軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第28話 熊のような男 ガイ

熟睡してしまった。

人生初の野宿だったのに。

寝床は少し硬くて、虫よけの香草の匂いも慣れなかった。

念のため、鈴の紐を手首にかけて、手の中に握って眠った。

誰かに動かされたら、すぐに鳴るように。

自分ながら警戒心のなさにあきれる。

でも、飛び込んでしまえば、案外何とかなるものらしい。

鈴は……たぶん、鳴っても私は起きなかったと思う。

でも、誰かは起きてくれる。

護衛付きの商隊というのは、思った以上に安心だった。

単独で走る乗合馬車より、商隊に加わる馬車の方が安全だと馬車乗り場で聞いて、私はこれを選んだ。

朝になると、商隊の人たちはもう準備を始めていた。

荷馬車は三台。

御者たちが馬の具合を見て、商人と従者が荷を確かめている。

護衛の人たちは、火の始末をしながら周囲にも目を配っていた。

旅人たちは、まだ眠そうな顔で荷物をまとめていた。

私も慌てて身支度を整える。

朝の食事は質素だった。

硬いパンと、豆の煮込みと、塩気の強い干し肉。

ありがたいのは分かっている。

けれど、起き抜けの私には少し多かった。

どうしようかと皿を見ていると、低い声がした。

「くれ」

顔を上げると、向かいにいた青年がこちらを見ていた。

若い。

けれど、体は熊みたいに大きい。

座っているだけなのに、周りの人より一回りも二回りも大きく見える。

肩幅は広く、腕も太い。硬いパンくらい、指で割れそうだった。

よほどお腹が空いているのだろう。

「どうぞ」

私が皿を差し出すと、青年は遠慮なく受け取った。

そして、私の残りをそのまま、大きな口を開けてかき込んでしまう。

「助かった」

それだけ言うと、青年はすぐに立ち上がり、荷造りに戻っていった。

私は、その背中を思わず見送る。

こんなに大きな人を、間近で見るのは初めてだった。

再び馬車が動き出すと、しばらくは車輪の音だけが続いた。

眠るには揺れすぎる。

本を読むには、もっと揺れすぎる。

仕方なく外を眺めていると、前の方から声が聞こえた。

「若いの。お前さん、力がありそうじゃな」

声をかけていたのは、学者らしい老人だった。

膝の上には古びた本。

足元には、革紐で縛られた紙束と、見慣れない道具の入った鞄が置かれている。

声をかけられたのは、朝、私の残りを平らげた大きな青年だった。

青年はゆっくりと学者の方を見る。

「……おれか」

「そうじゃ。わしは古代ルミナ遺跡を調べに行く。発掘には人手がいる。どうじゃ、手伝わんか」

青年は少し驚いたように瞬きをした。

「おれが?」

「そうじゃ」

「食えるのか」

学者が目を丸くした。

「お前さんは、金ではなく食えるかを気にするのか」

「おお。食えるならいい」

「ほほう」

学者は面白そうに笑った。

「リュミエール国へは、何をしに行くつもりだったんじゃ」

「石」

「石?」

「リュミエール国。石。運ぶ。掘る。食える」

「なるほど。採掘場じゃな」

青年はうなずいた。

「兵隊。食えるって聞いた。だから入った」

「ほう」

「でも、おれ。頭悪い。言葉、うまく出ない。それで、出された」

追い出された、と言いたいのだろう。

青年の声には、怒りよりも諦めの方が多かった。

馬車の中が、少しだけ静かになる。

けれど学者は笑わなかった。

「若いの」

「おう」

「お前は、頭が悪いのではない」

青年は眉を寄せた。

「おれ。頭悪い」

「違う。言葉を教えてくれる者がいなかっただけじゃ」

青年は黙った。

納得していない顔だった。

学者は少し考えるように顎ひげをなでる。

「そうじゃのう。試してみるか」

「試す?」

「難しいことはせん。よく見ておれ」

学者は片手を上げた。

まず、手を握る。

次に、人差し指と中指だけを立てる。

最後に、手のひらを開く。

「真似してみろ」

青年は、じっと学者の手を見た。

そして、すぐに同じ動きをした。

握る。

二本の指を立てる。

開く。

大きな手なのに、動きは驚くほど速かった。

しかも、間違えていない。

「……ほう」

学者が目を丸くした。

「もう一度じゃ」

今度は、学者が少し早く動かした。

握る。二本。開く。

開く。握る。二本。

青年は一拍遅れただけで、すべて真似た。

「できるではないか」

「これは、簡単だ」

青年は当然のように言った。

学者は、そこで急に楽しそうな顔をした。

「簡単、か。ほほう。お前さん、今のを簡単と言うか」

「見たら、できる」

「普通はな、見てもできん者がいる。見たつもりで、見ておらん者もいる」

青年は自分の手を見下ろした。

「おれ。頭悪い」

「悪くない」

学者はきっぱりと言った。

「お前は、言葉を知らんだけじゃ。見て覚える力はある。手も早い。体も強い。発掘には、そういう者がいる」

「発掘」

「そうじゃ。古代ルミナ遺跡を掘る。石を運ぶ。土を払う。壊してよいものと、壊してはならんものを見分ける。発掘は、力だけではできん」

青年は黙って聞いていた。

「わしはな、長いこと遺跡を調べておる」

学者は、膝の上の古びた本をぽんと叩いた。

「だが、誰も跡を継ぎたがらん。古い石を眺めて何になる。土に埋まった壁を掘ってどうする。そんなもの金にならない、と笑われる」

「かねにならないのか」

「ならんの」

学者は愉快そうに笑った。

「だが、わしを手伝えば、めしは食わすぞ」

「めしが食えるのか」

「働かないと駄目じゃぞ」

青年は学者をじっと見た。

その顔は、少しだけ真剣になっていた。

「よし。では、まず飯の心配をなくしてやる。その代わり、言葉を覚えろ。道具の名を覚えろ。石の違いを覚えろ」

「石の違い」

「そうじゃ。お前は頭が悪いのではない。まだ名前を知らんだけじゃ」

青年は、少しだけ目を伏せた。

「名前」

「そうじゃ。ものには名前がある。覚えれば、見えているものを人に伝えられる」

青年は黙った。

熊みたいに大きな体が、少しだけ小さく見えた。

「……おれにも、できるのか」

「できる」

学者は迷わず言った。

「少なくとも、わしはそう思う」

青年は少し考えたあと、もう一度だけ聞いた。

「食えるのか」

「食える」

「なら、やる」

学者は、今度こそ声を上げて笑った。

「お前さん、食うことだけはぶれんのう」

「大事だ」

「うむ。たしかに大事じゃ」

「若いの。名前は」

「ガイ」

「ガイか。よし、ガイ。しばらくわしの荷運びをせい。言葉はその間に教えてやる」

「荷物、重いか」

「重い」

「なら、できる」

「頼もしいのう」

学者は本当にうれしそうだった。

それは、発掘の手伝いが見つかったからだけではないように見えた。

誰もやりたがらないことを、誰かがやると言った。

誰にも向いていないと思われていた人が、誰かに向いていると言われた。

学者がうれしそうに見えた理由は、たぶんそれだ。

頭が悪いのではない。

教えてくれる人がいなかっただけ。

その言葉が、なぜか胸に残った。

誰かに笑われても、自分の見たいものを追いかける学者。

自分を頭が悪いと思い込んでいた、大きな青年。

馬車の中には、思っていたよりいろいろな人が乗っている。

私はただ、リュミエール国へ向かっているだけのつもりだった。

けれど、旅というものは、景色だけを見るものではないのかもしれない。

馬車は、変わらず揺れている。

砂ぼこりの向こうには、まだ知らない道が続いていた。

リュミエール国までは、まだ少しかかる。

けれど私は、少しだけ、この乗合馬車の旅が楽しくなっていた。