作品タイトル不明
第189話 久しぶりの冒険者ギルド
早朝の王都は、思っていたよりも冷たくなかった。
道端の土も、石畳の隙間も、冬の名残を残しながら、どこか春に向かっている。
もうすぐ季節が変わる。
そんなことを考えながら、俺は冒険者ギルドへ向かった。
机に向かい続けた日々で、頭も体も少し重くなっていた。
今日が本当に休みなのかと聞かれると、少し怪しい。
だが、森へ出ると思うだけで、少しだけ気分が軽くなっているのも事実だった。
◇
冒険者ギルドの前には、すでにセレナとガイルが来ていた。
ガイルは実戦用の剣を帯び、いつもより少しだけ表情が明るい。
本人は普通の顔をしているつもりかもしれないが、付き合いが長くなると分かる。
机に向かっている時より、明らかに調子がいい。
「早いな」
俺が声をかけると、ガイルは短く頷いた。
「久しぶりだからな」
「そんなに森へ行きたかったのか」
「机よりはいい」
迷いのない返事だった。
セレナが小さく息を吐く。
「あなたらしいわね」
そんな話をしていると、少し遅れてナディアがやってきた。
いつもの学院の制服ではない。
動きやすい服に、軽めの防具。
腰には剣。
華美な装飾はないが、必要なものはきちんと揃っている。
王女らしい目立つ格好ではなく、森へ入る者としての装備だった。
「お待たせしました」
「俺たちも今来たところだよ」
俺はナディアの装備を見た。
「ちゃんと準備してきたんだな」
「はい。初めて参加する以上、準備だけはしておきたかったので」
ナディアは落ち着いた声でそう言った。
だが、少しだけ表情が明るい。
緊張もあるのだろう。
でも、それだけではない。
どこか楽しみにしているようにも見えた。
ガイルがナディアを見て、短く言う。
「無理はするな」
「はい。でも、足を引っ張るつもりはありません」
「分かっている」
ガイルはそれだけ言った。
その短いやり取りに、ナディアは少しだけ微笑んだ。
◇
俺たちは冒険者ギルドの中へ入った。
朝のギルドは、すでに活気がある。
依頼を確認している者。
受付で手続きをしている者。
武器の手入れをしながら仲間と話している者。
学院の図書室とはまったく違う空気だった。
紙とインクの匂いではなく、革と金属と朝食の匂いが混ざっている。
これだけで、少し頭が切り替わる。
「まずはナディアの登録だな」
「はい」
俺たちは受付へ向かった。
ナディアは初めての冒険者登録になる。
受付の女性は、俺たちを見ると少しだけ目を丸くした。
「また学院の方ですね」
「今日は一人、新しく登録をお願いします」
「分かりました。では、こちらへ」
ナディアは受付の説明を丁寧に聞き、必要な項目を記入していく。
身分については、細かく出しすぎない。
王女であることをこの場で大きく扱う必要はない。
王立学院の生徒として、必要な手続きを進める。
受付の女性は、ナディアの所作や装備を見て、ただの学生ではないことは感じているようだった。
だが、それ以上は聞かなかった。
「登録は完了です。こちらが冒険者証になります」
「ありがとうございます」
ナディアは両手で冒険者証を受け取った。
その動きは落ち着いている。
けれど、目だけは少し輝いていた。
「次に、パーティー登録ですね」
受付の女性が言う。
俺たちは、既存のパーティーにナディアを一時的に加える形で登録を済ませた。
リオン、セレナ、ガイル、ナディア。
今日はこの四人で森へ行く。
手続きが終わると、俺たちは依頼掲示板の前へ移動した。
◇
掲示板には、王都西南の森に関する討伐依頼がいくつも貼られていた。
小型の魔物の討伐。
街道近くに出る魔物の確認。
森の手前で増え始めた獣型の魔物の駆除。
前に来た時より、依頼の数が多い気がする。
「増えてるな」
俺が呟くと、セレナが掲示板を見ながら頷いた。
「春が近づいて、魔物の動きも少し増えているのかもしれないわ」
「あり得るな」
冬の間、動きが鈍かったものが、少しずつ動き出す。
人も魔物も、季節の影響を受ける。
ガイルは依頼書をじっと見ていた。
「奥の依頼はどうだ」
「今日はなしだ」
俺は即答した。
ガイルがこちらを見る。
「なぜだ」
「今日はナディアが初参加だからな。森の奥までは行かない。手前で受けられる討伐依頼にしよう」
ナディアの実力を疑っているわけではない。
実技で九十点以上を取れる時点で、十分な力はある。
剣も魔法も扱える。
周囲を見る力もある。
だが、学院の試験と森での討伐は違う。
決められた場で採点される実技と、何が起きるか分からない森では、必要な感覚が違う。
初参加の日に、わざわざ奥へ進む必要はない。
セレナも頷いた。
「私もその方がいいと思うわ。
今日は気分転換も兼ねているのだから、無理をする理由はないもの」
「分かった」
ガイルは短く答えた。
不満そうではない。
ただ、奥へ行く選択肢もあるか確認しただけなのだろう。
俺は掲示板から、森の手前で済む討伐依頼を選んだ。
小型の魔物の群れの確認と討伐。
無理をしなければ四人で十分対応できる範囲だ。
受付で依頼を受けると、乗合馬車の出発まで少し時間があった。
そのため、俺たちはギルド内の食堂で朝食を取ることにした。
◇
ギルドの朝食は、学院の食堂とはまったく違っていた。
厚めのパン。
焼いた肉。
豆のスープ。
少し塩気の強い卵料理。
味は上品ではないが、朝から動く人間にはありがたい量と濃さだ。
俺たちは空いている席に座った。
ナディアは料理を前にして、少しだけ目を丸くしている。
「こういう場所で朝食を取るのは、初めてです」
「口に合わないか?」
俺が聞くと、ナディアは首を振った。
「いえ。そうではありません。とても……冒険者らしいなと思って」
落ち着いた声だった。
でも、少しだけ楽しそうだった。
いつも穏やかで、丁寧で、王女としての立ち居振る舞いを崩さないナディアが、冒険者ギルドの朝食を前に少しだけ浮き立っている。
その様子が、少し新鮮だった。
セレナもそれに気づいたのか、わずかに微笑む。
「ナディア、少し楽しそうね」
「そう見えますか?」
「ええ」
ナディアは少しだけ恥ずかしそうに視線を落とした。
「初めてのことなので」
ガイルは黙ってスープを飲んでいたが、ふとナディアを見る。
「しっかり食べた方がいい」
「はい」
「森では、思ったより体力を使う」
「分かりました」
ナディアは素直に頷き、パンを手に取った。
そのやり取りを見ながら、俺も朝食を口に運ぶ。
◇
朝食を終えた頃、乗合馬車の出発時間が近づいていた。
俺たちはギルドを出て、馬車乗り場へ向かう。
王都西南方面へ向かう乗合馬車には、他にも数人の冒険者や商人らしき人たちが乗っていた。
俺たちは空いている席に腰を下ろす。
馬車が動き出すと、王都の街並みがゆっくり後ろへ流れていった。
石造りの建物。
店先で準備をする人々。
朝の市場へ向かう荷車。
それらを抜けると、少しずつ景色が開けていく。
ナディアは窓の外を静かに見ていた。
表情は落ち着いている。
だが、視線はよく動いている。
初めて見るものを、一つ一つ確かめているようだった。
「王都の外へは、あまり出ないのか?」
俺が聞くと、ナディアは少し考えてから答えた。
「ええ。長期休暇以外は王都から出ることはありませんね。なので、こうして乗合馬車に乗るのは初めてです」
「それはそうか」
「はい。だから、少し不思議な感じがします」
王女としての移動と、冒険者としての移動。
同じ王都の外へ向かうにしても、見えるものはきっと違う。
セレナが言った。
「今日はあまり奥へは行かないけれど、森は学院とは違うわ。
分からないことがあればすぐ言って」
「はい。ありがとうございます」
ガイルも短く言う。
「足場に気をつけろ」
「はい」
ナディアは素直に頷く。
そのやり取りを見て、俺は少し安心した。
ナディアは無理に自分を強く見せようとしていない。
分からないことは分からないと受け入れる。
その上で、自分にできることをしようとしている。
初めて森に入る仲間としては、それが一番ありがたい。
◇
しばらくして、乗合馬車は王都西南の森に近い停留所へ着いた。
馬車を降りると、空気が変わる。
王都の中よりも湿り気があり、土と草の匂いが強い。
前に来た時より、少しだけ森の色が明るく見えた。
枝の先に小さな芽がついている木もある。
足元の草も、冬の硬さから少しずつ抜け出している。
春が近づいている。
そう感じた。
俺たちは装備を確認し、森の入口へ向かった。
そこで一度足を止める。
「今日は奥へは行かない」
俺は三人を見て言った。
「ナディアが初参加だからな。まずは手前の討伐依頼を片づける」
ナディアが頷く。
「分かりました」
「ナディアの実力を疑っているわけじゃない。
学院の実技で十分な点を取っているのは分かっている。でも、森は試験とは違う」
「はい」
「だから、今日は確認しながら進む。無理はしない」
セレナも頷いた。
「依頼の範囲も、森の入り口で済むものにしたわ。最初はそれで十分よ」
ガイルは剣の柄に手を置いた。
「魔物が出たら、俺が前に出る」
「頼む」
俺は周囲を見た。
久しぶりの森。
久しぶりの冒険者としての討伐。
図書室で机に向かい続けた日々で重くなっていた頭が、少しだけ晴れていく気がした。
「行こう」
俺がそう言うと、ナディアが静かに息を吸った。
セレナが周囲へ視線を配る。
ガイルが一歩前へ出る。
俺たちは、春の気配が混じり始めた森の中へ足を踏み入れた。