作品タイトル不明
第204話 リオン対クラウス
クラウスが一歩踏み込んだ。
速い。
だが、それ以上に無駄がない。
踏み込みすぎない。
力みすぎない。
こちらを一気に押し潰すのではなく、まず間合いを奪いに来る一歩だった。
俺は木剣を合わせる。
乾いた音が鳴った。
重い。
だが、ガイルのような真正面からの重さとは違う。
受けた瞬間、こちらの剣の角度をずらされる。
俺が押し返そうとする前に、クラウスはすでに半歩引いていた。
そして、別の角度からまた入ってくる。
速いだけじゃない。
崩れない。
それが、クラウスの強さだった。
◇
俺は横へ動いた。
正面からぶつかり続けても、簡単には崩せない。
少し角度を変え、クラウスの右側へ回り込む。
だが、クラウスは慌てない。
半歩だけ足を動かし、俺の進路を消した。
木剣がまたぶつかる。
今度は俺が先に引き、浅く打ち込む。
誘いだ。
深く受けに来れば、そこから内側へ入れる。
だが、クラウスは乗ってこなかった。
必要な分だけ受け、必要な分だけ下がる。
それ以上は動かない。
俺は内心で舌を巻いた。
やりにくい。
派手な攻撃をしてくる相手なら、隙も生まれやすい。
力任せに押してくる相手なら、流せる。
速さに頼る相手なら、タイミングを外せる。
だが、クラウスは違う。
無理をしない。
崩れそうになる前に、安全な形へ戻る。
だから、決定打まで届かない。
俺は一度、クラウスの動きに意識を集中した。
綻びを探す。
だが、視界には何も浮かばない。
今、この瞬間のクラウスには、突ける綻びがない。
それだけ整っているということだ。
俺は息を細く吐いた。
なるほど。
これは強い。
周囲の音が少し遠くなる。
訓練場には、俺とクラウスの木剣がぶつかる音だけが残っているように感じた。
俺は踏み込む。
クラウスが受ける。
すぐに戻る。
俺が角度を変える。
クラウスが消す。
俺が一拍遅らせて打つ。
クラウスは崩れない。
最初は、クラウスが俺の攻撃を読んでいるのかと思った。
だが、違う。
全部を読んでいるわけではない。
読んでいなくても、崩れない形へ戻るのが早いのだ。
攻撃を受ける。
角度をずらす。
足を置き直す。
間合いを戻す。
その一つ一つが丁寧で、無駄がない。
だから、こちらが攻めても、クラウスの形が崩れない。
俺は攻め方を変えた。
崩れている場所を探すのではない。
崩れを作る。
浅く打つ。
すぐに引く。
左へ誘う。
右へ回る。
同じような角度に見せて、ほんの少し踏み込みを遅らせる。
クラウスは対応する。
綺麗に対応する。
だが、対応するたびに、クラウスは安全な形へ戻る。
その戻り方を見る。
足。
腰。
剣の角度。
視線。
クラウスは崩れていない。
クラウスの目が、わずかに細くなった。
「狙いを変えたな」
低い声だった。
俺は答えなかった。
答える余裕がないわけではない。
答えれば、こちらの意図が少し見える。
だから黙ったまま、もう一度踏み込む。
クラウスが受ける。
俺はそこで押し込まず、すぐに剣を引いた。
クラウスが戻る。
その足を見た。
もう一度。
今度は右から入る。
クラウスは半歩下がって受ける。
また戻る。
似ている。
全く同じではない。
だが、完全に自由でもない。
安全な形へ戻るために、クラウスは自然と似た位置へ足を置いている。
俺はさらに圧をかけた。
浅い攻撃を重ねる。
何度目かの打ち込みを、クラウスが受けた瞬間だった。
クラウスの右足が、ほんのわずかに同じ位置へ戻った。
その時、視界に文字が浮かんだ。
《綻び:右足の戻り》
《重心:後方へ固定》
《次動作:防御姿勢への復帰》
見えた。
最初からあった弱点ではない。
この戦いの中で、俺が作った綻びだ。
◇
俺は次の一歩を変えた。
これまでと同じ角度に見せる。
クラウスが受ける。
そして、安全な形へ戻ろうとする。
その戻り先へ、俺は先に入った。
「っ!」
クラウスの呼吸が、ほんの一瞬だけ乱れた。
初めて、クラウスの姿勢がわずかに崩れる。
周囲の空気が動いた。
「クラウスが……」
誰かの声が聞こえた気がした。
だが、クラウスはすぐに立て直そうとする。
やはり速い。
崩れた瞬間に、もう次の形を作りにいっている。
だが、一度生まれた綻びは、次の綻びを呼ぶ。
クラウスが左へ剣を戻そうとした瞬間、また文字が浮かんだ。
《綻び:左肩》
《防御反応:遅延》
《逃走方向:右後方》
俺は踏み込んだ。
逃げ道を塞ぐ。
クラウスは後ろへ引こうとする。
俺はそこへ先に剣を置く。
クラウスが攻めに転じようとする。
俺はその起点を潰す。
今度は、こちらが流れを握っていた。
それでも、クラウスは簡単には終わらない。
木剣を合わせ、角度を変え、俺の踏み込みをずらしてくる。
一度崩れた後でも、すぐに立て直す。
綻びが見えている。
なのに、簡単には届かない。
見えた綻びを突く前に、クラウスは次の形へ移ろうとする。
やはり強い。
今まで戦った学生とは違う。
だが、クラウスの動きに、わずかな遅れが生まれている。
その遅れを、俺は見逃さなかった。
もう一度、浅く打つ。
クラウスが受ける。
俺は剣を引かず、身体だけを半歩ずらした。
クラウスの防御が、ほんの少し外へ流れる。
「今だ!」。
俺は一歩、内側へ入った。
クラウスの剣が戻るより早く、俺の木剣の先がその胸元で止まる。
訓練場が静まり返った。
ベルンハルト先生の声が響く。
「勝負あり」
◇
俺はゆっくりと木剣を下ろした。
息が少し乱れている。
思った以上に、神経を削られた。
クラウスは一度、自分の胸元に止まった木剣の位置を見た。
それから、俺を見る。
悔しさはある。
だが、表情は乱れていなかった。
「見事だ、リオン」
「ありがとうございました、クラウスさん」
俺は頭を下げた。
クラウスは少しだけ息を吐く。
「途中から、僕の戻る場所を読んでいたな」
鋭い。
やはり、ただ負けたわけではない。
何をされたのか、すぐに理解している。
「はい」
俺は答えた。
「最初は何も見えませんでした。でも、打ち合ううちに、クラウスさんが崩れないために戻る場所が見えました」
「崩れないための動きを見たのか」
「はい」
クラウスは静かに頷いた。
「それなら、僕の負けだ」
その言葉に、訓練場の空気が少し変わった。
クラウスが認めた。
三年Sクラスの中心にいる一人が、俺を相手として認めた。
その意味は、決して小さくなかった。
◇
試験区画から下がると、セレナが静かに息を吐いていた。
「よく崩したわね」
「かなり厳しかった」
俺が答えると、エドガーが言う。
「クラウスさんの防御を破ったというより、防御に戻る動きを潰したんだな」
「ああ。たぶん、そういう形になった」
ガイルは短く言った。
「強い」
それは、俺への言葉でもあり、クラウスへの言葉でもあるように聞こえた。
ナディアも頷く。
「クラウスさんは、崩れてからも立て直しが速かったです」
ヴィクトルは肩をすくめた。
「見てるだけで疲れる試合だったよ」
少しだけ笑いが起きる。
だが、すぐに訓練場の空気は戻った。
期末試験はまだ続いている。
俺たちだけで終わりではない。
他の生徒たちも、この一戦を見ていた。
ライオネルも、黙ってこちらを見ていた。
その目は、以前とは違う。
認めたというより、火がついた目だった。
次は自分だ。
そう言っているように見えた。
◇
ベルンハルト先生が短く講評する。
「レインフォードは崩れていなかった」
先生の声に、全員が耳を向ける。
「だが、ハルは崩れるのを待つのではなく、崩れる状況を作った」
俺は先生を見る。
「実戦では重要なことだ。相手の弱点が見えなければ、相手を動かして作れ」
その言葉は、俺だけに向けられたものではなかった。
訓練場にいる全員に向けられていた。
クラウスは静かに聞いている。
俺も、木剣を握ったまま頷いた。
勝った。
だが、楽な勝利ではなかった。
クラウスは強かった。
三年Sクラスの上位に入る。
その言葉の重さを、ようやく少しだけ掴めた気がした。
俺は木剣を握り直し、次の試合へ向かう生徒たちを見た。
期末試験は、まだ続いている。
だが、この一戦で、三年Sクラスの空気がまた少し変わったのは確かだった。