軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第19話 立ち上がる者

翌朝、石切り場の空気は、昨日までとはまるで違っていた。

青輝石の木箱は兵たちが見張り、崩れた坑道の前には縄が張られている。

若者たちはまだ疲れた顔をしていたが、少なくとも、誰かに怒鳴られながら無理やり地下へ押し込まれる気配はなかった。

俺は石切り場の広場に立ち、ミアがまとめた帳面を見ていた。

「北村三人、南村二人、東の開拓地二人……全員、名前の確認はできました」

ミアがそう言って、少し誇らしげに帳面を差し出してくる。

「ありがとう。助かる」

受け取って目を通す。

年齢は十六から二十二。どいつも働き盛りだ。本来なら村の畑や仕事を支えているはずの人間ばかりだった。

「帰る者は、今のところ二人です」

「少ないな」

「皆、急に“帰っていい”と言われても、信じきれないのだと思います」

たしかにそうだ。

鎖を外された直後の人間は、自由より先に不安を見る。

行き先を選べと言われても、すぐには動けない。

その時、後ろから声がした。

「そりゃそうだろ」

振り向くと、エドが立っていた。

顔色はまだ悪いが、昨日よりずっと目に力が戻っている。

「急に“もう縛られない”って言われても、はいそうですかって動けるやつばっかじゃねえよ」

「だろうね」

俺は素直に頷いた。

「でも、ここをこのままにはしない」

「……それは見りゃわかる」

エドはそこで少しだけ視線をずらした。

「昨日の夜、若いやつらと話した」

「うん」

「帰りたいってやつもいる。でも、帰ったところで村に仕事があるかわからねえってやつもいる」

そこだ。

北村も南村も、今のままじゃ若い働き手をすぐ吸収できない。

戻しただけで終われば、また別の鎖に繋がれるだけだ。

エドは続けた。

「あと、ここで働くにしても、どう回してたか知ってるのは俺たちのほうだ」

「うん」

「だから……」

少しだけ間を置いて、エドはまっすぐ俺を見た。

「まだ全部は信じてねえ。でも、本当に変えるなら、俺が話す」

ミアが目を丸くした。

俺は少し笑う。

「助かるよ」

「礼はいい。前のやつらがどこに帳面を隠してたかとか、どの見張りがシュリトラーにべったりだったかとか、その辺を教えるだけだ」

「それで十分だ」

エドは鼻を鳴らしたが、少しだけ肩の力が抜けていた。

そこへノルが近づいてくる。

「リオン様」

「どうしたの?」

「石切り場の外に馬が三頭。グレイヴ侯爵家の紋章をつけた者たちが参っております」

来たか。

「灰色の鳥ですか」

ミアが小声で言う。

「そうだね」

ほどなくして、三人の男が石切り場へ入ってきた。

先頭は痩せた中年男。背筋が妙に伸びていて、上等な服を着ている。騎士ではないが、いかにも人を見下し慣れた顔だった。

「グレイヴ侯爵家家令補佐、ラドインと申します」

恭しく一礼する。

だが目は笑っていない。

「リオン・ハル様でお間違いありませんな」

「そうだよ」

「では単刀直入に申し上げます」

ラドインは周囲の青輝石の木箱と、止まった採掘場を見回した。

「東の採石場の一時停止、ならびに資材の差し押さえ。あれは些か軽率ではありませんかな」

「軽率じゃないよ」

「ほう」

「違法採掘、未届け出、強制労働。止める理由は十分ある」

ラドインの眉がわずかに動く。

「証拠は?」

そこだ。

昨日までなら、ここで言葉が止まる人間も多かっただろう。

でも、もう違う。

「あるよ」

俺が言う前に、ノルが帳面を差し出す。

「採掘記録、出荷先記録、荷札。いずれも現場から押収済みです」

ラドインは受け取ろうとしなかった。

代わりに俺を見て、薄く笑う。

「現場に落ちていた帳面など、いくらでも作れます」

「じゃあ、これは?」

俺は青輝石の木箱を指した。

「国へ届け出が必要な青輝石。一級六箱、二級九箱。全部、ハル領主に無届けで掘られてた」

「……」

「まだ足りない?」

ラドインが口を開く前に、横から声が飛んだ。

「足りるだろ」

エドだった。

全員の視線が集まる。

でもエドは引かなかった。

「俺たちは借金でここに連れて来られた。咳が出ても、倒れても休ませてもらえなかった。逃げるって言ったやつは殴られた」

ラドインの目が細くなる。

「君は?」

「北村のエドだ」

「借りがあったのでは?」

「返しても減らなかったんだよ」

エドの声は低かったが、よく通った。

「証文は増える。働いても借りが減らねえ。そうやってここまで来た」

後ろでカイルが続く。

「俺もだ」

ロブも、咳をこらえながら一歩前へ出た。

「南村のやつも、東の開拓地のやつも、みんなそうだ」

空気が変わる。

今まで俺とノルとミアだけだった場所に、

現場の声が立った。

ラドインの顔から、わずかに余裕が消えた。

「……彼らの発言だけで」

「発言だけじゃない」

ミアが帳面を抱えたまま言った。

「名前、出身、怪我の有無、全員記録しています。借用証文の写しもあります」

よし。

ミアまで前に出た。

ラドインはそこで初めて、ただの子ども相手じゃないと理解した顔になった。

それでも引かないのは、さすが侯爵家側近だ。

「仮に不正があったとしても、既存の商流を止めれば両領に損失が出ます」

「それは、そっちが困るって話でしょ」

俺は言い切る。

「うちの領地で、うちの人間を使って、うちに黙って掘ってた石だ。返す理由はない」

「グレイヴ侯爵家を敵に回すおつもりか」

「勝手に掘ってたやつが怒るなら、それはそいつの都合だよ」

ラドインの口元が歪む。

「若いな」

「そうだね」

「若さで領地は守れません」

「でも、黙っていたら奪われ続ける」

俺は青輝石の箱を軽く叩いた。

「ここはもう変わる」

その時だった。

後ろにいた若者の一人が、ためらいながら声を出した。

「……俺、残る」

みんながそっちを見る。

言ったのはカイルだった。

「北村に帰りたい気持ちはある。でも、ここを変えるっていうなら……途中で投げられるのは嫌だ」

エドがちらりとカイルを見る。

ロブは少し迷ってから、低く言った。

「俺も、しばらく残る」

そこでエドが頭を掻いた。

「……じゃあ俺もだな」

ミアが小さく息を呑む。

俺は少しだけ驚いたが、すぐに頷いた。

「わかった」

「ただし」

エドが釘を刺すように言う。

「前みたいな坑道は無しだ。飯も無し、休みも無しも無しだ。口だけなら、俺たちだって立たない」

「うん」

俺は真正面から答えた。

「口だけにはしない」

そこへ、さっきまで黙っていた別の若者がぽつりと呟く。

「……なら、俺も残る」

一人。

また一人。

空気が少しずつ変わっていくのがわかった。

ラドインはその様子を見て、ゆっくり息を吐いた。

「どうやら、今日は話にならないようだ」

「そうだね」

「ですが、グレイヴ侯爵家はこの件を軽く見ません」

「こっちも軽く見てないよ」

ラドインは最後に俺を見た。

試すような目だった。

「いずれ後悔なさらぬことです」

そう言い残し、彼は部下を連れて去っていった。

乾いた風が吹き抜ける。

ミアが小さく言った。

「……すごく感じが悪い人でした」

「うん。でも、前よりはましだよ」

「え?」

「昨日までは、ああいう人たちはこっちを無視して石を持っていけた。でも今日は、止めに来た」

それが大事だ。

向こうがわざわざ来たってことは、

こっちの一手が効いている。

俺は若者たちを見回した。

「じゃあ、もう一度言う」

静かになる。

「帰りたい者は帰る。その手配はハル家がやる」

「……はい」

「残る者は、新しい条件で働く。危険な坑道は封鎖。青輝石は王都へ申請。賃金、食事、休み、安全の順で整える」

エドが腕を組んだ。

「安全の順が最初じゃないのかよ」

「飯がなきゃ判断できない。休みがなきゃ事故が増える。だから全部いる」

エドは一瞬黙ってから、少しだけ笑った。

「……まあ、そうか」

それでいい。

全面的な信頼なんかいらない。

まずは、話が通じることが大事だ。

石切り場の向こうで、青輝石が青く光っている。

昨日までは、誰かに隠され、誰かに奪われていた石。

でも今は違う。