作品タイトル不明
第209話 純石候補の山
東の石切り場へ向かう馬車の中で、俺は帳簿に浮かんだ文字を思い返していた。
《収支:表面上正常》
《生産量:停滞》
《純石:管理粗雑》
《綻び:東の石切り場》
帳簿だけを見れば、青輝石は動いている。
ヴァレスト公爵領への輸出も続いている。
取引額も極端に落ちているわけではない。
それなのに、自領の街灯生産は伸びていない。
数字だけを見れば、どこかで流れが詰まっている。
そして、綻びの目はその場所を示していた。
東の石切り場。
以前、一度現場を見直した場所だ。
採掘班、一次選別班、最終選別と箱詰め班。
置き場も、公爵領向けの中級青輝石、街灯用青輝石、規格外、純石候補、廃棄・土木用に分けた。
さらに、人の出入りを把握するため、帳面や木札の仕組みも入れた。
だから、完全に崩れているとは思っていない。
ただ、あの時より仕事の量も種類も増えている。
前に作った形が、今の負荷に耐えきれているか。
それを確かめる必要があった。
向かいに座っていたノルが、静かに口を開いた。
「若様、石切り場の者たちはよく働いております」
「うん。それは分かってる」
「ただ、最近は出荷量も増えております。特に公爵領向けの荷は、以前よりかなり多くなっておりますな」
「その分、自領の街灯用が詰まってるかもしれない」
「はい」
ノルは短く頷いた。
馬車が揺れる。
窓の外には、石切り場へ向かう道が続いていた。
◇
石切り場に着くと、乾いた音が耳に入ってきた。
槌の音。
荷車の車輪が軋む音。
石を箱へ入れる音。
人の声。
以前ここへ来た時のような怒鳴り合いは、少なくとも入口からは聞こえなかった。
馬車を降り、俺は石切り場全体を見回す。
まず、目に入ったのは杭と縄だった。
置き場は、まだ分けられている。
左側には公爵領向けの中級青輝石。
中央には街灯用青輝石。
右側には規格外。
奥には純石候補。
端には廃棄・土木用の石。
以前作った区分は、ちゃんと残っていた。
採掘班と選別班の流れも、大きくは崩れていない。
エドが荷車の動きを見ている。
カイルが作業員に声をかけながら、人の配置を調整している。
ロブは箱の中身を確認し、石の最終判断をしていた。
崩れているわけじゃない。
ここは、ちゃんと持ちこたえている。
そのことに、まず少しだけ安心した。
「リオン様!?」
エドがこちらに気づいて、慌てて駆け寄ってきた。
カイルとロブもすぐに顔を上げる。
「帰ってきてすぐですか」
「帳簿を見た。少し確認したいことがある」
俺がそう言うと、エドの表情が少し硬くなった。
「何か、まずいことがありましたか」
「現場が崩れているとは思ってない。まず見せて」
そう言うと、三人の表情が少しだけ緩んだ。
責められると思ったのだろう。
だが、ここまで見た限りでは、エドたちが手を抜いているわけではない。
むしろ、よく回している。
問題があるとすれば、別のところだ。
◇
まず、青輝石の置き場を見た。
公爵領向けの中級青輝石は、きちんと箱詰めされている。
札もある。
箱ごとの記録も残っている。
ヴァレスト公爵領向けの出荷は、かなり安定しているようだった。
「公爵領向けは、混ざらなくなったみたいだね」
俺が言うと、ロブが頷いた。
「はい。前に置き場を分けてから、だいぶ減りました。中級青輝石と街灯用を混ぜることは、ほとんどありません」
「街灯用青輝石は?」
「こちらです」
ロブに案内され、中央の置き場を見る。
こちらも、以前よりは整っていた。
公爵領向けほどではないが、街灯用として分けられている。
問題は青輝石そのものではなさそうだ。
青輝石は採れている。
分けてもいる。
出荷もされている。
だが、帳簿では街灯の生産量が伸びていなかった。
ということは、詰まりは別の場所にある。
俺は奥の置き場へ目を向けた。
純石候補。
そこだけが、やけに大きな山になっていた。
◇
「純石候補、かなり増えてるね」
俺が言うと、エドが少し気まずそうに頷いた。
「増えてます」
「いつから?」
「春の終わりくらいからです。採掘量が増えた分、候補として止める石も増えました」
俺は純石候補の置き場へ近づいた。
確かに、分けられてはいる。
以前のように、廃棄や土木用へ雑に混ざっているわけではない。
純石候補として、ちゃんと止められている。
だが、そのままだ。
山になっている。
街灯工房へ流れている気配が薄い。
俺は山の前に立ち、ゆっくりと視線を流した。
その瞬間、視界に文字が浮かぶ。
《純石候補:滞留》
《用途判断:未処理》
《工房納入:不足》
《綻び:純石候補置き場》
やっぱり、ここか。
俺は息を吐いた。
帳簿で見えた綻びと、現場で見えた綻びがつながった。
純石候補は、混ざらないように止められている。
だが、止めた後に、どれを工房へ送るかが決まっていない。
だから、工房へ必要な分が届かない。
街灯用青輝石だけが動いても、純石が一緒に動かなければ、街灯の生産は増えない。
◇
「純石候補に分けた後、どれを工房に送るかは誰が決めてる?」
俺が聞くと、エド、カイル、ロブが一瞬顔を見合わせた。
答えたのはロブだった。
「一応、俺が見ています」
「一応?」
「はい。ただ、公爵領向けと街灯用青輝石の最終確認もあるので、純石候補までは毎日細かく見られていません」
カイルも続ける。
「純石候補は、とりあえず混ぜないようにはしています。でも、どれをどこへ送るかまでは決まっていません」
エドが悔しそうに唇を噛んだ。
「分けてはいたんです。でも、その先まで見てませんでした」
俺は首を振った。
「違う。前は、混ぜないことが大事だった。そこまではできてる」
三人が俺を見る。
「純石候補として止めてくれていたから、まだ間に合う。これが廃棄や土木用に流れていたら、もう戻せなかった」
エドの表情が少し変わった。
カイルも、ロブも黙っている。
俺は純石候補の山を見る。
「前に作った仕組みは間違ってなかった。でも、今は次の段階に来てる」
「次の段階、ですか」
ロブが聞いた。
「うん。前は、分けるところまででよかった。今は、分けた後に、どれを街灯用として工房へ送るかまで決めないといけない」
そこで、ようやく三人の顔に納得が浮かんだ。
現場が悪いわけではない。
仕事が増えた。
役割が増えた。
だから、仕組みも一段増やす必要がある。
それだけの話だ。
◇
俺は純石候補の置き場の前にしゃがみ、いくつか石を手に取った。
大きさ。
硬さ。
反応の良さ。
まだ細かい分類は必要だが、街灯に回せるものはある。
少なくとも、全部を候補のまま山にしておく必要はない。
「今日から、純石候補の扱いを変える」
俺が言うと、三人が姿勢を正した。
「まず、純石候補の中から、街灯に使えるものを毎日選ぶ」
「毎日ですか」
ロブが少し目を見開く。
「毎日」
「はい」
「次に、街灯用青輝石と街灯用純石を同じ便で工房へ送る」
エドが少し考える。
「同じ便で?」
「青輝石だけ送っても、純石が足りなければ工房で止まる。逆も同じ。街灯に使う分は、青輝石と純石を組にして流す」
ノルが横で頷いた。
「石を組にして流す、ということですな」
「そう。片方だけ動いても意味がない」
カイルが腕を組む。
「そうなると、荷車の組み方も変えた方がいいですね」
「うん。街灯用の便には、青輝石の箱と純石の箱をセットで載せる。どちらかだけなら、出発前に止める」
「分かりました」
「それと、送った数を台帳に書く。青輝石何箱、純石何箱。工房へ送った日も残す」
ロブが頷く。
「判断できないものは?」
「純石候補置き場に残す。無理に流さなくていい。
ただし、廃棄・土木用へ回す前には必ず確認する」
「俺が見ます」
「ロブ一人に全部抱えさせると、また詰まる」
ロブが少しだけ言葉に詰まった。
自分で抱えるつもりだったのだろう。
だが、それでは同じことになる。
◇
俺は周囲を見回した。
「ダンはいる?」
少し離れたところにいた男が、驚いたように振り返った。
以前、基準を知らずに箱を混ぜかけた出稼ぎの男だ。
今は作業服も馴染んでいて、以前より動きに迷いが少ない。
「はい、若様」
「こっちへ」
ダンは少し緊張した顔で近づいてきた。
「純石候補の箱を勝手に動かさないように見る役をやってほしい」
「俺が、ですか?」
「判断はロブがする。ダンには、箱と台帳を合わせてほしい。どの箱がいつ積まれて、どの箱が工房へ送られたかを見る」
ダンは目を瞬かせた。
「俺、石の見分けはまだそこまで……」
「だから判断はしなくていい。動かす前に確認する。送ったら台帳に印をつける。それをやってほしい」
ダンはしばらく考え、それから真面目に頷いた。
「分かりました」
「前に、分からなければ止めて聞くって話をしたよね」
「はい」
「今回も同じ。勝手に流すより、止めて確認する方がいい」
ダンは少しだけ表情を引き締めた。
「やります」
その返事を聞いて、俺は頷いた。
最初から完璧な人材なんていない。
でも、分からない時に止まれる人間は、現場ではかなり大事だ。
◇
俺は改めて、エドたちの役割を確認した。
「エドは、全体の流れを見る。街灯用の便が青輝石だけで出ないように、荷車の流れも見る」
「はい」
「カイルは、人の配置を見る。純石候補の確認に人を割く分、他の場所が詰まらないようにして」
「分かりました」
「ロブは、石の最終判断。ただし、全部を一人で抱え込まない。純石候補については、ダンに箱と台帳を合わせてもらう」
「はい」
「ダンは、純石候補の箱を管理する。判断はしない。でも、動かした記録は残す」
「はい」
ノルが横で静かに聞いていた。
現場の人間たちも、少しずつこちらを見ている。
俺はその場にいる者たちへ声を向けた。
「今日から、純石候補はただの保留じゃない。
街灯を増やすための大事な石だ。勝手に廃棄や土木用へ回さないでほしい」
何人かが頷く。
まだ全員が意味を分かっているわけではない。
だが、最初はそれでいい。
今は、扱いを変えることが大事だ。
◇
しばらく、その場で純石候補の箱をいくつか確認した。
ロブが判断し、ダンが台帳に印をつける。
街灯用に回せるものは、街灯用純石として別に置く。
判断に迷うものは、純石候補のまま残す。
廃棄・土木用へ回そうとしていた石も、一度止めて確認する。
最初は遅い。
当然だ。
新しい流れを入れたばかりなのだから、最初から速い方がおかしい。
だが、石の山が少しずつ意味を持ち始める。
ただ積まれていた純石候補が、街灯用、保留、廃棄確認待ちに分かれていく。
俺はもう一度、綻びの目を向けた。
《純石候補:滞留》
《用途判断:設定中》
《工房納入:改善見込み》
《綻び:縮小》
完全に消えたわけではない。
だが、方向は見えた。
これなら、工房へ流れる。
街灯用青輝石だけが先に届き、純石が足りずに止まることも減るはずだ。
◇
日が少し傾き始めた頃、俺は石切り場の少し高い場所に立った。
下では、エドが荷車の順番を組み直している。
カイルは人員を動かし、純石候補の確認に二人ほど回していた。
ロブは純石候補を見分け、ダンが台帳に印をつけている。
前に作った仕組みは、ちゃんと残っていた。
ただ、その先が必要になっていた。
ノルが隣へ来る。
「壊れていたわけではありませんでしたな」
「うん」
俺は下の現場を見ながら頷いた。
「では、問題は次の段階ですか」
「そう。純石候補として分けるだけじゃ足りない。街灯に使えるものを選んで、青輝石と一緒に工房へ送るところまで決める必要がある」
ノルは低く頷いた。
俺は純石候補の山を見る。
あの山は、ただの停滞ではない。
使い道が決まらないまま止まっている、ハル領の未来の材料だった。
街灯用に使える純石を選び、青輝石と一緒に工房へ届ける。
それだけで、止まっていた街灯の生産はまた動き出す。
純石候補の山。
そこに、今のハル領の綻びが見えていた。