軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第32話 腕仕込みのしびれ矢

乗合馬車に戻ると、最初は誰もあまり話さなかった。

車輪の音だけが、がたごとと続いている。

けれど、それも長くは続かなかった。

老婦人が、ぽつりと言った。

「ガイさんは、本当に頼もしかったわねえ」

ガイは困った顔をした。

「おれ、棒を振っただけだ」

「盗賊を三人も倒してしまうなんて。すごい力ね」

老婦人がガイの腕を軽くたたきながら、嬉しそうに言った。

「あれで、盗賊の腰が引けたな」

老夫が呟いた。

「まったくじゃ。あいつらの驚いた顔を見せてやりたかった」

ロウェルさんが面白そうに笑う。

「しかし、一番の貢献者はお嬢ちゃんじゃな」

「私が、ですか」

「そうじゃ。盗賊の動きをよく見ておった」

ロウェルさんは、しわのある目を細めた。

「おぬしが飛び出したおかげで、盗賊の目が一瞬そちらへ向いた」

「あのまま馬で走られていたら、わしのしびれ矢は当たらなかったじゃろう」

「そんなことは……」

「それに、ガイが二人を倒した時もじゃ。おぬしが声を上げて盗賊の注意を引いたから、ガイが動けた」

ロウェルさんは、にやりと笑った。

「剣で囲まれたときは死ぬと思った。助かった」

ガイがぼそりと呟いた

「それと、『近くで兵を見ました』じゃな。あれは大した嘘じゃ。盗賊どもは完全に動揺した」

「注意を引こうと必死だっただけです」

「あの状況で、あの言葉はなかなかでない」

ロウェルさんは、あっさりと言った。

「お嬢ちゃんは勇敢じゃ」

「本当に、勇敢だったわ」

老婦人が頷く。

「そうだ。勇気がある」

老夫も短く言った。

母親が私に頭を下げる。

「本当に、ありがとうございました」

幼い娘も、母親の膝の上から身を乗り出した。

「おねえちゃん、ありがとう」

なぜか、みんなが私に感謝する。

困った。

本当に困る。

「ただ、みんなを助けたいと思っただけです」

私は膝の上の手を握った。

「私にできることをしただけです」

「それが、普通はできないのじゃ」

ロウェルさんが言う。

「大したものだ。ガイもそう思うじゃろう」

ガイは少し考えてから、真面目な顔で言った。

「おう、おれより強い」

「おれより強いか。ガイは頭は悪くない。お前は賢い」

ガイも困った顔になった。

私は、さらに困った。

褒められているはずなのに、どう返せばいいのか分からない。

話を変えたくなって、私は母親に声をかけた。

「娘さんとお二人で、どちらへ行かれるのですか」

母親は少しだけ表情をやわらげた。

「ルミナ町が、私の実家なの。家で不幸があって、慌ててこの馬車に乗ったの」

母親は、娘の髪を撫でる。

「娘にも、私の生まれた町と実家を見せたいと思って、連れてきたのだけれど……盗賊に遭った時は、この子に悪いことをしたと思いました」

幼い娘が、母親の袖を握った。

「お母さん、そんなことないよ」

「え?」

「私は、ルミナ町に行けるの、楽しみだったから」

娘は、母親を見上げて笑った。

「泣かないで。私は大丈夫」

馬車の中に、小さな笑いが起きた。

「しっかりした娘さんだ」

老夫が言う。

母親は困ったように笑いながら、娘を抱き寄せた。

盗賊に襲われたばかりなのに。

人も亡くなったのに。

それでも、町の人たちは日常の一つのように話す。

怖かったことを、忘れたいのか、笑いに変えていく。

そうしないと、旅など続けられないのかもしれない。

幼い娘が、今度は私の方を見た。

「おねえちゃん、石の投げ方を教えて」

「えっ」

「私も投げたい」

母親が慌てて娘の口を押さえる。

「そんな物騒なことを言わないの」

老婦人が楽しそうに笑った。

「でも、覚えておいて損はないかもしれないわねえ」

「奥様まで」

「だって、旅先では何があるか分からないもの」

老夫がまた短く言った。

「投げられぬより、投げられた方がよい」

「あなたまで」

母親が困ったように笑う。

町の人たちは、たくましい。

悪いことも、怖いことも、全部抱えたまま、笑い話に変えていく。

私も、少しはたくましくなっているのだろうか。

まだ、分からない。

そして、馬車の中で一番の話題になったのは、やはりロウェルさんのしびれ矢だった。

「あんなもの、初めて見たわ」

老婦人が言った。

「私もです」

母親も頷く。

「矢なのですか、あれは」

私も気になっていた。

ロウェルさんは隠すこともなく、足元の鞄から金属の箱を取り出した。

「危ない物じゃから、あまり人には見せんのだがな。おぬしらならよかろう」

そう言って、膝の上に置く。

腕に巻きつけていた時はよく見えなかったが、改めて見ると、細長い金属の箱だった。

革の帯がついていて、腕に固定できるようになっている。

ロウェルさんが箱を開ける。

中は、筒のような鉄製の発射口と、短い針を入れる場所に分かれていた。

しびれ矢と呼んでいたが、そこに入っていたものには羽がない。

手のひらに乗るくらいの、重そうな鉄の針だった。

先端は鋭い。

けれど、人を深く刺すというより、薬を入れるためのものに見える。

「これは矢というより、針みたいですね」

「そうじゃな。仕組みは矢だからの。矢と呼んでおる」

「板を貫くほどの力はない。人や獣の肌に刺されば、それで十分じゃ」

「これに、しびれ薬を?」

「そうじゃ。しびれ草を煮詰めた薬を塗っておる。命までは取らん。ただ、しばらく体に力が入らなくなる」

ロウェルさんは、特殊な形をした細い鉄の棒を取り出した。

それで筒の後ろを開ける。

中には、渦を巻いた鋼のばねが入っていた。

そのばねが、途中で割れている。

「ああ、やはりここじゃな」

ロウェルさんが、割れたばねをつまみ上げた。

「これが壊れやすいのが難点じゃ」

「これが、しびれ矢を飛ばすのですか」

「うむ。これを押し縮めて力をためる。あとは留め金を外せば、矢が飛ぶ」

ロウェルさんは楽しそうに説明する。

完全に、盗賊に襲われた後の顔ではなかった。

遺跡の話をしている時と同じ顔だ。

「だが、この巻き鋼をきちんと作れる鍛冶屋は少ない。高価なのも難点じゃな」

「それなのに、整備していなかったのですか」

つい言ってしまった。

ロウェルさんは、気まずそうに笑った。

「いつもは何度か矢を装着して、状態を確認するのじゃ」

「だが、まさかこの道で盗賊に遭うとは思っておらんでな。そのままにしておった」

ロウェルさんはため息を吐いた。

そう言いながら、壊れたばねを取り出し、鞄の中から新しいものを出して入れ替える。

ふたをかちりと閉めると、今度は別の矢を取り出した。

「これは薬を塗っておらん。試し撃ち用じゃ」

「試し撃ち用」

「矢の入れ方を見せる。簡単じゃ」

母親が、娘を少し後ろへ引き寄せた。

ロウェルさんは笑いながら、その針を筒の頭に差し込んだ。

そして、特殊な鉄の棒でぐっと押し込む。

かちり、と小さな音がした。

「今ので、ばねが縮んだ状態で固定された」

ロウェルさんは箱の側面を指で叩く。

「この小さな留め具を押せば飛ぶ。危ないから押さんがな」

私はじっと金属の箱を見つめた。

小さい。

けれど、よく考えられている。

一本撃ったら、また一本を込める。

矢入れには六本まで入る。

連射できるというより、六本持っていける護身具なのだ。

「すごいですね」

思わずそう言うと、ロウェルさんは目を細めた。

「分かるか」

「すごい発明だと思います」

「そうじゃな。悪人が使えば厄介じゃ」

私は、この学者さんは本当はとても偉い人なのではないかと思った。

ただの遺跡好きの変なお年寄りではない。

知識があって、道具も作れて、盗賊の前にも立てる。

「ロウェルさんは、国の研究職とか、先生だったのですか」

そう尋ねると、ロウェルさんは面白くなさそうな顔をした。

「机に座っておるだけでは、わしは退屈で死んでしまう」

「机に座るのは、苦手なのですか」

「苦手じゃ。遺跡は現場にある。古い壁も、埋もれた道具も、失われた文字も、地面の下にある。書類の上にはない」

それから、ロウェルさんはあっさりと言った。

「それに、わしは元貴族じゃ」

馬車の中の空気が、少し変わった。

「元貴族、ですか」

「今はただの遺跡好きのじじいじゃがな」

ロウェルさんは、金属の箱を鞄に戻しながら言った。

「わしは小さい頃から、この世界がどうやってできたのかに興味があってな」

「世界が、どうやって」

「山はなぜそこにあるのか。古い柱はなぜ地中に埋もれているのか。今は失われた文字に、何が書かれていたのか」

ロウェルさんの声は、少しだけ楽しそうになった。

「そういうものを知りたくて、遺跡を巡り、古書を求めて旅をするようになった」

「ご家族は、反対されなかったのですか」

「反対したのう」

あっさり言った。

「結婚しろ。家を継げ。まともな職につけ。散々言われた」

「それで……」

「親が死んだあと、屋敷も土地も売り払った。必要な分だけ残して、あとは全部、旅と発掘に使っておる」

思い切りが良すぎる。

私なら、そこまでできるだろうか。

いや、家を出たばかりの私が言うことではないかもしれない。

「結婚はしなかったのですか」

老婦人が興味深そうに尋ねた。

ロウェルさんは自分の顔を指さした。

「この顔じゃぞ」

「まあ、そんなことはありませんよ」

老婦人が笑う。

ロウェルさんも笑った。

「最初からする気がなかった。わしには遺跡の方が向いておる」

「そこまで楽しいものなのですか」

私が聞くと、ロウェルさんは力強く頷いた。

「楽しいぞ。土の下から、誰も知らんものが出てくる。古い壁。古い道具。読めん文字。失われた部屋。たまらん」

本当に楽しそうだった。

「そう皆に言っても、誰も楽しそうな顔をせんのが残念じゃ」

「でしょうね」

思わずそう言ってしまった。

ロウェルさんは大きく笑った。

「ルミナ遺跡にはな、前に行った時、空洞らしき場所を見つけたのじゃ」

「空洞?」

「壁の奥に、何かある。だが、わしと人夫だけではどうにもならなんだ。石も重い。足場も悪い」

ロウェルさんはガイを見る。

「今回は、ガイを見つけた」

ガイは難しい顔で話を聞いていた。

「おれか」

「そうじゃ。お前は役に立つ」

「荷物、重いか」

「重い」

「なら、できる」

ガイは真面目に頷いた。

馬車の中に、また小さな笑いが起きる。

ロウェルさんは満足そうに頷いたあと、ふと思いついたように私を見た。

「そうじゃ。お嬢さんにも、もう一つ作ってやろう」

「何をですか?」

ロウェルさんは、鞄の中の金属の箱を指で叩いた。

「これじゃよ」

「しびれ矢を、ですか」

思わず声が大きくなった。

「ルミナ町には腕の良い鍛冶屋がいる。一週間もあれば作れるじゃろう」

「そんな高価なもの……」

「礼じゃ」

ロウェルさんはあっさり言った。

「それと、女の一人旅には持っておいた方がよい」

私は返事に迷った。

高価そうな物だ。

私がもらってよいのだろうか。

けれど、今回のことで、いつ危険に襲われるか分からないのだと身に染みて知った。

何かあった時、逃げる時間を作れるかもしれない。

誰かを守ることもできるかもしれない。

私は膝の上で手を握った。

「ありがとうございます」

そして、頭を下げる。

「使わないことを祈りながら、いただきます」

ロウェルさんは、にやりと笑った。

「それが一番よい」

本当に、使わずにすめばいい。

けれど、私はどうやら、運が悪いのか良いのか、厄介事に巻き込まれやすいらしい。

ただ、一人で歩きたいだけなのに。

自由というものは、思っていたよりずっと大変なのかもしれない。