作品タイトル不明
第184話 飛び級
三学期期末試験の結果発表の翌朝。
俺たち六人は、ローヴェン先生に連れられて学院長室へ向かっていた。
セレナ、エドガー、ナディア、ガイル、ヴィクトル。
そして俺。
昨日の時点で、俺たち全員が飛び級の基準を満たしていることは分かっている。
それでも、正式な説明を受けるとなると、少し空気が違った。
ヴィクトルも、いつものような軽口をあまり叩かない。
ガイルは黙って前を見ている。
ナディアは少し緊張した顔をしていた。
セレナはまっすぐ歩いている。
エドガーはいつも通り静かだ。
俺も、落ち着いているつもりだった。
だが、胸の奥には少し重いものがある。
飛び級。
目標にしてきたことではある。
でも、いざ現実になると、それはただのご褒美ではない気がしていた。
学院長室の前で、ローヴェン先生が足を止めた。
俺たちを振り返る。
「入れ」
いつも通り、短い声だった。
ローヴェン先生が扉を開ける。
俺たちは学院長室へ入った。
◇
学院長は、広い机の向こうに座っていた。
机の上には、俺たちの結果表らしき書類が並んでいる。
学院長はゆっくりと顔を上げ、俺たち六人を見渡した。
「よく来てくれた」
静かな声だった。
穏やかではある。
けれど、軽くはない。
「三学期期末試験の結果により、君たちは飛び級に必要な基準を満たした」
その言葉を聞いて、改めて実感が湧く。
決まった。
少なくとも、基準の上では。
学院長は続けた。
「よって、学院としては、君たち六名を次の学期より二年生ではなく、三年生として扱う手続きを進めようと思う」
ナディアが小さく息を呑んだ。
ヴィクトルはわずかに肩を動かした。
ガイルは表情を変えない。
セレナは静かに学院長を見ている。
エドガーも同じだった。
俺は、胸の奥が少しだけ熱くなるのを感じた。
三年生。
次の学期から、俺たちは二年生を飛ばして、三年生になる。
だが、学院長はそこで少し声を低くした。
「ただし、飛び級は褒賞であると同時に、負荷でもある」
その言葉で、部屋の空気が変わった。
「二年で学ぶはずだった内容を、君たちは授業として受ける機会を失う。三年の授業では、一年と二年の内容を理解しているものとして話が進む」
当然のことだ。
だが、言葉にされると重い。
「さらに、共に学ぶ生徒たちは一歳年上だ。知識、体格、経験、対人関係。あらゆる場面で不利になるだろう」
ガイルの眉が、ほんの少し動いた。
実技なら、体格差は大きい。
三年生相手なら、今までのようにはいかない場面も増えるだろう。
俺も、すぐに頭の中で考える。
二年の範囲。
魔法理論。
応用課題。
実技。
学院生活での立ち回り。
今の一年Sクラスで上位だったことは、三年での立場を保証しない。
学院長は言った。
「今までの結果は、君たちの力を示している。
しかし、三年に上がれば、周囲も変わる。そのことを心に留めておきなさい」
「わかりました」
最初に答えたのはセレナだった。
背筋を伸ばし、真剣な声で言う。
エドガーも静かに頷いた。
「その不利も含めて、越えるべきものだと考えます」
「問題ありません」
ガイルが短く言う。
ヴィクトルは少しだけ苦笑した。
「つまり、春休みからかなり詰めないとまずいわけですね」
「そういうことだ」
学院長は軽く頷く。
ナディアも丁寧に言った。
「二年生の範囲も、自分たちで確認します」
学院長の視線が、最後に俺へ向いた。
俺は一度息を吸う。
「はい。進みます」
そう答えた。
自分で言って、腹が決まった気がした。
飛び級する。
でも、飛ばした分は自分で埋める。
それだけの話だ。
簡単ではない。
だが、ここで止まるつもりはなかった。
学院長は静かに頷いた。
「では、正式に手続きを進める。春休み明け、君たちは三年生だ」
その言葉で、俺たちの飛び級は正式に決まった。
◇
学院長室を出ると、六人ともすぐには話さなかった。
重い話だった。
けれど、不思議と暗くはない。
前へ進むための重さだ。
そこで、ローヴェン先生が俺たちを呼び止めた。
「お前たち」
全員が振り返る。
ローヴェン先生は、いつものように厳しい顔をしていた。
「正直に言えば、まだ危なっかしいところはある」
「だが、それでもお前たちなら三年に送り出せる」
その声は、いつもの厳しさを残していた。
でも、そこには確かな信頼があった。
「自信を持って行け」
ローヴェン先生は、ほんの少しだけ表情を緩めた。
「期待しているぞ」
誰もすぐには返事をしなかった。
たぶん、全員が少し驚いていた。
厳しい先生だった。
褒めるより、課題を突きつけることの方が多かった。
でも、俺たちを本当に見てくれていた。
そのことが、今さらのように分かった。
最初に頭を下げたのはセレナだった。
「ありがとうございました、ローヴェン先生」
それに続いて、エドガーが頭を下げる。
ナディアも、ガイルも、ヴィクトルも。
俺も深く頭を下げた。
「ありがとうございました」
ローヴェン先生は、少しだけ居心地悪そうに視線を逸らした。
「礼は三年で結果を出してから言え」
そう言って、いつもの声に戻る。
「行くぞ。終業式に遅れる」
その言葉で、俺たちは少しだけ笑った。
◇
終業式は、いつもより少しだけ長く感じた。
講堂には全学年の生徒が集まっている。
学院長から、三学期の終了と春休み中の過ごし方について話があった。
春休みは二週間。
長いようで短い。
次の学年への準備を考えれば、あまりのんびりもしていられない。
俺は学院長の話を聞きながら、ぼんやりと考えていた。
入学試験。
実技。
勉強会。
冒険者活動。
期末試験。
いろいろなものが、一気に頭をよぎる。
式が終わると、生徒たちはそれぞれの教室へ戻った。
◇
一年Sクラスの教室に戻ると、いつもより少し騒がしかった。
終業式の後らしい浮ついた空気。
その中で、俺たち六人に向けられる視線はやはり多かった。
飛び級。
次の学期から、俺たちはこの教室にはいない。
クラスメイトが話しかけてきた
「三年でも暴れてこいよ。いや、ほどほどにだけどな」
「暴れる前提なのか」
俺が言うと、レオスは笑った。
「今さらだろ。特にお前は」
たぶん、褒めてはいない。
でも、悪い気はしなかった。
他のクラスメイトがセレナの方へ向かった。
「セレナ、三年でも一位を取ってください」
セレナは少しだけ微笑む。
「簡単ではないでしょうけど、狙うわ」
「応援しています」
「ありがとう」
他のクラスメイトが教室を見回しながら言った。
「でも、六人がいなくなると、二年Sクラスはかなり静かになりそうね」
ヴィクトルがすぐに反応した。
「俺たち、そんなに騒がしかった?」
ガイルが短く言う。
「お前は騒がしい」
「そこは否定しないけど、俺だけじゃないだろ」
「主にお前だ」
「ひどいな」
教室に小さな笑いが起きる。
その笑いが、少しだけ寂しかった。
完全な別れではない。
同じ学院にはいる。
でも、同じ教室で同じ授業を受ける時間は、これで終わる。
◇
放課後。
荷物をまとめ、俺たち六人は教室を出ることになった。
ヴィクトルが扉のところで振り返る。
「何だかんだで、短かったな」
「そうね」
ナディアが静かに頷く。
「でも、とても濃かったです」
「濃すぎた気もするけどな」
俺が言うと、セレナが少し笑った。
「あなたがそれを言うの?」
「俺だけのせいじゃないだろ」
「少なくとも、かなり大きな原因ではあるわね」
「そこは否定しづらい」
ガイルは教室を一度見回した。
「次は三年か」
「ああ」
エドガーが短く答える。
「ここからが本番だな」
その言葉に、全員が自然と頷いた。
俺は教室の中を振り返る。
一年Sクラス。
ここで、俺たちは出会った。
競い合った。
懐かしい気持ちがこみあげてくる。
「行きましょう、リオン」
隣でセレナが言った。
「ああ」
俺は頷き、教室を出た。
◇
翌日から、春休みに入る。
とはいえ、春休みは二週間しかない。
寮生のほとんどは実家へ帰らず、寮に残るらしい。
短い休みのために長距離を移動するより、学院で次の学年の準備をする方がいいという判断だ。
特に俺たち飛び級組は、のんびりしている余裕などない。
二年生で学ぶはずだった内容を、自分たちで確認しなければならない。
三年の授業についていく準備も必要だ。
教室を出たあと、俺はセレナに声をかけた。
「セレナ、明日少し時間あるか?」
セレナは足を止め、こちらを見る。
「二年の範囲の確認?」
「それもある。でも、少し別の話もある」
「別の話?」
セレナの目が少し細くなる。
たぶん、心当たりがあるのだろう。
王立図書館で借りた、あの古い本。
福嶋亮太の『魔法理論』。
「一人では試さないって約束しただろ」
俺がそう言うと、セレナは少しだけ表情を変えた。
「……あの本のことね」
「ああ。読んでいて、少し確認したいことがある。もちろん、危ないことはしない」
「あなたの“危ないことはしない”は、あまり信用できないわね」
「だからセレナに声をかけてる」
そう言うと、セレナはしばらく俺を見ていた。
それから、小さく息を吐く。
「分かったわ。明日の午後なら時間を取れる」
「助かる」
「場所は?」
「寮の自室だと危ないかもしれない。人目が少なくて、でも何かあった時に先生を呼べる場所がいい」
「なら、学院の訓練場を借りましょう。春休みなら空いているはずよ」
「それがいいな」
話はそれで決まった。
やるべきことは山ほどある。
だが、俺にはどうしても気になることがある。
福嶋亮太の『魔法理論』。
王立図書館で見つけた、日本語で書かれた古い本。
今の学院では教えられていない、不思議な魔法理論。
そしてその約束通り、俺は翌日、セレナと一緒にその本と向き合うことになった。