作品タイトル不明
第24話 起こらなかったことにする
レオンハルト殿下は、エリオット王太子が来ることを予想していたような顔で歩いてきた。
公式の顔をしているのに、歩き方は腹立たしいほど悠然としていた。
腹立たしいほど、いつも通りだった。
私は、慌てて涙を拭いた。
こんな人のために泣いたなど、絶対に知られたくない。
殿下は、馬上のエリオット王太子殿下の前まで歩み寄ると、丁寧にお辞儀をした。
「エリオット王太子殿下まで来ていただけるとは恐縮です」
声も、表情も、整っている。
つい先ほど襲われた人とは思えない。
「襲撃は鎮圧しましたので、ご安心ください」
エリオット様は馬から降り、丁寧にお辞儀を返した。
「アステリア王国でこのような事件が発生したこと、謝罪の言葉もありません」
「ここで立ち話も何でしょう。夜風に当たります。中でお話をしましょう」
レオンハルト殿下は、エリオット様の謝罪を遮るように言った。
そして、私を見た。
その目が、一瞬だけやわらかくなる。
「ご令嬢が馬上にいらっしゃるとは驚きました」
公式の顔だった。
私をからかう時の顔ではない。
「ご令嬢は、馬車でお送りいたします」
本当に腹が立つ。
こんな人を心配していた自分にも腹が立つ。
たぶん殿下は、私をこの場から遠ざけたいのだ。
危ないから。
女だから。
それもあるのだろう。
けれど、それだけではない。
この件を、交渉材料にするつもりなのだ。
襲撃があることも、ある程度は予想していたのかもしれない。
厄介だ。
本当に嫌いだ。
けれど、両国の関係が冷えるのは私にとっても困る。
私は馬上から背筋を伸ばした。
「お気遣いありがとうございます」
できるだけ丁寧に言った。
「ですが、この事件は私にも関係があります。私も一緒にお話を聞かせてください」
レオンハルト殿下の表情は変わらない。
私はエリオット様を見た。
一度、ゆっくり瞬きをする。
気づいてください。
今、私を外さないでください。
エリオット様は、すぐに私の意図を読んでくれた。
「そうですね。あなたにも関係する話です。ご参加ください」
それから、レオンハルト殿下を見る。
「レオンハルト殿下。それでよろしいでしょうか」
レオンハルト殿下は、ほんの少し口元を上げた。
「私としたことが、気づきませんでした。ご令嬢もご参加ください」
まったく表情一つ変えない。
私は馬を降りた。
中へ入ると、最小限の者だけが個室に集められた。
レオンハルト殿下。
エリオット様。
アステリア側の文官と護衛。
ルーベル側の使節団の一部。
そして、私。
私は場違いだった。
分かっている。
けれど、引くつもりはなかった。
席に着くと、最初に襲撃の流れが報告された。
この宿を守っていた警備兵の数人が、突然、窓ガラスを割り、派手に暴れた。
悲鳴が上がり、宿の中は混乱した。
けれど、すぐに取り押さえられた。
正確には、取り押さえられる前に、その者たちは全員、自害した。
使節団にけが人はいない。
レオンハルト殿下にも、傷はない。
けれど、話はそれで終わらなかった。
本来警備についていた兵の数人が、急に体調を崩したらしい。
その代わりに入った者たちが、襲撃を起こした。
体調を崩したという警備兵は、今も所在が分からない。
身元の調査も進めているが、手掛かりはほとんどない。
派手に暴れた。
けれど、誰も殺していない。
そして、捕まる前に全員が死んだ。
やはり、これは殺すための襲撃ではない。
襲撃があったという事実を作るためのものだ。
情報が共有されたところで、レオンハルト殿下が口を開いた。
「私としては、両国の平和のために穏便に済ませたいと思っています」
穏便。
その言葉が出た瞬間、私は嫌な予感がした。
「しかし、これほどの事件です。私としても、どう収めればよいのか困っております」
困っている。
そんな顔ではない。
「エリオット王太子殿下。何かよいお考えはあるでしょうか」
丁寧な声だった。
けれど、明らかに条件を引き出そうとしている。
エリオット様は、すぐには答えなかった。
当然だ。
王太子殿下とはいえ、国王陛下の裁断を待たずに約束できることではない。
その後ろに控えていた文官が、口を開いた。
「レオンハルト殿下。両国の平和をお考えいただき、感謝申し上げます」
落ち着いた声だった。
「しかし、事は重大です。国王陛下の裁断を仰がなければなりません」
「ああ、それはそうでしょう」
レオンハルト殿下は、あっさりとうなずいた。
けれど、そこで引く人ではない。
「しかし、私は殺されかけた。このままうやむやにされるのは困るのですが」
部屋の空気が重くなる。
「エリオット王太子殿下のお気持ちだけでもお聞かせいただければ、安心できます」
表情も言葉遣いも丁寧だ。
でも、そこにあるのは交渉だった。
私は、だんだん腹が立ってきた。
この人は分かっている。
襲撃が何を意味するのか。
これを表に出せば、黒幕の思うつぼになることも。
それなのに、あえてエリオット様に迫っている。
「レオンハルト殿下」
私は口を開いた。
全員の視線がこちらを向く。
「この件は、両国にとってあまりに重大です」
レオンハルト殿下が、私を見る。
「だからこそ、殿下も冷静になられた方がよろしいのではありませんか」
空気が止まった。
レオンハルト殿下は、また面白いものでも見るような目をした。
「私が冷静さを失っていると?」
「はい、そうです」
はっきり言った。
エリオット様が息をのんだ気配がした。
けれど、止められる前に続ける。
「殿下もお気づきのはずです。この件は、国王陛下を陥れるための策略です」
レオンハルト殿下の笑みが、ほんの少しだけ薄くなった。
「通商交渉使節団を襲ったところで、決まった条約は変わりません」
「制度も税率も、すでに記録に残されています」
私は、手を握りしめた。
「相手国の王子を襲ったところで、それが取り消されるわけではありません」
誰も口を挟まない。
「それどころか、アステリア王国の貴族が犯人だと知れれば、家は終わります」
「親戚まで巻き込まれるでしょう。利権を失った腹いせにしては、危険が大きすぎます」
レオンハルト殿下は黙っていた。
その顔からは、何も読めない。
「なら、目的は条約ではありません」
私は言葉を続けた。
「アステリア国王陛下の威信に傷をつけること」
「ルーベル王国との関係を悪くすること。王宮の中に不安を広げること」
部屋の中が、さらに静まり返る。
「もし殿下がこの件を交渉材料にすれば、仕組んだ者の筋書きに乗ることになります」
レオンハルト殿下の目が、笑っている。
「アステリア王国が乱れて、ルーベル王国に利があると思われますか」
私は逃げなかった。
「たとえ一時的に関税率の期間を伸ばせたとしても、長い目で見れば損です」
それから、もう一歩踏み込んだ。
「そして殿下が最も心に留めておられる民たちは、悪意ある者たちの支配下に置かれることを望まれるのですか」
レオンハルト殿下の表情が、ほんの一瞬だけ変わった。
怒りではない。
たぶん、驚きだった。
やっぱり、この人は分かっていたのだ。
分かっていて、試していた。
腹立たしい。
本当に腹立たしい。
レオンハルト殿下は、ゆっくりと息を吐いた。
「なるほど。私は冷静さを失っていました」
嘘だ。
絶対に嘘だ。
「エリオット王太子殿下。お詫び申し上げます」
エリオット様は表情を崩さなかった。
「この事件は、起こらなかったことにするのが両国にとって最善でしょう」
レオンハルト殿下は、はっきりと言った。
「少しでも噂になれば、仕組んだ者の思うつぼです」
ようやく、本音が出た。
エリオット様の後ろにいた文官が、深くうなずいた。
「そう言っていただけると、私どもとしても大変ありがたく存じます」
エリオット様は、まだ口を開かなかった。
きっと、発言しないように言われているのだ。
ここで王太子殿下が言葉を誤れば、国王陛下の裁断より先に約束したことになる。
文官たちは、それを避けている。
その判断は正しい。
けれど、私は少しだけ、エリオット様が悔しそうに見えた。
レオンハルト殿下は、今度は私を見た。
「ご令嬢、お疲れのようだ」
嫌な予感がした。
「それに、お腹が空いているのではありませんか」
やめてほしい。
どうして分かるのだろう。
腹の虫が鳴らないか、私はずっと心配していた。
「私の冷静さのなさを指摘していただいたお礼をさせてください」
この人は、どこまで本気なのだろう。
けれど、私も確認したいことがあった。
レオンハルト殿下が、何をどこまで知っていたのか。
なぜ、あそこまで強く出たのか。
この事件の裏に、何を見ているのか。
それに。
お腹は、もう限界だった。
「はい。よろこんで」
エリオット様が、私を引き止めようとした。
けれど、その前に文官たちが動いた。
「王太子殿下。陛下が心配されていると思います」
エリオット様は、私を見た。
私は小さくうなずいた。
大丈夫です。
たぶん。
たぶん、ですが。
エリオット様は、しばらく私を見てから、息を吐いた。
「分かりました。戻りましょう」
それから、レオンハルト殿下へ向き直る。
「レオンハルト殿下の寛大さと知見の高さに敬意を表します」
レオンハルト殿下は、優雅に笑った。
「今後とも、両国の平和のために手を結びましょう」
そう言うと、エリオット様は立ち上がり、足早に部屋を出て行った。
その背中を見送りながら、私は胸の奥がざわついていた。
私が思いつく程度のことを、レオンハルト殿下が考えていないとは思えない。
あの人は、最初から分かっていた。
分かっていて、あえて交渉材料にしようとした。
それとも。
私に、そう言わせたかったのだろうか。
何か重要なことが隠されている。
そう思うと、不安が消えなかった。