作品タイトル不明
第190話 依頼書にない魔物
森に入ってすぐ、空気が少し変わった。
「足元、少しぬかるんでいるわ」
セレナが静かに言う。
「はい」
ナディアは短く答え、踏み出す位置を少し変えた。
ガイルが前方の茂みを見る。
「いるな」
「ああ」
俺も気づいていた。
低い草の向こうに、何かが動いている。
俺は息を整えた。
「ガイル、前を頼む。セレナは右側を抑えてくれ。
ナディアは無理に前に出なくていい。抜けてきたやつだけ見てくれ」
「分かった」
「ええ」
「はい」
次の瞬間、茂みから小型魔物が飛び出してきた。
全部で五体。
依頼書の内容と大きくは違わない。
ガイルが一歩前に出る。
最初の一体を剣で受け、そのまま押し返す。
セレナが横から風を走らせ、右へ抜けようとした二体の動きを鈍らせた。
俺は左へ回ろうとした一体へ向かう。
動き自体は速い。
だが、読めないほどではない。
綻びの目が、小型魔物の動きを淡く拾う。
《逃走方向:左後方》
《攻撃意図:低》
《群れの連携:弱》
俺は踏み込み、横へ逃げようとした一体を斬り払った。
倒す。
すぐに視線を戻す。
ガイルが正面の二体を押さえている。
セレナがその動きを見ながら、魔法で逃げ道を塞ぐ。
ナディアは、まだ大きく動いていない。
だが、ただ見ているだけではなかった。
セレナの魔法の射線を邪魔しない位置へ自然に移動している。
さらに、ガイルの背後へ回ろうとした一体に気づき、短く踏み込んだ。
剣を振る。
深追いはしない。
だが、その一撃で魔物の進路は変わった。
ガイルの背後に入る前に、魔物は横へ逸れる。
そこへセレナの風が当たり、俺が仕留めた。
森でこういう動きができる仲間は、かなりありがたい。
残った小型魔物も、すぐに片づいた。
ガイルが最後の一体を斬り倒し、周囲が静かになる。
「終わったな」
ガイルが剣を下ろした。
「ああ」
俺は周囲を確認する。
依頼対象の小型魔物は討伐できた。
数も依頼書と大きくずれていない。
まずは順調だ。
セレナがナディアを見る。
「落ち着いていたわね」
「ありがとうございます。でも、まだ森の中での動きには慣れていません」
ナディアは少しだけ息を整えながら答えた。
無理に強がらない。
それも良い。
ガイルも短く言った。
「問題ない」
ナディアは一瞬だけ目を丸くした後、少し嬉しそうに微笑んだ。
「ありがとうございます」
俺は倒した小型魔物を確認し、討伐証明に必要な処理を済ませた。
このままなら、早めに終わる。
そう思った時だった。
森の奥側の茂みが、重く揺れた。
ガイルが即座に剣を構える。
セレナの表情も変わる。
ナディアも剣を握り直した。
俺は茂みの奥を見た。
足音が重い。
小型魔物ではない。
「下がれ」
俺が言うより早く、ガイルが半歩前に出た。
茂みを押し分けて現れたのは、中型の獣型魔物だった。
体格はガイルより大きい。
肩のあたりが盛り上がり、分厚い前脚を持っている。
ただ、動きが妙だった。
速くはない。
むしろ鈍い。
だが、まっすぐこちらへ向かってくる。
目に光がない。
体には古い傷がいくつもある。
皮膚の一部は裂け、乾いた血の跡のようなものも見えた。
「依頼書にはないな」
セレナが低く言う。
「ああ」
俺は頷く。
依頼書にこんな中型魔物が混じっているとは書かれていなかった。
「ガイル、受けられるか」
「やる」
短い返事。
次の瞬間、中型魔物が突っ込んできた。
ガイルが正面から受ける。
重い音が森に響いた。
ガイルの足が少し地面を削る。
「重いな」
それでも、押し切られてはいない。
セレナがすぐに魔法を放つ。
風が魔物の脚を払うように走る。
普通なら、そこで姿勢が崩れる。
だが、中型魔物はほとんど怯まなかった。
動きが鈍いのに、止まらない。
痛みに反応していない。
俺は違和感を強くした。
生きている魔物の動きじゃない。
でも、ただの死骸でもない。
綻びの目を使う。
視界に文字が浮かんだ。
《生命反応:なし》
《心拍:停止》
《肉体損傷:致命傷》
《駆動:外部魔力》
《異物:胸部》
生命反応なし?
こいつは、もう死んでいるのか?
なのに、動いている?
「普通の魔物じゃない!」
俺は叫んだ。
「死んでる! 胸に何か埋め込まれてる!」
セレナが一瞬だけこちらを見た。
「死んでる?」
「生命反応がない。でも動いてる。胸だ。胸を壊せば止まるかもしれない!」
普通の魔物は、魔石を持っていない。
魔物の体内に魔石がある、などという話は少なくともこの辺りでは聞いたことがない。
だが、綻びの目は胸部に異物を示している。
つまり、外から何かを埋め込まれている。
ガイルが剣を構え直した。
「胸だな」
「ああ!」
中型魔物が再びガイルへ向かう。
ガイルが正面から受け止める。
重い。
だが、ガイルは崩れない。
セレナが足元へ魔法を走らせる。
風と土を合わせるようにして、魔物の踏み込みをわずかに乱した。
「ナディア、右へ逃がさないで!」
「はい!」
ナディアがすぐに動いた。
中型魔物の右側へ回り込む。
無理に攻めない。
だが、逃げ道を塞ぐように剣を構える。
魔物がそちらへ体を向けようとした瞬間、ナディアが一歩踏み込み、短く牽制を入れた。
動きが止まる。
ほんの一瞬。
だが、それで十分だった。
「ガイル!」
「分かっている」
ガイルが踏み込む。
正面から押さえていた剣を、一度引く。
そして、魔物の胸元へ向けて強く斬り込んだ。
鈍い音。
硬いものを砕く感触が、こちらにまで伝わるようだった。
中型魔物の体が大きく震えた。
次の瞬間、糸の切れた人形のように崩れ落ちる。
地面に倒れた魔物は、もう動かなかった。
森に、重い沈黙が落ちる。
俺はゆっくりと近づいた。
「リオン、危ないわ」
セレナが言う。
「分かってる」
剣を構えたまま、倒れた中型魔物の胸元を見る。
ガイルの一撃で裂けた部分に、黒い欠片が見えた。
石のようにも見える。
俺は慎重にそれを取り出した。
黒い魔石片。
胸部に埋め込まれていたらしい。
綻びの目が、さらに文字を浮かべる。
《魔石:外部埋込》
《術式核:破損》
《目的:死骸の駆動》
《術式残滓:微弱》
俺は、手の中の黒い欠片を見つめた。
「魔石を持ってる魔物なんて聞いたことないぞ」
セレナの表情が険しくなる。
「つまり、誰かが埋め込んだということ?」
「たぶん。少なくとも、自然にこうなったわけじゃない」
ナディアが静かに言う。
「死んだ魔物を、魔石で動かしていた……ということでしょうか」
「そう見える」
俺は否定できなかった。
これは、依頼書にない魔物が出たというだけの話じゃない。
誰かが、死んだ魔物を動かしている可能性がある。
これをやった誰かがこの森にいるのか?
もしかしたら、他にも同じような魔物がいるのか?
そう考えるのは自然だった。
だが、俺は首を振った。
「今日は追わない」
ガイルがこちらを見る。
「なぜだ」
「依頼範囲外だ。ナディアも初参加。しかも相手は普通の魔物じゃない。
俺たちだけで判断していい話じゃない」
セレナも頷いた。
「私も同意見よ。これはギルドに報告すべき案件だわ」
ナディアも静かに頷く。
「はい。今の状況で奥へ進むのは危険だと思います」
ガイルは少しだけ森の奥を見た。
それから、短く答える。
「分かった」
俺は黒い魔石片を布に包んだ。
証拠として持ち帰る必要がある。
小型魔物の討伐依頼。
そのはずだった。
だが、森の手前に現れた中型魔物は、依頼書にない存在だった。
「戻ろう」
俺は言った。
「これは、ギルドに報告した方が良い」
久しぶりの討伐は、ただの気分転換では終わらなかった。
◇
リオンたちが森を離れたあと。
少し離れた木陰で、一人の男が地面に落ちた黒い欠片を拾い上げた。
「……壊されたか」
男は、リオンたちが去った方角を見つめる。
「ただの学生ではない、ということか」
低く呟くと、男は黒い欠片を指先で砕いた。
「だが、試しとしては十分だ」
男の視線が、森のさらに奥へ向く。
「本命は、ここではない」
その言葉だけを残し、男は森の影の中へ消えた。