作品タイトル不明
第221話 王都へ飛ぶ
詰め所を出たあと、俺はノルとレナードと共に屋敷へ戻った。
空はもう夕方に近い。
西の森で魔物の群れに襲われ、森の奥で術者らしき男を捕らえ、詰め所で尋問を行った。
今日一日で起きたこととしては、あまりにも重い。
捕らえた男は、ガザルである可能性が高い。
灰狼の牙という盗賊団の頭目かもしれない男。
西の森の旧拠点に関わり、こちらに強い恨みを持っている男。
さらに、グレイヴ領の者と接触した可能性もある。
そして、黒い魔石片。
王都西南の森で見たものと似ている。
あれが同じ系統のものなら、王都ギルドには記録が残っているはずだ。
問題は、距離だった。
ハル領から王都までは、馬車なら五日。
早馬でも二日はかかる。
二日。
普段なら、そこまで長いとは思わない。
だが、今は違う。
ガザルの関係者が動くかもしれない。
黒い魔石片に関する記録照会が遅れるかもしれない。
グレイヴ領の者が関わっているなら、その間に証拠を消される可能性もある。
今の問題は、ただ情報を送ることではない。
速度だった。
早く王都ギルドへ知らせ、過去の記録と照合する。
早く、黒い魔石片と灰狼の牙をつなぐ情報があるか確かめる。
そこまで考えた時、俺は一つの魔法を思い出していた。
福嶋亮太の魔法理論書にあった、転移魔法だ。
◇
父上の部屋に入ると、母上がそばにいた。
父上は寝台に上半身を起こしている。
顔色はまだよくない。
だが、俺を見る目はしっかりしていた。
「戻ったか、リオン」
「うん。ただいま、父上」
母上が心配そうに俺を見る。
「怪我はないの?」
「ないよ。大丈夫」
母上は小さく息を吐いた。
俺は父上の前に立ち、できるだけ短く報告した。
西の森で死骸魔物が出たこと。
胸に黒い魔石片が埋め込まれていたこと。
森の奥で術者らしき男を捕らえたこと。
その男が、以前の西の森の旧拠点に関わるガザルである可能性が高いこと。
黒い魔石片について、王都ギルドと急ぎ情報を共有したいこと。
グレイヴ領の名にも反応があったこと。
ただし、まだ証拠はないこと。
父上は黙って聞いていた。
途中で口を挟まなかった。
俺が話し終えると、少しだけ目を閉じる。
「分かったことと、まだ分からないことは分けているな」
「うん」
「ならいい」
父上は静かに言った。
「黒い魔石片があったこと。死骸魔物が動いていたこと。ガザルと思われる男を捕らえたこと。王都ギルドに照会すること。ここまでは進めていい」
「グレイヴ領の件は?」
「まだ言い切るな」
父上の声は弱い。
けれど、言葉ははっきりしていた。
「反応があった。接触の可能性がある。そこまでだ。侯爵本人の名を出すには、証拠が足りない」
「分かってるよ」
「分かっているならいい」
父上は少し息を整えた。
母上がすぐに水を差し出す。
父上は一口だけ飲んでから、俺を見る。
「王都ギルドへは、早馬を出すのか」
「それだと二日かかる」
「急ぎたいのだな」
「うん」
俺は少し迷った。
だが、ここで隠しても仕方がない。
「今日中に王都へ行けるかもしれない」
母上の表情が変わった。
「今日中に?」
父上も目を細める。
「どういうことだ」
「ある本にあった魔法を使う」
その瞬間、父上の顔にわずかな緊張が走った。
「ある本?」
「うん。王立図書館で見つけた本の中に転移魔法があったんだ。
目印を置いた場所同士を結ぶ魔法」
母上が不安そうに聞く。
「危険はないの?」
「完全にないとは言えない」
俺は正直に答えた。
「でも、学院で一度成功してる。夏休み前に、訓練所で試した。」
「一度成功しているだけで、使うのか」
父上の声には、責める響きはなかった。
ただ、確認するような言い方だった。
「学院長からは、自重するように言われてる」
「そんな魔法を使うのか」
「うん。俺も、気軽に使っていい魔法じゃないと思ってる」
転移魔法は便利すぎる。
距離の意味を変える。
情報の流れを変える。
人の移動も、領地間の力関係も、全部変えてしまう可能性がある。
学院長が自重しろと言った理由は分かる。
それでも。
「今回は、自重してる場合じゃない」
俺は言った。
「黒い魔石片とガザルのことを、できるだけ早く王都ギルドへ確認したい。
早馬の二日を待つより、俺が行った方が早い」
父上はしばらく俺を見ていた。
それから、静かに頷いた。
「おまえの考えるとおりにしてみろ」
「父上」
「学院長への報告は後でもいい。だが、隠すな」
「分かった」
母上はまだ心配そうだった。
「本当に大丈夫なのね」
「大丈夫って言い切るのは怖いけど、やる価値はある」
「リオン」
「無茶はしない。王都へ着いたら、ギルドに行って、必要な情報だけ確認する」
母上は小さく息を吐いた。
「戻ってくるのよ」
「うん。戻ってくる」
父上は最後に一言だけ言った。
「急げ。だが、焦るでないぞ」
「分かった」
その言葉を受けて、俺は部屋を出た。
◇
俺は自室へ戻った。
感傷に浸る余裕はない。
まず、机の上を片づける。
床に置いていた荷物を端へ寄せる。
扉の位置。
窓の位置。
机の角度。
自分が確実に認識できる場所を確認する。
転移魔法で大事なのは、目印だ。
行き先をただ思い浮かべるだけでは危ない。
空間の入口と出口を固定する基準が必要になる。
王立学院の自室には、すでに目印がある。
学院で試した時に設置したものだ。
ならば、ハル領側にも同じような目印を設置すればいい。
ここが、戻ってくるための出口になる。
俺は部屋の隅を選んだ。
誰かに踏まれない。
それでいて、自分が一目で分かる場所。
小さく魔力を流しながら、床板の継ぎ目に沿って術式を刻む。
目立つ必要はない。
俺が認識できればいい。
薄く光が走った。
すぐに消える。
目印は、そこに固定された。
俺は息を整えた。
次に、持っていくものを選ぶ。
西の森襲撃の記録の写し。
黒い魔石片の形や状態を書いた記録。
核を砕くと死骸魔物が止まったという記録。
ガザルと思われる男の尋問記録。
王都ギルドへの照会文。
それから、黒い魔石片の小さな破片を一つだけ。
俺が準備を終える頃、扉が叩かれた。
「若様」
ノルの声だった。
「入って」
ノルが入ってくる。
その後ろにはミアもいた。
ミアは小さな包みを持っている。
「最低限の着替えと水をお持ちしました」
「ありがとう」
「本当に、お一人で行かれるのですか」
ノルが聞く。
「うん。転移魔法で他の人を連れていくのは、まだ試してない。
今回は俺一人の方が安全だと思う」
「王都に着いた後は」
「すぐ王都ギルドへ行く」
「ギルドから出る時も、できるだけ人目のある道を使ってください。
灰狼の牙の関係者が王都に残っている可能性もあります」
「分かった」
ノルは、まだ納得しきっていない顔だった。
でも、止めなかった。
止められる状況ではないと分かっているのだろう。
「こちらでは、ガザルと思われる男の監視と、西の森の警備を続けます」
「お願い」
ミアが不安そうに俺を見る。
「リオン様、お気をつけください」
「ありがとう。大丈夫」
そう言いながらも、胸の奥には緊張があった。
学院で一度成功している。
それは事実だ。
でも今回は、訓練所での試験とは違う。
ハル領と王都。
早馬で二日かかる距離を、一気に越える。
失敗すれば、ただでは済まない。
俺は目印の前に立った。
◇
学院長の言葉が頭をよぎる。
福嶋亮太の魔法は、大きすぎる。
軽々しく使うな。
特に転移魔法は、人の移動だけでなく、情報と権力の流れまで変える。
その通りだと思う。
距離が消える。
時間が縮む。
それは、とんでもない力だ。
もしこの魔法が広く知られれば、王国の仕組みそのものが変わるかもしれない。
だが、今はその危険を理解したうえで使う。
早馬の片道二日を待つ間に、失われるものがあるかもしれない。
なら、今は飛ぶべきだ。
俺は目を閉じた。
思い浮かべるのは、王立学院の自室。
机。
本棚。
窓。
床の感触。
そして、あの部屋に設置してある転移の目印。
魔力を流す。
ハル領の自室に刻んだ目印が、淡く反応する。
次に、遠く離れた王立学院の目印を探る。
細い糸を手繰るような感覚。
空間の奥に、小さな光がある。
そこへ、こちらの目印を結ぶ。
入口を開く。
出口を固定する。
道を通す。
部屋の輪郭が揺れた。
音が遠のく。
ノルとミアの気配が、少しずつ薄くなる。
足元の感覚が消える。
次の瞬間、視界が白く弾けた。
◇
目を開けると、そこは王立学院の自室だった。
静かだ。
夏休み中の学院は、人の気配が薄い。
見慣れた机。
本棚。
窓。
学院の空気。
床の目印が、淡い光を残して消えていく。
転移は成功した。
俺はゆっくり息を吐いた。
「……来た」
早馬で二日かかる距離を、一瞬で越えた。
その事実に、少しだけ背筋が冷えた。
便利だ。
便利すぎる。
学院長が自重しろと言った意味が、改めて分かる。
俺は荷物を持ち直した。
学院長には、あとで怒られるかもしれない。
福嶋亮太の魔法を使ったことも、きちんと報告しなければならない。
だが、今はそれより先に行くべき場所がある。
王都ギルド。
黒い魔石片と、灰狼の牙。
その二つをつなぐ記録が、そこにあるかもしれない。
俺は照会文を握りしめ、王立学院の自室を出た。