作品タイトル不明
第194話 三年最初の実戦演習
ベルンハルト先生は、教室で長く話さなかった。
出席の確認を終えると、すぐに教卓から顔を上げる。
「最初の授業は訓練場で行う」
その一言で、三年生たちは慣れた様子で立ち上がった。
ざわつきは少ない。
誰かが慌てることもない。
筆記用具をしまい、必要なものだけを持ち、順に教室を出ていく。
俺たちもそれに続いた。
一年Sクラスの時とは、こういうところから違う。
指示を受けてから動くのではなく、次に何をするべきかを分かっている。
そういう空気があった。
◇
訓練場に着くと、そこにはいくつかの障害物が置かれていた。
倒木を模した丸太。
ぬかるみの代わりに敷かれた湿った土。
視界を遮る布の仕切り。
そして、負傷者役らしき人形。
ただの実技訓練ではなさそうだった。
ベルンハルト先生は、俺たち全員を前に集める。
「今年の三年Sクラスは二十四人だ。六人一組で四班に分ける」
元からいる三年生が十八人。
そこに、俺たち六人が加わった。
人数としては、ちょうどいい。
「既存の三班は、これまで通りの班で動け。飛び級組は六人で一班とする」
先生の視線が俺たちへ向く。
「個人だけではなく、班としての動きも見る」
その言葉に、俺は少しだけ背筋を伸ばした。
俺たちは森で何度か魔物討伐をしている。
リオン、セレナ、ガイル、ナディアの四人で動いた経験もある。
ベルンハルト先生は、訓練場を指した。
「今回の課題は、負傷者役の人形を守りながら、指定地点まで移動することだ」
条件は単純に見えた。
だが、先生の表情を見る限り、簡単な課題ではない。
「制限時間あり。負傷者役を破損させた場合は大幅減点。
敵役をすべて倒す必要はない。
評価するのは、突破時間、負傷者保護、消耗、判断、連携だ」
先生は一拍置いて、低く言う。
「敵を倒すだけなら、二年まででいい」
訓練場の空気が締まる。
「三年では、目的を果たせ」
その言葉で、この演習の意味が分かった。
これは勝ち負けだけの実技ではない。
守るものがある。
時間がある。
何を捨て、何を優先するか。
そこまで見られる訓練だ。
◇
最初に演習を行ったのは、既存三年生の班だった。
動きはかなり安定していた。
前衛が無理に敵役へ突っ込まない。
魔法役は敵を倒すより、通る道を作る。
負傷者役の人形には常に一人が付き、周囲の危険を見ている。
指示も短い。
「右を空けろ」
「人形を後ろへ」
「倒さなくていい。流せ」
派手さはない。
だが、迷いが少なかった。
俺は思わず見入った。
強烈な一撃で押し切るというより、班全体が課題の形に慣れている。
これが二年間の積み重ねか。
演習は制限時間内に終わった。
負傷者役の人形も無事。
ベルンハルト先生は短く言う。
「悪くない」
それだけだった。
だが、三年生たちは特に不満そうではない。
先生の短い評価にも慣れているのだろう。
◇
次に、ベルンハルト先生が俺たちを見た。
「飛び級組。君たちの番だ」
三年生たちの視線が集まる。
ヴィクトルが小声で言った。
「初日から見世物だね」
「今さらだろ」
俺も小さく返す。
俺たちは負傷者役の人形の前に集まった。
すぐに役割を確認する。
「ガイルは前。セレナは進路の制御。ナディアは人形を見てくれ。ヴィクトルは地形と道具。エドガーは後方と時間を頼む」
「分かった」
「ええ」
「はい」
「了解」
エドガーが静かに頷く。
「リオンは前を見るんだな」
「ああ。状況が変わったら、すぐ言ってくれ」
「分かった」
開始の合図が響いた。
ガイルが前に出る。
敵役の人形が動き出す。
森の魔物とは違う。
だが、突っ込んでくる角度や圧のかけ方は、実戦にかなり近い。
ガイルは怯まない。
真正面から受けるのではなく、少し斜めに圧を逃がしながら押し返す。
道を開けるための動きだ。
「右、狭くなるわ」
セレナが風を走らせる。
敵役を倒すためではない。
進路を塞ぐ位置に流し、こちらが通る道を作る。
ナディアは負傷者役の人形の横に付き、無理に前へ出ない。
ただ、抜けてきそうな敵役の動きを見て、すぐに立ち位置を変えていた。
森での経験が、少しずつ形になっている。
ヴィクトルが倒木を見て言った。
「このまま回り込むより、丸太の横を使った方が早い。人形を少し持ち上げられる?」
「できる」
ガイルが敵役を押さえたまま答える。
エドガーが即座に続けた。
「時間はまだある。ただ、この先で妨害が増えるはずだ。
ここで無駄に消耗しない方がいい」
「なら、抜ける」
俺は綻びの目で周囲を見る。
《障害:倒木》
《通過余地:左側下部》
《敵役:反応遅延》
《進路:確保可能》
「左下を通す。セレナ、視界を切ってくれ」
「任せて」
セレナの風が砂を薄く舞わせた。
一瞬だけ敵役の動きが鈍る。
その間に、ナディアとヴィクトルが負傷者役の人形を支え、俺たちは倒木の横を抜けた。
三年生たちの方から、小さなどよめきが聞こえる。
「速いな」
「初回であれだけ動くのか」
「森に出ているって話、本当らしいな」
中盤に入ったところで、妨害が増えた。
左から敵役。
同時に、右の布の陰から別の敵役が出る。
俺は一瞬、左を見た。
ガイルが前に出る。
セレナが合わせる。
その瞬間、右側への反応が遅れた。
「右!」
エドガーの声が飛ぶ。
ナディアがすぐに人形の位置を下げる。
ヴィクトルが布の留め具を引き、敵役の進路へ布を落とした。
何とか止まった。
負傷者役は無事だ。
だが、流れが一拍詰まった。
俺は歯を食いしばる。
今のは遅い。
俺が見て、判断して、それから周囲が動く。
森ではそれで間に合った。
だが、この演習では同時に複数の問題が起きる。
全部を俺が見てから動かすのでは、わずかに遅れる。
「立て直す」
エドガーが短く言った。
「ああ」
俺たちはすぐに隊形を戻した。
その後は大きく崩れなかった。
制限時間内に指定地点へ到達。
負傷者役の人形も無事。
初回としては、悪くない結果だった。
◇
演習を終えると、ベルンハルト先生が言った。
「初回としては十分だ」
それを聞いて、三年生たちの視線が少し変わった。
見世物を見る目ではない。
評価する目に変わった。
先生は続ける。
「魔物相手の経験はあるな。足場の悪さにも、想定外の動きにも反応できている」
俺は少しだけ息を吐いた。
森で積んだ経験は、無駄ではなかった。
だが、ベルンハルト先生はそこで止まらなかった。
「ただし、班としてはまだ粗い」
空気が締まる。
「判断の中心がハルに寄りすぎている」
胸の奥を突かれた気がした。
「ハルが見て、ハルが判断し、周囲が動く。悪くはない。
だが、同時に複数の問題が起きた時、一拍遅れる」
さっきの場面が頭に浮かぶ。
その通りだった。
「最高学年への飛び級を狙うなら、個人能力だけでは足りんぞ」
先生の視線が、俺たち六人を順に見た。
「六人それぞれが判断できる班になれ」
重い言葉だった。
だが、納得できた。
◇
最後に、クラウス班が演習に入った。
空気が変わった。
クラウスは大きな声で指示を飛ばさない。
短く確認するだけだ。
「前衛は右を止める。支援は人形。魔法は進路だけ作れ」
それだけで班が動く。
敵役が出る前から、すでに位置が決まっている。
前衛が止める。
魔法役が必要最低限の魔法で道を開く。
支援役は一度も負傷者役から目を離さない。
別の一人が、次に来る妨害へ先に動いている。
敵を全部倒そうとしない。
通るために必要な分だけ処理する。
派手ではない。
だが、迷いがない。
俺たちより速い。
しかも、消耗が少ない。
ガイルも黙って見ていた。
セレナの表情も真剣になる。
エドガーは、クラウス班の動く順番を目で追っていた。
演習は、俺たちより短い時間で終わった。
負傷者役の人形も無傷。
最後まで、危ない場面がほとんどない。
ベルンハルト先生が言う。
「よし」
それだけだった。
だが、その一言で十分だった。
クラウス班は、明らかに一段上だった。
◇
授業後、クラウスがこちらへ歩いてきた。
「初回であれだけ動けるなら、十分だと思う」
嫌味ではなかった。
俺は素直に頭を下げる。
「ありがとうございます。でも、クラウス先輩たちとは差がありました」
クラウスは少しだけ頷いた。
「二年間、同じ班でやっているからな」
それから、俺たち六人を見た。
「ただ、五年へ飛ぶつもりなら、今のままでは足りない」
俺は顔を上げる。
「分かるんですか」
「三年へ六人で飛び級してきた時点で、次を見ているのは分かる」
クラウスは淡々と言った。
「三年Sクラスで上位に立てないなら、最高学年では通用しない」
重い言葉だった。
でも、不快ではなかった。
むしろ、はっきりした。
目の前に、越えるべき基準がある。
◇
三年Sクラス最初の実戦演習。
俺たちは、通用した。
だが、上には上がいた。
冒険者として森で積んだ経験は、無駄ではなかった。
それでも、五年へ飛ぶにはまだ足りない。
俺は訓練場の土を見下ろし、静かに息を吐いた。
ここからだ。
三年Sクラスで、俺たちはもう一度強くならなければならない。