作品タイトル不明
第218話 森の奥の術者
第二陣の魔物が、森の奥から姿を現した。
獣型の魔物。
爪の長い小型魔物。
そして、腐ったような臭いをまとった中型の個体。
どれも動きは鈍い。
ただ、作業場へ向かって進んでくる。
「防衛線を張る! 作業場側へ通すな!」
ノルの声が響いた。
護衛たちがすぐに動く。
第一陣を抑えていた者の一部が、第二陣へ回る。
だが、すべてをそちらへ向けるわけにはいかない。
まだ退避が終わっていない作業員がいる。
湯屋側にも人が残っている。
荷車も何台か、動かしきれていない。
俺は森の奥を睨んだ。
第二陣も、第一陣と同じだった。
胸に黒い魔石片。
こいつらが、なぜ複数方向から現れたのか。
なぜ、作業場の混乱を広げるように動いているのか。
自然の魔物なら、こんな出方はしない。
少なくとも、偶然が二度続いたとは思えない。
俺は息を細く吐き、綻びの目をさらに奥へ向けた。
第二陣が出てきた方向。
木々の間。
湿った地面。
折れた枝。
その向こうに、薄く何かが見えた。
《術式残滓:森の奥》
《魔力反応:人為》
《指令方向:第二陣後方》
やっぱりだ。
魔物だけじゃない。
奥に何かがある。
「ノル」
「はい」
「あの第二陣の奥に、術式の残りみたいなものが見える」
ノルの目が鋭くなった。
「術者がいると?」
「断定はできない。でも、この魔物たちを放った場所か、動かした相手がいる可能性が高い」
ノルは一瞬、作業場側を見た。
護衛たちは防衛線を作り始めている。
ミアとレナードは、退避誘導を続けている。
「副長格に防衛線を任せます」
ノルはすぐに護衛の一人を呼んだ。
「ここを維持しろ。作業員を森側へ戻すな。魔物は胸の核を狙え」
「はっ!」
「ミア、レナード!」
俺が声を上げると、二人がこちらを見た。
「作業員の退避を優先して! 俺とノルは奥を確認する!」
ミアの顔が一瞬だけ強張った。
だが、すぐに頷く。
「分かりました!」
レナードも緊張した顔で返事をした。
「退避誘導は続けます!」
俺はノルと視線を交わした。
「行こう」
「若様、私の後ろへ」
「分かってる。でも、見えるものがある時は俺が前に出る」
「……無茶はなさらないでください」
「するつもりはない」
そう答えながら、俺は森の奥へ足を踏み入れた。
◇
第二陣の魔物が出てきた方向へ進む。
地面には、不自然な跡が残っていた。
魔物の足跡。
引きずられたような跡。
枝を折った跡。
そして、微かに薬草の匂いがする。
腐臭を消すための匂いだ。
俺は顔をしかめた。
普通の魔物の群れが通っただけなら、こんな臭いは残らない。
誰かが、死骸の臭いを隠そうとした。
ノルも気づいたようだった。
「薬草の匂いがしますな」
「うん。死骸の臭いを隠すためかもしれない」
「やはり、人の手が入っておりますか」
「たぶん」
森の奥は、昼間でも薄暗い。
木々が重なり、足元には湿った土と落ち葉が積もっている。
視界は悪い。
だが、綻びの目は残滓を拾っていた。
《魔力残滓:微弱》
《術式痕:不完全》
《方向:前方右》
俺はその表示に従って進んだ。
しばらく行くと、ノルが手を上げた。
「止まってください」
俺は足を止める。
前方の木々の間。
そこに、人影があった。
黒っぽい外套。
細い体つき。
顔ははっきり見えない。
だが、その足元には、黒い魔石片の破片らしきものが落ちている。
さらに、小さな術式陣の跡。
土の上に刻まれた線。
すでに崩れかけているが、人が作ったものだと分かる。
人影が、こちらに気づいた。
「……もう嗅ぎつけたか」
低い声だった。
俺はその声を聞いて、胸の奥が冷えるのを感じた。
見覚えがあるわけではない。
だが、その声には、こちらを見下すような湿った響きがあった。
「西の森の魔物は、おまえが放ったのか」
俺が聞くと、人影は薄く笑った。
「魔物が森にいるのは、当然だろう」
「生きている魔物ならね」
俺は一歩前に出た。
「あれは違う。死骸を動かしていた」
人影の目が、わずかに細くなった。
「わかるのか。ハルの小僧」
その言葉で、確信した。
こいつは、俺を知っている。
ただの通りすがりではない。
ノルが静かに剣を抜いた。
「名を名乗れ」
人影は答えない。
代わりに、片手を上げた。
周囲の空気が熱を帯びる。
魔力が集まる。
火だ。
俺は思わず眉を寄せた。
森の中で火魔法なんて使うなよ。
そう思った瞬間、人影の手から火の矢が放たれた。
「若様!」
ノルが動くより早く、俺は水魔法を前へ走らせた。
水の膜が広がり、火の矢を受け止める。
熱が水に食われ、白い蒸気が一気に上がった。
周囲の枝葉が濡れる。
火は広がらない。
「森で火を使うな」
俺は剣を抜きながら言った。
「随分と口が達者だな」
人影が外套を払う。
顔が見えた。
男の目は、ただの術者のものではなかった。
ノルが左へ動く。
俺は右へ動いた。
挟む。
そう判断した瞬間、男も動いた。
狙いは、ノルではない。
俺だ。
男は短い刃を抜き、一気に踏み込んできた。
ノルと正面から戦う気はない。
俺を倒すか、捕まえて逃げ道を作るつもりだ。
子どもだと思っているのだろう。
俺は剣を構えた。
男の刃が斜めに入る。
俺は受ける。
重くはない。
だが、嫌な角度だった。
正面から打ち合う剣ではない。
急所を狙い、隙を作り、逃げるための刃だ。
「っ」
男の目の色が変わった。
俺が受けたことに、少し驚いたらしい。
「ただの小僧ではないか」
「鍛えられてるからね」
俺は短く返し、剣を押し返した。
男はすぐに下がる。
その手にまた火が集まる。
今度は広げるような火だ。
俺はすぐに水を走らせた。
火が広がる前に、湿った水流で地面と枝葉を濡らす。
蒸気が上がる。
視界が白く曇った。
男がその蒸気に紛れて横へ動く。
逃げる気だ。
だが、ノルがすでに回り込んでいた。
「逃がさん」
ノルの剣が男の進路を塞ぐ。
男は舌打ちし、もう一度俺の方へ向き直った。
ノルを突破するより、俺の方がまだ抜けやすい。
そう判断したのだろう。
再び男が踏み込む。
短い刃が連続で来る。
一撃目を受ける。
二撃目を外へ流す。
三撃目は、体を半歩ずらして避ける。
学院でのクラウスとの戦いを思い出す。
相手の戻る場所。
逃げる方向。
足の置き方。
男は剣士として洗練されているわけではない。
だが、逃げるための動きは速い。
追い詰められる前に、必ず横へ抜けようとする。
俺は足元を見た。
湿った土。
落ち葉。
さっき自分が撒いた水。
ここなら使える。
男がもう一度、俺の右側を抜けようとした瞬間、視界に文字が浮かんだ。
《逃走意図:強》
《重心:右足外側》
《足場:湿土》
《綻び:踏み込み先》
見えた。
俺は剣を合わせながら、左手を地面へ向けた。
水魔法を流す。
大量ではない。
ただ、足元の土に水を染み込ませる。
湿った土が崩れる。
落ち葉の下が、泥になる。
「なっ」
男の右足が沈んだ。
一瞬。
本当に一瞬だけ、体勢が崩れる。
だが、その一瞬で十分だった。
「今だ!」
俺が叫ぶより早く、ノルが動いていた。
男の背後から踏み込み、腕をねじり上げる。
男は火を出そうとした。
だが、ノルの剣が喉元に届く方が早い。
「動くな」
低い声だった。
男の動きが止まる。
それでも、男の目はまだ逃げ道を探している。
俺は剣先を下げず、慎重に近づいた。
男の足元には、泥が広がっている。
ノルが腕を押さえ、護衛が遅れて駆けつける。
「縄を」
ノルが短く命じた。
護衛がすぐに男の腕を縛る。
男は抵抗しようとしたが、ノルに押さえ込まれ、膝をついた。
俺は男を見下ろした。
「おまえが、西の森に死骸の魔物を放ったのか?」
男は黙っている。
「胸の黒い魔石片。死骸を動かす術式。複数方向からの襲撃。偶然じゃない」
それでも、男は答えない。
ただ、口元をわずかに歪めた。
「……あの森は、ずいぶんと大事らしいな」
その一言に、俺は背筋が冷えるのを感じた。
やはり、西の森を狙っていた。
ただ魔物を放っただけではない。
開拓を止めるために。
人を怯えさせるために。
ハル領の動きを乱すために。
俺は男の目を見る。
「誰に頼まれた」
男は答えない。
ノルが腕をさらに押さえる。
「答えろ」
男は小さく笑った。
「さあな」
その態度で、分かった。
ここで簡単に吐く相手ではない。
だが、捕まえた。
黒い魔石片もある。
術式陣の跡もある。
死骸魔物も残っている。
誰かが西の森を荒らそうとしていた証拠は、もう消せない。
◇
森の外から、まだ戦いの音が聞こえていた。
第二陣は完全には片づいていない。
作業員たちの退避も、最後まで確認しなければならない。
俺はノルを見る。
「ノル、この男を連れて作業場へ戻ろう」
ノルが低く呟く。
「はい。この男が名乗るかどうかも含め、後で確認しましょう」
「うん」
俺は男から視線を外し、森の奥を見た。
そこには、ただ仕事で魔物を放っただけではない、湿った憎悪のようなものがあった。