軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第187話 学院長への報告

ローヴェン先生は、福嶋亮太の『魔法理論』を慎重に手に取った。

「行くぞ」

ローヴェン先生が短く言う。

「この件は、学院長に直接報告する」

「はい」

俺とセレナは頷き、研究室を出た。

静けさの中で、俺たち三人の足音だけがやけにはっきり響いていた。

ローヴェン先生は何も言わない。

セレナも口を開かなかった。

俺も、何を言えばいいのか分からなかった。

学院長室の前に着くと、ローヴェン先生は一度だけ俺たちを振り返った。

「色々と言いたいことはあるかもしれないが、ここでは確認できた事実と、読めた内容を伝えよう」

「はい」

「分かりました」

俺とセレナが答えると、ローヴェン先生は扉を叩いた。

「どうぞ」

中から、低い声が返ってくる。

学院長室へ入ると、白髪交じりの髪に、温和な顔をした学院長は机の向こうで書類に目を通していた。

学院長は俺たちを見て、眉を少しだけ上げた。

「ローヴェン。春休み初日から物騒な顔をしてるな」

「緊急に報告すべきことがあります」

「まぁ、まずは座れ」

学院長は短く言った。

俺たちは椅子に座る。

ローヴェン先生は、持っていた古い本を机の上に置いた。

「王立図書館の古書です。表紙には魔法理論とあります」

「古書?」

学院長は本を見る。

それから表紙へ目を落とした。

「魔法理論、か。それがどうかしたのか?」

「問題は中身です」

ローヴェン先生が言うと、学院長は本を開いた。

しばらくページを見つめる。

そして、すぐに顔を上げた。

「読めん」

あまりにも短い一言だった。

学院長は本をローヴェン先生の方へ少し押した。

「ローヴェン。お前は?」

「私にも読めません。

古代文字でも、王国の古文書に見られる文字でもありません」

ローヴェン先生が、これまでの経緯を簡潔に説明した。

王立図書館でリオンがこの本を見つけたこと。

著者名として福嶋亮太という名前が出てくること。

本人の記述では、アルスレイン王国の建国に関わったらしいこと。

そして、現代の学院では扱われていない魔法理論が記されていること。

学院長は黙ってローヴェン先生の話を聞いていた。

途中で口を挟まない。

ただ、転移という言葉が出た瞬間だけ、目が少し細くなった。

「転移が発動したのか」

学院長が低い声で言う。

俺は頷いた。

「はい。訓練場の端から端だけです。ただ、実際に移動しました」

「ヴァレスト」

学院長がセレナを見る。

「見たのか」

「はい。私も見ました。リオンが一瞬で訓練場の反対側へ移動しました」

学院長はしばらく黙った。

その沈黙だけで、この魔法の重さが伝わってくる。

やがて、学院長は本を閉じた。

「この本は私が預かろう」

即断だった。

「王立図書館にはこっちから話を通す。

こんなものを普通の棚に戻すわけにはいかん」

「はい」

ローヴェン先生が頷く。

「王立研究所にも回す。文字、紙、装丁、魔法理論。

調べることはいくらでもある」

王立研究所。

王国の魔法研究や古文書、魔道具の調査を担う機関だ。

学院とは別組織だが、王立学院とは研究上のつながりがあると聞いたことがある。

学院長は俺を見る。

「ただし、研究所でも読めん可能性は高い。その時は、ハル」

「はい」

「悪いが、君に協力してもらうことになる」

「分かりました」

「分かりました、で済む話じゃないぞ」

学院長の声が少しだけ低くなった。

「お前が読めるということ自体が、相当重い」

「……はい」

その通りだった。

福嶋亮太の本は、この世界の誰にも読めないかもしれない。

だが、俺には読める。

その事実が、少しずつ自分の上に乗ってくる。

学院長は続けた。

「ハル、ヴァレスト」

「はい」

「この本のことは口外するな。友人、家族にもだ」

エドガーにも、ガイルにも、ナディアにも、ヴィクトルにも話せない。

それは当然だ。

だが、少しだけ苦かった。

「今はまだ、話を広げる段階じゃない」

「承知しました」

セレナが静かに答える。

俺も頷いた。

「分かりました」

「もう一つ」

学院長は机の上の本を軽く叩いた。

「ここに書かれている魔法は、人前で使うな。亜空間収納も、浮遊も、転移もだ」

「はい」

俺は深く頷いた。

学院長はローヴェン先生へ視線を移した。

「ローヴェン。この件は、お前が窓口になってくれるか。

研究所と図書館への連絡は私がする」

「承知しました」

「ハルとヴァレストへの連絡も、当面は君を通すこととしよう」

「はい」

学院長はもう一度、本を見た。

「フクシマ リョータ、か」

聞き慣れない名前が、学院長の口から出る。

ローヴェン先生が頷いた。

「はい。少なくとも、一般的な建国史には出てきません。

ただ、建国期の記録には欠落も多くあります」

「表に出なかった協力者、か」

学院長は短く息を吐いた。

「厄介だな。魔法だけじゃなく、王国史にも触れる」

それ以上は言わなかった。

「話は以上だ」

学院長は本を手元に引き寄せた。

「ハル、ヴァレスト。この本のことが気になるだろうが、まずは三年に上がる準備をしっかりしよう」

「はい」

「二年の範囲を飛ばすんだ。そっちの方も軽く見てはいかんぞ」

「分かりました」

学院長は少しだけ目を細めた。

「ハル。気を付けるんだぞ」

刺さる。

「……気をつけます」

学院長はそれで話を切った。

ローヴェン先生が立ち上がり、俺たちも続く。

福嶋亮太の『魔法理論』は、学院長の机の上に残った。

学院長室を出ると、廊下の空気が少し冷たく感じた。

本は、もう手元にない。

それだけで、妙に軽くなったような、逆に落ち着かないような気分だった。

「リオン」

セレナが隣で言った。

「正しい判断だったと思うわ」

「ああ」

俺は頷く。

ローヴェン先生が振り返る。

「ハル、ヴァレスト」

「はい」

「学院長の言った通りだ。この件は私が窓口になる。何かあれば私に言え」

「分かりました」

「それと、春休み中の自習を疎かにするな」

ローヴェン先生はいつもの調子に戻っていた。

「三年に上がってから、二年の範囲が分かりませんでは話にならん」

「はい」

俺とセレナは、同時に返事をした。

その日の午後。

俺とセレナは、学院の図書室へ向かった。

春休みに入ったとはいえ、図書室には何人かの生徒が残っていた。

短い休みの間に、次の学年の準備を進めているようだった。

奥の長机には、すでにエドガー、ナディア、ガイル、ヴィクトルが集まっていた。

机の上には、二年生用の魔法理論の参考書や、応用課題の過去資料、実技理論の解説書が広げられている。

どうやら俺たちが来る前から、飛び級に向けて二年の学習内容を確認していたらしい。

俺たちが近づくと、ヴィクトルが顔を上げた。

「二人とも、遅かったな」

「少し、ローヴェン先生に相談してた」

「春休み初日から先生に相談って、真面目すぎないか?」

ヴィクトルが肩をすくめる。

その軽さに、少しだけ救われた気がした。

セレナが淡々と言う。

「今はそれより、二年の範囲をどう埋めるかよ」

「逃げたな」

「逃げていないわ。優先順位を変えただけよ」

「それを逃げたって言うんじゃないか?」

ヴィクトルが笑う。

だが、エドガーは俺とセレナを一度だけ見て、何も言わなかった。

気づいているのかもしれない。

何かあったことには。

でも、聞かない。

そういうところがエドガーらしかった。

俺は机の上に広げられた参考書や資料を見る。

二年の範囲。

魔法理論。

応用課題。

実技理論。

そして筆記で問われる基礎知識。

思っていた以上に量がある。

学院長が言っていた通り、三年では一年と二年の内容を理解している前提で授業が進む。

この春休みで、少なくとも大きな穴は埋めなければならない。

俺がそう言うと、ヴィクトルが目の前の参考書の山を見て、深く息を吐いた。

「春休みって、休みって意味じゃなかったっけ?」

誰かが小さく笑った。

けれど、誰も席を立とうとはしなかった。

俺たちは、三年生になるための準備を始めることになった。