軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第216話 人を育てるための確認

翌日。

俺は領都工房へ向かった。

昨日、働く人向けの学び場を見た。

そこで分かったのは、読み書きや計算が、ただの勉強ではないということだった。

自分の名前を書ける。

数字を読める。

木札を見て、置き場を間違えない。

帳面に印をつけられる。

それだけで、できる仕事は変わる。

そして、自分の賃金や仕送りの数字を自分で確かめられるようにもなる。

働く人自身を守る力にもなるのだ。

だからこそ、学び場を広げる必要がある。

ただし、その前に確認しなければならないことがある。

今、現場にいる人たちは、どこまで読めるのか。

どこまで数えられるのか。

木札や作業札をどれくらい理解しているのか。

そこが分からなければ、何から教えればいいのかも決められない。

最初に確認する場所は、領都工房にした。

石切り場や西の森でも必要だ。

だが、工房は文字、数字、木札、帳面がもっとも作業に直結する。

まずはここから始めるのがいい。

同行するのは、ノルとミア。

そして、文官のレナードだ。

集会所で教えていたヨハンにも、工房側で協力してもらうことになっている。

工房に着くと、すでに作業は始まっていた。

青輝石の箱が運び込まれる。

純石の箱が並ぶ。

部品を揃える者。

箱札を確認する者。

完成した街灯を布で包む者。

荷車へ積む者。

昨日までと同じように、工房はよく動いていた。

だが、今日は少しだけ空気が違う。

作業員たちの視線が、こちらをちらちらと見ている。

工房長も、それに気づいているようだった。

「リオン様、お待ちしておりました」

「うん。今日はよろしく」

「はい。ただ……」

工房長は少し言いにくそうに周囲を見た。

「作業員たちが、少し緊張しております」

「やっぱり」

俺は工房の中を見回した。

原因は分かる。

昨日、読み書きや計算の確認を始めると伝えた。

こちらは、どこから教えればいいかを見るための確認だと思っている。

だが、受ける側からすれば違う。

読めないことを知られるのではないか。

できないと仕事を外されるのではないか。

賃金を下げられるのではないか。

そう考える者がいても不思議ではない。

ミアが小さな声で言った。

「リオン様、皆様、少し不安そうです」

「うん。先に説明した方がいいね」

ノルも頷く。

「その方がよろしいでしょう。誤解が広がる前に、はっきり伝えるべきです」

俺は工房長に言った。

「少しだけ、作業を止められる?」

「はい」

工房長が声をかけると、近くにいた作業員たちが手を止めた。

全員ではない。

火を扱う作業や、途中で止められない作業はそのままだ。

だが、補助作業に入っていた者たちが集まってくる。

ハル領の若者。

工房の見習い。

グレイヴ領から来た出稼ぎの者。

年齢も立場もばらばらだ。

俺は、彼らの前に立った。

視線が集まる。

緊張している者もいる。

目を伏せている者もいる。

俺は、ゆっくり口を開いた。

「今日やるのは、試験じゃない」

最初に、そこを言った。

何人かが顔を上げる。

「読めない人を見つけて、仕事を外すためでもない。

計算が苦手な人の賃金を下げるためでもない」

工房の中が静かになる。

「俺が知りたいのは、誰ができないかじゃない。

どこから教えれば、仕事がしやすくなるかだ」

俺は机に置かれていた木札を一つ手に取った。

「この札が読めれば、置き場を間違えにくくなる。

数字が読めれば、箱の数を自分で確かめられる。

名前が読めれば、帳面の中から自分の名前を見つけられる」

作業員たちは黙って聞いている。

「読めないのが悪いんじゃない。教わる場所がなかっただけだ」

その言葉に、何人かの表情が少し変わった。

「だから、今日の確認で仕事を取り上げることはしない。むしろ、できることを増やすために確認する」

俺は、はっきりと言った。

「できないことを責めるためじゃない。教える順番を決めるためだ」

少しだけ、空気が緩んだ。

完全に安心したわけではないだろう。

でも、最初よりは顔が上がっている。

ヨハンが小さく息を吐いたのが見えた。

レナードは、今の説明を帳面に書き留めている。

たぶん、この言い方を他の現場にも伝えるつもりなのだろう。

確認は、工房で使うものを使って行った。

難しい文章を読ませることはしない。

まずは、名前。

次に、数字札。

それから、箱札。

最後に、木札と簡単な帳面。

ヨハンが前に立つ。

「では、まずこれは何の札か分かる人」

ヨハンは、街灯用青輝石の箱につける札を掲げた。

「青輝石」

一人が答える。

「はい。では、これは?」

「純石」

「そうです。では、この数字は?」

「二十」

「では、二十の箱が三つあれば?」

「……六十」

「はい」

数字を読める者は、意外と多かった。

特に、荷運びや箱詰めに入っている者は、箱の数を数える経験がある。

ただし、全員が計算できるわけではない。

二十、三十、四十のように、札として見慣れた数字は読める。

でも、それを足したり引いたりすると、急に止まる者がいる。

文字も同じだった。

青輝石。

純石。

街灯。

東置き場。

西置き場。

そうした仕事でよく見る札は、形として覚えている者がいた。

だが、新しい文字になると読めない。

自分の名前は分からないのに、工房の札だけは見分けられる者もいる。

俺はその様子を見ながら、少し驚いていた。

読み書きができるか、できないか。

そんな単純な話ではなかった。

仕事の中で覚えたものは読める。

数は数えられるが、文字は苦手。

名前は書けないが、箱札は間違えない。

簡単な足し算はできるが、帳面への記入はできない。

人によって、かなり違う。

レナードが横で小さく言った。

「思っていたより、細かく分かれますね」

「うん」

「読み書きができる者、できない者、という二つに分けるだけでは足りません」

「そうだね」

俺は頷いた。

前世でも同じだった。

社員研修を作る時、全員に同じ内容を教えればいいわけではない。

すでにできる人。

少し教えればできる人。

前提から教える必要がある人。

実務ではできているが、理屈としては分かっていない人。

それを一緒にしてしまうと、誰にとっても中途半端になる。

今の工房も同じだ。

全員に同じ講習を受けさせればいいわけではない。

目の前の現場には、それぞれ違う現在地がある。

その瞬間、視界に文字が浮かんだ。

《読み書き:個人差大》

《数字理解:作業経験により補完》

《木札認識:形状記憶に依存》

《帳面記入:不足》

《教育順序:未整理》

やっぱり、そこだ。

学び場は必要だ。

だが、全員に同じことを同じ順番で教えるだけでは、効率が悪い。

必要なのは、段階を分けることだ。

確認を終えた後、俺は工房長、ヨハン、レナードを集めた。

ノルとミアもそばにいる。

「分けよう」

俺が言うと、ヨハンが首を傾げた。

「分ける、とは?」

「講習の段階を分ける」

俺は机に置かれた札を見ながら言った。

「全員に同じことを教えるんじゃなくて、今どこまでできるかで、教える順番を変える」

レナードが筆を構えた。

「段階を、どのように分けますか」

「まず初級」

俺は指を一本立てる。

「自分の名前を読める。自分の名前を書ける。数字札を読める。十、二十、三十のような箱札が分かる。簡単な足し算と引き算を覚える。木札の読み方を覚える」

ヨハンが頷く。

「今の学び場で一番多い内容ですね」

「うん。次に中級」

俺は指を二本にした。

「箱数の確認。置き場の札の読み取り。簡単な帳面への印。出荷数の確認。作業札を見て、どこへ運ぶか判断できる」

工房長が真剣な顔になる。

「そこまでできれば、補助作業の幅がかなり広がります」

「最後に、帳面補助候補」

俺は三本目の指を立てた。

「数字を記録できる。名前と数を間違えずに書ける。受け取った箱数と出した箱数を比べられる。賃金や仕送りの数字も確認できる」

レナードが筆を走らせる。

「初級、中級、帳面補助候補……」

「これは身分や優劣の分け方じゃない」

俺は念を押した。

「教える順番を決めるための分け方だ」

「はい」

「それと、本人にも分かるようにしてほしい。自分が何を覚えれば次へ進めるのか」

ヨハンは少し驚いた顔をした。

「本人にも、ですか」

「うん。何を勉強しているのか分からないままだと続かない。

名前を書けるようになったら、次は数字。

数字が分かれば、箱の数。箱の数が分かれば、帳面の印。そうやって見えた方がいい」

ミアが静かに頷いた。

「できるようになったことが分かると、続けやすいでしょうね」

「そう思う」

学びは、先が見えないとつらい。

特に、大人になってから学ぶ人たちにとってはそうだ。

仕事で疲れた後に集会所へ来る。

恥ずかしさもある。

眠さもある。

それでも続けてもらうには、少しずつできることが増えていると感じられる必要がある。

その時、先ほど確認を受けていた若い男が、恐る恐る近づいてきた。

グレイヴ領から来た出稼ぎの一人だ。

名前はマルク。

西の森側作業場で、柵の外に縄を拾いに行こうとして止められた若者だった。

今は工房の荷運びにも入っているらしい。

「リオン様」

「うん」

「俺、読めないと仕事を外されるのかと思ってました」

その声は、小さかった。

だが、周りにいた者たちにも聞こえた。

同じように思っていた者は、たぶん少なくない。

「違う」

俺はすぐに答えた。

「読めるようになれば、できる仕事が増える。そのための確認だ」

「できる仕事が増える……」

「うん。今は荷運びが中心でも、数字が分かれば箱の数を確認できる。木札が読めれば置き場を間違えにくくなる。帳面に印をつけられるようになれば、もっと任せられる仕事が増える」

マルクは黙って聞いていた。

「でも、急に全部できる必要はない。最初は数字札だけでもいい。次に木札。その次に帳面。順番に覚えればいい」

「俺でも、できますか」

「できるようにするための学び場だ」

俺がそう言うと、マルクは少しだけ目を伏せた。

「……なら、行きます。夜のやつ」

「うん。ヨハンに言っておいて」

ヨハンが頷く。

「待っているよ」

マルクは不器用に頭を下げ、持ち場へ戻っていった。

その背中を見ながら、俺は胸の奥で少しだけ息を吐いた。

伝え方を間違えれば、これは人を追い詰めるものになる。

だが、うまく伝えられれば、人を前へ進めるものになる。

同じ確認でも、意味はまるで違う。

工房長が、少し表情を和らげて言った。

「リオン様。これなら、作業員たちも受け入れやすいかもしれません」

「そうだといいけどね」

「ただ、三段階に分けるとなると、教える側も少し増やす必要があります」

「ヨハン一人では厳しい?」

ヨハンは少し苦笑した。

「正直、人数が増えると厳しいです」

「だよね」

予想はしていた。

学び場を広げるなら、教師役も必要になる。

ただ、最初から専門の教師をそろえるのは難しい。

「まずは、帳面補助候補になれる人を、将来の教える側にも回せないか考えよう」

「教わった者が、次に教える側に回るのですか」

レナードが聞いた。

「うん。全部を教える必要はない。

数字札だけなら教えられる人、名前の書き方だけなら見られる人、木札の読み方だけなら教えられる人。

そういう形でもいい」

ノルが頷く。

「兵の訓練でも、基礎を覚えた者が次の者を見ることはあります」

「それと同じだね」

全部を一人の先生が教える必要はない。

できるようになった人が、少し下の人を見る。

それだけで、教える力は増える。

前世の会社でも、教育係を増やす時はそうだった。

完璧な人を待っていても、仕組みは広がらない。

教えられる範囲を切り出せばいい。

「レナード」

「はい」

「今日の確認結果をまとめて。初級、中級、帳面補助候補の三段階で」

「承知しました」

「それと、石切り場と西の森でも、同じように始める。ただし、工房と同じ内容をそのまま使わない」

「現場ごとに変える、ということですね」

「うん。石切り場なら、石の分類札と箱数。西の森なら、作業範囲の札、退避場所、荷車数。現場で使うものから入る」

「分かりました」

ミアが小さく言った。

「それなら、学ぶ方も意味が分かりやすいですね」

「そう思う」

読むために読むのではない。

数えるために数えるのでもない。

仕事を安全に、正しく、自分のためにも進めるために学ぶ。

それが大事だった。

確認を終え、工房を出る頃には、日が傾き始めていた。

作業員たちは、それぞれの持ち場へ戻っている。

さっきまで不安そうだった者たちも、少し表情が和らいでいた。

もちろん、すべてが解決したわけではない。

読み書きが苦手なことを恥ずかしく思う者はいる。

疲れて講習に来られない者もいる。

自分には関係ないと思っている者もいる。

だが、今日の確認で一つ分かった。

できるか、できないか。

その二つで人を分けてはいけない。

人には、それぞれ現在地がある。

その違いを、できない理由にするのではなく、教える順番に変える。

それが、人を育てるということなのだと思う。