作品タイトル不明
第223話 司法院の長
司法院の使者に案内され、俺は王都ギルドを出た。
外はもう夕暮れ。
仕事を終えて家路を急ぐ人たちが多い。
そんな中を、司法院の使者は迷いなく進んでいく。
俺はその後ろを歩きながら、手に持った書類を確認した。
ここまで来ると、もう冒険者として依頼を報告するのとはわけが違う。
司法院。
王国の司法を扱う場所。
そして、その長がヴァレスト公爵ユリウスだ。
今から会うのは、セレナの父としてのユリウス公爵だけではない。
王都司法院の長としてのヴァレスト公爵だ。
そう考えると、自然と背筋が伸びた。
◇
司法院の建物は、何度見ても重い。
石造りの壁。
高い門。
中へ入る者を見極めるように立つ警備の騎士。
王都ギルドのざわめきとは違う。
ここには、声を潜めた緊張がある。
廊下を進む間、記録官らしき人たちが何人も行き交っていた。
書類の束を抱えた者。
調書を確認している者。
小声で何かを相談している者。
使者が一つの扉の前で止まった。
「こちらです」
扉が開かれる。
中に入ると、広い執務室の奥に、ヴァレスト公爵ユリウスがいた。
机の上には、いくつもの調書が積まれている。
だが、今ユリウス公爵の前に置かれているのは、王都ギルドから届いたばかりの急報だった。
ユリウス公爵は俺を見ると、少しだけ目を細めた。
「夕方に王都ギルドから急報が来たと思えば、報告者が君だった」
その声は落ち着いていた。
けれど、どこか呆れたような響きもある。
「ここでも名前が出てくるのか、リオン君」
「ご迷惑をおかけします」
俺は頭を下げた。
ユリウス公爵は小さく首を振る。
「迷惑かどうかは、まだ判断していないよ」
そして、机の上の報告書に視線を落とした。
「ただ、君の話が本当なら、大手柄だ」
俺は黙って聞く。
「しかも、おそらく本当なのだろう。君がここまで記録を整えて王都へ持ち込む以上、軽い話ではない」
その言葉には、はっきりとした信頼があった。
胸の奥が少しだけ熱くなる。
だが、ユリウス公爵はすぐに表情を引き締めた。
「だが、信頼と司法判断は別だ」
「はい」
「司法院としては、必ず確認する。調書を取り、証拠を見て、証言を集める。
君の言葉だけで裁くことはできない」
「分かっています」
ユリウス公爵は、椅子に腰を下ろすよう促した。
俺は向かいの椅子に座る。
部屋の脇には、記録官が控えていた。
ここで話すことは、すべて調書に残るのだろう。
◇
「まず、要点を確認しよう」
ユリウス公爵が言った。
「ハル領西の森で、死骸魔物が複数出現した」
「はい」
「魔物の胸部には、黒い魔石片が埋め込まれていた」
「はい。核のような役割をしていました。そこを壊すと、動きが止まりました」
「第一陣と第二陣に分かれて、作業場を襲った」
「はい。偶然に出た群れではなく、作業場を混乱させるように動いていました」
「森の奥で、術者と思われる男を捕らえた」
「はい」
「その男が、西の森の旧拠点に関わるガザルである可能性が高い」
「そう見ています。ただし、本人は名乗っていません」
「そしてガザルは、灰狼の牙の頭目とされる男」
「王都ギルドの記録では、そうなっていました」
ユリウス公爵は静かに頷く。
「貴族関与の可能性は?」
「あります。ただし、証拠はありません」
俺ははっきり言った。
「ガザルと思われる男は、単独ではなく、誰かに依頼されて動いた可能性が高いです。
死骸魔物の数、黒い魔石片の準備、襲撃の仕方から見ても、私怨だけでは説明しにくい」
「ある貴族領の名に反応した」
「はい。ただ、それだけです。断定はできません」
ユリウス公爵の目が、少しだけ柔らかくなった。
「証拠と推測を分けている。よい報告だ」
「父上にも、そう言われました」
「ガルド殿は、病床でも領主だな」
ユリウス公爵はわずかに笑った。
だが、すぐに仕事の顔へ戻る。
「今回の件は、三つに分けて考える必要がある」
ユリウス公爵は指を一本立てた。
「一つ。ハル領西の森への襲撃。これはハル領内で起きた直接の事件だ」
続けて二本目。
「二つ。黒い魔石片と死骸魔物。これは王都西南の森の件とつながる可能性がある。危険術式の問題でもある」
三本目。
「三つ。灰狼の牙のガザル。もし本人なら、広域犯罪者の捕縛案件だ」
そこで、少し間を置く。
「そして四つ目として、貴族関与の可能性がある。これは扱いを間違えれば、王国の貴族秩序に関わる」
俺は頷いた。
「だから、グレイヴ領の名前は急報には出しませんでした」
「正しい」
ユリウス公爵は即答した。
「疑いと証拠を混ぜる者は、司法では危うい。特に貴族名は、一度表に出れば取り返しがつかない」
「はい」
「リオン君。もし捕らえた男が本当にガザルなら、君とハル領は灰狼の牙の頭目を捕らえたことになる」
俺は静かに聞いた。
「それは大手柄だ。王都でも追っていた男だからね」
しかし、ユリウス公爵の声はすぐに引き締まる。
「だが、司法院は“可能性が高い”だけでは動けない。
本人確認が必要だ。ガザル本人の調書、ハル領側の証言、黒い魔石片の現物、術式跡の確認。すべてを揃える」
「分かりました」
「取り急ぎ、司法院の人間をハル領へ送る」
ユリウス公爵は机の横に控えていた担当官へ視線を向けた。
「調査官を二名。騎士護衛をつける。早馬を使わせなさい」
「承知しました」
「現地では、まずガルド・ハル殿に正式な調査協力を求める。
捕らえた男の調書を取る。黒い魔石片の保管状況を確認する。
西の森の術式跡、死骸魔物の残骸、現場記録も見る」
担当官がすばやく書き留める。
「証言を取る相手は?」
「領騎士団のノル。文官レナード。西の森の現場責任者。
可能なら、退避誘導に関わった者もだ」
「承知しました」
「貴族関与については、現時点では未確定情報として扱う。貴族名は現地調査が終わるまで表に出すな」
「はい」
ユリウス公爵の指示は速い。
迷いがない。
俺が王都まで急いだ理由は、これだった。
情報が早く届けば、王都側も早く動ける。
その事実を、目の前で見せられている気がした。
◇
指示を終えると、ユリウス公爵は再び俺へ視線を戻した。
「さて、もう一つ確認しておきたいことがある」
嫌な予感がした。
「ハル領から王都までは、早馬で二日。君は今日、王都ギルドへ現れた」
「はい」
「どうやって来たのかな」
逃げられない。
いや、最初から隠し通せる話ではなかった。
俺は正直に答えた。
「転移魔法です」
部屋の空気が止まった。
記録官の筆まで、一瞬だけ止まった気がした。
ユリウス公爵は、しばらく黙っている。
それから、ゆっくりと言った。
「……転移魔法」
「はい」
「君は、本当にこちらの想定を軽々と越えてくるね」
困ったような、少し面白がるような声だった。
でも、目は真剣だ。
「説明してくれるかな」
「はい。王立図書館にあった魔法理論書という本にありました。
目印を置いた場所同士を結ぶ魔法です。王立学院の自室には、以前試した時に目印を設置してあります。
今日、ハル領の自室にも目印を設置して、そこから王都へ来ました」
「成功は、今回が初めてではないのか」
「夏休み前に、学院の訓練所で一度成功しています」
「誰か見ていた者は」
「セレナが見ています」
ユリウス公爵の眉が、ほんの少しだけ動いた。
「セレナが」
「はい」
「なるほど」
ユリウス公爵は小さく息を吐く。
「それで、学院長は?」
「自重するように言われました」
「当然だろうね」
即答だった。
俺は少し肩を縮めた。
「分かっています。転移魔法は、便利な魔法というだけでは済まないと思っています」
「その通りだ」
ユリウス公爵は机に指を置いた。
「距離と時間の意味を変える。情報の流れも、人の移動も、領地間の力関係も変えてしまう可能性がある」
「はい」
「だが、今回は自重している場合ではなかった」
「そう判断しました」
ユリウス公爵は、少しだけ口元を緩めた。
「その判断自体は責めない。もし君が二日待っていれば、司法院の初動も二日遅れた」
俺は黙って頭を下げた。
「ただし、後で学院長にも説明しなさい」
「はい」
「私からも確認することになるだろう」
「……はい」
やっぱり怒られるだろうな。
そう思ったが、今は仕方がない。
◇
ユリウス公爵は、少し考えるように俺を見た。
「では聞く。君が一瞬で王都へ来られたように、司法院の人間を連れてハル領へ戻ることはできるのか」
その質問は、当然だった。
調査官を早く送りたいなら、転移魔法を使えるかどうか確認したくなる。
だが、俺はすぐには頷けなかった。
「現時点では、勧めません」
「理由は?」
「まず、ハル領から王都までの距離だと、一日一回が限界だと思います」
「一日一回」
「はい。今日すでにハル領から王都へ使いました。もう一回使うだけの魔力は残っていません」
ユリウス公爵は黙って聞いている。
「それに、他の人を連れて転移したことがありません。俺一人での転移と、他人を連れての転移が同じとは限らない」
「検証が必要、ということだね」
「はい」
俺は続けた。
「もし明日、短い距離で同伴転移を検証して、うまくいったとしても、ハル領まで運べるかどうかは別問題です。
安全確認をしてから実行するなら、早くても明後日になると思います」
「つまり」
「司法院の方は、早馬で向かわせた方が早いか、少なくとも確実です」
ユリウス公爵はしばらく黙っていた。
そして、満足したように頷く。
「妥当な判断だ」
俺は少しだけ息を吐く。
「自分の魔法を過信しないのはよいことだ」
ユリウス公爵は言った。
「力を持つ者が、自分の力で何でも解決できると思い始めると危うい。
君は今のところ、自分の魔法の限界を考えている」
「怖い魔法なので」
「うん。怖い魔法だ」
ユリウス公爵は、そこで初めて少し面白そうに笑った。
「それにしても、一日一回とはいえ、ハル領と王都をつなげるのか。君は本当に、とんでもない魔法を身につけたものだね」
「自重します」
「今回は自重している場合ではなかったのだろう?」
「はい」
「なら、そこは責めない」
ユリウス公爵はそう言って、担当官へ視線を戻した。
「調査官は予定通り早馬で出す。現地到着後、ガルド殿に正式に協力を求めなさい」
「承知しました」
「ガザルと思われる男の扱いは慎重に。魔法を使うなら、拘束方法も確認すること」
「はい」
「黒い魔石片の現物は、無理にすべて持ち出す必要はない。記録を取り、必要なら一部を王都へ送らせる」
「承知しました」
司法院の初動が決まっていく。
俺が王都へ持ち込んだ情報が、ここで正式な手続きに変わっていく。
◇
ユリウス公爵は、担当官たちを下がらせた。
部屋には、俺とユリウス公爵だけが残る。
少しだけ空気が変わった。
司法院の長としての顔から、少しだけセレナの父の顔になる。
「セレナが聞いたら、また驚くだろうね」
「できれば、落ち着いてから伝えていただけると助かります」
「それは約束できないな」
ユリウス公爵は微かに笑った。
「君が王都へ一瞬で飛んできたなどと聞けば、あの子は目を輝かせるだろう」
「怒られませんか」
「セレナに?」
「いえ、学院長に」
「それは怒られるだろうね」
即答だった。
俺は思わず顔をしかめる。
ユリウス公爵は少し笑ったあと、すぐに真面目な表情へ戻った。
「だが、君が早く王都へ来た判断は正しい。もし二日遅れていれば、ガザルの身元確認も、王都西南の森の件との照合も、司法院の初動も遅れた」
「ありがとうございます」
「ただし、覚えておきなさい」
ユリウス公爵の声が少し低くなる。
「ここから先は、君一人で抱える話ではない」
その言葉が、胸に残った。
司法院が動く。
王都ギルドも動く。
ハル領の騎士団も、父上も、ノルもいる。
ユリウス公爵は、もう一度言った。
「君は、君が見たものを正しく伝えた。それで十分な働きだ」
「……はい」
少しだけ、肩の力が抜けた。
◇
しばらくして、司法院の中庭に早馬が用意された。
調査官二名。
護衛の騎士。
必要最低限の書類。
ハル領へ向かうための準備が、驚くほど早く整っていく。
俺は窓からそれを見ていた。
早馬に乗った司法院の使者が、王都の門へ向かって走り出す。
夕暮れの光の中、馬蹄の音が遠ざかっていった。
本来なら、ハル領から王都へ二日かけて届くはずだった情報。
それが、今日のうちに王都ギルドを動かし、司法院を動かし、ハル領へ調査官を送り返している。
転移魔法で、情報の速度が変わった。
ここから先は、俺一人で抱える話ではない。