軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第13話 第三王子に求婚されました

その夜、私はレオンハルト殿下の宿に泊まることになった。

宿、と言っても、もちろん普通の宿ではない。

ルーベル王国の使節団が滞在するために用意された館で、門には兵が立ち、廊下には侍従が控えている。

磨かれた床。厚い絨毯。壁に掛けられた絵。

客室に置かれた花瓶ひとつでさえ、私が泊まるつもりだった安宿の宿泊代を、軽く超えていそうだった。

けれど、どれだけ立派な部屋でも、気分は少しも晴れない。

私は旅に出たのだ。

自由になるために。

それなのに、どうして通商会議の使節団用の館で、王族の近くに置かれているのだろう。

腹が減った、と殿下が言い出し、私は強引に宿のレストランへ連れてこられてしまった。

私は一言もしゃべらずに食事をしながら、この状況から逃げられる方法を考えていた。

ただ、料理は豪華で、とてもおいしかった。

少しだけ得をした気分になったのが、悔しい。

私の食事が終わるころ、殿下が声をかけてきた。

「不満そうだな」

レオンハルト殿下は、テーブルの向かいでまだ食事を続けながら、楽しげに言った。

「不満です」

私は隠さず答えた。

「正直でよろしい」

「褒められても嬉しくありません」

そう言うと、殿下は声を上げて笑った。

本当に楽しそうに笑う人だ。

けれど、その軽さに油断してはいけないことは、今日一日でよく分かった。

この人は、笑いながら相手を見ている。

相手がどこで目を動かしたのか。

どの言葉に反応したのか。

何を隠し、何を欲しがっているのか。

そういうものを、楽しそうに眺めている。

「殿下」

私は椅子に座り直すと、まっすぐ尋ねた。

「この会議は、本当に一週間も続くのですか」

「今回は荒れる。ひと月を越えてもおかしくない」

殿下は表情も変えずに、二枚目の肉を切りながら言い放った。

ひと月。

その言葉に、私は思わず黙った。

冗談ではない。

私はミラの町を見たかった。港を歩き、店をのぞき、船を眺め、知らない道を進みたかった。

通商会議の端に座って、貴族と文官の面子の争いを聞くために海を渡ったわけではない。

「そんなのは嫌です」

「君は本当に正直だな」

「殿下」

私は、なんとか逃げられる方法をひねり出していた。

「私が、この会議をまとめる案を出したら、解放していただけますか」

レオンハルト殿下は、一瞬だけ目を丸くした。

それから、ゆっくりと笑う。

「君が?」

「はい」

「ご婦人の噂話ではなく?」

「はい」

私がそう言うと、殿下は食事の手を止めた。

「面白い。言ってみろ」

「その前に、お約束を」

「まとまる案なら、引き止める理由はない」

「本当ですね」

「王族の言葉だ」

「王族の言葉ほど、場面によって形を変えるものはないと聞いております」

「君は本当に、貴族を信用していないな」

「はい」

私は即答した。

レオンハルト殿下はまた笑った。けれど、今度はすぐに笑いを収めた。

「いいだろう。聞こう」

私は、今日の会議で出てきた言葉を頭の中で並べ直した。

税率。公平。国益。貴族の利権。民の負担。港の混雑。検査の遅れ。賄賂。

みな、別々の問題のように語っていた。

けれど、違う。

問題の根は、たぶんひとつだ。

「関税率は変えません」

私がそう言うと、レオンハルト殿下は不思議そうな顔をした。

「変えない?」

「はい。今までのままです」

「それでは、アステリアが納得しないだろう」

「納得させるのは、関税率ではありません」

私は、殿下の顔を見た。

「変えるのは、関税の取り方です」

殿下の目が、好奇心を帯びたものに変わった。

「続けろ」

「そもそも、ルーベル王国とアステリア連合国は海で隔てられています。両国の交易手段は船しかありません。ならば、税の基準を複雑な品目分類に置くより、港を使う船そのものに置いたほうが自然です」

「なるほど。船にか」

「はい」

今の関税は、仕組みが難しすぎる。

品目ごとに細かく分け、検査役が判断し、港ごとに扱いが変わる。

だから不正が生まれる。

そうして、本来なら国庫に入るはずの金が、途中で消えていく。

「難しい仕組みは、賢い人のためにあるのではありません」

私は静かに言った。

「ずるい人のためにあるのです」

「ずるい人。面白い言い方だ」

レオンハルト殿下は、ワイングラスを口元へ運びながら楽しそうに笑っている。

「日常品や一般貨物については、品目ごとの複雑な分類をやめます。船の大きさで基本税を決めるのです。大きな船は高く、小さな船は低く。それだけです」

「船が大きければ、必ず高価なものを積んでいるとは限らないぞ」

「はい。ですが、大きな船はそれだけ港を使います」

私は答えた。

「桟橋も、倉庫も、人手も、護衛も必要になります。ならば、港を使う負担に応じて税を払うのは不自然ではありません」

商人にとっても分かりやすくなる。

検査で何日も足止めされない。

賄賂を払わなくても荷を通せる。

複雑な制度を守っても、途中で抜かれては意味がない。

民が払った金が国庫に届かないなら、それは税ではなく、誰かの私腹を肥やす道具でしかない。

「面白い」

レオンハルト殿下は、少し身を乗り出してきた。

「船の大きさに税をかければ、不正の余地は減ります」

「交易の検査も簡単になります。船主は、多くの荷を動かせるよう協力するでしょう」

「物流が増えます。お金が動きます。余計な上乗せが減れば、品物の値段も今より正しい形に近づきます」

そこまで言うと、殿下はワイングラスをテーブルに置いた。

小さな音が、やけにはっきり響いた。

「一番痛いのは港の貴族どもだな。そうだろ」

私はうなずいた。

「国庫は増えます。民は品を買いやすくなります。けれど、途中で抜いていた者たちは、旨い汁を吸えなくなります」

殿下は、まるで私の答えを知っていたように、すぐに言った。

「港を押さえている貴族どもと、その手先の役人たちは、頭を抱えるだろうな」

レオンハルト殿下は、楽しげに目を細めた。

「つまり」

殿下は、指先で空いた皿の縁を軽く叩いた。

「王家には良い。国庫にも良い。民にも良い。内陸にも良い。だが、貴族だけが痛む」

「そうなります」

「貴族の反対はどう抑えるつもりだ」

「高価な品を別枠とします。それは今までの仕組みを残せばよいのです」

宝石、香辛料、高級絹、魔道具、希少薬草。

船の大きさだけでは価値を測れない品は、今まで通り品目別に税をかける。

鑑定も、審査も、従来通り残す。

そこには貴族の関与も残る。

すべてを奪えば、改革は通らない。けれど、日常品から手を離させるだけで、民の暮らしは変わる。

「君は、とんでもないことを考えつくな」

「そうでしょうか」

私は迷わず答えた。

「不正が起こりにくい、単純な仕組みにするべきです」

殿下は大きくうなずいた。

「まったく、その通りだ」

それから、殿下はナイフとフォークを置いた。

もう食事には興味がなくなったようだった。

「大したものだ。わずか一日でその考えに至るとは」

「一日で考えたわけではありません」

「ほう?」

「本で読んだ知識と、旅の準備で調べたことと、今日の会議で聞いたことを並べただけです」

「それを並べられる者は多くない」

殿下は楽しげに笑った。

「やはり、私の目に狂いはなかったな」

「褒めても解放の約束は忘れません」

「分かっている」

そう言いながら、深くため息を吐いた。

「というか、驚きだ」

殿下は低く笑った。

「この任を得てから、私がずっと考えていた答えを、ここで聞かされるとは」

殿下は、身を乗り出して私の顔を直視する。

本当に、失礼だ。

でも、解放されるためにはしばらくは従うと決めていた。

「人より優れているとうぬぼれていたことを、この場で思い知らされるとはな。愉快だ。実に愉快だ」

その言葉が、本当に愉快そうだったので、私は少しだけ背筋が寒くなった。

「税率ではなく仕組みを変える。しかも、貴族の利権を完全には潰さず、高価な品に逃げ道を残す」

レオンハルト殿下は、ゆっくりと言葉を続けた。

「ルーベル王国は、関税率を下げていない。表向きには譲っていない。それは私の功績になる」

杯の中で、赤い酒が蝋燭の光を受けて揺れた。

「関税率を同じにされるよりは、ルーベル側の貴族も飲みやすい」

「高価な品の別枠が残るなら、完全に利権を失うわけでもない」

殿下は、テーブルの真ん中に置かれた花瓶から、赤いバラを一つ手に取った。

椅子に深く座り直し、赤いバラを見ている。

「内陸のグランヴェル国には、今までより物が流れやすくなる」

「今回の強硬派にとっても飲める話だ」

さらに、殿下は笑う。

「一番痛むのは、アステリアの海側の貴族だ」

その声は、食事中の軽さを残しているのに、刃物のように冷たかった。

「中心であるアステリア王国は、グランヴェルの軍事力を無視できない」

「だが、両国には亀裂が入っている」

殿下は、赤いバラを回している。

「駒はそろった。それをどのように動かすかだけだ」

私は、おそるおそる尋ねた。

「通るでしょうか」

「通す」

短い言葉だった。

迷いがなかった。

「では、私は自由の身ということでよろしいでしょうか」

そう言った瞬間、殿下の顔から笑みが薄れた。

「第一王子は真面目だ」

突然出た第一王子の話に、私は少しだけ口が開いてしまった。

「真面目で、規則を守り、誰の顔も潰さない。だが、それだけだ。国を変えるには、真面目なだけでは足りない」

殿下は続けた。

「第二王子は、あの男と同じだ」

「あの男?」

「君の元婚約者だ」

カイルの顔が頭に浮かび、私は思わず眉を寄せた。

「過去も見ていない。将来も見ていない。見ているのは、自分が気持ちよくいられる場所だけだ」

その評価には、否定できるところがなかった。

「ルーベル王国を変えられるのは、私だけだと自負している」

すると、レオンハルト殿下は、まっすぐに私を見つめた。

すべてを見抜いているような黒い瞳に、吸い込まれそうに感じた。

「ルーベル王国は、このままでは衰える」

レオンハルト殿下は、静かに言った。

その声に、私は思わず口を閉じた。

「過去の栄光にしがみつき、まだ自分たちが上にいると思い込んでいる。だが、現実は違う。アステリアは力をつけた。海を押さえ、船を増やし、人を集め、金を動かしている」

殿下の声は低かった。

怒っているようにも、呆れているようにも聞こえた。

「ルーベルの貴族どもは、それを認めようとしない。自分たちの屋敷と領地と古い権利さえ守れれば、国が傾いても構わないと思っている」

「……殿下」

「後ろ盾のない第三王子だからこそ、貴族どもの顔色を見ずに言えることがある」

「失うものが少ないからこそ、切れるものがある」

私は、何も言えなかった。

軽い言葉ではなかった。

この人は、本気で言っている。

私が驚いている間に、殿下は私の横に立っていた。

「君は、本当にこの赤いバラと同じだ」

「美しく、とげがある」

「そのとげを、身を守るためだけではなく、国を守るために使ってほしい」

殿下は、私に一輪の赤いバラを、膝をつき差し出した。

「エレノア」

殿下が、私の名を呼んだ。

いつものような、からかう響きではなかった。

口調も変わってしまっていた。

「俺と結婚しろ」

一瞬、私の頭の中が真っ白になった。

「……はい?」

間の抜けた声が出た。

仕方がないと思う。

通商会議の話をしていたはずなのに、なぜ突然、結婚の話になるのか。

「俺の妃になれ」

「お前の考えを、もっと俺に聞かせてくれ」

レオンハルト殿下は、膝をついたまま平然と続けた。

「俺は、この国の王になるつもりだ。共に、国を、民を、豊かにできるぞ」

そして、少しだけ声を落とす。

「貴族制度も変えるつもりだ」

私は、しばらく殿下を見つめた。

あまりにも、現実離れしている。

何の後ろ盾もない第三王子が王になる。

蜘蛛の糸に絡まっているような貴族制度を変える。

それを、平然と言ってのける。

身震いがした。

けれど、この人の憂いは、私の中にあるものと少し似ているとも思えた。

冗談。

そう思いたかった。

けれど、殿下の目は笑っていなかった。

「王命ですか」

私が尋ねると、殿下は肩をすくめた。

「さすがに王命で結婚はできない」

「できても、私はするつもりはない」

あっさりと言われた。

それなら、答えはひとつしかない。

「では、お断りします」

「そうだろうな」

早い。

あまりにも早く納得された。

私は、逆に言葉を失った。

「分かっていたのですか」

「今の君が受けるとは思っていない」

「では、なぜ言ったのですか」

レオンハルト殿下は、そこでいつものように笑った。

軽く、楽しげに。

けれど、ひどく厄介な笑みだった。

「まあ、すぐに誰かのものになりそうではないので、考える時間はあるさ」

「バラはこのままでは枯れてしまう。あとで、水差しに入れてくれ」

私に赤いバラを渡すと、立ち上がり、席に戻った。

私は、胸の奥が少しざわつくのを感じた。

この人は苦手だ。

断られると分かっていて、結婚しろと言う。

好きでも。

嫌いでも。

そのどちらでなくても。

私の心に、その言葉が残ることを分かっている。

分かっていて、言ったのだ。

本当に、厄介な人だ。