軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第223話 司法院の長

司法院の使者に案内され、俺は王都ギルドを出た。

外はもう夕暮れ。

仕事を終えて家路を急ぐ人たちが多い。

そんな中を、司法院の使者は迷いなく進んでいく。

俺はその後ろを歩きながら、手に持った書類を確認した。

ここまで来ると、もう冒険者として依頼を報告するのとはわけが違う。

司法院。

王国の司法を扱う場所。

そして、その長がヴァレスト公爵ユリウスだ。

今から会うのは、セレナの父としてのユリウス公爵だけではない。

王都司法院の長としてのヴァレスト公爵だ。

そう考えると、自然と背筋が伸びた。

司法院の建物は、何度見ても重い。

石造りの壁。

高い門。

中へ入る者を見極めるように立つ警備の騎士。

王都ギルドのざわめきとは違う。

ここには、声を潜めた緊張がある。

廊下を進む間、記録官らしき人たちが何人も行き交っていた。

書類の束を抱えた者。

調書を確認している者。

小声で何かを相談している者。

使者が一つの扉の前で止まった。

「こちらです」

扉が開かれる。

中に入ると、広い執務室の奥に、ヴァレスト公爵ユリウスがいた。

机の上には、いくつもの調書が積まれている。

だが、今ユリウス公爵の前に置かれているのは、王都ギルドから届いたばかりの急報だった。

ユリウス公爵は俺を見ると、少しだけ目を細めた。

「夕方に王都ギルドから急報が来たと思えば、報告者が君だった」

その声は落ち着いていた。

けれど、どこか呆れたような響きもある。

「ここでも名前が出てくるのか、リオン君」

「ご迷惑をおかけします」

俺は頭を下げた。

ユリウス公爵は小さく首を振る。

「迷惑かどうかは、まだ判断していないよ」

そして、机の上の報告書に視線を落とした。

「ただ、君の話が本当なら、大手柄だ」

俺は黙って聞く。

「しかも、おそらく本当なのだろう。君がここまで記録を整えて王都へ持ち込む以上、軽い話ではない」

その言葉には、はっきりとした信頼があった。

胸の奥が少しだけ熱くなる。

だが、ユリウス公爵はすぐに表情を引き締めた。

「だが、信頼と司法判断は別だ」

「はい」

「司法院としては、必ず確認する。調書を取り、証拠を見て、証言を集める。

君の言葉だけで裁くことはできない」

「分かっています」

ユリウス公爵は、椅子に腰を下ろすよう促した。

俺は向かいの椅子に座る。

部屋の脇には、記録官が控えていた。

ここで話すことは、すべて調書に残るのだろう。

「まず、要点を確認しよう」

ユリウス公爵が言った。

「ハル領西の森で、死骸魔物が複数出現した」

「はい」

「魔物の胸部には、黒い魔石片が埋め込まれていた」

「はい。核のような役割をしていました。そこを壊すと、動きが止まりました」

「第一陣と第二陣に分かれて、作業場を襲った」

「はい。偶然に出た群れではなく、作業場を混乱させるように動いていました」

「森の奥で、術者と思われる男を捕らえた」

「はい」

「その男が、西の森の旧拠点に関わるガザルである可能性が高い」

「そう見ています。ただし、本人は名乗っていません」

「そしてガザルは、灰狼の牙の頭目とされる男」

「王都ギルドの記録では、そうなっていました」

ユリウス公爵は静かに頷く。

「貴族関与の可能性は?」

「あります。ただし、証拠はありません」

俺ははっきり言った。

「ガザルと思われる男は、単独ではなく、誰かに依頼されて動いた可能性が高いです。

死骸魔物の数、黒い魔石片の準備、襲撃の仕方から見ても、私怨だけでは説明しにくい」

「ある貴族領の名に反応した」

「はい。ただ、それだけです。断定はできません」

ユリウス公爵の目が、少しだけ柔らかくなった。

「証拠と推測を分けている。よい報告だ」

「父上にも、そう言われました」

「ガルド殿は、病床でも領主だな」

ユリウス公爵はわずかに笑った。

だが、すぐに仕事の顔へ戻る。

「今回の件は、三つに分けて考える必要がある」

ユリウス公爵は指を一本立てた。

「一つ。ハル領西の森への襲撃。これはハル領内で起きた直接の事件だ」

続けて二本目。

「二つ。黒い魔石片と死骸魔物。これは王都西南の森の件とつながる可能性がある。危険術式の問題でもある」

三本目。

「三つ。灰狼の牙のガザル。もし本人なら、広域犯罪者の捕縛案件だ」

そこで、少し間を置く。

「そして四つ目として、貴族関与の可能性がある。これは扱いを間違えれば、王国の貴族秩序に関わる」

俺は頷いた。

「だから、グレイヴ領の名前は急報には出しませんでした」

「正しい」

ユリウス公爵は即答した。

「疑いと証拠を混ぜる者は、司法では危うい。特に貴族名は、一度表に出れば取り返しがつかない」

「はい」

「リオン君。もし捕らえた男が本当にガザルなら、君とハル領は灰狼の牙の頭目を捕らえたことになる」

俺は静かに聞いた。

「それは大手柄だ。王都でも追っていた男だからね」

しかし、ユリウス公爵の声はすぐに引き締まる。

「だが、司法院は“可能性が高い”だけでは動けない。

本人確認が必要だ。ガザル本人の調書、ハル領側の証言、黒い魔石片の現物、術式跡の確認。すべてを揃える」

「分かりました」

「取り急ぎ、司法院の人間をハル領へ送る」

ユリウス公爵は机の横に控えていた担当官へ視線を向けた。

「調査官を二名。騎士護衛をつける。早馬を使わせなさい」

「承知しました」

「現地では、まずガルド・ハル殿に正式な調査協力を求める。

捕らえた男の調書を取る。黒い魔石片の保管状況を確認する。

西の森の術式跡、死骸魔物の残骸、現場記録も見る」

担当官がすばやく書き留める。

「証言を取る相手は?」

「領騎士団のノル。文官レナード。西の森の現場責任者。

可能なら、退避誘導に関わった者もだ」

「承知しました」

「貴族関与については、現時点では未確定情報として扱う。貴族名は現地調査が終わるまで表に出すな」

「はい」

ユリウス公爵の指示は速い。

迷いがない。

俺が王都まで急いだ理由は、これだった。

情報が早く届けば、王都側も早く動ける。

その事実を、目の前で見せられている気がした。

指示を終えると、ユリウス公爵は再び俺へ視線を戻した。

「さて、もう一つ確認しておきたいことがある」

嫌な予感がした。

「ハル領から王都までは、早馬で二日。君は今日、王都ギルドへ現れた」

「はい」

「どうやって来たのかな」

逃げられない。

いや、最初から隠し通せる話ではなかった。

俺は正直に答えた。

「転移魔法です」

部屋の空気が止まった。

記録官の筆まで、一瞬だけ止まった気がした。

ユリウス公爵は、しばらく黙っている。

それから、ゆっくりと言った。

「……転移魔法」

「はい」

「君は、本当にこちらの想定を軽々と越えてくるね」

困ったような、少し面白がるような声だった。

でも、目は真剣だ。

「説明してくれるかな」

「はい。王立図書館にあった魔法理論書という本にありました。

目印を置いた場所同士を結ぶ魔法です。王立学院の自室には、以前試した時に目印を設置してあります。

今日、ハル領の自室にも目印を設置して、そこから王都へ来ました」

「成功は、今回が初めてではないのか」

「夏休み前に、学院の訓練所で一度成功しています」

「誰か見ていた者は」

「セレナが見ています」

ユリウス公爵の眉が、ほんの少しだけ動いた。

「セレナが」

「はい」

「なるほど」

ユリウス公爵は小さく息を吐く。

「それで、学院長は?」

「自重するように言われました」

「当然だろうね」

即答だった。

俺は少し肩を縮めた。

「分かっています。転移魔法は、便利な魔法というだけでは済まないと思っています」

「その通りだ」

ユリウス公爵は机に指を置いた。

「距離と時間の意味を変える。情報の流れも、人の移動も、領地間の力関係も変えてしまう可能性がある」

「はい」

「だが、今回は自重している場合ではなかった」

「そう判断しました」

ユリウス公爵は、少しだけ口元を緩めた。

「その判断自体は責めない。もし君が二日待っていれば、司法院の初動も二日遅れた」

俺は黙って頭を下げた。

「ただし、後で学院長にも説明しなさい」

「はい」

「私からも確認することになるだろう」

「……はい」

やっぱり怒られるだろうな。

そう思ったが、今は仕方がない。

ユリウス公爵は、少し考えるように俺を見た。

「では聞く。君が一瞬で王都へ来られたように、司法院の人間を連れてハル領へ戻ることはできるのか」

その質問は、当然だった。

調査官を早く送りたいなら、転移魔法を使えるかどうか確認したくなる。

だが、俺はすぐには頷けなかった。

「現時点では、勧めません」

「理由は?」

「まず、ハル領から王都までの距離だと、一日一回が限界だと思います」

「一日一回」

「はい。今日すでにハル領から王都へ使いました。もう一回使うだけの魔力は残っていません」

ユリウス公爵は黙って聞いている。

「それに、他の人を連れて転移したことがありません。俺一人での転移と、他人を連れての転移が同じとは限らない」

「検証が必要、ということだね」

「はい」

俺は続けた。

「もし明日、短い距離で同伴転移を検証して、うまくいったとしても、ハル領まで運べるかどうかは別問題です。

安全確認をしてから実行するなら、早くても明後日になると思います」

「つまり」

「司法院の方は、早馬で向かわせた方が早いか、少なくとも確実です」

ユリウス公爵はしばらく黙っていた。

そして、満足したように頷く。

「妥当な判断だ」

俺は少しだけ息を吐く。

「自分の魔法を過信しないのはよいことだ」

ユリウス公爵は言った。

「力を持つ者が、自分の力で何でも解決できると思い始めると危うい。

君は今のところ、自分の魔法の限界を考えている」

「怖い魔法なので」

「うん。怖い魔法だ」

ユリウス公爵は、そこで初めて少し面白そうに笑った。

「それにしても、一日一回とはいえ、ハル領と王都をつなげるのか。君は本当に、とんでもない魔法を身につけたものだね」

「自重します」

「今回は自重している場合ではなかったのだろう?」

「はい」

「なら、そこは責めない」

ユリウス公爵はそう言って、担当官へ視線を戻した。

「調査官は予定通り早馬で出す。現地到着後、ガルド殿に正式に協力を求めなさい」

「承知しました」

「ガザルと思われる男の扱いは慎重に。魔法を使うなら、拘束方法も確認すること」

「はい」

「黒い魔石片の現物は、無理にすべて持ち出す必要はない。記録を取り、必要なら一部を王都へ送らせる」

「承知しました」

司法院の初動が決まっていく。

俺が王都へ持ち込んだ情報が、ここで正式な手続きに変わっていく。

ユリウス公爵は、担当官たちを下がらせた。

部屋には、俺とユリウス公爵だけが残る。

少しだけ空気が変わった。

司法院の長としての顔から、少しだけセレナの父の顔になる。

「セレナが聞いたら、また驚くだろうね」

「できれば、落ち着いてから伝えていただけると助かります」

「それは約束できないな」

ユリウス公爵は微かに笑った。

「君が王都へ一瞬で飛んできたなどと聞けば、あの子は目を輝かせるだろう」

「怒られませんか」

「セレナに?」

「いえ、学院長に」

「それは怒られるだろうね」

即答だった。

俺は思わず顔をしかめる。

ユリウス公爵は少し笑ったあと、すぐに真面目な表情へ戻った。

「だが、君が早く王都へ来た判断は正しい。もし二日遅れていれば、ガザルの身元確認も、王都西南の森の件との照合も、司法院の初動も遅れた」

「ありがとうございます」

「ただし、覚えておきなさい」

ユリウス公爵の声が少し低くなる。

「ここから先は、君一人で抱える話ではない」

その言葉が、胸に残った。

司法院が動く。

王都ギルドも動く。

ハル領の騎士団も、父上も、ノルもいる。

ユリウス公爵は、もう一度言った。

「君は、君が見たものを正しく伝えた。それで十分な働きだ」

「……はい」

少しだけ、肩の力が抜けた。

しばらくして、司法院の中庭に早馬が用意された。

調査官二名。

護衛の騎士。

必要最低限の書類。

ハル領へ向かうための準備が、驚くほど早く整っていく。

俺は窓からそれを見ていた。

早馬に乗った司法院の使者が、王都の門へ向かって走り出す。

夕暮れの光の中、馬蹄の音が遠ざかっていった。

本来なら、ハル領から王都へ二日かけて届くはずだった情報。

それが、今日のうちに王都ギルドを動かし、司法院を動かし、ハル領へ調査官を送り返している。

転移魔法で、情報の速度が変わった。

ここから先は、俺一人で抱える話ではない。