作品タイトル不明
第210話 戻らない出稼ぎたち
純石候補の扱いを決めたあとも、俺はすぐには石切り場を離れなかった。
街灯用青輝石と街灯用純石を、同じ便で工房へ送る。
これで、純石候補の山がただ積まれたままになることは減るはずだ。
だが、現場を見ているうちに、もう一つ気になることが出てきた。
人だ。
石の流れが詰まっていた。
なら、人の流れも見ておくべきだ。
「エド。人員帳面を見せて」
俺が言うと、エドは少しだけ表情を引き締めた。
「人員帳面ですか」
「うん。前に作ったやつ。領民、出稼ぎ、移住希望、熟練、補助、見習いで分けてる帳面」
「あります。少しお待ちください」
エドは近くの作業小屋へ向かった。
その間に、俺は現場を見回す。
採掘する者。
石を運ぶ者。
箱を並べる者。
純石候補の置き場で、ダンとロブの指示を待つ者。
皆、真面目に動いている。
見た限り、怠けている者が多いわけではない。
だからこそ、ただ「人が足りない」「人が多い」だけでは分からない。
誰が、どこから来て、どれくらいここに残っているのか。
そこを見ないと、領の動きは分からない。
少しして、エドが帳面を持って戻ってきた。
「こちらです」
「ありがとう」
俺は帳面を開く。
名前。
所属。
領民か、出稼ぎか、移住希望か。
出稼ぎなら出身領。
熟練、補助、見習い。
以前決めた項目が、きちんと残っている。
そこは安心した。
ただ、数字を追っていくうちに、俺の手が止まった。
「グレイヴ領……多いな」
俺が呟くと、カイルが少しだけ頷いた。
「増えてます」
「冬より?」
「はい。春の終わり頃から、また増えました」
俺は帳面をめくる。
グレイヴ領。
グレイヴ領。
グレイヴ領。
もちろん全員ではない。
ハル領の領民もいる。
他の近隣領から来ている者もいる。
けれど、増えた分の中に、グレイヴ領からの出稼ぎが目立つ。
「この人たち、夏なのに戻ってないの?」
俺が聞くと、エドが少し困った顔をした。
「戻る予定だった者もいます」
「でも、残ってる」
「はい」
カイルが続ける。
「夏前には、いったん戻ると言っていた者もいました。畑仕事があるとか、家の手伝いがあるとか。でも、結局そのまま働き続けている者が多いです」
夏。
本来なら、農村側も忙しい時期のはずだ。
それでも戻らない。
それは、ただハル領の仕事があるからだけではない。
戻りたくても、戻れない理由があるのかもしれない。
俺は帳面から目を上げた。
「石切り場だけ?」
その問いに答えたのはノルだった。
「いえ。石切り場だけではありません」
ノルは静かに言った。
「西の森開拓にも、グレイヴ領から来た者が増えております。
領都の工房でも、荷運びや石の仕分けの補助に入っている者がいると聞いております」
「工房にも?」
「はい」
俺は口を閉じた。
石切り場だけなら、まだ現場単位の話で済む。
だが、西の森開拓。
領都の工房。
街灯関連の荷運び。
複数の現場でグレイヴ領からの出稼ぎが増えているなら、話は変わってくる。
ハル領の仕事が増えた。
人手が必要になった。
そこへ、グレイヴ領から働き手が来ている。
ハル領としては、ありがたい。
ありがたいのだが。
胸の奥に、嫌な引っかかりが生まれた。
◇
「働きぶりは?」
俺が聞くと、エドはすぐに答えた。
「悪くないです。むしろ、真面目に働く者が多いです」
カイルも頷く。
「最初は基準が分からなくて戸惑う者もいます。
でも、教えれば覚えます。問題を起こす者ばかりではありません」
「ダンもそうだしな」
ロブがちらりとダンを見る。
少し離れた場所で台帳を抱えていたダンは、自分の名前が出たことに気づいて、背筋を伸ばした。
俺は手招きした。
「ダン、少し聞いていい?」
「はい、若様」
ダンは緊張した顔で近づいてきた。
以前より、受け答えがはっきりしている。
ここで働くうちに、少しずつ現場に馴染んできたのだろう。
「グレイヴ領から来ている人たち、夏でも戻らない人が多いみたいだけど、理由は分かる?」
ダンは一瞬、答えに迷った。
周囲を少し見て、それから声を落とす。
「戻りたい者もいます」
「うん」
「でも、戻っても、税を払える見込みがないんです」
その言葉は、思ったより重かった。
俺は黙って続きを待つ。
「向こうでは、働いても残るものが少なくて。
畑があっても、取られる分が多い。
去年の蓄えが少ない家は、戻っても食べていくのがきついです」
「だから、こっちで働く」
「はい。こっちは賃金が出ます。食べる分も何とかなる。
少しでも家に送れるなら、その方がましだって」
ダンはそこで言葉を切った。
責めているわけではない。
ただ、事実を話しているだけだ。
それが余計に重い。
「グレイヴ領で働く場所はないの?」
「ないわけじゃありません。でも、あっても安いです。
それに、役人に見つかると、先に税の話になります」
「先に税、か」
「はい」
ダンは目を伏せた。
「戻ったら、まず払えと言われる。払えなければ、また借りるしかない。
そう言っている者もいます」
俺はゆっくりと息を吐いた。
出稼ぎたちは敵ではない。
食べるために来ている。
家族を支えるために来ている。
働ける場所を求めて、ハル領へ来ている。
それ自体を責める気にはなれない。
むしろ、ちゃんと働いてくれるならありがたい。
だが、それだけで終わる話でもなかった。
◇
「若様」
ノルが低く言った。
「ハル領としては、働き手が来ること自体は助かります」
「うん」
「ですが、対グレイヴ領として考えると、これは良い状況ではありません」
「そうだね」
俺は帳面を見る。
グレイヴ領からの出稼ぎ。
短期のはずが、夏になっても戻らない者。
家族を残している者。
継続して働くことを望んでいる者。
ハル領から見れば、人手不足を補ってくれる存在だ。
だが、グレイヴ領から見ればどうか。
自領の人間が、隣のハル領へ流れている。
農繁期になっても戻らない。
税を取る相手が減る。
畑を耕す人間も減る。
面子も潰れる。
そう見えるかもしれない。
いや、見ようと思えば、いくらでもそう見える。
「ハル領が人を奪っていると言われる可能性がある」
俺が言うと、ノルは静かに頷いた。
「はい」
エドたちの表情も変わった。
現場からすれば、働き手がいるのはありがたい。
だが、領と領の関係で見れば、それは火種になる。
カイルが低く言った。
「でも、追い返すわけにもいかないですよね」
「追い返すつもりはない」
俺はすぐに言った。
ダンが少し顔を上げる。
「ちゃんと働いてくれる人は大事にする。
グレイヴ領から来たからって、雑に扱うつもりもない」
俺は帳面を軽く叩いた。
「でも、見えないまま増えるのはまずい」
「見えないまま、ですか」
エドが聞く。
「うん。誰がどこから来て、どのくらい働いていて、夏を越えて残るつもりなのか。それが曖昧なままだと、ハル領も困る」
俺はノルを見る。
「それに、何かあった時に守れない」
ノルの目が少し細くなった。
「おっしゃる通りです」
「グレイヴ領の役人が来て、うちの領民を返せと言い出した時、誰が短期出稼ぎで、誰が継続して働いていて、誰が移住を望んでいるのか分からなかったら、対応できない」
言いながら、自分の中で危機感が形になっていくのが分かった。
これは単なる労働力の問題ではない。
人の流れだ。
その流れが、領と領の関係に触れ始めている。
◇
「今日から、出稼ぎの帳面をもう少し分けよう」
俺は言った。
エドたちが姿勢を正す。
「今までは、領民、出稼ぎ、移住希望で分けていた。でも、それだけじゃ足りない」
「何を加えますか」
カイルが聞いた。
「出稼ぎの中を分ける。短期出稼ぎ、継続希望、移住相談。この三つだ」
「移住相談……」
エドが小さく呟く。
「すぐに移住を認めるって意味じゃない。家族を呼びたいとか、ハル領に残りたいとか、そういう話がある者を別に聞き取る」
「なるほど」
「それと、夏を越えて残る者は必ず確認する。
本来戻る時期なのに残るなら、理由を聞く」
ダンが少し不安そうな顔をした。
「それは、戻れということですか」
「違う」
俺ははっきり言った。
「戻れと言うためじゃない。残る理由を知るためだ」
ダンは黙って俺を見る。
「生活が苦しいなら、苦しいと分かっておきたい。
家族に仕送りしているなら、それも知っておきたい。
あとでグレイヴ領側から何か言われた時に、何も知らないままだと守れない」
ダンの表情が少し揺れた。
「守る、ですか」
「ハル領で働いている間は、ハル領の現場の人間だろ」
俺がそう言うと、ダンは言葉を失った。
エドもカイルもロブも、少し驚いたようにこちらを見ている。
俺は続けた。
「ただし、重要な台帳管理や純石の判断は、身元と継続性を確認した人から任せる。これは差別じゃない。現場を守るための区分だ」
ノルが頷いた。
「妥当ですな」
「グレイヴ領から来たから駄目、とはしない。
でも、人数の偏りは必ず見えるようにする」
俺は帳面を閉じた。
「人が来てくれることはありがたい。
でも、増え方を見ないと、後で領全体の問題になる」
◇
そこから、簡単な聞き取りが始まった。
全員をその場で調べるわけではない。
まずは、石切り場の中でグレイヴ領から来ている者を確認する。
短期のつもりか。
夏を越えて残るつもりか。
家族を呼びたいのか。
仕送りだけできればよいのか。
カイルが人を並ばせ、エドが大まかに確認し、ロブとダンが名前を合わせる。
ノルは少し離れた場所で、その様子を見ていた。
俺は何人かの話を聞いた。
「戻る予定だったけど、もう少し働きたいです」
「家に送る金が必要で」
「戻っても、今年の税が払えるか分からない」
「畑は兄が見ています。俺はこっちで稼いだ方がいい」
「妻と子を呼べるなら、いずれは……」
短い言葉ばかりだった。
でも、その一つ一つが重かった。
彼らはハル領を利用しに来ているわけではない。
生きるために来ている。
同時に、ハル領はその労働力を必要としている。
助かっている。
だからこそ、危うい。
ハル領が発展するほど、周りの領から人を引き寄せる。
それは良いことのようでいて、必ずしも良いことだけではない。
◇
聞き取りが一段落した頃、ダンが少し迷ったように俺の前へ来た。
「若様」
「どうした」
「一つ、気になる話があります」
ダンの声は小さかった。
周囲に聞かせたくないのだろう。
俺はノルに目で合図し、少し離れた場所へ移動した。
「話して」
ダンは唇を湿らせる。
「最近、向こうで……ハル領へ働きに行く者をよく思わない声が出ていると聞きました」
「向こうって、グレイヴ領?」
「はい」
「誰が言っている?」
「詳しくは分かりません。ただ、役人に目をつけられるのを怖がっている者はいます」
ノルの表情がわずかに険しくなった。
「役人か」
俺は黙った。
来たか。
いや、まだ来てはいない。
ただ、気配が出始めているだけだ。
だが、それだけで十分だった。
グレイヴ領から見れば、自領の働き手がハル領へ流れている。
しかも夏になっても戻らない。
それを快く思わない者がいても不思議ではない。
問題は、それがただの村役人の不満で済むのか。
それとも、もっと上へ届くのか。
グレイヴ侯爵の耳に入れば、どう受け取るか。
俺は東の石切り場を見回した。
この場所は、ハル領にとって重要になりすぎている。
「ノル」
「はい」
「この件、屋敷に戻ったら母上と父上にも共有しよう」
「そうすべきですな」
「それと、出稼ぎの帳面は今日から更新を早めて。特にグレイヴ領出身者は、短期か継続かを分ける」
「承知しました」
ダンが不安そうにこちらを見る。
「若様、俺たちは……」
「ダンたちを追い出す話じゃない」
俺は遮るように言った。
「でも、何か起きた時に、誰がどこにいるか分からない状態にはしない。
君たちを守るためにも、ハル領を守るためにも必要なことだ」
ダンはゆっくりと頭を下げた。
「ありがとうございます」
その声には、少しだけ安堵が混じっていた。
◇
帰りの馬車に乗る前、俺はもう一度石切り場を振り返った。
純石候補の山は、少しずつ整理され始めている。
街灯用青輝石と街灯用純石を、同じ便で工房へ送る仕組みも動き始めた。
物の流れは、少しずつ戻せる。
だが、人の流れはそう簡単ではない。
グレイヴ領から来た者たちは、敵ではない。
食べるために。
家族を支えるために。
ハル領へ来ている。
だが、その人数が増えすぎれば、話は人手不足の解決では終わらない。
グレイヴ領から見れば、自領の人間がハル領へ流れているということになる。
ハル領が発展する。
そのこと自体は、間違いなく良いことだ。
けれど、発展は領内だけで完結しない。
周りの領にも、必ず影響を与える。
その影響が、いつか政治的な火種になるかもしれない。
石切り場の綻びは、純石候補の山だけではなかった。
人の流れにも、次の綻びが生まれ始めていた。