作品タイトル不明
第195話 六人それぞれの判断
三年Sクラス最初の実戦演習が終わった後、訓練場の空気は少し変わっていた。
教室に入った時の視線とは違う。
ただの年下を見る目ではない。
俺たちが動けることは、少なくとも伝わったのだと思う。
「あの飛び級組、初回であれだけやるのか」
「クラウス班とは差があるけど、普通に速かったな」
「冒険者として森に出てるって話、本当だったんだな」
そんな声が、少し離れた場所から聞こえてくる。
完全に認められたわけではない。
だが、ただ珍しいものを見るような目ではなくなっていた。
それだけでも、最初の一歩としては悪くない。
ただ、俺の中には、ベルンハルト先生の言葉が残っていた。
判断の中心が、俺に寄りすぎている。
六人それぞれが判断できる班になれ。
重い言葉だった。
◇
昼休み。
俺たちは食堂の一角に集まっていた。
いつもの六人。
ただ、さっきの演習の後だからか、全員が少し考え込んでいる。
最初に口を開いたのはヴィクトルだった。
「いやー、褒められたのか刺されたのか分からない授業だったな」
「両方だろ」
俺が言うと、ヴィクトルは肩をすくめた。
「だよな。初回としては十分。でも班としては粗い。なんか喜びづらい評価だよ」
「でも、正しい評価だと思うわ」
セレナが静かに言った。
「通用はした。でも、クラウス先輩たちには届いていない」
「速かったな」
ガイルが短く言う。
いつもより少し声が低い。
クラウス班の動きは、ガイルにもかなり響いたのだろう。
「速いだけではありませんでした」
ナディアが続ける。
「誰かが迷う前に、もう別の誰かが動いていました。指示が少ないのに、全体が止まらなかった」
エドガーが頷く。
「ベルンハルト先生の指摘が、ほとんど答えだと思う」
俺は水を一口飲んでから、口を開いた。
「俺が見てから動く形に寄りすぎてた」
全員の視線がこちらに向く。
「森では、それで回ってた。俺が判断する。皆が動く。
それで間に合う場面が多かった」
「実際、それで助かったことも多いわ」
セレナが言った。
「あなたの判断が速いから、私たちもつい待ってしまうのよ」
責めている口調ではなかった。
だからこそ、余計に納得できた。
俺の判断が遅いわけではない。
むしろ、それが強みだった。
でも、その強みに班全体が寄りすぎていた。
「今日みたいに同時に左右から来られると、俺が片方を見た瞬間、もう片方が遅れる」
「なら、判断を分けるべきだ」
エドガーがすぐに言った。
「リオンが全部を見る必要はない。
むしろ、全部を見ようとすると遅れる」
「だな」
俺は頷いた。
言われてみれば、当たり前のことだった。
だが、実際に演習で詰まるまで、自分では分かったつもりで分かっていなかった。
「俺は前と異常察知に集中した方がいいかもしれない」
「なら、後方と時間は僕が見る」
エドガーが言う。
「目的までの残り時間、負傷者役の位置、後ろから来る妨害。
そのあたりは僕が管理する」
「助かる」
「その方が、リオンも前を見やすいだろう」
エドガーは淡々としている。
だが、こういう時の判断は本当に速い。
セレナは少し考えてから言った。
「私は敵を倒すより、味方が動ける場所を作る方に意識を置くわ」
「進路制御か」
「ええ。今までもやっていたけれど、もっとはっきり役割として意識する。前に出る人、守る人、運ぶ人が動きやすい場所を作る」
セレナは騎士団長との実技試験の後から、魔法の使い方を少し変え始めていた。
相手を止めるだけではない。
自分たちの位置を変えるために使う。
今回の演習では、その考え方がかなり合っている。
ガイルは腕を組んだまま短く言った。
「俺は道を作る」
それだけだった。
ガイルが前に出てくれるから、俺たちは進める。
ただし、これからは突っ込むだけではない。
ナディアは丁寧に言った。
「私は保護対象と後方を見ます。崩れそうなところがあれば、先に動きます」
「ナディアがそこを見てくれるとかなり助かる」
俺が言うと、ナディアは少しだけ表情を緩めた。
「まだ森でも演習でも慣れていないことは多いですが、周囲を見ることならできると思います」
「十分だと思うわ」
セレナが言った。
最後に、ヴィクトルが自分を指差す。
「じゃあ俺は?」
「地形と道具」
俺が言うと、ヴィクトルは少し嫌そうな顔をした。
「やっぱりそうなるよな」
「今日、倒木の横を使う判断はかなり良かった」
「あれはたまたま見えただけだよ」
「たまたま見えるのが強いんだろ」
ヴィクトルは少しだけ黙った後、苦笑した。
「じゃあ、俺は面倒な隙間仕事担当ってことか」
「かなり重要だぞ」
「分かってるよ」
その言い方に、少しだけ空気が軽くなった。
ただの反省会ではない。
少しずつ、次に何を変えるべきかが見えてきていた。
◇
その時、近くに影が落ちた。
顔を上げると、クラウス先輩が立っていた。
「邪魔なら後にする」
クラウス先輩は淡々と言った。
俺はすぐに首を振る。
「いえ、大丈夫です」
「反省会か」
「はい。さっきの演習について話していました」
ヴィクトルが軽く手を上げる。
「痛いところを刺されたので」
クラウス先輩の口元が、ほんの少しだけ緩んだ。
「ベルンハルト先生は、痛いところしか刺さない」
その言い方に、三年Sクラスの二年間が少し見えた気がした。
クラウス先輩は空いている席の横に立ったまま、俺たちを見た。
「ハルに判断が寄るのは、悪いことではない」
意外な言葉だった。
「そうなんですか?」
「ああ。判断の中心がある班は崩れにくい。
誰を見るべきかがはっきりしているからな」
クラウス先輩はそこで、少しだけ間を置いた。
「問題は、中心が一つしかないことだ」
その言葉は、さっき俺たちが話していたことと重なった。
「前を見る者。後ろを見る者。目的を見る者。最低でも三つの目が必要になる」
「三つの目……」
俺は思わず呟いた。
前を見る目。
後ろを見る目。
目的を見る目。
それは、綻びの目とは別の話だった。
班としての目だ。
「クラウス先輩たちも、最初からあんなふうに動けたんですか?」
俺が聞くと、クラウス先輩はすぐに首を振った。
「まさか。二年かかった」
短い答えだった。
だが、それだけで十分だった。
クラウス班の動きは、最初から完成していたわけではない。
二年間、何度も崩れて、直して、積み上げてきたものなのだ。
「俺も最初は、自分で全部見ようとして遅れた」
クラウス先輩は続けた。
「前に強い者ほど、そうなりやすい。自分が見れば何とかなると思ってしまう」
その言葉は、妙に刺さった。
俺は綻びの目がある。
だから、見える。
見えるから、判断できる。
判断できるから、周囲を動かそうとする。
でも、それだけでは届かない相手がいる。
「ただ、君たちは伸びるのが早そうだ」
セレナが少しだけ目を細めた。
「そう見えますか?」
「初回であれだけ動ける班は多くない。
特に、魔物相手の経験があるのは大きい」
クラウス先輩は俺たちを順に見る。
「だが、経験があるからこそ、今の形に寄っている。
そこを変えられるかどうかだ」
静かな声だった。
厳しいが、嫌味ではない。
壁の向こう側から、こちらを見ている人間の言葉だった。
ガイルが言う。
「次は遅れない」
クラウス先輩はガイルを見る。
「君の前への圧はかなり強い。だからこそ、周りがどこを通るかを意識すると、もっと厄介になる」
ガイルは少しだけ黙り、頷いた。
「分かった」
ナディアも静かに言った。
「私も、後ろを見るだけでなく、先に動けるようにします」
「それができる支援役は強い」
クラウス先輩はそう言った。
ナディアは少しだけ驚いたように見えたが、すぐに丁寧に頭を下げた。
「ありがとうございます」
ヴィクトルが苦笑する。
「俺の面倒な隙間仕事は?」
「一番面倒だな」
クラウス先輩は即答した。
ヴィクトルが顔をしかめる。
「ですよね」
「だが、そういう役がいない班は詰まる」
その言葉に、ヴィクトルは少しだけ目を上げた。
「……なら、やるしかないか」
エドガーが静かに言った。
「クラウス先輩の班では、目的を見る役は誰が担っているのですか」
「俺と、もう一人だ。前を見る者だけでは目的を見失う。目的を見る者だけでは前が崩れる。だから二つに分けている」
「参考になります」
エドガーは短く頭を下げた。
クラウス先輩は頷き、最後に俺へ視線を戻した。
「次の演習では、俺たちの班と同じ条件で比べられるといいな」
挑発ではない。
ただ、基準を示している。
俺はまっすぐ答えた。
「その時は、今日より良い動きをします」
「期待している」
クラウス先輩はそれだけ言って、席へ戻っていった。
◇
少しの間、誰も話さなかった。
最初に息を吐いたのはヴィクトルだった。
「いい先輩なんだろうけど、言ってることが重いな」
「でも、かなり参考になったわ」
セレナが言う。
「前を見る目、後ろを見る目、目的を見る目」
エドガーが静かに繰り返す。
「使える考え方だ」
俺も頷いた。
今まで、俺は見えるものを追ってきた。
綻びが見える。
だから、俺が判断する。
それは間違いではなかった。
でも、五年へ飛ぶつもりなら、それだけでは足りない。
俺だけが見る班ではなく、六人それぞれが判断する班へ。
「次の演習までに、少し動き方を変えよう」
俺が言うと、全員が頷いた。