軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第217話 西の森の悲鳴

領都工房へ行った翌日。

俺は西の森側作業場へ向かった。

同行するのは、ノル、ミア、文官のレナードだ。

昨日、領都工房で読み書きや計算の確認を始めた。

そこで分かったのは、確認の内容は現場ごとに変えなければならないということだった。

工房では、箱札や帳面が重要になる。

だが、西の森では少し違う。

もちろん、木材の本数や荷車の数を確認するために、数字は必要だ。

作業記録を残すなら、文字も必要になる。

けれど、西の森で最初に見るべきものは、もっと直接的なものだった。

危険区域の札。

退避場所の札。

作業範囲の札。

荷車道。

水場。

湯屋への道。

どこへ行ってよくて、どこから先へ行ってはいけないのか。

それが分からなければ、仕事が遅れるどころではない。

命に関わる。

工房では、読めないことで作業が止まる。

西の森では、読めないことで逃げ遅れる。

俺はその違いを、はっきり意識しながら馬車に揺られていた。

西の森側作業場に着くと、以前より人の動きは整理されていた。

前に来た時、作業場と湯屋へ向かう道、荷車の通り道が少し混ざっていた。

今は縄が張り直され、歩く道と荷車道が分けられている。

西側の仮設柵も、以前より分かりやすくなっていた。

ただし、まだ完全とは言えない。

新しく来た者が見れば、どの札が何を意味するのか分からないかもしれない。

現場責任者が俺たちを迎えた。

「リオン様、ノル様。本日は、作業員の確認でよろしいのですね」

「うん。ただ、工房と同じことをするつもりはない」

俺がそう言うと、現場責任者は少し不思議そうな顔をした。

「同じことではない、ですか」

「工房では、箱札や帳面を見た。でも西の森でまず確認したいのは、安全のための札だ」

俺は近くに立てられている木札を指差した。

《作業範囲》

《荷車道》

《水場》

《退避場所》

文字は書かれている。

だが、読めない者にとっては、ただの木に刻まれた模様に近い。

「危険区域の札を読めるか。退避場所の札を見て動けるか。荷車道と歩く道を間違えないか。まずはそこから見たい」

ノルも低く頷いた。

「森では、札一つ読めないことが命に関わります」

レナードはすぐに木板を取り出し、書き留め始めた。

「西の森用の確認項目は、工房とは別に作る必要がありますね」

「うん。名前や数字も見るけど、最初は安全札と退避場所だ」

ミアは湯屋のある方へ視線を向ける。

「水場や湯屋へ向かう道も、初めて来た方には分かりにくいかもしれません」

「そこも見よう」

俺は現場責任者へ向き直った。

「これも試験じゃない。読めない人を責めるためでもない。

読めないまま森で働くのが危ないから、どこから教えるかを見るための確認だ」

「承知しました」

現場責任者が頷いた、その時だった。

森の奥から、甲高い悲鳴が響いた。

「うわあああっ!」

続けて、別の声。

「魔物だ!」

「逃げろ!」

現場の空気が、一瞬で凍った。

ノルがすぐに顔を上げる。

「森の奥です」

俺も声のした方を見た。

作業員たちが、何人かこちらへ向かって走ってくる。

その後ろで、木々が不自然に揺れていた。

「ミア、レナードは退避誘導を」

「はい」

「承知しました」

ミアとレナードがすぐに動く。

ノルは護衛たちに声を飛ばした。

「前へ出る! 作業員を下げろ!」

俺もノルの後を追った。

声のした場所へ向かうと、そこには小型の魔物が数体いた。

いや、最初はそう見えた。

獣型の魔物。

爪の長い小型魔物。

中には、少し大きめの個体も混じっている。

だが、何かがおかしい。

動きが鈍い。

なのに、止まらない。

作業員が投げた木片が当たっても、怯まない。

護衛が脚を斬っても、倒れたまま腕を動かし続ける。

普通の魔物なら、痛みに反応する。

傷を負えば、逃げることもある。

だが、目の前の魔物たちは違った。

痛みを感じていない。

恐怖もない。

ただ、作業員の方へ向かってくる。

「普通の魔物ではありませんな」

ノルが低く言った。

「俺もそう思う」

俺は目を細める。

綻びの目を使う。

視界の中で、魔物の姿が揺れるように変わった。

《生命反応:なし》

《痛覚反応:なし》

《恐怖反応:なし》

《駆動核:胸部》

《術式反応:黒い魔石片》

背筋が冷えた。

生きていない。

これは、王都西南の森にいた魔物と同じだ。

死んだ魔物の身体を、何かが無理やり動かしている。

「ノル!」

「はい!」

「胸だ! 胸の中に核がある! 手足を斬っても止まらない!」

ノルの反応は早かった。

「胸部を狙え! 倒すより、核を砕け!」

護衛たちの動きが変わる。

脚を斬って止めようとしていた者たちが、狙いを胸へ変えた。

一体の魔物が、ノルの剣を受ける。

胸部を斬られた瞬間、黒い何かが砕ける音がした。

魔物は糸が切れたように崩れ落ちる。

やはり、核だ。

胸の黒い魔石片を壊せば止まる。

俺は周囲を見る。

魔物の数は、多すぎるほどではない。

だが、作業員たちを逃がしながら戦うには厄介だった。

しかも、こいつらは痛みで止まらない。

怖がって引くこともない。

ただ壊れるまで動く。

背後から、ミアの声が聞こえた。

「退避場所はこちらです! 荷車道には出ないでください!」

レナードも必死に叫んでいる。

「《退避場所》の札の方へ! 水場ではありません、こちらです!」

だが、混乱している作業員の中には、逆方向へ走りかける者もいた。

「そっちは森側だ! 戻れ!」

護衛が怒鳴る。

俺はその光景を見て、奥歯を噛んだ。

まさに、これを確認しに来たのだ。

退避場所の札が読めるか。

荷車道と歩く道を間違えないか。

危険区域へ走り込まないか。

それを見に来た。

なのに、確認する前に本番が来てしまった。

今、読めない者がいることは責められない。

教える前なのだから。

だが、読めないまま森で働く危うさは、目の前で形になっている。

「リオン様!」

レナードが叫んだ。

「退避は進んでいますが、湯屋側へ逃げる者もいます!」

「ミア、湯屋側の人も退避場所へ!」

「はい!」

ミアがすぐに走る。

ノルがもう一体の胸部を砕いた。

崩れた死骸の胸から、黒い破片が転がる。

黒い魔石片。

俺はそれを一瞬だけ見た。

自然なものではない。

こんなものが、魔物の胸に埋まっているはずがない。

目の前の魔物達は、ノルたちの動きで少しずつ押し返されていた。

胸の核を狙えば止められる。

分かってしまえば、対処はできる。

だが、倒し切る前に、森の別方向からまた悲鳴が上がった。

「こっちにも来たぞ!」

「また魔物だ!」

ノルの表情が変わった。

「別方向……?」

俺も森の奥を見る。

西側の仮設柵のさらに向こう。

さっきとは違う方向から、木々が揺れている。

そこから、また獣型の魔物が現れた。

一体ではない。

数体。

さらに奥にも影がある。

第二陣か。

そう呼ぶしかない現れ方だった。

普通の魔物の群れなら、一方向から押し寄せることはある。

何かに追われて逃げてくるなら、なおさらだ。

だが、これは違う。

第一陣が作業場の一角を乱し、こちらが対応している最中に、別方向から第二陣が来た。

まるで、作業場を混乱させるように。

逃げる道を乱すように。

防衛の目を散らすように。

「リオン様、下がってください」

ノルが言った。

「まだだ」

「危険です」

「分かってる。でも、今は離れられない」

俺は第二陣の方へ視線を集中させた。

綻びの目が反応する。

《生命反応:なし》

《痛覚反応:なし》

《恐怖反応:なし》

《駆動核:胸部》

《術式反応:黒い魔石片》

同じだ。

第一陣と同じ。

生きた魔物ではない。

死骸を動かしている。

しかも、複数方向から。

これは偶然じゃない。

「ノル」

「はい」

「第二陣も胸の核を壊して」

「承知しました」

「ただ、全部を追いかけるより、作業場へ入れないことを優先して」

ノルが一瞬だけ俺を見た。

すぐに頷く。

「防衛線を張る! 作業場側へ通すな!」

護衛たちが動く。

第一陣を抑えていた者の一部が、第二陣側へ回る。

だが、全員を回すわけにはいかない。

作業員たちの退避も終わりきっていない。

湯屋側にも人がいる。

荷車もまだ残っている。

混乱の中で、森側からまた低いうなり声が聞こえた。

俺は嫌な汗を感じた。

第一陣だけなら、偶然と言えたかもしれない。

死んだ魔物が何らかの異常で動いた。

そう無理に考えることもできた。

だが、第二陣まで来た。

しかも、同じ黒い魔石片を胸に埋め込まれている。

痛みを知らず、恐怖を知らず、壊れるまで動き続ける死骸。

こんなものが、自然に森から湧くはずがない。

誰かが仕込んだ。

西の森を荒らすために。

ハル領の開拓を乱すために。

俺は森の奥を見た。

木々の向こうは暗い。

その暗がりの奥から、まだ何かがこちらを見ているような気がした。

学び場を広げるために来たはずの視察は、いつの間にか、ハル領を狙う悪意の痕跡を見つける場に変わっていた。

まだ終わっていない。

そんな嫌な予感が、背中に張りついて離れなかった。