軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第164話 厄介な相手

ハル領側の詰所でひと通りの引き渡しを終えたあと、俺たちは再び王都へ向けて馬車を走らせた。

空はまだ明るかったが、さっきまでよりも風が冷たく感じる。

御者は何も言わず手綱を握り、護衛の騎士二人もさっきより周囲へ目を配っていた。

襲撃そのものは大したものじゃなかった。数も少ない。腕もない。

けれど、ああいう手合いが街道の上に出てきたという事実は、気分のいいものじゃない。

馬車の中で、俺はしばらく窓の外を眺めていた。

冬枯れの木々。

薄く凍った地面。

人影の少ない街道。

どこにでもある冬の景色だ。

でも、さっき道端に座らされていた男たちの顔を見たあとでは、同じ景色でも少し見え方が変わっていた。

痩せた頬。

荒れた手。

切羽詰まった目。

あれは、場慣れした盗賊の顔じゃない。

前に取り逃がしたガザルの手下達と比べると、奪うことそのものに慣れている感じでもなかった。

どう見ても、もっと別の場所で食い詰めた末に、最後に街道へ出てきた人間の顔だった。

「……思ったより、苦しいのかもしれないな」

誰に聞かせるでもなく呟くと、馬車のすぐ外にいた騎士の一人が、こちらへ半ば振り向いた。

「何がですか」

「グレイヴ領だよ」

そう言うと、騎士は少しだけ考えるように間を置いた。

「境に近い村ほど荒れやすい、とは聞きます」

「やっぱりそうなんだ」

「食えなくなれば、まず領の外へ出ようとする者が増えますから」

短い返事だった。

食えなくなった人間は動く。

出ていけるなら出ていく。

それができなければ、もっとまずい形で流れ始める。

さっきの男たちは、まさにその“まずい形”だった。

俺は背もたれに寄りかかって、目を閉じる。

グレイヴ領は、思った以上に領民の生活が苦しいのかもしれない。

ただ、そこで思考はすぐに止まらなかった。

――じゃあ、領全体が貧しいのか?

そう考えると、少し引っかかる。

王立学院で見てきたガレス・グレイヴの顔を思い出す。

体格。

服装。

態度。

金遣い。

少なくとも、困窮した領地の息子には見えなかった。

もちろん、あいつ個人が浪費家だとか、無神経だとかいう話はある。

でも、それだけじゃ説明がつかない気もする。

もし本当に領全体が沈むほど貧しいなら、侯爵家の空気にももう少し滲むはずだ。

なのに、王都で見るガレスからは、そういう逼迫した感じがあまりしない。

となると、領全体が均等に苦しいんじゃない。

苦しさが、下に偏っている。

不作があっても。

産業が育っていなくても。

まず痩せるのは、末端の村や人足だ。

領主館まで先に痩せることはない。

「……搾ってるのか」

思わず、そう口に出ていた。

向かい側に置いた荷が小さく揺れる。

不作が続いて、目新しい産業もなくて、それでも領主家の体面は保つ。

そのために何をするかといえば、結局は領民から取るしかない。

税を重くする。

名目を変えて取り立てる。

労役を増やす。

何か足りなくなれば、また下から絞る。

そう考えれば、さっきの男たちの顔と、王都で見るガレスの顔は、むしろ綺麗につながる。

領が貧しいんじゃない。

領民だけが先に痩せている。

そういう領地なのかもしれない。

しばらくして、もう一人の騎士が低く言った。

「不作の年でも、領主館の食卓まで急に細くなることはありません」

俺は顔を上げた。

「……やっぱり、そういうものか」

「先に痩せるのは村です。特に、境に近くて手綱の緩いところから」

その言い方に、少しだけ苦いものを感じた。

たぶんこの騎士も、そういう話を何度か見聞きしてきたんだろう。

珍しいことではない。

だからこそ、余計に厄介だ。

俺は窓の外へ目を戻した。

グレイヴ領民が出稼ぎや移住でハル領へ流れてくること自体は、正直ありがたい。

今のハル領は、人が増えることそのものが力になる段階にある。

西の森の開拓。

領都の土木。

工房。

石切り場。

どこも、働き手が増えればそれだけ前に進む。

でも、だからといって、ただ喜んでいればいい話でもない。

増えすぎれば、あの侯爵のことだ。

必ず何かしてくる。

そこで俺の頭に浮かんだのは、ガレスじゃなかった。

父親のほうだ。

ガレスは確かに面倒だ。

だが、あいつはどちらかといえば分かりやすい。

見栄が強くて、感情が顔に出て、苛立てばそのまま口にも出る。

厄介なのは、侯爵本人だ。

以前、ハル領で青輝石の不法採掘をしていた時もそうだった。

露骨には動かない。

最初から、責任がどこへ転んでも自分には届きにくい形でやっていた。

仮に現場が潰れても、自分の名までは汚れないように。

そして、本当にまずくなった時には、うやむやにする逃げ道まで用意していた。

悪いことをするのが上手い。

しかも、それだけじゃない。

王によるローヴェル伯爵への視察に同行していた時も、あの侯爵は自然な顔でそこにいた。

つまり、地方で好き勝手しているだけの男じゃない。

中央への顔もある。

王や有力貴族の前で、少なくとも“まともな侯爵”として振る舞える程度の政治力は持っている。

無能で短慮なだけなら、まだ読みやすい。

でも、あの男は違う。

末端を削るような経営をしながら、表では取り繕える。

汚いことをする時も、最初から痕跡を薄くする。

そして、必要なら王都の空気にも乗る。

「敵に回したら厄介だな……」

今度ははっきりと言葉になった。

騎士たちは何も返さなかった。

たぶん、そこに補足する必要がないと思ったんだろう。

実際、その通りだった。

正しさだけで押し切れる相手じゃない。

ハル領へ人が流れてくること自体は、こちらにとって追い風だ。

でも、その流れが大きくなればなるほど、グレイヴ侯爵にとっては面白くない。

しかも、ただ怒鳴り込んでくるならまだ対処しやすい。

あの男がやるのは、たぶんそういうやり方じゃない。

証拠を残さず。

責任を曖昧にしながら。

それでも確実にこちらの足を引っ張る。

さっきの襲撃だって、本当にただの偶然だったのかどうかはまだ分からない。

実行したのは困窮した農村の男たちだ。

でも、あいつらが自分たちだけで「ちょうどいい馬車が通る」と踏んだとも思いにくい。

誰かが流している。

誰かが煽っている。

そして、そいつが本当にただの小悪党かどうかも、まだ分からない。

そこまで考えて、ふと昨日の帳面のことが頭をよぎった。

人数だけじゃなく、中身を見えるようにした。

あれは内政のために必要だと思って始めたことだったけど、今になって別の意味も見えてくる。

もし今後、他領からの人の流入が増えるなら。

あるいは、逆に急に減るなら。

こちらがちゃんと実態を把握していない限り、相手に好き勝手揺さぶられる。

来る者を受け入れるだけじゃ駄目だ。

どう流れ、どれだけ入り、どれだけ出ていくのか。

それを見て、必要なら整理し、外から見ても突かれにくい形にしておかないといけない。

人の流れも、結局は管理の対象になる。

感情だけで、「来てくれるならありがたい」で済ませていい段階は、もう過ぎているのかもしれない。

俺は小さく息を吐いた。

ハル領は伸びている。

けれど、伸びるということは、それだけ周囲の目も集まるということだ。

流れてくる人の数が増えれば増えるほど、向こうも黙ってはいない。

正しさだけでは足りない。

仕組みだけでも足りない。

相手の動き方まで見た上で、先に手を打つ必要がある。

馬車はそのまま、街道を進んでいく。

窓の外の景色は少しずつ変わり、道の雰囲気も、見える家々のつくりも、ハル領のものとはわずかに違ってきていた。

王都はまだ遠い。

グレイヴ侯爵を敵に回すなら、こちらもただ真っ直ぐでいるだけでは足りない。

厄介なのは、力の強い相手じゃない。

悪意を、痕跡の残りにくい形で使ってくる相手だ。

馬車の揺れに身を任せながら、俺は窓の外を見た。

冬の街道は静かだった。