作品タイトル不明
第31話 それでも前へ
その時だった。
「矢だ!」
ロウェルさんが叫んだ。
ガイが振り返る。
大きな体が、信じられない速さで動いた。
矢が、ガイの背中に迫る。
私は声も出せずに、それを見ていた。
次の瞬間、ガイが大きな腕を振った。
バキと矢が折れると二つに分かれて飛んだ。
「……」
何が起きたのか、すぐには分からなかった。
ガイは何事もなかったように、こちらへ走ってきた。
「ケガはないか」
そう言って、私たちを見回す。
熊みたいに大きい。
盗賊を木の棒で叩き飛ばすくらい強い。
でも、最初に口にしたのは、自分のことではなく、私たちのことだった。
幼い娘が、母親の腕から離れた。
そして、そのままガイに飛びつく。
さっきまで怖がって震えていたのに。
「お兄ちゃん、ありがとう」
泣きながら、そう言った。
ガイは困った顔をした。
大きな手をどう動かしていいのか分からないように、少しだけ宙で止める。
「……おう」
それだけ言って、黙ってしまった。
母親が娘を抱き寄せながら、何度も頭を下げている。
老婦人も、老夫も、ガイのそばへ寄った。
「ありがとうねえ」
「助かった」
老夫が短く言う。
ガイは、やっぱり困った顔をしていた。
その顔が少しおかしくて、笑いそうになった。
けれど、笑う前に力が抜けた。
私はその場に座り込んでしまった。
膝に力が入らない。
手も震えている。
自分が投げていた石が、いつの間にか足元に転がっていた。
ロウェルさんが、息を切らせながら走ってきた。
「お嬢さん、たいしたものじゃ」
ロウェルさんは私の前で立ち止まり、肩で息をしながら笑った。
「助かったぞ」
「私が、ですか」
「おぬしが声を上げなければ、あやつらはもっと粘っておった。石も効いた。火も効いた」
ロウェルさんは、腕の機械をちらりと見た。
「しびれ矢が一発で詰まった時は、さすがに焦ったわい。駄目かと思った」
「最近、整備をしておらんかった。手を抜くと駄目じゃな」
ロウェルさんは、少し申し訳なさそうに笑った。
「そんなことありません。あのしびれ矢があったから、盗賊たちは警戒して火を消せなかったんです」
「そう言ってくれると嬉しいのう」
でも、私は、涙が出た。
ぽろぽろと、止まらない。
本当に、情けない。
さっきまで石を投げていたのに。
叫んでいたのに。
終わった途端、体が勝手に震えて、涙が勝手に出てくる。
腹が立つ。
自分の性格に腹が立つ。
それでも、涙は止まらなかった。
「もう大丈夫じゃ」
ロウェルさんが、少しだけやわらかい声で言った。
「安心しろ」
私はうなずくことしかできなかった。
ロウェルさんは、すぐにガイへ顔を向ける。
「ガイ、皆は大丈夫そうじゃ」
「おう」
「前の様子を見に行くぞ」
「わかった」
そう言うと、二人はまた走り出した。
本当に元気なお年寄りだ。
発掘作業というものは、よほど体力が必要なのかもしれない。
私は泣きながら、そんなことを思っていた。
少しずつ、息が整ってくる。
怖かった。
本当に怖かった。
けれど、終わった。
ここにいる人たちは、誰も死ななかった。
そう思った瞬間、また涙が出た。
今度は、老婦人が私のそばに座ってくれた。
「お嬢さん」
その声がやさしくて、また泣きそうになる。
老婦人は、私の肩をそっとさすった。
「お前さんは、よくやったよ」
老夫も、少し離れたところから言った。
「勇気がある」
短い言葉だった。
でも、胸に重く残った。
「本当に、びっくりしたわ」
老婦人が困ったように笑う。
「急に飛び出すんだもの。心臓が止まるかと思ったわ」
「すみません」
「謝ることじゃないわ。助かったのよ」
母親も娘を抱いたまま、私に頭を下げた。
「ありがとうございました」
「私は、そんな……」
うまく言えない。
私は誰かを倒したわけではない。
ただ、石を投げて、叫んで、怖くて泣いているだけだ。
けれど、母親は何度も頭を下げた。
幼い娘が、私を見上げる。
泣いたあとの赤い目で、けれど、嬉しそうに笑っていた。
「おねえちゃん、すごい」
「すごくないです」
思わずそう言うと、女の子は首を振った。
「すごい。私も、おねえちゃんみたいになる」
困った。
ガイの気持ちが少し分かった。
感謝されるというのは、どう返せばいいのか分からないものらしい。
私は服についた土を払って、ゆっくり立ち上がった。
まだ足元は頼りない。
けれど、立てた。
「皆さん、無事でよかったですね」
そう言うと、老婦人が笑った。
母親も笑った。
女の子も笑った。
その笑顔を見たら、また泣きそうになった。
だから私は、少しだけ目をそらした。
しばらくすると、ロウェルさんとガイが戻ってきた。
二人とも、さっきより顔つきが硬い。
それを見ただけで、胸の奥が冷えた。
「準備ができしだい、出発するそうじゃ」
ロウェルさんが言った。
「護衛の二人は傷が深い。従者が馬に乗せて、先に町へ運ぶらしい」
老婦人が口元を押さえた。
「まあ……」
「荷主は馬車の下に隠れておった。ケガはない」
ロウェルさんは淡々と言う。
「従者の一人は亡くなった。今、埋葬しておる」
空気が止まった。
亡くなった。
その言葉だけが、頭の中で遅れて響く。
私たちは助かった。
けれど、誰も死ななかったわけではなかった。
「盗賊はどうなったのですか」
老婦人が、不安そうに尋ねた。
「ガイが倒した三人と、前方で倒れた三人がいる」
「その人たちは……」
老婦人の声が細くなる。
「どうするのですか」
「護衛が始末する。連れて行けんからな」
ロウェルさんは、普通のことのように言った。
私は息を呑んだ。
始末。
それはつまり、殺すということだ。
「自業自得じゃ」
ロウェルさんの声は冷静だった。
ガイも表情を変えずに立っている。
さっきまで女の子に抱きつかれて困っていた青年と、同じ人に見えなかった。
けれど、たぶんどちらもガイなのだ。
優しい。
でも、戦う時はためらわない。
私は、本や物語の中では、分かっているつもりだった。
でも、実際に自分が遭遇すると、それはとても恐ろしかった。
「荷馬車は捨てるそうじゃ」
ロウェルさんが続けた。
「荷馬車の馬だけ外して、他の者たちは馬に乗る」
そして、周囲を見回す。
「みんな、乗合馬車に乗るぞ。忘れ物を確認しろ」
ロウェルさんは慣れた様子で指示を出した。
ガイも黙って動き始める。
母親が幼い娘の手を握り、老夫が老婦人を支える。
私も、自分の荷物を確認した。
手は、まだ少し震えていた。
怖かった。
盗賊たちは、私たちを殺しに来た。
けれど、これが外の世界なのだと思った。
私は前に進むと決めた。
この怖さも、抱えて行くしかない。
生き残った。
まだ、前へ進める。
そう自分に言い聞かせて、乗合馬車へ向かった。