作品タイトル不明
第20話 赤いドレスで嫌われたい
王宮の夜会に着いた。
馬車を降りると、年配の侍女が待っていた。
「お迎えに参りました」
一人で放り込まれたらどうしようと思っていた私は、思わずほっとしてしまった。
「ありがとうございます」
笑顔で答えてから、すぐに後悔した。
冷たい令嬢を装うつもりだったのに、早くも崩れている。
けれど、侍女は私の姿を見た瞬間、少しだけ驚いたように息を止めた。
やはり、未婚の令嬢が赤いドレスを着るのは効果があったのだ。
そう思って少しだけ安心した。
けれど、すぐに違うと分かった。
効果はあった。
ありすぎた。
とにかく目立つ。
目立ちすぎる。
赤いドレスの布には、灯りを受けると淡く光を返す糸が織り込まれているらしく、私が歩くたびに背後へ光が流れるように見えた。
顔は大きな扇で隠している。
隠しているはずなのに、薄い絹が少しだけ透けるせいで、完全には隠れない。
むしろ、隠していることが余計に目を引いている気がする。
これは、ただの失敗ではない。
かなり大きな失敗だ。
周囲から、ささやき声が聞こえた。
「あの方は、どこのご令嬢だ」
「素敵なドレスね」
「どこの店のものかしら」
やめてほしい。
本当に、やめてほしい。
積極的な男性が、早くもこちらへ近づこうとした。
けれど、その前に、年配の侍女が視線を向けた。
ただそれだけだった。
それだけなのに、男性は何も言わずに引き下がった。
この侍女、かなり位が高い人なのではないだろうか。
エリオット様の配慮には、感謝したい。
感謝したいのだけれど。
すべてが、私の考えとは違う方向に流れている。
もういい。
腹は決めた。
なるようになる。
その時に考える。
私はそう自分に言い聞かせ、侍女の後ろを歩いた。
案内された先は、社交場だった。
小さな夜会。
手紙には、そう書いてあった。
けれど、目の前に広がっている場所を見た瞬間、私はその言葉をまったく信用できなくなった。
巨大なシャンデリアがいくつも並んでいる。
磨かれた大理石の床。
品のよい柱。
高い窓には、色鮮やかなステンドグラス。
そして何より、広い。
これが小さな夜会。
どう考えても違う。
私は、ルーベル王国の舞踏会に出たことがある。
十六歳の社交界デビューの時と、その後に数えるほど。
けれど、この会場は、私が知っているどの会場よりも広く、華やかだった。
レオンハルト殿下が言っていたことを思い出す。
アステリア連合国は、いま力をつけている。
この場を見ただけでも、それは分かってしまう。
自国が負けているように感じて、少しだけ胸が痛んだ。
けれど、今はそんなことを考えている場合ではない。
私が歩くと、なぜか人が道を空ける。
「あの美しい方は誰だ」
「痛い、つねらないでくれ」
そんな声まで聞こえた。
隣の女性に怒られた男性らしい。
聞きたくない。
私は顔を見られたくないのだ。
だから横目も振らず、ただまっすぐ、侍女の後ろを歩いた。
そして、目の前にエリオット様がいた。
エリオット様は、私を見た。
一歩、こちらへ踏み出しかける。
けれど、その足が止まった。
声も出ないようだった。
私は、扇の陰で息をひそめた。
やはり、分からないのだろう。
それはそうだと思う。
自分で見ても別人なのだ。
化粧もしていない町娘の姿しか知らないエリオット様が、すぐに私だと分かるはずもない。
この派手な姿に引いてくれればよい。
そう思った。
けれど、エリオット様の顔にあったのは、引いた様子ではなかった。
戸惑い。
驚き。
そして、それ以上の何か。
見てはいけないものを見たような顔ではない。
見失っていたものを、ようやく見つけたような顔だった。
困る。
とても困る。
少し話したいだけで、ここまで整えられたのだと思うと、急に不安になってきた。
悪い癖だ。
自分のことになると、私はどうしても先を読むのが嫌になる。
人をだましているような気がしてしまう。
よく考えれば逃げる手段はあった気がする。
侍女が、エリオット様の前で丁寧に頭を下げた。
「マリー様をお連れいたしました」
マリー。
それが、今夜の私の名前らしい。
この国で一番ありふれた名前だと聞いている。
エリオット様は、まだ少し動けずにいた。
本当に別の人が来たのではないかと疑っている顔だ。
私は、礼儀正しくカーテシーをした。
「エリオット王太子殿下。本日はこのような場にお呼びいただき、ありがとうございます」
私の声で分かったのだろう。
エリオット様が息をのんだ。
「本当に、エレ……いや、失礼。マリー嬢なのですか」
「はい。間違いはありません。お話を伺いに参りました」
そう答えると、エリオット様の顔が明るくなった。
まるで、私が来たことだけで安心したような顔だった。
「来てくださって、ありがとうございます」
まず礼を言われた。
それだけなら、まだよかった。
けれど、エリオット様はそこで言葉を切り、もう一度私を見た。
「驚きました」
「……はい」
「こんなに美しいご令嬢は、見たことがありません」
やめてほしい。
本当に、やめてほしい。
しかも、真面目な声で言わないでほしい。
「この姿は、私も詐欺だと思いますので、お忘れください」
「そのようなことを言ったら、この場にいる男女のほとんどが詐欺罪になりますね」
真顔だった。
冗談なのか、本気なのか分からない。
まったく、真面目な人だ。
そんなことを真顔で言われると困る。
「小さな夜会と聞いていたのですが」
私は、低い声で言った。
エリオット様は少しだけ困った顔をした。
「そうでも言わないと、来てくれないと思いました。謝らせてください」
分かっているのなら、やらないでほしい。
私は、できるだけ無口を貫こうと決めた。
変なことを言うと、さらに嫌な予感がする。
けれど、何も言わなかったのがいけなかったのかもしれない。
エリオット様は、静かに私の手を取った。
「君に紹介したい方がいます」
「え」
返事をする前に、歩き出されてしまった。
王太子殿下に手を引かれる、赤いドレスの令嬢。
完全に悪目立ちだ。
考えたくない。
けれど、考えてしまう。
しかも、向かっている先が悪い。
王族たちがいる方だ。
まさか。
まさか、ここで何かの断罪が始まるのではないだろうか。
背筋が冷たくなる。
私は思わず、目に力を入れた。
エリオット様は、広間の奥で足を止めた。
そこには、国王陛下と王妃陛下がいた。
そして少し離れた場所に、華やかな妃たちの姿も見える。
私は、思わず息を詰めた。
噂を思い出したからだ。
アステリア王国では、王妃陛下が冷遇されている。
国王陛下は、小国出身の妃を深く寵愛している。
そのせいで、王妃陛下の出身国であるグランヴェル国との信頼が揺らいでいる。
そう聞いていた。
けれど、目の前の空気は、私が想像していたものと少し違った。
冷え切った夫婦。
勝ち誇る妃。
押し黙る王妃。
そんなものを想像していたのに。
王妃陛下は、静かにそこに座っていた。
冷遇されて弱った女性には見えない。
むしろ、広間の空気を乱さずに支える、静かな柱のようだった。
国王陛下も、王妃陛下を軽んじているようには見えなかった。
華やかな妃たちも、王妃陛下をあからさまに見下しているわけではない。
それぞれが、それぞれの場所に立っている。
噂と違う。
そう思った。
けれど、噂がすべて嘘だとも言い切れない。
王宮という場所は、外から見るよりずっと複雑なのだろう。
だから、余計に近づきたくない。
エリオット様は、国王陛下と王妃陛下の前で足を止めた。
「父上、母上。こちらが、以前からお話ししていたマリー嬢です」
終わった。
私は、心の中で静かにそう思った。
王妃陛下が、私を見た。
穏やかな目だった。
けれど、何も見落とさない目でもあった。
「あなたが、会議で発言したご令嬢ですね」
声は静かだった。
私は深く礼をした。
「身に余ることでございます」
「内陸の民の暮らしに触れたと聞きました」
その言葉に、私は息を止めた。
グランヴェル国。
王妃陛下の出身国。
その名を出されたわけではない。
けれど、言葉の奥にその国があることは分かった。
「私は、ただ、民が困る制度は長く続けるべきではないと思っただけです」
そう答えると、王妃陛下はほんの少しだけ目を和らげた。
「その、ただ、を言える人は多くありません」
やめてください。
ほめないでください。
逃げ道がなくなります。
国王陛下も、私を見ていた。
その視線は重かった。
怖い。
とても怖い。
けれど、怒っているわけではなさそうだった。
「発言記録を読んだ」
私は、また体を固くした。
「国と民のために、貴族たちを相手に退かなかった。見事だった」
やめてください。
本当に、やめてください。
私はただ腹が立っていただけです。
そう言えるはずもない。
「エリオットは善良だ」
国王陛下は言った。
「だが、善良なだけでは政はできない」
嫌な予感がした。
とても、嫌な予感がした。
「お前が話したがった理由は分かる」
国王陛下は、エリオット様を見た。
「この方を大切にしなさい」
大切に。
いま、大切にと言いましたか。
私は、扇の内側で息を止めた。
この場で違いますなどと言えるわけがない。
無理だ。
死にたくない。
王妃陛下が、静かに国王陛下を見た。
「陛下。マリー嬢が困っておいでです」
助かった。
そう思った。
けれど、王妃陛下はすぐに私へ視線を戻した。
「けれど、エリオットがあなたと話したがる気持ちは、少し分かります」
助かっていなかった。
全然、助かっていなかった。
エリオット様は、少しだけ耳を赤くしていた。
やめてください。
そこで照れないでください。
余計に逃げにくくなります。
私は、もう笑うしかなかった。
もちろん、作り笑顔だ。
「身に余るお言葉でございます」
王妃陛下は、私の顔を見て、少しだけ息を吐いた。
笑ったのかもしれない。
「無理に笑わなくてもよろしいのですよ」
心臓が止まるかと思った。
なぜ分かるのですか。
やはり王宮の人は怖い。
特に王妃陛下は怖い。
静かなのに、逃げ道を見つけてふさいでくる。
国王陛下は、どこか面白そうに私を見ていた。
「マリー嬢の目には強い意志がある」
違います。
これは怯えと警戒です。
「私は多くの者を見てきたが、これほどまっすぐこちらを見る令嬢は珍しい」
違います。
不敬な娘だと言わせたかっただけです。
だめだ。
この方たちは、強すぎる。
何をしても、なぜか良い方へ受け取られてしまう。
早く逃げたい。
私は、深く息を吸った。
「エリオット王太子殿下。私は突然のことで少し疲れてしまいました。お話だけ伺って、帰りたいと思います」
これならどうだ。
さすがに、疲れている令嬢を引き止めることはないはずだ。
エリオット様は、すぐにうなずいた。
「そうでしたね。君もお腹が空いているでしょう。何か一緒に食べましょう」
しまった。
一人で食べるのではない。
一緒に食べるのだ。
私は朝から、ほとんど何も食べていない。
そのうえ、貸衣装店で何時間も整えられた。
お腹は、たしかに空いている。
ここで断れるほど、私は強くない。
この食いしん坊は、いつになったら直るのだろう。