敷かれる。
盛大な結婚式にする。
ルーベル王国の威光を見せるために。
国がこれだけ豊かで、これだけ力があり、これだけ格式を守れるのだと、内にも外にも示すために。
王妃となるには、国の時間も、お金も、人手もかかる。
それが、これまでの当たり前だった。
けれど、レオンハルト陛下は、その当たり前を切り捨てようとしている。
私の机の上には、陛下が用意した資料が置かれていた。
私もその目的を理解している。
――国庫が潤っているなら、それは正解だ。
――しかし、面子のためだけに民の金を使う価値はない。
――私は、その資金を別に使う。
本当に、あの人らしい。
格式を軽んじているわけではない。
王家の威光を理解していないわけでもない。
必要なら、どれだけでも利用する人だ。
けれど、必要ないと判断したものは、容赦なく削る。
今回の婚礼もそうだった。
国の主要な貴族と身内だけで大聖堂で式を挙げる。
その後に、民の前で改めて二人でパレードをする。
王族と貴族に見せる婚礼だけではなく、民に見せる婚礼に変える。
それが、陛下の計画だった。
私はベランダの手すりに手を置いた。
夜風が髪を揺らす。
本当に、よく考える人だ。
そして腹が立つほど、正しい。
貴族の婚姻には、嫁荷も必要になる。
花嫁の実家から、山のような嫁荷を出す。
宝石。
家具。
絹。
馬車。
土地の権利。
使用人。
金貨。
それらをどれだけ用意できるかで、家の格が測られる。
見栄を張るために、借金をしてまで嫁荷を作る家もある。
娘を幸せにするためではない。
家の面子を守るためだ。
そうして膨らんだ借金が、いつか不正につながる。
税の横流し。
商人との癒着。
帳簿の改ざん。
賄賂。
最初は、家のためだったのかもしれない。
娘に恥をかかせないためだったのかもしれない。
けれど、理由が何であれ、不正は不正だ。
そして一度手を染めれば、簡単には戻れない。
陛下は、それを断つつもりなのだ。
王家自ら、婚礼の見栄を削る。
王妃の実家に、山のような嫁荷を求めない。
それを前例にする。
王がそうしたのだから、貴族たちも従え。
そう言うために。
普通の令嬢なら、怒ったかもしれない。
一生に一度の婚礼を、なぜ簡素にされるのか。
なぜ自分だけ、華やかな式を奪われるのか。
そう思っても不思議ではない。
でも、私はそういう性格ではなかった。
盛大な式に憧れがないわけではない。
美しいドレス。
花で飾られた大聖堂。
皆から祝福される花嫁。
そういうものに、胸が躍らないと言えば嘘になる。
けれど、それ以上に私は知っている。
家の面子のために、女の人生が使われる息苦しさを。
婚姻が、家と家の取引になる重さを。
だから、陛下のやろうとしていることは分かる。
分かってしまう。
そして、分かるからこそ腹が立つ。
私のような性格の令嬢でなければ、きっと受け入れなかっただろう。
そこまで読んで、私を選んだのだ。
もちろん、私を愛しているのも本当なのだろう。
それは、分かっている。
分かっているから、余計に腹が立つ。
陛下は、この婚礼を改革に使うために、民の間へ噂も流している。
王は、エレノア様を深く愛している。
一日でも早く、そばに置きたいらしい。
側室は持たないそうだ。
生涯、ただ一人の女性を愛するとおっしゃったそうだ。
子ができなければ、養子を迎えるらしい。
王妃になる方の実家にも、無理な嫁荷は求めないらしい。
婚礼のための特別な税も、今回は取らないらしい。
国のためと言われ、重い税をいつも課される人たちからすれば、本当にありがたいことだろう。
女性にも、知恵や技術があれば国の仕事を任せるらしい。
私のように、家の中だけでは息ができなかった女たちのために考えてくれている。
民に無駄な負担をかけない王。
そんな王は、今までいなかった。
町では、きっと今ごろも噂されているのだろう。
レオンハルト陛下は、今までの王様とは違う。
私たちのことを考えてくださる。
女性の気持ちまで考えてくださる。
この国は変わる。
暮らしやすい国になるかもしれない。
陛下なら、きっと変えてくださる。
人気はうなぎ登りだ。
当然だ。
民からすれば、婚礼のために税を取られない王はありがたい。
貴族の見栄より生活を見てくれる王は、信じたくなる。
そして、一人の女を大切にすると語る王は、物語の中の王のように見える。
本当に、うまい。
腹が立つほど、うまい。
もちろん、反対もあったらしい。
教会側は、格式を重んじる。
大聖堂での盛大な儀式が小さくなれば、面白くない者もいる。
婚礼の準備で利益を得る商人たちもいる。
嫁荷で取引を広げる貴族もいる。
古い慣習が続くことで得をしている者は、必ずいる。
陛下はそれらの者にも丁重に説明して、納得を得ていると言っていた。
たぶん、
国庫の金額。
不正らしき証拠。
教会と商人の癒着。
そして、「現実を見ろ」、という言葉。
数字と正論と民の支持。
陛下は勝ち筋をよく分かっている。
私は夜の町を見下ろした。
町の灯りは温かい。
きっと、あの中には今日の私を見た人もいる。
赤いドレスを着て、王妃の冠をかぶって、馬車の上から手を振っていた私を。
あの人たちには、私は幸せな花嫁に見えたのだろうか。
王に愛された女に見えたのだろうか。
少なくとも、それが陛下の狙いだった。
私は愛されている。
王は私を望んでいる。
だから、未婚のまま王宮へ迎えられても仕方がない。
だから、慣例が変わっても仕方がない。
だから、側室を持たないと宣言しても美談になる。
全部、つながっている。
本当に、嫌になる。
側室を持たないことは、正直に言えば嬉しい。
嬉しくないはずがない。
私は、一つの物を大勢で奪い合うのが苦手だ。
一つのものを皆で取り合うくらいなら、相手に譲った方が楽だと思ってしまう。
昔からそうだった。
欲しいものでも、リリアが泣けば譲った。
争うくらいなら、いらないと言った。
手を伸ばして傷つくくらいなら、最初から欲しくなかったことにした。
でも、レオンハルト陛下だけは。
あの人だけは、誰かに譲りたくない。
そう思ってしまった自分に、私はまた腹が立つ。
いつから、こんなに欲深くなったのだろう。
いつから、あの人を独り占めしたいと思うようになったのだろう。
陛下が私を愛していることは分かっている。
たぶん、疑わなくていい。
あの人は、私には嘘をつかない。
そして、私への想いだけは、本物だ。
それも分かる。
私も、陛下を愛してしまっている。
悔しいけれど。
腹立たしいけれど。
認めたくなくても、もう認めるしかない。
私は、改革のための王妃になる。
それはもう決めた。
けれど、あの人に恋をした女でもある。
だから。
愛のことまで、計画に入れるのは気に入らない。
陛下のやりたいことは正しい。
国のためにもなる。
民のためにもなる。
貴族社会の悪習を断つ一歩にもなる。
私も、それを支えると決めた。
でも、気に入らないものは気に入らない。
あの人は、私の気持ちまで読んでいる。
私が怒ることも。
それでも納得することも。
側室を持たないと言われて、嬉しく思うことも。
全部、分かっていて使っている。
本当に、厄介な人だ。
いつか、どこかで仕返ししてやる。
そう思ったら気持ちが楽になり、少し笑ってしまった。