作品タイトル不明
第222話 王都ギルドの記録
王立学院の寮を出ると、王都の空は夕暮れに染まり始めていた。
夏休み中とはいえ、王都そのものが静かなわけではない。
大通りには馬車が行き交い、商人たちの声が響き、露店の片づけを始める者たちもいる。
俺はその人混みの中を、できるだけ急いで王都ギルドへ向かった。
黒い魔石片。
灰狼の牙。
ガザル。
この三つを、王都ギルドにある記録と照合する必要がある。
◇
王都ギルドに入ると、受付の職員が俺に気づいた。
「あら、リオンさん」
学業の合間に冒険者活動をしているせいで、俺の顔は王都ギルドでもそれなりに知られている。
普段なら依頼の報告か、素材の確認だと思われただろう。
だが、今日は違う。
「緊急の報告があります」
俺がそう言うと、受付の表情が少し引き締まった。
「緊急、ですか」
「王都西南の森で見つかった黒い魔石片の件と、関係があるかもしれません」
その言葉で、受付の顔色が明らかに変わった。
王都西南の森。
黒い魔石片。
この二つは、ギルド側でもまだ軽い話ではないのだろう。
「少々お待ちください」
受付はすぐに奥へ声をかけた。
俺はその間に、持ってきた書類を取り出す。
西の森襲撃の記録。
黒い魔石片の形状記録。
死骸魔物の胸部に核として埋め込まれていたこと。
核を砕くと動きが止まったこと。
ガザルと思われる男の尋問記録。
そして、小さな黒い魔石片の破片。
しばらくして、奥から上席の職員が現れた。
「リオン・ハルさんですね」
「はい」
「こちらへ。受付で聞く内容ではなさそうです」
俺は頷き、別室へ通された。
◇
部屋に入ると、上席職員はすぐに扉を閉めた。
「まず、何が起きたのかをお聞かせください」
「分かりました」
俺は、できるだけ事実だけを順番に話した。
ハル領の西の森で、死骸魔物が複数現れたこと。
第一陣、第二陣に分かれて作業場を襲ったこと。
魔物の胸には黒い魔石片が埋め込まれていたこと。
その核を砕くと、魔物の動きが止まったこと。
森の奥で術者らしき男を捕縛したこと。
その男は、西の森の旧拠点に関わるガザルである可能性が高いこと。
ある貴族領の者と接触していた可能性があること。
ただし、そこはまだ証拠が足りないこと。
上席職員は途中で一度も口を挟まなかった。
ただ、俺が「ガザル」という名を出した時、わずかに表情が動いた。
話し終えると、職員は静かに言った。
「確認します。ハル領で本日起きた事件、ということでよろしいですね」
「はい」
「ハル領から王都までは、早馬でも二日はかかるはずです」
やはり、そこに気づく。
当然だ。
今日起きた事件を、今日の夕方に俺が王都ギルドへ持ち込んでいる。
普通ならあり得ない。
「今は詳しい事情は言えません」
俺は答えた。
「ただ、急ぐ必要がありました」
上席職員はしばらく俺を見ていた。
たぶん、納得はしていない。
だが、追及もしなかった。
今は、俺がどうやって王都へ来たかより、持ってきた情報の方が重要だと判断したのだろう。
「分かりました。移動手段については、今は問わないことにします」
「ありがとうございます」
「黒い魔石片を見せていただけますか」
俺は小さな布包みを机に置いた。
上席職員は慎重に布を開く。
中には、小さな黒い破片があった。
光を吸い込むような、嫌な色をした石。
西の森で死骸魔物の胸から出てきたものだ。
職員の表情がさらに険しくなる。
「王都西南の森の件と、よく似ています」
「やっぱり」
「記録を確認します」
職員は近くの者を呼び、王都西南の森の記録を持ってくるよう命じた。
◇
しばらくして、分厚い記録帳が運ばれてきた。
王都西南の森での異常魔物の記録。
そこには、俺が以前報告した内容も含まれていた。
痛みに反応しにくい魔物。
胸部に埋め込まれた黒い魔石片。
核を壊すと停止したこと。
普通の魔物とは違う動き。
上席職員は、一つずつ確認していく。
「特徴が一致しすぎています」
「同じ術式か、少なくとも同系統だと思います」
「こちらの記録でも、黒い魔石片は魔物の胸部にありました。今回も同じですか」
「はい。第一陣、第二陣の両方から確認されています」
「複数体に?」
「はい」
職員は一度、目を閉じた。
「一体だけなら、異常個体で済ませる余地もありました。
しかし複数体となると、人為的に用意されたと見るべきでしょう」
「ハル領でも、そう判断しています」
俺は記録の写しを机に置く。
「どの魔物から出たか、核の位置、核を砕いた時の反応も記録してあります」
職員はそれを受け取り、ざっと目を通した。
「かなり整理されていますね」
「現場で文官に記録してもらいました」
「助かります。これは後で司法院にも必要になります」
司法院。
その言葉が出た時点で、話の重さが一段変わった気がした。
◇
「それから、捕縛した男の件です」
俺は続けた。
「西の森の旧拠点の記録と照合したところ、ガザルという名が出ました。
本人は名乗っていません。ただ、その名に明らかに反応しています」
上席職員の目が鋭くなった。
「ガザル、と言いましたか」
「はい」
「灰狼の牙のガザルですか」
「その可能性があると思っています」
部屋の空気が変わった。
上席職員はすぐに別の記録を取り寄せた。
今度の記録帳は、魔物ではなく、盗賊団や広域犯罪者に関するものだった。
灰狼の牙。
王都周辺だけでなく、複数の領地で活動していた盗賊団。
荷の強奪。
密輸。
闇取引。
薬草、魔石片、魔物素材の違法な売買。
その組織の頭目とされる男の名。
ガザル。
所在不明。
王都西南の森の事件にも関与疑い。
記録を読むにつれ、上席職員の顔から余裕が消えていった。
「もし、ハル領で捕らえた男が本当にガザルなら、これはハル領だけの事件ではありません」
「そう思って、急いで来ました」
「よく来てくださいました」
職員は記録帳を閉じる。
「ガザルの身柄は、現在ハル領に?」
「はい。領騎士団の詰め所で拘束しています。
魔法を使う可能性があるので、厳重に監視しています」
「賢明です」
「黒い魔石片の現物も、大部分はハル領で保管しています。
王都へ持ってきたのは照合用の小さな破片だけです」
「それで構いません。むしろ証拠をすべて動かさない判断は正しいです」
俺は少しだけ息を吐いた。
少なくとも、そこは間違っていなかったらしい。
◇
上席職員は、さらに声を落とした。
「リオン様。もう一つ確認します。貴族関与の可能性がある、とおっしゃいましたね」
「はい」
「依頼主が貴族だと断定できる証拠は?」
「ありません」
俺は即答した。
「ただ、ガザルと思われる男は、単独ではなく誰かに依頼されて動いた可能性が高いです。
死骸魔物の数、黒い魔石片の準備、襲撃の配置から見ても、私怨だけでは説明しにくい」
「それで、貴族領の名に反応した」
「はい。ただし、そこは反応があったというだけです。断定はできません」
職員は深く頷いた。
「その言い方でよろしいかと。ここで貴族名を断定すれば、話が別の方向へ広がります」
「分かっています」
「ですが、貴族関与の可能性がある時点で、冒険者ギルドだけでは扱えません」
職員は立ち上がった。
「これは司法院へ上げます」
俺は黙って頷いた。
司法院。
その長は、ヴァレスト公爵ユリウス。
セレナの父。
今回の話が司法院に上がれば、必ずユリウスの耳に入るだろう。
この件は、ギルドだけで抱えるには大きすぎる。
◇
ギルド内がにわかに慌ただしくなった。
上席職員は複数の記録を確認しながら、急報の作成を命じる。
俺も内容を確認するよう求められた。
報告者。
リオン・ハル。
発生場所。
ハル領西の森。
事案。
死骸魔物による作業場襲撃。
黒い魔石片を核として使用。
王都西南の森の事件との類似。
捕縛者。
灰狼の牙頭目ガザルの可能性。
現在、ハル領騎士団詰め所にて拘束中。
貴族関与。
可能性あり。
ただし、現時点では断定できる証拠なし。
俺はそこを見て、職員に言った。
「貴族関与のところは、可能性に留めてください」
「承知しています」
「グレイヴ領の名は?」
「ここには書きません」
上席職員ははっきり言った。
「司法院へ口頭で補足する場合も、あくまで未確定情報として扱います」
「お願いします」
父上の言葉が頭に残っていた。
分かったことと、まだ分からないことを分けろ。
焦って断定すれば、足をすくわれる。
特に、貴族が関わる可能性があるなら。
俺は急報の内容を最後まで確認した。
「この内容で間違いありません」
「では、司法院へ送ります」
上席職員が合図を出す。
ギルドの使者が、急報を持って走り出した。
◇
夕方の王都を、ギルドの使者が駆け抜ける。
その背中を、俺は窓越しに見送った。
王都へ来た時点で、ある程度は予想していた。
だが、実際に司法院へ話が上がるとなると、胸の奥に重さが生まれる。
これはもう、ハル領だけの事件ではない。
灰狼の牙。
黒い魔石片。
ガザル。
貴族関与の可能性。
そして、西の森への襲撃。
王国の司法が動く話になり始めている。
上席職員が俺に言った。
「司法院から返答があるまで、しばらくこちらでお待ちください」
「分かりました」
「それと、リオン様」
「はい」
「ハル領からここへ来られた手段については、いずれ確認されると思います」
「……ですよね」
「ですが、今はこの件が先です」
「ありがとうございます」
俺は小さく頭を下げた。
転移魔法のことは、いつまでも隠せるものではない。
ヴァレスト公爵にも、いずれ説明しなければならないだろう。
でも、今は黒い魔石片とガザルが先だ。
◇
王都司法院。
重い石壁に囲まれた建物の中で、ギルドからの急報はすぐに記録官の手に渡った。
報告書に並ぶ文字を見て、担当官の顔色が変わる。
担当官は、読み終えるとすぐに立ち上がった。
「これは、閣下へ」
司法院の長へ上げるべき案件だった。
◇
ヴァレスト公爵ユリウスは、司法院の執務室にいた。
日が沈みかけた王都の光が、窓から差し込んでいる。
机の上には、別件の調書がいくつも積まれていた。
そこへ、急ぎの報告が届く。
ユリウスは差し出された報告書に目を通した。
最初の数行で、表情が変わる。
ハル領西の森。
黒い魔石片。
灰狼の牙。
ガザル。
貴族関与の可能性。
そして、報告者。
リオン・ハル。
ユリウスはしばらく黙っていた。
やがて、低く呟く。
「ここでも名前が出てくるのか、リオン君」
呆れたような声音だった。
だが、その目は笑っていなかった。
これは、ただの少年の活躍話ではない。
王国の治安。
危険術式。
広域犯罪。
そして、貴族の影。
扱いを間違えれば、火種は一気に広がる。
ユリウスは報告書を机に置き、静かに命じた。
「彼をこちらへ通しなさい。直接聞く」
◇
王都ギルドで待っていた俺のもとへ、司法院の使者が来たのは、それから間もなくのことだった。
使者は俺の前で一礼する。
「リオン・ハル様。ヴァレスト公爵閣下がお会いになります」
その名を聞いて、俺は一瞬だけ息を止めた。
今回の件は、もう冒険者ギルドへの報告では終わらない。
俺は持っていた照会文を握り直した。
王都へ来た目的は、黒い魔石片の確認だった。
だが、灰狼の牙の名が出たことで、話は一気に大きくなった。
ここから先は、王国の司法が動く話になる。