作品タイトル不明
第168話 公爵令嬢、冒険者になる
次の休みの日。
朝早く、俺は王都の広場でセレナを待っていた。
冬の朝の広場はまだ冷たい。
それでも、荷車を引く商人や、朝市の準備をする者、どこかへ向かう冒険者らしき一団の姿がちらほら見える。
「おはよう、リオン。待たせたかしら」
声の方を見ると、セレナが立っていた。
思わず少しだけ目を止める。
いつもの学院の制服ではない。
動きやすそうな濃い色の上着に、丈夫そうなブーツ。
手袋も厚手で、腰には細身の剣が下がっている。背負っている小さな鞄には、冒険に必要な道具が入っているのだろう。
貴族令嬢というより、今日はちゃんと冒険者をしに来た人間の格好だった。
「思ったより本気だな」
「遊びに行くわけじゃないもの」
セレナは当然のように言った。
「似合ってるよ」
「……そういうことをさらっと言うのね」
「いや、普通にそう思っただけだけど」
「ならいいわ」
セレナは少しだけ視線を逸らしたあと、すぐにいつもの顔に戻った。
「それで、まずはギルドで登録ね」
「ああ。行こう」
俺たちは広場を抜けて、冒険者ギルドへ向かった。
◇
王都の冒険者ギルドは、朝からそれなりに人が入っていた。
依頼掲示板の前で腕を組む者。
受付で話をしている者。
壁際で武器の手入れをしている者。
学院や公爵家とはまるで違う光景だ。
セレナもそれを感じたのか、建物に入った瞬間、少しだけ周囲を見た。
「思ったより、荒っぽい空気ね」
「学院とは違うよ」
「そうみたいね」
声は落ち着いていたが、目はしっかり周りを見ている。
怖がっているというより、初めての場所を観察している顔だった。
受付へ向かうと、受付の女性が俺を見て少し目を丸くした。
「あら、リオンさん。お久しぶりですね」
「すみません、しばらく来られなくて」
「本当にお久しぶりです」
その言い方に、少し含みがあった。
いやな予感がする。
「今日は依頼ですか?」
「はい。あ、あと、彼女の冒険者登録をお願いします」
俺が横に立つセレナを示すと、受付の女性は一瞬だけ姿勢を正した。
セレナの服装は冒険者風だが、立ち方や雰囲気までは隠せない。
「登録ですね。ではこちらへ」
セレナは案内に従って書類を受け取った。
「名前、年齢、主な戦い方……職業欄があるわね」
「目安みたいなものだよ」
俺は横から言う。
「セレナなら魔法使いでいいと思う」
「剣も一応使えるわよ」
「分かってる。でも得意なのは魔法だろ」
「それはそうね」
セレナは迷わず、職業欄に魔法使いと記した。
「あなたも魔法使いで登録したの?」
「ああ。最初はそうだった」
「でも、今は剣も普通に使うじゃない」
「最近は魔法剣士寄りかもな」
この世界では、職業は厳密な縛りではない。
十二歳で授けられるスキルに影響されるが、剣士が魔法を使うこともあるし、魔法使いが護身用の剣を持つこともある。
あくまで、主にどう戦うかの目安だ。
セレナが登録を書き進めていると、受付の奥から年配の男性が出てきた。
以前にも見たことがある。
ギルドの幹部の一人だ。
「リオン・ハル」
低い声で名前を呼ばれた。
「はい」
「お前、ガルムベア討伐の報酬を受け取らないまま、どれだけ顔を出していなかったと思っている」
あ。
完全に忘れていた。
いや、忘れていたというより、ハル領に戻ってから色々ありすぎて、後回しにしたままになっていた。
「……すみません」
「謝るなら取りに来い。あれだけの討伐をしておいて、報酬を放置する冒険者がどこにいる」
セレナが横からこちらを見る。
「何の話?」
「前にガルムベアを討伐した時の報酬」
「受け取ってなかったの?」
「忙しかったんだよ」
セレナの目が少し冷たくなった。
「忙しいにも限度があるでしょ」
正論だった。
幹部は呆れたように息を吐き、受付の奥から封のされた袋を持ってこさせた。
「報酬の明細だ。確認しろ」
金額を確認した瞬間、俺は少しだけ固まった。
前世の感覚でざっくり換算すると、五百万円くらいある。
……ガルムベア、そんなに高かったのか。
隣でセレナも目を見開いた。
「そんな大金を受け取らずに放置していたの?」
「いや、本当に色々あって」
「色々で済む金額じゃないわ」
まったくその通りだった。
「公爵令嬢でも、その金額には驚くんだな」
俺がつい言うと、セレナがすぐに眉を上げた。
「お嬢様って馬鹿にしないで」
「いや、そういう意味じゃ」
「金銭感覚くらい理解しているつもりよ。大金は大金だわ」
「悪かった。少し意外だっただけだ」
「そういうところよ」
そういうところ、らしい。
ギルドの幹部は、そんな俺たちのやり取りを見て、さらに呆れたような顔をした。
「報酬はきちんと管理しろ。冒険者としての信用にも関わる」
「はい」
まったくもって、その通りだった。
◇
とりあえず報酬はそのままギルドで預かってもらうことにして、
セレナの登録は、ほどなく終わった。
「セレナ・ヴァレストさん。登録完了です。等級はG級からになります」
「G級なのね」
セレナが小さく呟く。
「実力があっても、登録したては基本的に下からだよ」
俺は言った。
「学院の成績と冒険者としての実績は別だからな」
「実技93点でも?」
「冒険者としては今日が初日だから」
「それは……まあ、そうね」
少しだけ不満そうだったが、セレナはすぐに納得した。
こういうところはちゃんとしている。
受付の女性が今度は俺の登録証を確認する。
「リオンさんは現在C級ですね」
「はい」
「C級なのね」
セレナがこちらを見る。
「ガルムベアの件が大きかったんだと思う」
「それで報酬を放置していたの?」
「そこはもう言わないでくれ」
セレナは少しだけ笑った。
そのまま、俺たちは臨時のパーティー登録も済ませた。
正式な固定パーティーではなく、今回の依頼用の一時的な登録だ。
「これで一緒に依頼を受けられます」
受付の女性が言う。
「依頼の内容は、等級差を考慮して選んでください」
「分かっています」
俺は頷いた。
今日はセレナの初実戦だ。
無理をするつもりはない。
◇
依頼掲示板の前へ移動する。
朝の掲示板には、すでに何人もの冒険者が集まっていた。
薬草採集。
荷運びの護衛。
街道脇の魔物討伐。
森の魔物討伐。
条件の良さそうな依頼ほど、冒険者たちの視線も鋭い。
セレナは掲示板を眺めながら、少しだけ目を細めていた。
「色々あるのね」
「あるよ。でも今日は森の入口まで。低級限定」
「分かってるわ」
そう言いながら、彼女の目は少し難しそうな討伐依頼の方へ向いている。
「セレナ」
「分かってるって言ったでしょ」
「ならいい」
しばらく探して、ちょうどいい依頼を見つけた。
王都郊外の森の入り口付近に出る低級魔物の討伐。
対象は小型の魔物。
森の奥へ入る必要はない。
討伐数も多くない。
セレナの初実戦にはちょうどいい。
「これだな」
「低級魔物討伐ね」
「条件に合ってる。場所も森の入り口付近。深追い不要」
「いいわ。これにしましょう」
受付へ依頼書を持っていき、受注手続きを済ませる。
受付の女性はセレナを見て、少しだけ真面目な顔で言った。
「初めての依頼ですね。無理はしないでください」
「はい」
「リオンさんも」
「分かっています」
何度も釘を刺される。
まあ、当然だ。
◇
王都の正門近くから出る乗合馬車に乗った。
セレナは乗る前に、馬車を一度だけ見た。
「本当にこれで行くのね」
「公爵家の馬車で行かなくてよかったのか?」
「それじゃ冒険者活動じゃなくて遠足でしょ」
そう言い切るあたり、覚悟はあるらしい。
乗合馬車は、公爵家の馬車とは比べものにならない。
座席は硬いし、揺れるし、隙間から冬の風も入ってくる。
それでも、中に乗っている冒険者や商人、近郊へ向かう人たちはみんな厚着をしている。
そういうものとして受け入れているのだ。
セレナも少し寒そうにはしていたが、文句は言わなかった。
「寒いか?」
「少しね。でも大丈夫」
「寒かったらちゃんと言うんだぞ」
「あなた、こういうの慣れてるのね」
「まあ、冒険者ならこのくらいは普通だよ」
「そう」
セレナは窓の外へ目を向けた。
馬車が王都の正門を抜ける。
石造りの建物と人混みが少しずつ遠ざかり、景色は冬枯れの畑と低い森へ変わっていく。
王都の外へ出ると、空が広く感じた。
馬車の中では、他の乗客が小声で話している。
誰も俺たちに深く興味を示さない。
それが少し楽だった。
公爵令嬢であるセレナも、今日はただの新人冒険者として座っている。
もちろん、本当にそう見えているかは別だ。
どこかでヴァレスト家の護衛が見ている可能性はある。
だが、少なくとも今この馬車の中では、セレナは自分の足で実戦へ向かっていた。
◇
しばらくして、乗合馬車は王都郊外の森の手前で止まった。
馬車を降りると、冷たい空気が一気に頬を刺す。
土の匂い。
枯れ草の匂い。
遠くで鳴く鳥の声。
木々の根元には、まだ薄く霜が残っていた。
セレナは森を見て、少しだけ表情を引き締めた。
学院でも、公爵家でも、ギルドでもない。
ここから先は、相手がこちらに合わせてくれる場所ではない。
「セレナ」
俺が声をかけると、彼女はこちらを見た。
「ここからは学院じゃない。何かあったら、俺の指示を優先してくれ」
「分かってるわ」
返事は短い。
でも、さっきまでよりずっと真剣だった。
目の前にあるのは、冬の森。
セレナにとっては初めての実戦。
俺にとっても、久しぶりの冒険者依頼だった。