作品タイトル不明
第227話 西の森を止める狙い
騎士団の詰め所を出たあと、俺たちは黒い魔石片の保管場所へ向かった。
詰め所から少し離れた、騎士団の管理する小さな倉庫だ。
ノルが扉の前で見張りに声をかける。
「箱を出せ」
「はっ」
中へ入ると、封をされた木箱が台の上に置かれていた。
箱の横には、レナードが書いた札が並んでいる。
第一陣の小型魔物から出たもの。
第二陣の獣型魔物から出たもの。
胸部の核を砕いた際に回収した破片。
どの魔物から、いつ、誰が回収したのか。
その記録が、一つずつつけられていた。
司法院の調査官は、まず封を確認した。
「封は破られていませんね」
「回収後、騎士団立ち会いのもとで箱に入れています」
レナードが答える。
「保管記録はこちらです」
調査官は帳面を受け取り、箱の札と照らし合わせた。
その動きは淡々としている。
だが、雑ではない。
確認する順番が決まっているのだろう。
もう一人の調査官が、箱の中から黒い破片を一つ取り出した。
布の上に置かれたそれは、朝の光を受けても鈍い黒のままだった。
見ているだけで、胸の奥に嫌な重さが残る。
「王都西南の森で回収されたものと、かなり近いと見てよいでしょう」
調査官が低く言った。
「同じものですか」
俺が聞くと、調査官は首を横に振った。
「ここでは断定しません。ですが、形状、色、魔力の残り方、使われ方。
どれも記録上のものと似ています」
もう一人が記録に書き込む。
「一部は王都へ持ち帰り、残りは当面こちらで保管します。
箱ごと動かすより、その方がよい」
ノルが頷いた。
「警備は継続します」
「お願いします。これは捕縛者の身柄と同じくらい重要です」
調査官は黒い破片を布に戻し、箱を閉じた。
長い確認ではなかった。
だが、この箱の扱いが変わったのは分かった。
◇
次に、俺たちは西の森へ向かった。
同行するのは、俺、ノル、レナード、司法院の調査官二名、護衛の騎士たち。
現場責任者には、先に知らせを出してある。
馬車に揺られながら、俺は窓の外を見ていた。
◇
西の森側作業場に着くと、現場責任者がすでに待っていた。
顔には疲れが残っている。
それでも、司法院の調査官を見ると、すぐに姿勢を正した。
「お待ちしておりました」
調査官は短く挨拶し、すぐ本題に入った。
「最初の悲鳴が上がった場所へ案内してください」
「こちらです」
現場責任者が先に立つ。
作業場の奥。
木材を集めていた場所の近く。
そこが第一陣の魔物が現れた場所だった。
「最初は、この辺りから作業員が逃げてきました」
現場責任者が説明する。
「魔物は作業員を追うように、作業場側へ進んできたのです」
ノルも補足した。
「護衛が前へ出た時点では、作業員の退避がまだ終わっておりませんでした」
調査官は周囲を見る。
作業場。
木材置き場。
荷車道。
退避場所へ向かう道。
そこからさらに、湯屋のある方向へ視線を動かした。
「第二陣は?」
「こちらです」
今度は少し離れた場所へ移動する。
第一陣が出た方向とは違う。
西側の仮設柵のさらに向こう。
木々の間に、踏み荒らされた跡がまだ残っていた。
調査官の表情がわずかに変わる。
「別方向ですね」
「はい」
俺は頷いた。
「第一陣に対応している最中に、第二陣がこちらから出ました」
「偶然に一群が迷い込んだ、という出方ではありません」
調査官はそう言い、足元を見た。
レナードが帳面を開く。
「第二陣の出現時、退避中の作業員の一部が湯屋側へ逃げかけています」
「退避場所ではなく?」
「はい。混乱していたためです。ミアと私で誘導し直しました」
調査官は、退避場所の札を見る。
次に、湯屋へ続く道。
水場。
荷車道。
そして、作業員が普段歩く細い道。
「第一陣は作業場を乱す位置から出ている」
調査官が静かに言った。
「第二陣は、退避の流れを崩す位置から出ている」
俺は黙って聞いていた。
「ただ魔物を森に放っただけなら、ここまで都合よく分かれません。
少なくとも、作業場の構造をある程度知っていたか、事前に見ていた者がいる可能性があります」
現場責任者が息を呑む。
俺も、背中が冷えるのを感じた。
ガザルには西の森への恨みがある。
それは分かっている。
だが、この配置はただの八つ当たりではない。
作業場のどこに人がいるか。
逃げる時にどこへ向かうか。
どこが混乱しやすいか。
そこを狙っている。
◇
調査官は、湯屋の方へ歩いていった。
まだ昼前だが、湯気が上がっている。
人の出入りは少ない。
それでも、水場の近くには作業員が数人いて、こちらを遠巻きに見ていた。
「ここは、木を切るためだけの場所ではないのですね」
調査官が言った。
「はい」
俺は頷く。
「最初は簡単な露天風呂を作っただけでした。
でも今は、作業員が疲れを落とし、食事を取り、冒険者も休む場所になっています」
「森へ入る人を支える場所、ということですか」
「そうです。西の森の前線拠点になり始めています」
調査官は、しばらく湯屋を見ていた。
水場。
食事を出す小屋。
作業員が腰を下ろす木の長椅子。
荷車の通る道。
木材置き場。
それらを一つずつ目で追っていく。
「ならば、狙われたのは作業場だけではありませんね」
その言葉に、俺は調査官を見た。
「人が集まる流れです」
調査官は続けた。
「ここに来れば休める。食事が取れる。疲れを落として、また森へ入れる。
そういう場所があるから、人はこの森に留まる」
俺は小さく頷いた。
「そこを乱せば、作業員は不安になります。
冒険者も近づきにくくなる。人足も集まりにくくなる」
「開拓の足が止まります」
調査官の声は、淡々としていた。
だが、その中身は重かった。
魔物を倒したかどうかではない。
人が森へ入る気持ちを折る。
ここに集まる流れを壊す。
それが狙いだったのだとしたら。
俺の中で、一人の名前が浮かんだ。
グレイヴ侯爵。
ハル領の発展を嫌がる者。
西の森が動き始めることを、面白く思わない者。
ガザルに西の森への恨みがあるなら、それを利用したのは誰か。
俺の中では、もうほとんど答えが見えていた。
だが、口には出さない。
今ここでその名を言えば、ただの感情になる。
相手は貴族だ。
こちらが先に足を滑らせれば、逆に攻め込まれる。
調査官が、俺の顔を見た。
「何か思うところがありそうですね」
俺は少しだけ間を置いた。
「この森の開拓が進むことを、快く思わない者はいると思います」
それだけ言った。
調査官は深く追及しなかった。
「では、そう記録します。西の森開拓を妨害する意図があった可能性、と」
「お願いします」
調査官は頷く。
「貴族の関与については、現時点では広げません。
まずは、この襲撃が何を狙っていたのかを固めます」
その判断に、俺は少しだけ安心した。
この人たちは、疑いを無視しているわけではない。
ただ、今出せる形に整えている。
それが分かった。
◇
現場確認が一段落したところで、ノルが調査官へ尋ねた。
「捕縛者の移送については、どのように進めますか」
調査官はすぐに答えた。
「王都へ送る方向で進めます。ただし、今いる人数だけで動かすべきではありません」
「危険が大きいと?」
「はい。魔法を使える可能性がありますし、灰狼の牙の残党が残っているかもしれません。
さらに、今回の件に依頼主がいるなら、口封じを狙う者が動くことも考えられます」
口封じ。
その言葉に、胸の奥が冷える。
ガザルが王都へ運ばれる前に消される。
あり得ない話ではない。
むしろ、背後に誰かがいるなら、一番避けたいのはガザルがしゃべることだ。
「王都司法院へ正式な護送隊を要請します」
調査官は言った。
「それまでは、ハル領騎士団と司法院護衛で共同管理します。
捕縛者を動かすのは、現場確認と初期調書をまとめた後です」
ノルが頷く。
「承知しました。詰め所の警備はさらに強めます」
「お願いします」
これで、ガザルの処理の方向は見えた。
王都へ送る。
だが、慌てて動かさない。
必要な記録を取り、護送の準備を整える。
その間、ハル領はガザルを守らなければならない。
捕まえた相手を守る。
妙な話だ。
だが、今はそれが必要だった。
ガザルがいなければ、灰狼の牙も、黒い魔石片も、依頼主も遠くなる。
◇
調査官は、最後に作業場全体を見渡した。
「今回の事件は司法院で扱います。ですが、今後の安全管理はハル領側の課題です」
「分かっています」
俺は答えた。
退避場所の札。
危険区域の札。
湯屋や水場へ向かう道。
荷車道。
作業員が集まる時間帯。
見回りの位置。
魔物だけを想定していた時とは、考え方を変えなければならない。
人が増えた。
拠点が広がった。
なら、守り方も変える必要がある。
西の森で文字が読めるかどうかを確認しようとした時、俺は読めないことが命に関わると思っていた。
それは間違っていなかった。
だが、今回で分かった。
札を読めるようにするだけでは足りない。
人の流れをどう守るか。
逃げ道をどう見せるか。
混乱した時、誰が声を出すか。
そこまで考えなければならない。
調査官が帰った後も、西の森は続く。
むしろ、ここからが本番だ。
ガザルが荒らそうとしたのは、作業場だけではなかった。
西の森に人が集まり、ハル領が前へ進む流れ。
そのものだった。
俺は湯気の向こうに広がる西の森を見つめながら、静かに息を吐いた。
この森を、止めさせるわけにはいかない。